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23話から投稿しております。
たくさんの感想、誤字脱字ご連絡をありがとうございます。
返信は出来ておりませんが、すべて目を通させていただいております。
「お帰り、ノアにヘレン」
「母上」
「エルサ様」
屋敷に戻った二人を一番に出迎えたのは、ヴィノーチェ家当主であるエルサだった。動きやすそうな服装から予想するに、出先から戻ってきたばかりで待ってくれていたのだろうととれる。
「すまないね、ヘレン。私から見学するといいと言っておきながら結局同行できなかった」
「いいえ、そんな、エルサ様はお忙しい身の上なのですから…。それにノア様が一緒に来てくださいましたので」
「そうか。色々と話を聞きたくてね。つい二人の帰りを待ってしまったよ」
そういうエルサの背後には、胃を抑えているトンクスがいる。
「とりあえず、久々にみんなでの夕食だ! ターニャもエメリオも待ち構えているぞ!」
「エルサ様、それならば先に湯あみをしてくださいと何度…」
「細かいことを言うな、トンクス。私が二人を一番に出迎えたかったんだ! とりあえず、私は埃を流してくる。そうだね…夕食は一時間後でどうだい?」
「私はもちろん構いませんが……」
ヘレンはノアをちらりと見あげた。ノアは頭痛がするとでもいうように頭を押さえ、そしてトンクスを見た。
「すまない、トンクス。そのように手配してもらえるか」
「かしこまりました。ヴィヴィアンヌ、エルサ様を頼んだ」
「はい、かしこまりました」
よくあることなのだろうか。誰もが手慣れたように行動を移し始めた。それをぼんやりと眺めているヘレンに、ノアが声をかける。
「ヘレン、そういうことだ。もっと簡単な服装に着替えてくるといい。イリーヌ、頼めるか」
「もちろんですわぁ」
「!?」
ノアがそう声をかけると、気配を絶っていたらしいイリーヌが柱の陰から姿を現した。全く気付くことのできなかったヘレンは驚いてつい声を上げそうになってしまう。
「さぁさぁヘレン様、今日良いコーディネートが出来ましたのよぉ? 行きましょ」
まるで歌うように歩き出すイリーヌの後ろを、ヘレンは戸惑いながらも着いて行くことにした。
*******
夕食はいつになく賑やかなものとなった。久しぶりに当主であるエルサが帰ってきたことが大きいのだろうとヘレンは思っていた。
そして夕食後、ヘレンは食後の晩酌に誘われ、エルサの自室へとやって来ていた。
もう数か月に渡って世話になっているが、初めてのことだった。そして部屋に入室すると、そこにはすでにノアがいた。
「トンクスには明日にしろと言われたんだけどね。どうしても気になってしまって」
「私は問題ありませんが、エルサ様とノア様は明日に支障をきたしませんか?」
「あぁ、私は久々に休みなんだよ。ありがとうね、ヘレン」
「私も問題はない。仕事は溜めない主義だからな」
「そうですか」
そう会話をしながら、ヘレンはエルサの部屋に備え付けられているテーブルに座る。行儀が悪いとわかっているヘレンだが、つい壁に掛けられている大きな肖像画を凝視してしまっていた。
「あぁ―――ノアたちの父親で、私の旦那様だよ」
「このお方が…」
視線に気づいたエルサが、笑みを柔らかくしながら説明してくれる。しかし、ヘレンには最初から誰が描かれているのか、気づいていた。
―――若い、赤毛と緑色の瞳を持った女性が、生まれたばかりの赤子を抱いている。その赤子の髪の毛は黒い。そして座る女性の傍らに立っている男性は、紺色の髪にはちみつ色の瞳をしている。まるで、ノアが年を取ったらこのような姿になるのだろうと思わせる男性だった。
男性は柔和な笑みを浮かべ、顔立ちでいえばエメリオに似ているだろう。だが、色彩はノアそのものだった。
「ザクセン―――夫の名ね。彼は、とても優しい人だったよ。昔の私は血の気が多くてね。喧嘩っ早かった。相手を言い負かすことしか考えられない人間だったんだ。そんな私を諫め、相手のことを考えるようにと何度も教えてくれた人だよ」
懐かしむように目を細めるエルサに、彼女がかつてそんな性格をしていたとはとても信じられなかった。
そんなエルサを見つめていると、扉がノックされる。トンクスが飲み物を乗せた台車ごと部屋に入室してくる。
「私とノアはウイスキーでいいね? ヘレンはどうする? 紅茶も用意してあるが」
「あ、紅茶でお願いします」
トンクスにそうお願いすると、彼は一度頷いてそれぞれの飲み物をテーブルにおいてくれた。
「ありがとう、トンクス。もう休んでくれ」
「かしこまりました。明日もありますので深酒は程々になさってくださいね」
「わかっているよ」
彼はそう言い残し、一礼すると部屋を退室する。そうして部屋にはヘレンとノア、そしてエルサだけとなった。
「―――それで、マリアはどうだった?」
エルサはウイスキーを一口口に含むと、ヘレンにそう問いかけてきた。
「はい。とても素敵な御方でした。エルサ様が面会の予定を組んでくださったのですか?」
「あぁ。彼女とも付き合いは長くてね。……それに、彼女とヘレンは少しだけ似ていると勝手に思っていたものだから」
「…そう、かもしれません。帰りにノア様ともお話をしたのですが、マリア様はお父様を目指されたと伺いました。かつての私は、父のような、というのはありませんでしたが、父の望む立派な当主になりたいと邁進しておりました。マリア様はそのお言葉通りに頑張られ、私は……」
