3
「もし、可愛らしいお嬢さん」
「? あ、あたしの、ことですか…?」
「えぇ、もちろんです。恐れながら、ヴィノーチェ公爵様のご自宅をご存知ですか?」
「それなら、あたしが務めているお家ですが…何か御用でも…?」
「なんと幸運な…! いえいえ、わたくしめはさる御方を探しておりまして…」
「さる御方…?」
「えぇ、えぇ、わたくしは、バーゲンムートより参りまして」
「あんな遠くの国から……?」
「そうなんです。実は、バーゲンムートのとある貴族のご令嬢を探しているのです」
「あっ……」
アマリーは、狐目の柔和な笑みを浮かべながら話す男の会話の内容に、思わずそう零す。
アマリーはヴィノーチェ公爵家に仕える料理人見習いだ。かつて貧困街で死にそうになった時に救ってくれた神様のような人、エルサに生涯を誓っている。そしてその御屋敷にやってきたヘレンを思い出したのだ。
「おや? 何かご存じでいらっしゃいますか?」
「えっと…でも、雇い主様のことなので…あたしからは…」
しかしトンクスやシュゼットから、口酸っぱくお屋敷のことを人に軽々しく言ってはいけないという言葉を思い出し、口ごもった。
「やはりそうですよね…。とてもいいお屋敷にお勤めのご様子で」
「そうなんです! 奥様も皆様も、とても優しくて!!」
「そうですか、そうですか。いやはや、しかし困りましたねぇ…ヘレンお嬢様を探して遠路はるばる来たのですが……」
「…ヘレン様を、ご存じなのですか?」
アマリーは、男の口から出た慣れ親しんだ名に、ついそう零した。名を知っているということは、もしかしたら本当に知り合い、あるいは頼まれたのかもしれない。そして本当に知り合いであるのであれば、話してあげたほうがヘレンや彼の為になるのではないだろうか。
「わたくしではなく、わたくしの雇い主様が。しかし申し訳ございません、お家の事情でその方のお名前を出すのは……」
アマリーは必死に考えた。もし、彼の言っていることが本当だとすれば、何も言わずにいるのはいいことなのだろうか、と。しかし彼の言っていることが本当かどうかの判断を、自分がしてしまってもいいのだろうか。
「…あの、お探しのヘレン様って、どのような容姿をしていらっしゃいますか…?」
アマリーは恐る恐る聞いた。そして、男が微かに笑ったのには気づけなかった。
「ヘレンお嬢様は黒色の御髪に、真っ青な瞳をしていらっしゃいます。確か、まだお若く二十歳くらいでしょうか…」
「っ! そ、それなら、お屋敷にいらっしゃる方と同じかもしれません!」
アマリーはとてもいい子だった。かつて貧困街にいたとは思えないほど、純粋な心の持ち主だった。…だから、死にかけたのかもしれないが。純粋で優しすぎる彼女は、自分を置いて他人に優しくするように亡くなった両親に育てられていた。だから、貧困街にいても他人を騙すということができなかった。…もしこの場に、同じく見習いのシエルがいたのだとすれば、話は変わったことだろう。
しかし、ヴィノーチェ家で働くようになってから悪意のある人とあまり接してこなかったアマリーは気づけなかった。
「―――そうですか! しかしヘレン様はわけあってバーゲンムートを出られたお方…。出来るのであればわたくしのことは秘密にしてほしいのです」
「え…、どうして、ですか?」
「わたくしの主に伝えて、依頼人に迎えに来てもらおうかと思います。きっとヘレン様も少し意固地になってしまわれているのでしょう。ですから、わたくしがいると知ればまだどこかへ行ってしまわれるかもしれません…」
「そんな…、その、依頼人って、ヘレン様とどのような関係なんですか…?」
「あぁ…”かぞく”のようなものです」
「っ!!」
アマリーは、男の吐いた言葉に嘘があると微塵も疑っていなかった。そして同様に、男…クリストファーも”嘘”は吐いていなかった。主、サーシャの情夫であるアレックスからすれば、ヘレンは家族だろう。それをどうアマリーが受け取るか、クリストファーには知ったことではなかった。
しかしアマリーは、勝手に想像を膨らませてしまった。きっと、ヘレンは家族と喧嘩別れをしてしまったのだと。だが、その家族はヘレンを探しているのだと。
アマリーに家族はいない。だからこそ、家族がいる人には家族を大切にしてほしいと思っていた。自分にはないものだけど、だからこそ。
「そうなんですか…! 分かりました、あたしからは何も言いません! ヘレン様が幸せになるのであれば!」
「なんてお優しい…! 大丈夫です。きっとわたくしの大切な人は喜びます」
「良かった!」
クリストファーはにまりとアマリーに隠れてほくそ笑んだ。なんて、簡単なのだろう。もちろん、ヴィノーチェ家のことは調べていた。使用人の数、年齢、勤続年数など。そしてその中でも若かったのがアマリーとシエルだ。そして二人のことを調べたうち、アマリーのほうが扱いやすいと判断したのだ。そしてその判断は間違っていなかった。
「依頼人にヘレン様の近況を知らせてほしいと言われています。お聞かせ願えませんか?」
