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「ありがとうございます、ノア様」
「気に入って、使ってくれたらいい」
結局、ノアはいくつかジュリに見せてもらった宝飾を吟味し、ヘレンの瞳の色に合った首飾りと耳飾りを購入した。繊細な作りだが、存在感のある品だ。
「よし、あと少し店を見て回ろう」
「はい……っ、ノア様っ」
ヘレンはノアの後に続こうとした瞬間、ノアに自分の手が取られたのをその温もりで気づく。指同士が絡み合うその繋ぎ方は、恥ずかしさすら覚えた。
「…いいだろう?」
「~~~っ」
伺うようなノアの表情に、ヘレンは何も言えなくなる。いつもは隙の欠片も見せないノアが、今日に限ってはいつもと違うように見える。ヘレンは繋がれていないほうの手で顔を覆い隠すと、小さく頷くしかできなかった。
「あぁ、あそこにも入ろう」
「…はい」
軽く引かれた手に、ヘレンは開き直るしかないと思い、顔を上げた。そんなヘレンを見たノアは、まるで子供のように笑みを浮かべた。
*****
「ふぅ……」
その日の夜、ヘレンは夕食を終えた後一人部屋で息を吐いた。
正直に言って、ノアとの外出は楽しかった。最初は恥ずかしさばかりが先立っていたが、それすらも忘れるくらいに楽しい時間だったと思う。
帰ってきてからのターニャとエメリオの追求には少しだけ疲れたが。
かさり、とヘレンは今日貰った装飾品の包みを開く。ランプの光にきらきらと光るそれに、ヘレンはむずがゆいというか、恥ずかしいというか、高揚した気持ちが自分の心の内に溢れてくることに気づいた。知らず知らずのうちに、顔が笑みを作る。
「綺麗……ふふっ……」
そしてそれと同時に、ノアの掌の温もりを思い出してベッドへと飛び込み、声にならない悲鳴を上げて転がる。顔は熱いし、心臓はばくばくするわで、ヘレンははしたないと知りながらも転がりまわった。
嬉しい。恥ずかしい。どうしよう。綺麗だ。楽しかった。そんな感情がヘレンの許容を超える勢いで心を占めていく。
そんな時。
―――コンコン
「っ! は、はい!」
「ヘレン、私だが、今少しだけいいか?」
「の、ノア様!?」
いきなりのノアの来訪に、ヘレンは慌ててベッドから起き上がって扉へと駆け寄り開いた。
「……くっ…どうしたんだ、ヘレン」
「?」
「髪の毛がすごいことになっているぞ」
「!!」
ヘレンは慌てて自分の頭に手をやり、そしてぼさぼさの状況を理解して涙目になる。さっきベッドで転がったからだろう。やらかしてしまった。
「ま、見ないでっ…! い、今整えますから……!」
「ふっ…くくっ…構わない。休んでいるところに急に来た私が悪いからな」
ノアは口元を隠しているが、その笑い声は隠れていない。恥ずかしいところを見られてしまったと思いながら、ヘレンは手櫛で何とか整えようとする。
「あぁ、待て、そんな雑にしたら折角の綺麗な髪が絡むだろう」
「っ~~~!?」
さらり、とノアがヘレンの髪に指を通し始める。さらり、さらりと何度も梳かれる感覚に、ヘレンは顔を上げていられなくなった。なんだ、いったいどういう状況なのだろうか。声にならないくらいに、恥ずかしかった。
「よし、これでいいだろう」
「ぁ、り、がとぅ、ございます……」
「あぁ。それとこれを」
「? なんでしょうか」
ノアは粗方整え終わったヘレンの髪から手を離すと、ヘレンに小さな小箱を渡した。掌に収まるほどのサイズだ。
「これは?」
「開けてもいいぞ」
「はい」
包装されていないので、箱は簡単に開いた。
「…耳飾り?」
箱の中身は、琥珀色の小さな耳飾りだった。
「ノア様、これは?」
「私が個人的に付けてほしいと思ったものだ。今日贈ったものは普段用には使い辛いだろうが、これなら常につけていられるだろう?」
「この、色……」
ヘレンの思わずといった言葉に、ノアはふい、と顔を背けた。分かりづらいが、耳が赤いような気がする。そしてその耳に、真っ青な耳飾りがついていることに、ヘレンは気づいてしまった。
「……独占欲が酷いと言ってくれても構わない。だが、変な虫がつくよりましだ」
「ぅ、あ、の…ノア様、の、耳……」
「っ」
ノアはばっと顔をヘレンに向け、髪の毛で耳を隠した。
「……」
「……」
「とりあえず、これなら毎日つけても問題ないだろう。つけてくれると嬉しい」
「は、い……」
人によっては恋人関係でもないのに重いと感じることもあるだろう。だが、ヘレンは不思議と嫌な気持ちはしなかった。
これでノアが当然のように言っていたのであれば、きっと引いていたかもしれない。しかしノアは、そうではなかった。本人も恥ずかしいと、それでもつけてほしいと思っていることが、ヘレンにはわかった。
酷く嬉しくて、気恥ずかしくて。
「今日は疲れただろう。ゆっくりと休むといい」
「ありがとうございます…」
「…お休み、ヘレン」
「おやすみなさい、ノア様」
ノアはそのままヘレンの部屋に入ることなくその場を立ち去った。扉を閉めたヘレンは、貰った耳飾りごとベッドへと飛び込む。
―――きっと、ヘレンの心はとっくに傾いていた。抗えないほどに、彼はヘレンに対して優しく、厳しく、真摯で、想ってくれていた。そんなノアに、惹かれないはずはないのだ。
「―――すき」