頑張れなかった、というのは何となく違うのではないかと思ったヘレンは、言葉を詰まらせた。そして少しだけ考え込み、言葉を続けた。
「私が、父ともっとちゃんと会話をしていれば、と思いました」
話してもどうにもならないのかもしれない。ただ、あの時、ヘレンはアンドレアスのことばかりを話していた。そうではなく、自分のことをもっと話していれば。そうしていれば、未来は何か変わっていたのかもしれない。
ヘレンの力強い目に、エルサは濡れた唇を弧に描いた。
「そうかもしれないね。でも、そうしていれば私とヘレンは出会わなかっただろうね。そうなると、ある意味感謝すべきかもしれない」
「エルサ様……」
「あまり良くないかもしれないがね」
エルサは茶目っ気を出すかのように片眼を瞑って見せた。
「母上、それ以外にも話したいことがあるのでは?」
ヘレンとエルサのただならぬ空気を読み取ったのか、ノアが痺れを切らしたかのようにエルサに声をかける。
「あぁ、そうだそうだ。今回話をしたいとヘレンを呼んだのはね、城の文官の話は聞いただろう?」
「はい」
「では、ここからはヴィノーチェ家にいてほしい私からのプレゼンテーションだ」
「?」
ヘレンはてっきり、今までのようにノアの補佐をしたりするのだと思っていたため、何を説明されるのだろうと思った。
「まずヘレン、以前も話したように私はヘレンとノアの相性は悪いものではないと考えている」
「…はい」
「親の欲目から見ても、ノアが悪い男だと思わない。多少口が悪かったり、言葉を選ばずに人を傷つけることはあるが、根本的には優しい子だと思っている」
「それは、もちろんです」
「……」
「それでね、ヘレン。ノアと婚約をしてみないかい?」
「………こっ!?」
「ジェシカの件のこともそうだが、ノアは放っておくと一生結婚しそうにない」
「そんなことありませんよ」
「相手を連れてきてから言うんだね、ノア」
「……」
エルサは椅子に腰深く座りながら話を続ける。
「うちにいてもらう為に私がヘレンに提示できるものはね、ノアと婚約することで得られる身分の保証。そしてノアの補佐だけでなく、将来的にノアの不在時に全てを任せるための教育。住む場所。給料はカロリアンの相場を支払う。それと別に生活費に関しては婚約者となれば家族と同義語だと考えているため、欲しいものがあれば私かノアに言うと良い。休みに関しては不定期になるのは申し訳ない」
ヘレンはいきなり与えられた情報に、目を丸くしながらも必死になって聞いた。
「私はね、ヘレン。ヘレンに提示できるものなんて家族くらいしかない。しかし、それでも私たちを選んでくれたのであれば、全身全霊を以てしてヘレンを守る」
「で、ですが、ノア様はそれでよろしいので…?」
エルサが提示している条件は、ヘレンとノアが婚約をしている前提だ。しかし、当の本人はそれでいいのだろうか。
「私はヘレンを好ましく思っている。少なくとも、君と婚約することに関して何も問題はない」
ノアからの返答は、事務的なものだったが、それが逆に好感を持たせた。
「あぁ、それに関しては大丈夫だよ。もしノアとの結婚が嫌になれば破棄して文官の道を進んでも構わない。それに、私とザクセンも政略結婚だったよ。だが結果として、私と彼の間には愛情が生まれた。だからそこまで難しく考えなくてもいいんだよ、ヘレン。ただ、ターニャもエメリオもヘレンのことをすごく好いていてね。そういったこともあってで申し訳ないね」
「そんな、私なんかを……」
ヘレンが恐縮してそう言うと、エルサは駄目だよ、と色っぽく言った。
「ヘレン、なんか、なんて言い方は駄目だよ? 私はヘレンという人を知って、そう提案しているんだ。君がそう言ってしまうと、君を好ましく思っている私やターニャたちまで悲しくなってしまうよ?」
「っ、申し訳ございません…!」
謝罪を口にするヘレンに、エルサは仕方のない子だと言わんばかりに微笑みを浮かべた。その瞳には、親愛が宿っている。
「まぁ、色々いきなり言われて困惑するだろう。ゆっくり…とまでは言い切れないが考えてほしい。私個人としては、ぜひヘレンに娘になって欲しいところだけどね」
「エルサ様……」
あくまでも押し付けることのない言葉に、ヘレンは嬉しくなって瞳を潤ませた。
「さて、そろそろ夜も遅くなってきたね。ノア、ヘレンを部屋まで送ってあげなさい」
「わかりました」
「あ、自分で戻れます…!」
「駄目だよ、ヘレン。こういうのは男の沽券にかかわるからね」
「え…で、では、お願いいたします」
「あぁ」
そこまで長い時間いたわけではないが、内容の濃い話にヘレンは疲れを感じていた。正直に言って、エルサの申し出は破格に等しかった。ヘレンはバーゲンムートでは貴族籍ではあるものの、カロリアンではそうではない。さらに言うのであれば、公的に来ているわけでもない。
だが、不思議とヘレンにはバーゲンムートへ帰るという選択肢は未だに生まれなかった。第一、戻ったとしてどうなるのだろうか。また、あの家で鬱々と暮らすのだろうか。
そうなるのだけは嫌だと、ヘレンは強く思った。
「ヘレン、少しだけ構わないだろうか」
「? もちろんですが……」
ヘレンが一人考え込んでいると、ノアはそう話しかけてきた。ヘレンは不思議に思いながらもノアを見上げ、そして息を飲んだ。