「あっ…すみません、仕事で来ているので、あまり時間が…」
「そうですか…。では、今度でよろしいのでお時間を頂くことは可能ですか?」
「はい!」
クリストファーは三日後の同じ時間に同じ場所でアマリーを会う約束を取り付けた。もちろん、誰にも内緒だということを約束させて。
「では、わたくしはここで」
「はい、あ、お名前を聞いてもいいですか?」
「―――クリス、と申します」
「クリスさん…では三日後に!」
「はい。どうぞ、わたくしのことはくれぐれも…」
「わかっています!」
アマリーはにこりと笑みを浮かべると、急ぐのだろうか走り出した。その後姿を見ながら、クリストファーはなんて簡単にことは進むのだろうと笑みを深める。
「……ヘレン嬢、貴女に恨みはありませんが、私とサーシャの障害を取り除いてもらいます」
そう零し、町の喧騒へと姿を消した。
「ねぇねぇ、シエル、シエル!」
「何だよ、アマリー」
シュゼットに頼まれた買い出しから戻ってきたアマリーのいつにない明るい様子に、シエルは怪訝そうな表情を浮かべた。似たような場所で暮らしておきながら、優しく人を疑うことのしない同僚に、シエルは秘かに心を寄せていた。
「秘密なんだけどね…! 今日ヘレン様の知り合いの方にお会いしたの!」
「……は?」
「ヘレン様を探してはるばるバーゲンムートからいらっしゃったんですって!」
「…会いに来ているのか?」
「いいえ! それがヘレン様、お家で色々あったみたいで、探しに来ていることは内緒にしてほしいって頼まれたの」
「…お前、まさか、お屋敷のこと話したのか?」
「まさか!」
明るく話す様子のアマリーに、シエルは焦った様子で彼女に事の次第を聞いた。
「……お前、トンクスさんたちにバレたら怒られるぞ!? 何やってんだよ!」
「えっ!? だって、ヘレン様とお知り合いの方からの依頼だって…」
「そんなの! どうとでも言えるだろう!? あれだけお屋敷のことを話しちゃいけないって言われてたのに……! どうするんだよ!?」
アマリーは優しい。きっとヘレンが家族と仲たがいをしているのだろうと考えていることくらい、シエルにでも分かる。それだけの時間を共に過ごしたのだから。だが、これはいけないことだ。恩ある公爵家に仇為す行為かもしれない。さらに悪いことに、そのことにアマリーは全く気付いていないことだ。
「で、でも…ヘレン様だって、ご家族と会えなくてもしかしたら寂しい思いをされているかも…」
「くそっ……お前、またそいつと会う約束しているのか!?」
「え…うん…」
シエルは必死に考えた。アマリーが罰せられずに、お屋敷に迷惑をかけない方法を。
「……とりあえず、会いに行くな」
「でもっ……」
「いいか、アマリー。俺は何も聞かなかったし、アマリーも誰にも会わなかった。いいな?」
「シエル…でも、ヘレン様の…」
「そんなの、ノア様たちに任せた方がいいに決まってんだろ!? 俺たちが下手に介入すべき問題じゃないんだ!」
「……」
納得のいっていない様子のアマリーに、シエルはどうして分かってくれないんだと憤りそうになった。自分たちは、エルサ様の好意によってここで働かせてもらえている。そのエルサ様の枷になるようなことはもちろんしてはならない。そのためにたくさんのことをトンクスたちから教わったのだ。
「アマリー。お屋敷のことを外部の人間に話したらいけないって滅茶苦茶言われただろ? それに本当にその男がヘレン様の家族から依頼を受けてるんであれば、そのうちに公爵家に連絡が来るはずだ」
「……」
「それにヘレン様だって本当に家族が恋しいなら、ご自分から行動をとる人だろう? な、アマリー」
「…それは、そうかもしれないけど…」
なおも納得のいっていないアマリーに、シエルは厳しく言うしかなかった。
「…とりあえず、会いに行くなよ。トンクスさんたちには内緒にしといてやるから」
「…わかったわ」
それでも何とか同意の言葉を聞けたシエルは、安心した。
「アマリー。お前が優しいことは分かっている。でも貴族様の家事情に首を突っ込んでもいいことはない。確かにエルサ様たちは優しいが、それでも俺たちとは立場が違うんだ。……アマリー、俺はお前が大事なんだよ」
「シエル…。そうよね…似たような場所から来た仲間だもんね…。あたしも、シエルのことが大事よ」
シエルの大事を仲間としての大事と捉えたアマリーに、シエルはぐっと言葉を飲み込んだ。仲間としてではないと言ったとしても、アマリーはきっと理解してくれないだろうと知って。彼女は酷く鈍感だ。幾度シエルが恋愛感情を交えて言葉を伝えても、何故か彼女には届かなかったから。
「なら、いい。ほら、さっさと仕事に戻るぞ」
「うん」
(なら、ちゃんとお話しできないって言わないとな…)
シエルは、アマリーのことを屋敷の中で一番理解しておきながら、彼女の先の行動を予測しなかった。アマリーがとても真面目過ぎるということに。その彼女が、約束の日に会いに行くことに。それが例え断るというものでも、相手は何枚も上手だということに。




