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二章・30から投稿しております。
いつも誤字脱字報告、ご感想をありがとうございます。
すべて大切に読ませていただいております。返信が出来ておらず、大変申し訳ございません…。
「ヘレーーン! 今日はお休み?」
「ターニャ様、はい、お休みですよ」
「やった! なら今日は私たちと一緒にお菓子を作りましょう!」
「うんうん! 今日はケーキを作ろう?」
ヘレンが屋敷の廊下を歩いている時、背後からやってきたターニャとエメリオにそう声をかけられ、快諾した。またエルサとノアに差し入れをしたいのだろうと考える。
「いいですね。どのようなケーキを作るのですか?」
「うーんとね、ふわふわのケーキ!」
ふわふわのケーキとはどんなものだろうか、と考えながらもヘレンは楽しみになる。忙しい日も何とか落ち着き、今夜は久々にヴィノーチェ家の面々が揃うのだ。しかし時折ターニャたちの表情が暗くなるのは何故だろうか。
「……今日はお二人とも、少しだけお暗いようですが、何かありましたか?」
「「!」」
ヘレンの言葉に、二人は目を丸くしてヘレンを見上げる。そして少しだけ言い淀むと、ターニャがヘレンにしゃがむように言った。
「―――今日はね、お父様の命日なの」
「―――」
その一言にヘレンが何も言えないでいると、エメリオが苦笑しながらどうして菓子作りをしたいのかを話した。
「今日は、ママも兄さまも少しだけ落ち込むんだ…。だから、少しでも元気になって欲しくて」
「……私が、お手伝いしてもいいのですか?」
ヘレンは恐る恐る口にした。エルサにとって最愛の夫、そしてノアにとっては大切な父。その人の命日を、自分のような部外者が関わってもいいのだろうか。
そんなヘレンの考えを何となく感じ取ったのか、ターニャが笑みを浮かべる。
「いいの。ヘレンももう家族のようなものでしょう?」
「うん。それに、僕たちに出来ることなんてこれくらいしかないから」
「っ……! わ、私で良ければ、是非ともお手伝いをさせていただきたいです…!」
二人の健気な様子に、ヘレンは自分の目が潤むのを感じながら何度も頷いた。その様子を見た二人は、泣き笑いのような表情を浮かべていた。
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「今日はシフォンケーキ、というものを作ります」
「「はーい!!」」
元気よく返事をする二人を見ながら、ヘレンはしふぉんけーき、とはどんなものだろうと想像を膨らませた。いつも食べている焼き菓子はマドレーヌなどしっとりとしたものが多い。ふわふわとした触感のケーキなのだろうことくらいしか分からないが、想像がうまくできなかった。
「ヘレン様、今日は混ぜることがとても大切になります。腕が疲れるかとは思いますが、頑張りましょう!」
「はい!」
そうして三人はシュゼットとジュノーの指示のもと、ケーキ作りを開始した。
「……毎年、この日だけは、ママは絶対に帰ってくるんだ」
「兄さまはお部屋に籠ってしまうの。食事時は出てくるんだけどね。でも、いつもより少しだけ悲しそうにしているの…」
二人は材料を混ぜ合わせながらぽつりぽつりとヘレンに話してくれた。父、ザクセンが亡くなったときのことは覚えておらずとも、毎年この日に沈む屋敷のこと。それをどうにかして明るくしたいと考えていたこと。ヘレンが来たことによって、毎日が楽しかったこと。今年は例年よりも明るく父を惜しむことが出来そうなこと。
「……お二人は、とてもしっかりしておいでなのですね」
「そんなことないわ。私たちはまだ子供で、ママや兄さまがいないと何もできないもの」
「父さまがいなくなった後、ママと兄さまがどれだけ大変だったのか、僕たちはよく知らない。でも、二人とも僕たちにたくさんの愛情をくれたのだけはわかっているんだ」
「私たちに出来ることは少ないけど、何もしないよりいいってトンクスも教えてくれたの」
「ターニャ様、エメリオ様………」
幼い二人の言葉に、ヘレンが感動している傍ではシュゼットが手巾で顔を覆っていた。
「…ぐすっ…そのお二人の心意気、このシュゼット感動いたしました…!! 最高のシフォンケーキをお作りしましょう…!! ね、ジュノー!!」
「あぁ…気持ちを込めれば、必ず伝わる…」
料理人の言葉に、ターニャとエメリオは顔を輝かせた。
「そうだといいわね、エメリオ!」
「うん、姉さま!」
ヘレンは、なんて優しい心をもった子たちだろうと感動した。…そして、かつて自分のしたことが自分本位の浅ましい行為のように思えて、心が痛んだ。
「……私も、変わらなければいけませんね…」
「? ヘレン、何か言った?」
「いいえ? さぁ、頑張って泡立てますね!」
そう言い、ヘレンは泡立て器に手を伸ばした。
「これを、二人が…?」
「違うわよ、ママ! ヘレンと三人で作ったの!」
「ヘレンが頑張って泡立ててくれたんだよ!」
その日の夜。暗い服を着たエルサとノアとの食事を終えた三人はサロンへと二人を呼び出した。そして昼の内に作ったシフォンケーキを切り分け、二人に出した。
