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ご指摘のありました部分を修正しました。
ありがとうございます。
「はぁ…失敗したな」
「あら、どうしたの」
「サーシャ」
アレックスはらしくもなくその人の前でため息をついた。それに気付いた女性は、素肌を惜しげもなく見せながらアレックスに問うた。
「いや、結婚した相手が貴族の妻というものをなかなか理解してくれなくて」
「あぁ…マイヤー家のお嬢さん?」
アレックスはサーシャと呼んだ女性の首筋に唇を寄せた。自分よりだいぶ年上の女性だが、その年に合った色気を感じさせる。それに何より互いに割り切っての関係がとても楽だった。
「私が家を空けるたびに怒ってくるんだ…。貴族の妻であれば大きく構えてくれないと困ると何度も言っているのに」
「あらあら、疲れているのね。仕方ないわよ、まだお嬢さんなのでしょう?」
サーシャはくすくすと笑いながらアレックスの髪の毛を梳く。
「んー…あんな子だと知っていたら、姉の方がまだマシだったかもしれない」
「お姉さん…? あぁ、とても出来の良いという噂の? あら、でももうずいぶんと話は聞かないわね」
「あぁ、家出したんだ。どこにいるかも分からなくてね」
「まっ、なんてこと。マイヤー家の方々はご自分の娘のことすらしっかりと面倒見れないの?」
「あぁ…あそこの家は子育てがうまくないようだね」
男女の素肌が艶めかしく絡み合い、衣擦れの音が響く。
「本当に、お茶会とか行ってしっかりと勉強してきてほしいのに。全く、私のことが好きだというのであれば全部受け止めてくれないと」
「ふふっ…まだ若いのだからしょうがないわ? 貴族社会というのを理解していないのよ」
「いつまでもこのままだと困るんだよ、サーシャ。あの子は自分の両親のようになりたいって煩いんだ」
「マイヤー家は特殊な家だものね。そんなことも知らないなんて、かわいい」
「私は嫌だよ。こうしてサーシャのところに来るのにも気を遣うんだから」
「それは困るわね」
くすくすと二人は笑う。
「ヘレンのこと探そうかな…あの子のほうがまだ何も言わなさそうだし」
「あら、手伝いましょうか?」
「本当? とても助かるよ、サーシャ」
「いいわよ。…ね、そろそろ無粋な話は止めましょ?」
「そうだね」
そうして二人はシーツの海に溺れていった。
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「ゼニアさん、今日は急にお願いしてしまって申し訳ありません…」
「いいえ、全く構いませんよ」
冷たい風が肌を刺し始めたその日、ヘレンはゼニアに連絡をとって町へとやってきていた。ターニャとエメリオは勉強中で、ノアは仕事の為、ノアに頼んでゼニアに屋敷に迎えに来てもらっていた。
「今日は何用で町に?」
「えっと…本を見たいのと雑貨を見て回りたいのです」
ヘレンは、エルサから給料をもらっていた。居候代を引かれてもなおヘレンにとっては大金で、何度も間違えてないだろうかと確認したものだ。ヘレンは元から浪費家ではなく、その給金は溜めていた。そしていつかヴィノーチェ家の人々に何か贈り物を出来ないかと考えていたのだ。だが、ヘレン自身に町に用事もそこまでなければ、出かけるとなると大体ヴィノーチェ家の誰かしらが一緒にいた。
だから、ノアたちが忙しくしてくれていて助かったというのもある。
「実は、お世話になっているヴィノーチェ家の皆様に贈り物をしたいと考えていまして…」
「それはそれは! とても素敵な考えですね」
「ありがとうございます、ですが、町のお店にあまり詳しくないので、色々と教えていただけると助かります」