まだ、面と向かって言う勇気はない。だが、少なくともイライアスのように一方通行ではないことはいくらヘレンでもわかる。
心が、温かい。
そして、少しだけ、怖い。
今は、想ってくれているかもしれない。だが、それも永遠ではない。……かつてヘレンが当主になると信じ切っていたあの頃だって、ヘレンは絶対になるのだと信じていた。でも、裏切られた。二度と、あのような思いはしたくない。
世の中の恋人同士は、この不安をどうやって消しているのだろうか。それとも、不安がありながらも共にいるのだろうか。そうだとすればなんてすごいことなのだろうか。
それでも。
「―――すき、です……」
ヘレンは貰った耳飾りを胸元に抱きしめながらそう零した。ほろり、とわけもなく涙が零れた。好きなら好きだと言えばいいと簡単には思えなかった。
自分はこんなにも弱かっただろうか。こんなにも意気地がなかったのだろうか。勉強ばかりしていて、心の機微というものに疎かったのだろうか。
もし、自分という女性に自信があれば、何も考えずに言えたのだろうか。…カレンのように。
ヘレンはつらつらと色んなことを考えながら、そのまま夢へと落ちていった。
*****
「戻った」
「お帰りなさいませ」
同日の深夜、エルサはようやく屋敷へと帰ってきた。いくら厚着をしようと、風が身を切るかのように冷たい。ようやく帰ってきた我が家に、エルサは少しだけ違和感を感じた。
「ん? 何かあったのかい?」
「いえ、特には」
「そう? にしては空気が浮ついているような気がするんだが」
「あぁ、それでしたら、ノア様が浮かれていらっしゃるんですよ」
出迎えたイクスに問えば、そう返答がやってくる。そしてその内容にエルサは瞳を輝かせた。
「へぇ…? 詳細を聞きたいねぇ。イクス、私の執務室に来なさい」
「かしこまりました」
エルサがイクスの表情を観察するように見て、そして予想する。ノアが浮かれているということはヘレン関係が十中八九だろう。だとすれば、本格的にヘレンが義娘になるのだろうか。
エルサがワクワクしながら着替え、執務室にいくとそこには紅茶を淹れているイクスと、待機しているトンクスがいる。
「お疲れでしょうから、暖かい紅茶を用意いたしました」
「ありがとう、イクス。みんなはもう寝ているのかな?」
「はい」
「そうか。それで? ノアはどうして浮かれているんだい?」
「ノア様が浮かれているんですか? 私たちがいない間に面白いことでもあったのか、イクス」
「はい。本日、ノア様がヘレン様を連れてジュリ様の店へと行かれました」
「……なんだって! 本当か!」
「ノア様…ついに…!!」
喜びを見せる二人を他所に、イクスは淡々と報告を続けた。
「と言われましても、贈り物をしたようです。それともう一つ」
「何? プロポーズはしていないのか……」
「もう一つは何だ、イクス」
「ノア様の耳飾りが、ヘレン様の瞳の色と同じでした」
「……ほほぅ…」
「なるほどなるほど……」
それだけで二人にはわかったのだろう。にやにやと笑みを浮かべている。
「それなら、ヘレンの耳にはノアの色があるんだろうねぇ」
「いいですねぇ、若いですねぇ」
「……」
にやにやとする二人を見て、イクスは少しだけノアに同情を隠せなかった。きっと、明日の朝からそのことを突っ込まれるのだろうと想像して。そして自分には何も被害が出ませんようにと祈って。
「イクス、もういいよ。休んでくれ」
「かしこまりました。エルサ様、トンクスさん、お休みなさいませ」
「あぁ」
そうしてエルサの執務室にはいつも通りエルサとトンクスだけが残った。トンクスが紅茶にブランデーを少しだけ垂らしたものを、エルサに渡した。
「ありがとう。そういえば、最近見かけたネズミはどうしているんだろうね?」
「あぁ…ヴィノーチェを調べているのまでは確認しておりますね。そのあとは静かにしているようですが」
「ふぅん…?」
「屋敷の者には今一度内部の情報を漏らさないようにと厳重に伝えます」
「よろしくね。せっかくノアが本気を出しているんだ。邪魔はしないでほしいね」
「そうですね」
「まぁ、うちの屋敷のものであれば大丈夫でしょ。ちゃんとトンクスやヴィヴィアンヌが教育してくれているし」
「そうだとよいのですが。若い子たちには今一度言い聞かせておかねばならないと思いますがね」
「まぁ、トンクスがそう判断するのであればそうするといいよ」
エルサとトンクスは、すでにクリストファーの存在をつかんでいた。だが、誰が彼に依頼したのかまでは時間がなく、調べきれていない。それでも、ヘレンを探しにバーゲンムートから来たというのが彼女たちにとっては重要だった。
「あるとすれば、生家かな」
「それが一番有力でしょう」
マイヤーからすればヘレンを放逐したつもりなど欠片もないのだ。探すのは理解できる。ただ、伯爵といってもそんなに力はないようだ。少なくとも、エルサが自分の子供たちに同じようなことが起こった場合、何が何でも即日に情報を手にしようとするだろう。
「今更、遅すぎるとは思うけどね」
エルサに然り、ノアに然り。すでにヘレンをバーゲンムートに返す気などかけらもない。もしヴィノーチェにとどまらないという選択を彼女が選んだとしても、カロリアンには留め置くつもりだ。
「……ヘレンは、ノアに必要な子だからね。悪いねマイヤー」
エルサはそう言いながら、トンクスの淹れた紅茶を口にした。