シフォンケーキにはジュノーが直前に泡立てたクリームと、事前にターニャたちが切った果物が品よく飾られている。
「あぁ、とても美味しそうだね、ノア」
「はい。三人とも、ありがとう」
にこりと笑う二人だが、その表情はどことなく力がない。それを感じたヘレンは、ターニャとエメリオの背を押し、そして顔を見合わせると一つ頷いた。
「……ママ、あのね」
「ん? どうした?」
「……」
「僕たち! まだ何もできないけど! でも少しずつ出来ることが多くなっているよ!」
「? そうだね?」
「っ父さまが、死んじゃって、悲しいけど…!!」
「「!」」
ひくり、とエメリオの喉が鳴る。
「ぼ、ぼくたちも、がんばるから…! ひっ…だから、もう、悲しまないで…!」
「わ、わたしも、もっと、頑張る、から…! もっと、父さまの、素敵な、お話をして…!」
「…ターニャ、エメリオ……」
「ぼくたちは、まだちいさくて、なんの力も、ないけど…!」
「でも! ママと兄さまを支えられるように、強く、なるから…!」
ヘレンはその光景を見ながら、涙を零した。きっと、彼らには彼らの苦悩があったのだろう。愛されいてると分かっていても、いや、愛されているからこそ、力になれない自分たちをどれほど悔やんだことだろうか。
「……私も、まだまだ、だな」
「…本当に…」
ターニャとエメリオの言葉を聞いていたエルサとノアが、立ち上がった。そして、幼い二人を力強く抱きしめているのをヘレンは見ていた。
「愛する我が子に、心配させてしまった…!」
「こんなにも、悩ませてしまった…!」
「ママ…」
「兄さま…」
何て、優しい光景なのだろうとヘレンは思った。そしてその光景は、ヘレンの心に確実に棘を刺した。自分は、かつてあの家に、あのように接しただろうか。自分は頑張っていると思っていたが、それは自分の為ではなかっただろうか。彼・彼女のように、真正面から家族と向き合っていただろうか。
ぼろぼろと、涙が零れる。それが何の涙なのか、ヘレンには分からない。ただ、羨ましいとか、羨望とかとは違うような気がした。ただただ、心が痛い。
「ママ、私たち、ママと父さまの出会いとか、もっと知りたいの」
「兄さま、兄さまがどれだけ大変だったのか、教えてほしいんだ」
「「だって、家族でしょう?」」
二人の言葉に感極まったのか、エルサとノアが更に強く抱きしめる。幼いと思っていた二人の成長に、そしてその心の優しさに、言葉に出来ないほどの幸福感を感じているのだろう。
「そうだね……そうだね…!! ザクセン…パパの話をもっとしようね…!」
「どれほど、私たちを愛していたのか、話そう……!」
「「…うん!!」」
あぁ―――苦しい。
苦しくて、苦しくて、悲しくて、やりきれなくて、羨ましくて、妬ましくて、それでいて、美しい。そう、ヘレンは思った。
自分だけが被害者だと、苦しんでいる側だと、どうして思っていたのだろうか。祖母の家でも感じたことだったのに、どうしてそのことに思い至らなかったのだろうか。
父も、母も、妹も、祖母も、きっと何かに苦しんでいた。悲しんでいた。どうして、そのことに寄り添うことを考えられなかったのだろうか。嬉しいことも楽しいことも、悲しいことも、苦しいことも、寄り添うことが出来たのであれば。自分がターニャやエメリオのように考えられていたのであれば、結果は変わっていただろうに。
どうして、自分は自分だけのことしか考えられなかったのだろうか。
ヘレンは目の前の光景を見て、ただひたすらに心が痛むのを感じた。これを、罪悪感と呼ぶのだろうか。それすらも分からない。だが、その光景はヘレンにとっては眩しいのと同時に、言いようのないものを去来させるものなのは確かだった。
「…本当に、ザクセンは素晴らしい子供たちを私に遺してくれた…。お前たちの幸せが、私の幸せだよ…」
「ママ…!!」
「そんなに早くに大人になろうとしないでくれ…、まだ、私がお前たちと遊び足りないというのに…」
「兄さま…!」
こんな、素敵な家族を、ヘレンは知らない。互いが互いを思い遣る。そのことの、なんという難しさ。それをヘレンは身をもって知ったような気がした。そしてそれと同時に、自分は家族と向き合わなくてはという思いを強めていった。
「ヘレン…君にも感謝をしなければならないね…」
「え、エルサ様…?」
「君がいない未来のことは知らないが、少なくとも君がいてくれたおかげで、子供たちの気持ちを知れたと、私は思っている。…ありがとう」
目尻に光る雫を見て、ヘレンはそのような感謝を言われる人間ではないのに、と思った。自分がいなくとも、彼らならばきっといつか互いを思い合っていることが分かっただろうと。しかしその場に水を差すことを、ヘレンは良しとしなかった。
「……私の方こそ、感謝しかありません…。それに、ターニャ様とエメリオ様の、お二人を想う気持ちは……」
「…ヘレン?」
ノアの訝し気な声に、ヘレンは涙を零したまま笑った。
「とても、うつくしくて、きれいです…」
自分が、持てなかったもの。それが何か、ヘレンは少しだけ分かったような気がした。




