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「ひっく……うっ、うぅ…」
「オーイ、嬢ちゃんよォ、泣いたって仕方ねーぜ?」
アマリーは、自分の浅はかさに涙をこぼしていた。まさか、良い人だと思っていたクリスが、このようなことをするなんて。
目を覚ましたアマリーは、最初自分の状況がよく理解できていなかった。薄暗く、黴臭い小屋のような場所に、転がされていることだけは何となくわかった。
「い…た……」
体を起こそうにも、手足が縛られていてうまく起き上がれなかった。それに、頭がくらくらする。
「オ? 起きたのかい、嬢ちゃん」
「ひっ…! だ、誰ですか…!?」
背後から聞こえた野太い声に、アマリーの身は竦んだ。自分はいったいどうなってしまっているのだろうと考え、クリスの顔が浮かぶ。
「く、クリスさんは…!? ここは、どこ…!?」
気を抜けば、恐怖で涙を零しそうになるため、アマリーは虚勢を兼ねて大きな声で男に問うた。
「クリスぅ? ……あぁ、嬢ちゃん、気づいていないのか? アンタは騙されたんだよ、あの男にな」
「え!?」
「そんで今のアンタは、あの男が本当に欲しいものの取引材料だ」
「と、りひき…?」
アマリーはくらくらとする頭で必死に考えた。そして、ヘレンの事を思い出す。そうだ、クリスはヘレンの事を探してここまでやってきたと言っていた。そのヘレンとの取引材料が、自分…。そこまで考えて、クリスが最初からそのつもりであったのだとアマリーはようやく気付いた。
「だ、だまし…たの…?」
「いいやぁ? 最初からそのつもりだっただけじゃねぇのか?」
男はつまらなさそうにそう返す。しかし、アマリーからすれば騙されたも同然だった。
「どうして!! ちゃんと話し合えば……!」
「くっ、あっはっはっはっは! 嬢ちゃん、いいとこで暮らしてたんだなぁ? この世にゃあの男みたいのがうじゃうじゃいるってゆーのによ!」
「おいおい、声が外まで響いてんぞ。いくら町から離れたからって油断すんな」
「っ!」
すると、また一人、男が小屋へと入ってくる。隻眼の男は、酷く不機嫌そうだった。
「おぉ…戻ったのか。んで、首尾はどうだよ?」
「あぁ、やっぱり甘ちゃんだな。もう少しすれば契約も終わる」
「はーーーっ、やぁっとあの男と離れられんのか…」
「終わるって……へ、ヘレン様は…!?」
男たちの会話を聞いたアマリーは、それだけが気になった。自分のせいで、ヘレンにもしものことがあれば、この先自分はどうやって生きていけばいいのだろうか。
しかし、男たちはそんなアマリーに無情な言葉を突き付けた。
「あ? そんなの、決まってんだろ?」
「お前のせいで、あの嬢ちゃんはあのクソヤローに捕まったよ」
「!!」
どうして、という思いと、見捨てられなかったことへの安堵に、アマリーは自分自身に吐き気がした。自分さえ、あのような男を信頼しなければ…いや、そもそも、ちゃんと報告していれば…。
後悔ばかりが頭をよぎり、ぼろぼろと涙が零れた。
「いやいや泣くなよ、嬢ちゃんよぉ? あんたみてーな子の為に、お貴族様が体張ったんだぜ? 喜べよぉ、捨て駒扱いされなかったってな!」
「っ、ひ、どい……なんで、こんな…」
「…一々小うるさい餓鬼だな。なんで、どうしてばっかり。自分の頭で考えることもしない。だからあの男に目をつけられたんだろうがな」
アマリーは、他人が傷つくくらいなら自分が傷つくことを選ぶ子だった。そう、亡き両親に教えられていた。だから、貧困街で生きていた時、自分が騙されたと知っても、周りが傷つかないのであればいいかと思っていた。
だが、それは間違いだった。
自分が騙されることで、周りの人が傷つくことがあるのだと、アマリーはようやく知った。シエルが言っていたことが、ようやく分かったアマリーは、自分の甘すぎた考えと不甲斐なさに涙を零すしかできなかった。
「っ……」
謝りたかった。自分のせいで、こんなことになってしまったと、皆に謝りたかった。
「んで、どうするんだよ、この嬢ちゃん」
「アイツには報復が怖いから逃がせって言われたがな」
「おいおい、俺たちのことこれっぽっちも考えてねぇじゃねぇか」
「あぁ、ヴィノーチェに手を出したのがバレれば、あそこの当主がヤバい。ただでさえ、あの女から情報を仕入れたのがバレたらヤバいって言うのに…これでこの餓鬼を解放したら俺たちがあぶねぇ」
「あぁ……ジェシカだっけ」
「おい、馬鹿!!」
「げっ」
アマリーは、聞き覚えのあるその女性の名前に、自分の記憶を必死で掘り起こした。
「……ノア様の…?」
「あーあー、気づいちまった。この嬢ちゃん、ホンモノの馬鹿だ」
「まぁ、口に出さなくても聞かれた以上、逃がすわけにはいかなくなったがな」
「っ!!」
ジェシカとクリスが繋がっていた。きっとヘレンのことを伝えたのはジェシカだ。だが、ヴィノーチェに…いや、ノアにとってヘレンの存在の重要性を漏らしたのは自分だ。きっとクリスはその信憑性を確認するためにもアマリーに近づいたのだ。
「っ……! あ、あたしを殺すの…?」