「もちろん! あぁ、それなら…」
ゼニアはそう言いながらごそごそと懐に手を入れ、何かを取り出した。そして首にかかっていた笛を吹くと、鷹がやってくる。
「ノックス!」
「よしよし、これを頼むぞ」
ゼニアはそう言いながらノックスの足元に小さな紙片を結び付けた。自警団の誰かに用事でもあるのだろうか?ヘレンはそう思いながらも口にはしなかった。
「これで大丈夫です。さぁ、ヘレン嬢、行きましょうか」
「はい、よろしくお願いいたします」
ゼニアは自警団から乗ってきた馬をヴィノーチェ家に預け、そして馬車へと歩を進める。最初ヘレンは自分も馬に乗れるから馬でも構わないと言ったが、ノア、そしてゼニアに反対された。しかしよくよく考えてみれば、荷物があるため、ヘレンも素直にそれに従うことにした。
「今日は寒いですからね。馬車の中のほうが暖かいですよ」
「ゼニアさんでもそう思われるのですか?」
ヘレンは重ね着をしていても少し肌寒いと感じるのに、目の前のゼニアは薄着に見える。それでも平然とした顔をしていたので、てっきり寒くないのかと思っていた。
「もちろん、寒いです。こればかりはいくら鍛えてもどうにかなったりはしませんねぇ。ただ、着すぎると動きが悪くなるので」
「あぁ…やはり自警団の方々も色々と苦労をなさっているのですね…」
「まぁ、多少は。でも我が自警団で一番苦労しているのは―――」
そうしてヘレンとゼニアは、道中色々な話に花を咲かせた。
「あぁ、来たね」
「っ、ミーシャさん!?」
「あ、タイミング良かったようですね、副隊長」
「あぁ、ありがとう、ゼニア」
「?」
馬車を降りたヘレンが一番最初に見たのは、爽やかに微笑んでいるミーシャの姿だった。どうしてここにいるのだろうか、そんな疑問がヘレンの表情に浮かんでいたのか、ミーシャが微笑みながらヘレンの手を取る。
「ゼニアからノックスが来たんですよ、ヘレン嬢。せっかくだから、私もご一緒させていただきたいと思いまして、馳せ参じました」
「み、ミーシャさん…」
流し目でそう言われ、ヘレンは自分の鼓動が早まるのを感じながらも頷いた。
「知らせておいてなんですが、よく隊長が許しましたね?」
「ん? あぁ、書類仕事なら脳筋どもに任せてきたよ」
「えっ」
キラキラしい笑顔で言うミーシャだが、いいのだろうか。そんな不安が伝わったのだろうか、ミーシャは少しだけ眉尻を下げてヘレンの顔を覗き込んだ。
「いつも私ばかりが書類整理をしているのです…。ですが、それでは彼らの為にならない。そう思われませんか?」
「それは、そう、かもしれません、ね…?」
「そうです。隊長も出来ないわけではないのに、いつも私ばかりを頼ってくるのですから、たまにはしっかりとそういったこともしてもらわないと」
「…問題は、ないのでしょうか?」
ミーシャがそう言うのであれば、そうなのだろう。だが、ヘレンは念のためにそう聞いた。
「もちろん」
そう返したミーシャの笑みは、この上なく綺麗なものだった。
そしてその笑みの裏側にある自警団本部を思い浮かべたゼニアは、苦笑を零す。きっと、誰しもが呻きながら書類を見ているのだろう。そしてミーシャに対する怨嗟の言葉も。
適材適所、という言葉がある。そして自警団において、それは当然のことだった。隊長であるマーカスは基本的に力仕事を。副隊長であるミーシャは書類仕事を。しかしミーシャはいつもそのことに不満を持っていた。彼女だって自警団として力仕事をしたいと考えていたことを、ゼニアは知っている。ある意味、報復でもあるのだろう。
しかしそんな裏側を知らないヘレンは、ミーシャの笑みに安心したのか、ふわりと微笑んだ。
「自警団のお二人と一緒に町歩きなんて、たくさんの人から嫉妬されてしまいそうですね」
