表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Everlasting  作者: 水無月
開ける世界
54/118

23




「ノアじゃないか」

「っ……殿下」


 ヘレンとノアが中庭を散策していると、背後から男性の声がノアを呼んだ。その声を聞いて振り向いたノアは、一瞬驚きを浮かべて礼をする。

 ノアのその様子と一言に、ヘレンの頭は真っ白になった。

 目の前には金色の短い髪を持ち、菫色の瞳をした男性が不敵な笑みを浮かべている。


「殿下、お久しぶりです。こちらへはどうして?」

「おいおい、他人行儀だなぁ、ノア。お前が来たから会いに来たんじゃないか」

「……誠に光栄です」


 しかしノアの表情はどう見ても光栄に思っているようには見えない。むしろ死ぬほど嫌そうだ。


「なんて顔しているんだ。友達に対して!」

「……モウシワケアリマセン」

「まぁいい。それにお前が女性を連れていると聞いてな。見に来た」

「見に来たって…。はぁ……ヘレン、このお方はイグニート・ゼスト・カロリアン様。王太子だ」

「っお、王太子、殿下…!? あ、わ、私はヘレン・マイヤーと」

「あ、いいよそんなに堅苦しくしないで。ノアの良い人って聞いたから会いに来たかったんだ」

「いいひとっ!?」

「ふむふむ…可憐なお嬢さんだ。綺麗な黒髪をしているね」

「あ、ありがとうございます……」


 照れの一切見えない賛辞に逆にヘレンのほうが照れてしまう。そんな二人の空気を割いたのはノアだった。


「殿下、口説こうとしないでください。王太子妃殿下に怒られますよ」

「おいおい、ただの挨拶だろう? それに私の一番はジュリエンヌだ」

「ならばその軽口をいい加減直してくれませんかね」

「相変わらずだな」


 ヘレンは二人の軽口の応酬に、気安い関係性なのだろうかと考えた。そんなヘレンの考えを読んだのか、ノアが説明をしてくれる。


「王太子殿下とは学友だったんだ。そのころからの付き合いで、親しくさせていただいている」

「悪友ってやつだな!」

「……まぁ、そのようなものだ」

「それにしても、あの時(・・・)以来女を寄せ付けなかったお前がなぁ…うんうん、いい傾向じゃないか!」

「その話はもういいだろう……」

「いやいや、心配していたんだぞ? お前がいつまで経っても結婚しないから。お前の子を私の生まれる子供の友にしようとしていたんだぞ?」

「知らん」

「冷たいなぁ」

「さっさと戻れ。ジュリエンヌ様が心配されるだろう」

「ちゃんと言ってあるに決まっているだろう! しかし、そろそろ視線が痛いな…仕方あるまい、戻る」


 ノアの口調がどんどんぞんざいになっているが、イグニートにそれを気にした様子はないことから、二人の関係は昔からこうなのだろうと思った。

 イグニートの言葉に、隠れていたらしい護衛が姿を現す。


「殿下」

「わかっている。もう行く」


 イグニートは時間切れだとでも言うようにため息をつき、そしてヘレンを見た。


「ヘレン・マイヤー。これからもノアを頼む」

「そ、そんな、むしろ私がお世話になっている身で……」


 ヘレンが恐縮してそう言うと、イグニートは少しだけ目を見開いてにかりと笑った。見た目は金髪碧眼と物語の王子様のようなのに、何故か人懐っこさを感じさせた。


「今はそういうことにしておこう。ノア、逃がすなよ」

「何を仰りたいのか分かりかねますね」

「ははは! 楽しいなぁ!」


 イグニートはそう言い残すと、護衛たちと共にその場を後にした。まるで嵐のような人だとヘレンは思った。しかし不思議と嫌な感じはしない。


「……すまないな。普段はもっとしっかりしているのだが、私がいることで気安くしてきたらしい」

「いえ、とてもすごい人だと思いました。私を威圧しないようにしてくださったのだと思います」

「そうだといいんだがな…稀に人で遊ぶことがあるから一概に同意できない」

「そ、そうですか…」


 ノアはそう言っているが、その表情には柔らかいものがある。きっと親しい仲だからこそのものだろう。


「……帰るか」

「はい」


 ノアの言葉に、ヘレンは頷く。そして帰る場所があの家なのだと思う。マイヤーにいて、そう思うことはなかった。ずっと家にいたからだと思っていた。だが、今となっては違うのかもしれないと思う。

 ヘレンにとって、あの家は居なければいけない家だった。戻りたいという考えすらなかったのかもしれない。ただただ、絶対に居なければいけないと自分に言い聞かせていたように思える。それは、自分が長女であり、一時は当主になると思っていたから。

 そう、決められたと勝手に思っていたから。


 ――――だから、マリアが羨ましいと思えた。


 ヘレンはそれを心の中に押しとどめた。今、考えることではない、と。ヴィノーチェ家の、与えられた部屋で一人ゆっくりと考えるべきだと思った。


「ヘレン? 大丈夫か?」

「っ、だ、大丈夫です、何かありましたか?」


 ノアのいきなりの心配の言葉に、ヘレンはしどろもどろになりそうになりながらも答える。しかしそこは年の功というものもあって。ノアはヘレンのことを見てすぐさま馬車へ向かおうと言った。

