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21話から投稿しております。
たくさんのご感想、誤字脱字ご連絡感謝しております。
―――わたしがこのいえを
「―――ン、ヘレ…、ヘレン?」
「!!」
「大丈夫か?」
「え、あ、申し訳ございません…!」
ヘレンは一瞬自分が別のことを考えてぼうっとしてしまったことを詫びた。そしてマリアに頭を下げる。
「いいえ、構いませんよ。母には反対されましたが父には喜ばれましてね。必死に勉強をして国家試験に受かりました。そのころでは母も諦めてくれて。見習いの時期はとても大変でした。父はそつなく仕事をしているように見えていたのですが、実際は激務で。身体を壊しかけたこともありましたね」
「…それでも辞めようとは思われなかったのですか?」
「えぇ。いつか、父を超える文官になろうと決めていたので」
きっと、それはヘレンが想像する以上に厳しい道だったに違いない。それでも、目の前にいる女性はなんということでもないようにしている。
「お父様は、越えられたのですか…?」
ヘレンの質問に、マリアは微笑を浮かべた。
「はい。父は生涯薄浅葱でした」
「っ、申し訳ございませんっ…」
「いいえ。本当なら、薄花を着た私を見てほしかったのですが、病には勝てずに。ですが、父は私を誇りに思っていると言ってくれました。そして母も。あの時ほど、自分が認められたと思えた時はありません。ですが、正直に言ってとても大変です。嫌がらせは男女関係なくありました。それでも、頑張りたいと思う気持ちがあるのであれば、カロリアンの文官の扉は開いておりますよ」
「……ありがとうございます」
ヘレンはなんて素晴らしい人なのだろうと感銘を受けながら頷いた。しかしその場の空気に水を差すものがいた。
「……マリア次席官、めっちゃ良いこと仰られていますけど、それなら仕事を溜めずに、なおかつ整理整頓もこれからしてくれますよね…!?」
「それとこれとは話が別ですね」
「一緒ですぅぅぅぅぅうう!!」
キースは涙目になりながらマリアに詰め寄った。先ほどまでのしんみりとした空気が一瞬で変わる。
「ヘレン嬢。確かにマリア次席官は物凄い努力をなさっておられます…! ですが! ご自分の興味が引かれるものを優先しがちな性格でもあります!!」
「仕方ないでしょう? 新薬が出来たとの報告があったのですから、気になります」
「そう言ったことは私たちがやりますから!! 次席官は次席官にしかできない仕事を優先してくださいよ!!」
「していますよ」
「していないから書類が溜まっているんですよ!?」
「少しは落ち着きなさい、キース」
「落ち着かせてください!!」
どれほど鬱憤が溜まっているのだろうか。客人を前にして言うことではない。だが、きっとマリアの言ったことがキースの何かに触れたのは確かだろう。
「あぁ、ちなみに城勤めにはある程度決まりがあります」
「決まりですか?」
「そうです。国政に携わる一員として、もちろん法に触れることはしないというのは当然です。犯罪や賄賂を受け取ることをすれば、よくてカロリアンで仕事が見つからないくらいですが、場合によっては死罪もあり得ます。そして明言されてはいないことが一つ。ですがこれが意外と難しいらしいのですが、城に務めるものは姓を名乗ることを良しとしません」
「姓……家名、ということですか?」
「そうです」
それはヘレンの想定を遥かに超えるものだった。バーゲンムートでは、貴族にとって家名ほど大切なものはない。だからヘレンはマイヤー家の恥にならないように必死に勉強したのだから。だからこそ、その考えは、ヘレンにはよく理解できないものだった。
確かに、ヴィノーチェ家で世話になる際にマイヤー家を名乗ることはしなかった。それはあくまでも家とは関係なくヘレン個人のものだったからだ。だが、ヘレンは自分がマイヤー伯爵家の長女として生まれた立場を忘れたことはなかった。
「理解できないようですね。簡単な話です。国政に携わる者、家柄に関係なく国に尽くせ、が根底にあるだけの話なので。そこのキースは侯爵家の者です。ですがここでは、侯爵家の権力など使わせないという意味も含めて名だけを名乗ります」
「……能力主義」
ヘレンはぽつりと零した。てっきり彼は平民の人かと勝手に勘違いしていた自分を恥じて。
「そうですね。キースの文官服の袖の縁には刺繍が施されているのをお気づきですか?」
ヘレンは気づいていなかったので首を横に振る。そしてマリアがキースに袖の縁を見せるように言った。そこには袖を一周するかのように花の刺繍が施されている。
「主席官であれば人を連れるという意味で後ろに。次席官であれば足元と襟周りに。その補佐をする一般であれば袖に。それ以外は裾に一輪。これはルドベキアという花で、花言葉は平等、公正を意味しています。それを身に着けるということを理解して、職務に当たれという意味も持っています」
「ルドベキア……」
「本物は花びらが黄色いのです。実物は城の庭に咲いていますよ。時間があれば見てみるといいでしょう」
「ありがとうございます」
ヘレンはそう言いながらマリアの袖の縁を見る。そこには薄花より少しだけ明るい色で花が刺繍されている。光が当たるとまるで花が浮かび上がっているようだ。
「それで、給料面とかですけれど、勤務態度などを加味しています。しっかりと仕事をしていれば生活に問題ないくらいは見習いでももらえます。ちなみにこの勤務態度ですが、城に勤める者を監視する機関があります。今は名前を控えさせてください」