「「!!」」
そのあまりにも可愛らしい一言にミーシャとゼニアが言葉を失う。そしてミーシャはヘレンの手を取ると、まるでお姫様のエスコートをするがごとく歩き出した。
「可愛い人、今日は楽しみましょうね」
「はいっ!」
そうして三人は町へと繰り出した。
「今日は本当にありがとうございました」
「いいえ、自分こそとても楽しかったです。ただミーシャ副隊長に関しては残念でしたね…」
「えぇ…」
三人の町歩きはとても順調だった。ヘレンの望む本屋に行き、そして店をたくさん知っているミーシャとゼニアはヘレンの望む店をたくさん教えてくれた。おかげで、満足のいく買い物ができたとヘレンは思っている。
そして買い物が終わり、お茶をしている時にその人はやって来た。
「ミーーーーーシャーーーー……」
「おや、ジャクソン。どうしたの?」
「どうしたもこうしたも!!!! こっちは大変なことになっているんですよ!?」
「え!? だ、大丈夫ですか?」
いきなり現れた男性の言葉に、ヘレンはおろおろとした。自分と町歩きをしている間に問題が発生したのだろうか。しかしミーシャには分かっていたのか、にこりと微笑んだ。
「知らないよ。今日は皆でやってと言っただろう?」
「それが出来たら苦労しませんよ!? 隊長なんて燃え尽きて灰になりそうです!!」
「ええ!?」
「ヘレン嬢、大丈夫です。自警団ではよくあることですから」
「よくあることなんですか!?」
ミーシャはヘレンを安心させるように優しく笑いながら言い、そしてジャクソンに冷めた目を向けた。
「それを、私たちは、いつもやっていることだよ? それを苦手だからという理由で逃げていたツケが回ってきたと思えばいい」
「俺はいいですよ!? でも、でもっ…なんでか仕事が増えていくんですよぉ~~~っ」
がくりと膝をつくジャクソンに、ヘレンは憐みの目を向け、そしてミーシャを見た。周りの人々から、好奇心に満ちた視線を感じる。これ以上店の迷惑になることは出来ない。
「ミーシャさん、何だかとても大変そうなご様子です…。私はここまでで構いませんので、戻って差し上げてください」
「ヘレン嬢……」
その発言に、ヘレンを女神のように見るジャクソン。そしてその優しい申し出に目を見開くミーシャ。そしてミーシャは大きくため息をつくと、ジャクソンを見下ろした。
「仕方ない、戻るよジャクソン」
「!!!! ヘレン嬢っ、貴女は女神だっ!!」
「そんな、大袈裟ですよ」
「いいや!! このことはしっかりと隊長に伝えておきますので!!」
きらきらとした目で自分を見てくるジャクソンに、ヘレンは若干身を引きながらも笑みを浮かべた。
「ジャクソン、近い」
「ぐえっ」
するとそんなジャクソンをゼニアが襟を引っ張って離れさせる。
「ヘレン嬢、急な退席、申し訳ありません…。いずれ、挽回の機会を頂ければ」
「ミーシャさん、お気になさらないでください」
「いいえ、それでは私の気がすみません。いずれ必ず」
ミーシャはそう言いながらヘレンの手を取り、その指先に唇を落とした。
「っ!!」
その瞬間、あちらこちらから黄色い悲鳴が上がった。
「ではまた。行くよ、ジャクソン」
「は、はい…」
ヘレンは顔を真っ赤にしたまま、二人の背を見送る。そんなヘレンに、ゼニアが苦笑を零しながら話しかけてきた。
「副隊長はとてもモテるんです。すごく分かりますでしょう?」
「……」
ヘレンは何も言葉を発せず、ただこくこくと頷いた。
「では、自分はここで」
「はい、今日は本当にありがとうございました。どうぞお気をつけて」
「ありがとうございます。また何かありましたらいつでも呼んでくださいね」
そうしてヘレンの町歩きは終わりを迎えた。




