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Everlasting  作者: 水無月
見えぬ先

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6



 アンドレアスが生まれて、早一年が経過した。小さな小さな王子様は、マイヤー家の光であり、誰もが彼を溺愛した。


「アンドレー、カレンお姉さまよ! お・ね・え・さ・ま」

「あー」

「もうっ、お母様、アンドレはいつになったら私のことを呼ぶのかしら」

「ふふふ、カレン、アンドレはまだ一歳よ? もう少しお待ちなさいな」


 彼を中心に、マイヤー家が回っているといっても過言ではないほど、誰もがアンドレアスに構いたがった。美男子になるぞとすでに溺愛を隠そうともしない父。夫に似ればいいと微笑む母。得られないかもしれないという絶望を知っている二人は、ことさら息子を構った。

 そんな中、ヘレンだけは、いつもと変わることなく勉学に勤しむ。


「お母様、少しよろしいですか?」

「あら、ヘレン。どうしたの」

「今度新しい剣を見に行きたいのですが、いいでしょうか?」

「剣? お父様に聞きなさい、私では判断できないわ」

「…わかりました」


 十四歳を目前としたヘレンの生活は、アンドレアスが生まれる前と何一つ変わることはなかった。政治を学び、剣術馬術を鍛え、教養を磨いていた。


「あ、お姉さま! アンドレー、ヘレンお姉さまよー」

「あーーぅーー」

「アンドレアス、とても元気そうね」

「そうなの、お姉さま! アンドレってばもう掴み立ちできるのよ!」

「まぁ…流石ね、アンドレアス」


 ヘレンはアンドレアスの手に触れ、頬に口づけを落とすと立ち上がった。まだ、やることがたくさんあるのだ。

 しかしそんなヘレンを、カレンは不思議そうに見上げた。


「どこかに行くの、お姉さま?」

「えぇ、お父様のところに」

「そう、お姉さまは相変わらず忙しそうね、アンドレ―」


 カレンがアンドレアスを抱き上げ、その柔らかな頬に口づける。きゃっきゃっと楽しそうなその姿に、ヘレンの頬も緩んだ。


「ヘレン」

「はい、お母様」

「貴女、もう少しゆっくりとした時間を作ったらどうかしら? 毎日毎日勉強ばかりでは大変でしょう?」

「…いえ、そんなことはないですよ」


 変わったことといえば、両親が以前ほどヘレンに頑張れと言わなくなったことくらいだろうか。ゆっくりしなさい、休みなさいとよく言われるようになった。

 それでも、勉強を止めなさいとは言われない。


「でも、お気遣いありがとうございます、お母様。後で少し休みます」

「そう? 無理しすぎては駄目よ?」


 ヘレンは母のその言葉に、優雅なカーテシーで返し、そしてそのままマリを連れて父の書斎へと向かった。



「お父様、ヘレンです。少しだけお時間よろしいでしょうか」

「ヘレン? 入りなさい」


 父ドナルドは真面目に仕事をしていたのか、皺を寄せていたらしい眉間を指で揉んでいた。


「どうかしたのか」

「リュシアン先生と町に出たかったので、許可を頂きたいのです」

「町に? 何をしに行くんだ?」

「剣を新調したくて」

「剣? 何のためだ?」

「…鍛錬の、ためです」


 ヘレンは一瞬だけ息をのみ、理由を話す。そしてドナルドは自身の失言に気づいたのか、そ、そうかとだけ言った。


「わかった。いつ行きたいんだ?」

「できれば早いうちに」

「ふむ…あとでロドリゲスにも聞くが、明日なら息子のゲオルグの時間が空いているだろう。一緒に連れて行きなさい」

「ありがとうございます、お父様」

「あぁ」


 あぁ、他にも変わったことがあったとヘレンはぼんやりと思った。両親と目が合うことが少なくなったのだ。

 前までは叱咤激励と共によく目を合わせていたのに、今ではほとんど合うことがない。それを悲しいと、少しだけ思う。これ以上話すことはないと判断されたのか、ドナルドは書類に視線を落とす。