 背後に咲くルドベキアが風に揺れた。





「大丈夫か、ヘレン」

「何も、ありませんよ?」


 馬車の中で、ヘレンはそうノアに返した。本当に心配されるようなことは何もないと思ったからだ。しかしノアはそうは考えなかったらしい。


「マリアと話していた時から、少し考え込んでいるようだが……」

「それは…バーゲンムートとの違いに驚いていたからではないでしょうか?」


 実際、それは本当のことだった。バーゲンムートで文官になりたいなどと考えたことは一切なかった。というより、その選択肢はなかった。数少ない女性当主ですら、政治には介入できない。それがバーゲンムートという国だ。

 しかしカロリアンは違った。いい意味で。


「正直に申し上げて、とても魅力のある場所だと思いました」

「そうか」

「はい。私があの場でどれだけやれるのかは全く分かりませんが、カロリアンでは男女や貴賤関係なく、誰もが能力さえ認められれば上にいけるというのは、衝撃でした」

「それは、そうだろうな。五つある国の中で男女関係なく仕事をしているという意味であればカロリアンが一番だろう。だが、ダンデリオンも女性の社会進出が目立ち始めているがな。ちなみにだが、マリアの言っていたことに多少の偽りはある」

「偽り、ですか?」

「あぁ。決算期において、休みのそれは本当ではない。城に一週間は閉じ込められる」

「え」


 それは、聞いていた話とはだいぶ違うのではないだろうか。しかしそれをフォローするかのようにノアは続ける。


「確かに、何もなければマリアの言っていた通りだ。だが、決算期では決裁する書類の量が半端ではなくてな。まぁ、それは領主でも変わらない。忙しい時は休む暇がない、という点ではな」

「そうですか」


 言われてみればそうだ。国に提出する書類は、一つだけではない。それに国側では提出され、確認する量は物凄いことになるだろう。それで言われた通りの休みが貰えるのだとすれば、全員が有能ということになるが、そう簡単に行くはずもないだろう。


「それと、私が聞きたいのはそういうことではない」

「?」

「私の目から見て、だが。君はマリアの話を聞いている時、一番不安そう…違うな、悲しそう? いや、違う…とりあえず、放っておけない感じがしていた。何を感じた?」

「っ」


 ヘレンは失敗した。そんなことないとすぐに返せればよかったのに、それができなかった。ノアの言うことが当たりだと言わんばかりに息を呑んでしまったのだ。


「屋敷までまだ時間はある。話すといい。溜め込んでも為にならないことくらい、もうわかるだろう?」


 ヘレンは、どうして(ノア)は気づいてしまうのだろうと思う。当主教育の際、表情をうまく取り繕う方法は何度も勉強し、練習したはずなのに。どうして。


「…私は、マリア様が、羨ましいと、思いました」

「そうか」


 どうせ隠し通せないのだからとヘレンは自分に言い訳をした。しかし本当は聞いてほしかったのだと叫ぶ自分の心の声は聞こえないふりをした。


「マリア様は、御父上を誇りに思われておりました。だから、絶対になるのだと決められた文官になられておりました」

「そうだな」

「もし、私に、そのような気概があれば、お父様は私を見てくれたのでしょうか…?」

「……それで?」


 ノアの声音はあくまでも優しい。まるではちみつのようだ。促すようなそれに、ヘレンはぽつりぽつりと言葉を零した。


「見てくれないことなんて、分かっているんです。アンドレアスが生まれた以上、私が当主になるなんてほぼあり得ない話ですから。でも、私がそれほどまでに願っていると、領地を良くしたいと考えていると言ったら、お父様は、私のことを見る目を、変えてくれたのでしょうか…」

「どんな目だと、思っていたんだ?」

「…まるで、憐れむような、そんな目でした」


 そう、ヘレンは父に憐れまれていると感じてしまっていた。両親の期待に応えようとするままに、自分(ヘレン)を殺し続けたヘレン(自分)に対して、罪悪感を持つ瞳だった。


「私は、そんな目で見てほしいわけではなかった」

「どんな目で見られたかったんだ」

「……分かりません、でも、一度でいいから、褒めてほしかった」


 そう。アンドレアスが生まれた時点で、ヘレンは理解していた。本能的な部分で。ただ、あの頃は認められなかった。だから、あのように殻に閉じこもって自分を守ろうとしたのだと今では思っている。


「アンドレアスが生まれてくるまでの間の頑張りを、認めてほしかった。ただ、一言、昔のように褒めてくれるだけで、私は報われた……」


 実際に言われてそう思うのか、それとも今までの自分の人生を無駄にしたと感じるのかはわからない。だが、今のヘレンはそう思った。

 しかし、両親にはそれがなかった。ただただ、ヘレンに対して罪悪感や持て余した感を出してくるばかり。それならいっそ、言葉にしてくれたほうがまだ身動きがとれたのに。


「……少なくとも、私は今のヘレンが頑張っていないなどと思ったことはない」

「……?」


 ノアのいきなりの言葉に、ヘレンは理解が及ばずに疑問符を浮かべた。そんなヘレンの視線に気づいたのか、ノアは一度だけ咳払いをして続ける。


「カロリアン、そして我が家に来てからの君しか見ていないが、君はとても勤勉で真面目だ。だからこそ、母上も私も君に対して誠実であろうと決めた。そうでなければ、使い勝手のいい君を手放そうなどと思わん」

「…ノア様…」


 ヘレンはノアの言葉を聞いて茫然とする。そこまで自分のことを評価してくれていたのかと驚きから。


「ヘレン、君は君のままでいていい。君の頑張りを見て、勝手に認めている者などそのうち生まれる。ただ、慢心せずに成長をし続ければいい」

「―――はい」


 最後は助言のようなものだったが、それもヘレンを認めてのものだろうと感じたヘレンは、少しだけ俯きながら返事をした。



 ――――微かに、目頭と頬が熱くなった気がした。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