「はい」
「休日も交代制にはなりますが、基本的には四・五日勤務して二日休みです。それ以上の休暇をとる場合、事前に申請する必要がありますが、基本的には休めます。あと冠婚葬祭は休みが優先的にとれます」
ヘレンはこくこくと頷いた。
「あと女性であれば、出産、子育てに関しても長期休暇が取れます。本人の意思によって職場復帰も可能ですが、休暇期間もありますので復習期間が設けられます。もちろん、男性でも子育てに協力すべきというのが国の方針でもありますので、男性にも適用されますね」
「そうなんですか…!?」
能力主義、とは聞いていたが、話を聞く限りでは男女平等ではないだろうか。
「我が国は能力主義です。男性が家事に優れているのであれば、それをすべきだと思うのが当然です。ちなみにエーファリアでは男性が家を守るのが当然だと考えられているので、本人の意思もあるようですが、女性は出産後ある程度期間をおいたら職場復帰をしていることが多いようです」
ヘレンは素直に驚きを隠せなかった。今まで行われた当主教育は何だったのだろうと言わんばかりに。バーゲンムートの社会は、男性が基本的に上だ。しかしその中で唯一例外が許されているのが女性当主だけだ。
紙の上では知っていた知識が、今実感を伴う。
対岸の火事ではないが、別の世界の話だと思っていたそれが、本当にあるのだとヘレンは知った。
「私にお話しできるのはこれくらいですが、何か聞きたいことはありますか?」
「…本当に申しわけないのですが、何を質問すればよろしいのか分かりません……」
ヘレンは素直にそう答えた。本当に分からなかったのだ。給料面でも、休日に関しても、マリアはヘレンが質問する前に話してくれた。
仕事内容に関しては、いくら質問しても尽きないかもしれない。だが、今ここで聞いたとしてもマリアが答えられるのは医療課だけだろう。そこに配属されればいいが、そうなるかすら分からない。それにどこに配属されようががむしゃらに頑張るという気持ちでいる。今下手に聞いて中途半端な心構えをするより、何も聞かないでおくほうが良いだろうとヘレンは判断した。
「結構です。何を頑張ればいいかと聞かれても、私には医療課の経験しかないので、その他の課については答えられないので」
「そう、ですか―――」
あっさりとそう言われて、ヘレンは内心で安堵した。そんなヘレンに、マリアは微笑みを送るように笑った。
「ヘレン嬢、私は貴女を歓迎します。分からないことを分からないとちゃんと言える貴女を。共にカロリアンの為に働けたら喜ばしく思いますが、今回は見学と伺っています。貴女の人生は貴女だけのもの。よく考えて選ぶことを勧めます」
「マリア様……」
マリアの優しい言葉に、ヘレンは感動を覚える。今までヴィノーチェ家の人々しか言ってくれなかったようなこと言ってくれる人が、ここにもいるのだと思って。
そんな時、空気のように沈黙を保っていたノアが口を開いた。
「マリア次席官、色々な話をありがとう。しかしそろそろ時間が迫っている。……さっきからキースの視線がすごくてな。私たちはそろそろ失礼させていただきたい」
「そんなに話していませんよ?」
「っ! マリア次席官!! 今日中に決裁しないとならない書類が溜まっているんですよぉおお!?」
「急ぎのものじゃなかったと思いますが」
「そ・れ・で・も!!」
「……仕方ありませんね。ヘレン嬢、ノア・ヴィノーチェ殿。とても有意義な時間でした」
「こちらこそ、お時間をとって頂きありがとうございます」
「感謝する」
ヘレンとノアが礼をすると、マリアは笑みを浮かべた。
「あなた方の未来に幸多からんことを」
そうしてヘレンとノアはマリアの執務室を後にした。廊下は相変わらず人の往来がある。誰もが忙しそうにしているが、不思議と悲壮な感情を抱かせない。
「……最後に中庭にでも行くか?」
「中庭、ですか?」
「あぁ。ルドベキアが咲いていたはずだ」
「! 時間があるのであればぜひ」
「なら行こう」
ノアはヘレンに手を差し出す。ヘレンは少しだけ目を大きくし、おずおずとその手に自分の手を乗せた。そして二人はゆっくりと中庭へと向けて歩き出した。
*********
「兄さん、もういい加減にしなよ」
「……」
「彼女だって、兄さんに探されることを望んでいるわけじゃないんだろう? 見つけてほしいなら手紙を送ってくるはずだし」
「……煩いぞ」
「兄さん、このままじゃ父さんがどうするつもりなのか理解しているの?」
「知っている」
「ならいい加減にしなよ。いつまで彼女をフィオナと同一視するつもり?」
「黙れサイラス!!」
サイラス・リンデンベルグは、兄の自分勝手な言い分にため息をついた。兄、イーライを変えた彼女…ヘレン・マイヤー。彼女が失踪してから兄はおかしくなった。…いや、フィオナの死から兄は未だに立ち直っていなかったのかもしれない。だからと言って、このままでいいはずがない。
父は兄の奇行にしびれを切らしそうになっている。そうなればリンデンベルグを継ぐのはサイラスになってしまう。サイラスは兄の補佐をするつもりだというのに。
ヘレンという少女に、全く同情しないというわけでもない。だが、その行動はあまりにも身勝手ではないかとサイラスは思う。
せめて一言。兄に言ってくれたのであれば。
「……はぁ」
キリキリと痛む胃を抑えながら、サイラスは目を伏せた。