 ヘレンは一礼すると、出来るだけ音を立てないように部屋を出た。



 グリンデルとの授業は続いているが、いまだに彼から吉報は聞かない。きっと難航しているのだろうとヘレンは当たりをつける。オルト夫人はヘレンには教えることはありませんと太鼓判を押してくれたが、今でもたまに会いに来てくれる。剣の師であるリュシアンは、ヘレンの剣を見繕おうと町へ誘ってくれた。


「……心配、かけてしまっているわね」


 ぽつりと零したそれを、背後にいたマリが拾った。


「ヘレンお嬢様、みな、ヘレンお嬢様だからこそですわ。お気にやまないでください」

「…ありがとう、マリ」


 変わらない日々。求めているはずのそれ。しかしヘレンは不安に駆られていた。

 当てのない道を、闇雲に走っているような、そんな気がしてならなかった。だからだろうか、余計に逃げるように打ち込んでいるのは。


「お嬢様、今日はもうご予定はありませんでしたよね? よろしければお菓子をご用意しましたので、お茶でもいかがでしょうか?」

「いいわね…いただくわ」


 ふわりと微笑む。今では、意識せずとも優雅な振る舞いというのが板についてきているような気がする。オルト夫人のお蔭だ。そのオルト夫人から、カレンも問題ないだろうという言葉を聞いた。そろそろ、カレンにも縁談の話が入るだろう。

 バーゲンムートでは、男女ともに十五歳にデビューする。そしてその一年後の十六歳で正式に成人と認められ、婚姻も可能となる。

 女性は十六で婚姻することが多いが、男性の場合はそうでもない。経験が圧倒的に足りないということで親の元で勉強したり、仕官したりとある程度の年数を開けてから婚姻を結ぶ者が多い。

 ヘレンが当主になる予定だったあの頃は、ヘレンが十六と同時に婚約し、相手にはマイヤー家で学んでもらう予定だった。それを考えれば、ヘレンのほうが先に縁談の話が来てもおかしくはない。

 しかし、アンドレアスが生まれた以上、ヘレンの結婚の話がどのようになるのかは本人ですら想像できなかった。

 …それ以前に、ヘレンは自分の将来のことすらもわからない状態だったが。




*****





「はぁっ!!」

「ふん!!」


 カン、カン、と乾いた音が響く。木の棒同士が勢いよく打ちつけられる音だ。


「――っ」


 次の瞬間、カァン、と甲高い音が響き、一本が落ちる。


「―――ン、いい感じですよ、お嬢」

「ありがとう、リュシアン」


 翌々日、ヘレンは買ったばかりの剣と模擬剣で師であるリュシアンと手合わせをしていた。リュシアンは貴族ではないが、その腕から自警団に入った腕の立つ男だった。見た目は筋肉隆々だが、顔だちは優しめだ。目が細めでいつ開いているのかわからないという欠点があるが。


「お嬢は体力がありますが、まだまだ成長途中なので、無理に重いものは使用しないほうがいいです。重いものだと、逆に持っていかれると思うので」

「はい、わかりました。昨日はこれを購入しましたが、成長が止まれば重いものを持てる可能性はありますか?」

「ないとは言い切れませんが、女性でそれ以上のものを持つとなると、もっと筋力が必要です。お嬢の場合、手数と速さでの勝負なら十分だと思いますよ?」

「そうですか」

「えぇ。ただ短期決戦が望ましいですね」

「…やはり男性の体力には勝てませんよね…」

「そうですねー…。女性で男性に勝てる方はいないとは言い切りませんが、相当鍛錬している方でしょう」

「そうですか…」


 一定の時間の鍛錬を終え、二人とマリは応接間で談笑をしていた。リュシアンの話は面白く、ここ最近悩んでいたのを忘れるくらいに笑ったヘレンがいた。

 その時。


「リュシアン先生? こちらにいらっしゃるの?」

「? 奥様ですか?」


 少し開かれた扉から、母の声がした。ヘレンは直ぐにマリに視線をやり、マリは心得たと言わんばかりに扉へと向かう。


「あぁ、ちょうどよかった、お話したいことがあったのよ」

「お…私に、ですか? ヘレンお嬢様のことであれば、何一つ問題なく…」

「あ、いえ、ヘレンのことではないの。アンドレのことで」

「アンドレアス様のことですか…?」

「そう。あの子も伯爵家を継ぐために鍛錬などをしなければならないでしょう? いくつくらいからさせていいのかとか、あとは出来るだけ怪我をさせないようにしてほしいとか…」


 ジャクリーヌの言葉に、リュシアンとヘレンは何を言っているのだろうと目を合わせる。アンドレアスはまだ一歳。鍛錬など、もっと先の話だ。それに怪我をさせないようにだなんて、なんて先走った話なのだろうか。


「…失礼ですが、奥様…。アンドレアス様の鍛錬はまだまだ先の話ですし、怪我に関しても多少は致し方のないことでして…」

「でも、あの子はマイヤー家の跡継ぎなの。何かあっては取り返しがつかないわ…」

「…」


 ジャクリーヌの言葉に、リュシアンが絶句したのがヘレンにはわかった。


「…お、奥様…? ヘレンお嬢様は、怪我をされながらも鍛錬をし、今ではなかなかの使い手ですが…」

「ヘレン? まさか、まだ剣を握っているの?」

「…奥様、あちらで話しましょう」


 ヘレンは絶句した。淑女らしからぬとわかっても、どうしようもなかった。だって、つい先日、剣を見に行きたいと、話したばかりではないか。

 リュシアンが気を利かせて、ジャクリーヌを引き離そうとする。しかしジャクリーヌはヘレンに視線を留めたまま、話し始めた。


「ヘレン、そろそろ話さなくてはと思っていたんだけど、貴女、もう鍛錬とか座学はいいのではなくて?」

「…おかあ、さま?」

「ヘレンも女の子なのだし、カレンのようにお淑やかな趣味を作らない? お母様と刺繍でもしましょう? 今以上に頭が良くなって、強くなってしまったらお嫁にいけなくなってしまうわ?」

「奥様っ」

「あら、リュシアン先生、どうなさったの、大声を出して」

「アンドレアス様のことでお話を…。ヘレンお嬢様、俺はこちらで失礼します」

「奥様、リュシアン様、別室に紅茶をお持ちいたしますわ。どうぞこちらへ」


 マリとリュシアンが必死になってジャクリーヌをヘレンから引き離そうとする。その姿を、ヘレンは呆然と見るしかなかった。


「もう、二人揃って強引ね。…ヘレン、もう頑張りすぎじゃなくて? もっとゆっくりしたらいいわ。それに女の子らしくなってもいいのよ? 貴女は少し強いように見えてしまうから、男の方は引いてしまうわ」

「―――」


 二人が一生懸命お母様を連れ出しているのがわかる。

 でも、何も聞こえない。



 あれ、どうしてわたし、いままでがんばっていたのだろう


 あなたならできるって、いわれて


 がんばれば、ほめてもらえるはずで


 あれ、なんで、ほめられていないのだろう


 がんばったのに


 がんばっているのに


 どうして


 あれ、なんで、がんばったのだろう


 とうしゅに、なるはずで


 でも、なれない


 あれ、どうして、がんばっているの


 だって、がんばっても、むだじゃないの


 わたしは、とうしゅには、なれない


 しけんも、うけられない


 いままでやってきたことすべて、いみがない



「あれ、私、なんで、ここまでして……?」




 ぺきん


 ヘレンのなかの、ナニカが折れた音がした



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