折角得た情報も、殺されてしまえば伝えられない。アマリーは、どうにかして時間を稼いで、ここから逃げ出さなくてはと思った。戻ったとしても、きっと自分は罰せられるだろう。でも、せめて。
「殺すわきゃねぇだろ。死体の処理だって意外と面倒なんだぜ? そんな面倒なことするかってーの」
「え…?」
「餓鬼、喜べ。お前は生かしてやる。だが、今のお前じゃなくなるがな」
「今の、あたし…?」
アマリーは隻眼の男の言っていることがいまいち理解できなかった。
「お? あれにすんのか?」
「それが一番面倒がないだろ」
「ひでぇ奴だな! 嬢ちゃん、あんたのこれからを教えてやるよ。あんたはここで薬付けになって、そのイイ趣味をもったお貴族様に売るのさ」
「……っ、やだやだやだ!!」
「イイ薬なんだぜ? なぁんも考えらんなくなる。タノシイこと以外、な」
「ひっ……!」
男の下卑た笑みに、アマリーは恐怖で体が強張った。そんなことをされれば、たとえ自分が見つかったとしても意味がない。
アマリーは自分の未来を想像して、ガタガタと震えた。
「おいおい、そんな怖がるなって。ダイジョーブ、決めたらそんなことも分からなくなる」
にたにたと笑う男の背後では、隻眼の男がごそごそと何かをしている。
これは、罰なのだろうか。自分が、ちゃんと報告をしていなかったから。その所為で、ヘレンの身が危険に晒されているから。
「っ!! いやぁああああああ!! だれか!! だれか、助けてーーー!!」
「おい、うるせぇぞ!!」
「黙らせろ!」
バキリ、と男がアマリーを殴った。パッと血の味が口の中に広がる。それでもアマリーは泣き叫ぶことを止められなかった。
「やめてやめてやめてーーー!! だれか! シエル!! エルサ様ぁあああ!!」
「さっさとやる、そいつを黙らせろ!」
「わーってる!!」
男がアマリーを羽交い絞めにし、隻眼の男が何かをアマリーに近づけてくる。もう、絶望しかなかった。
しかし次の瞬間。
「確保ーーー!!」
古びた扉が勢いよく開かれ、人が小屋の中になだれ込んできた。
「なっ!?」
「じ、自警団だと!?」
「そいつらを確保しろ!!」
小さな小屋の中は、一瞬で人で埋まり、騒然とする。アマリーは何が起こったのか分からず、涙を流したまま茫然とした。
そんなアマリーの背中を優しく撫でながら拘束を解いた人が、アマリーに優しく声をかけた。
「君は、アマリーだね?」
「…は、ぃ……」
「よかった、見つかって。私は自警団のジャクソン。君を助けに来た」
「っ……~~~うわぁあああああん!!」
アマリーはその言葉をゆっくりと飲み込んで理解する。
「おい!! くっそ、放せ!!」
「あの野郎!! 俺たちを囮にしやがった!?」
「詳しい話は詰所で聞く!! さっさと歩け!!」
泣き叫ぶアマリーの背後では、男たちが汚い言葉を吐きながら自警団に連行されていった。
「アマリー!!」
「シエル! トンクスさん!!」
保護されたアマリーは、ジャクソンに抱きかかえられたまま詰所へとやってきていた。朝も見たはずのシエルたちの顔が、もう何年も見ていないかのように懐かしく感じ、アマリーはまろぶように駆け出してシエルに抱き着いた。
「アマリー、アマリーっ…! 無事でよかった…!」
「シエル、シエル…! もう、会えないかと…!」
そんな二人の抱擁を、トンクスは厳しい声で邪魔した。
「アマリー、疲れているのはわかるが、話を聞く。いいな」
「っ……はい」
厳しい表情のトンクスに、アマリーは顔を青褪めさせながらも頷いた。その場にはシエルとマーカス、そしてジャクソンがいた。
「まず、男のことを話しなさい」
「はい…クリスと名乗った男の人で、狐目が、印象的でした…。とある方…ご家族と聞いたんですけど、頼まれてヘレン様を探しに、バーゲンムートからやってきた、と……」
「それで」
「あ、あたしは、エルサ様達に、直接、言わないのかって、聞いたら、ヘレン様は、ご家族と喧嘩をしたって…それに、ご病気になられたことがあるから、皆が知るのは良くないって……」
「……」
「クリスさんは、ご病気のこと、ノア様たちは知らないだろうって…再発することもある……そのことを、知られるのは、良くないって…へ、ヘレン様は、そのことを内緒にしているのだろうって、思ったんです……」
「続けなさい」
「っ……でも、お屋敷のことを話してはいけないって言われたので、ヘレン様に手紙を届けることはするって、言ったんです。クリスさんは、会いたいって言ったけど、ヘレン様は会わないって仰ったので、最後に、ヘレン様がお会いになられないって伝えに行こうとして……」
「……それで連れ去られたわけか…アマリー、シエルと自警団の皆様に感謝しなさい。シエルが昔からの伝手を総動員した。昔からの知り合いの子供たちに聞いて、お前の居場所に当たりをつけることができたんだ」
「っ…助けて下さって、本当にありがとうございました…!」
「だが、今回の一件で命を落としていてもおかしくなかった…たくさんの人を巻き込んだんだ、分かっているな?」
「はい…」
「はぁーーーー……」
トンクスの深いため息に、アマリーはびくりと肩を揺らす。
涙目で自分を見てくるアマリー、そして表情を強張らせたままのシエルを見て、トンクスは内心で裏切られた気持ちになっていた。




