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どうして、どうして、こんなにも孤独に感じるのだろう。幸せに、なったはずなのに。愛する人と結婚した自分は、幸せになっているはずなのに。
「アレックス様、今日は……」
「あぁ、すまないね、カレン。今日は戻らないよ」
「…そう、ですか…」
一度アンドレアスに会いに行ってくれた時は、幸せを感じていたのに。アレックス様はいつもと同じようにアンドレアスに優しくしてくれた。両親に対しても同じだ。…両親の顔色が少しだけ悪いような気がした。
アンドレアスは相変わらず甘えたな子で、可愛かった。好き嫌いは直っていないみたいで、お父さまは直そうとしていたようだけれど、やっぱりあの子に甘く、嫁ぐ前と似たような光景で安心した。
お母さまは、何か不自由していないかと聞いてきてくれた。でも、その数日前からアレックス様はとても優しく、その気分が持続していたので何もないわと答えたことを、少しだけ後悔している。でも、せっかく嫁がせてもらったのに、心配をかけるのは嫌だから結局言わなかったのだろうけど。
義両親は、カレンがファフニール家に嫁いですぐに領地にある小さな屋敷へと居を移した。アレックス様曰く、両親も色々と大変だったから、休んでほしいとのことだった。カレンは、なんて優しい人なのだろうと思った。でも、今はそうは思えなくなっている自分がいる。
「アレックス様……どうして……」
アレックスは何かがおかしかった。カレンをお姫様のように扱ってくれたかと思ったら、冷たくする。傍にいてほしいと言っても、伯爵夫人なのだから少しは我慢しないと、としか言ってくれない。…寂しいのに。
使用人もこの屋敷には少ない。実家の半分くらいしかいない。さらに誰もが淡々としていて、温かみがない。話しかけてもおざなりなのだ。
カレンは、寂しかった。
「はぁ……アレックス様、どうして傍にいてくれないの…?」
嫁ぐ、という理由でエマを実家に置いてきたことを後悔している。実家からの支援があるので、アレックスにエマを呼び寄せたいと言っても難色を示される。どうしていいのか、わからなかった。
「……お父さまに相談したほうがいいのかしら…」
ぽつりと零す。
もう三日以上、アレックスは夜帰ってきてくれない。帰ってきたとしても、一緒の寝室で休んでくれない。子供が欲しいのに。自分の両親のような家庭を作りたいのに。
どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
「……お姉さま」
姉、ヘレンは、こうなることがわかっていたのだろうか。いや、そんなはずはない。でも、そう言い切りたいのに、言い切れない。
今、どうしているのだろうか。
一人肩を落とすカレンの様子を、使用人が見ている。まるで、監視するかのように。カレンは、そのことに気づけなかった。
*****
「ヘレンーー!」
「ヘレーーン!」
「ターニャ様、エメリオ様」
二人の子供の明るい声が背後から聞こえ、そしてそのまま腰に衝撃が走る。首だけで振り返ると、そこにはにこにこと笑顔を浮かべる二人がいた。
「どうされたのです?」
「今日の家庭教師の先生がお休みになったの」
「だから僕たちと遊ぼう?」
「まぁ、そうなんですか? 遊んで問題ありませんか?」
「「うん!!」」
「そうですか。では、この書類をノア様にお届けして、一度聞いてからでも構いませんか?」
「僕たちも行く! ね、行こう姉さま」
「そうね!」
二人はヘレンの答えを聞くことなく、てくてくと歩き出す。その様子に、ヘレンは苦笑を浮かべながらもその後ろについて行くように歩き出した。
「ノア様、書類をお持ちしました」
「ヘレン、入って」
「兄さまーー!」
「兄さま!」
ヘレンが入るよりも先に二人が入室する。ノアは二人がいると思っていなかったのか、目を丸くしながら二人を見ていた。
「ターニャ、エメリオ? どうしたんだ? 先生が休みなのは聞いていたが…何かあったか?」
「うん!」
「あのね、兄さま、ヘレンと一緒に遊んでもいい?」
「ヘレンと?」
「そう!」
「まぁ構わないが。今日の分はほとんど終わっているしな」
「やったー!」
「ヘレン、ヘレン、お兄さまからの許可を貰えたわ! 遊びましょう!」
「わかりました、何をして遊びましょうか?」
「……私も一緒に遊ぼう」
「え!?」
「兄さまが!?」
ノアのいきなりの言葉に、ターニャとエメリオが驚く。驚かれた本人は心外だと言わんばかりの表情だ。
「なんだ、私がいたら都合が悪いのか?」
「そんなことないけど…いいの?」
「あぁ、最近仕事ばかりでお前たちに構ってやれなかったしな。少しくらいいいだろう。イクス、問題ないな?」
「はい。ですが遠出はお止めください。何かあったときにお探しする時間が手間なので」
「わかった。屋敷の中になるが、いいか?」
ノアの言葉に、子供たちは表情を輝かせる。それを見たヘレンは、とても仲のいい兄弟だと微笑ましくなった。
「何する、エメリオ!」
「何にしよう、姉さま!」
興奮収まらぬ二人は、どうしようどうしようと悩んでいる。
「でしたら、ボードゲームやカードゲームは如何でしょう?」
ヘレンはそう提案した。それならば屋敷内で出来るし、人数がいても問題ない。
「いいわね、ヘレン!」
「じゃあじゃあ僕の部屋でやろ!」
二人の後ろ姿を微笑ましく見ていたヘレンに、ノアがこそりと声をかけてきた。
「ヘレン」
「はい?」
「大丈夫か? 二人を重荷に感じていないか?」
「そんなこと! ターニャ様もエメリオ様も、とてもお優しいです…どうして?」
「いや、二人は君のことを考えずに声をかけているだろう? それが負担になっていないのであれば構わないが…」
「負担だなんて…! お二人は私のことを気遣ってくださっています。私が孤独にならないようにご配慮くださっているから、声をかけてくださるのです」
「そうなのか?」
「はい」
ノアは不思議そうに見ていたが、ヘレンにはそう思えた。ヘレンもヴィノーチェ家に数か月いる。その中で、ターニャとエメリオがどれほど気を遣っているのか、ある程度理解しているつもりだった。
母であるエルサが忙しく、兄であるノアも忙しい。だからと言って、二人が二人を愛していないわけではない。それを理解している二人は、母と兄に迷惑をかけない程度に空気を読みながら甘えている。
「……本当に、とても優しい子たちです」
同じように、ヘレンが何かしらあって母を頼ったことをそれとなく理解しているのだろう。それとなくヘレンを気遣ってくれていることを分かっている。
「それなら構わないんだが」
「……ノア様が、とても羨ましいです」
「私が?」
ヘレンはへにゃりと笑った。
「はい。ご家族の皆様が、互いを想い合っているのがとても感じられます。そして誰もそれを苦にしているように見えません」
「そう見えるか?」
「はい。だって、皆様の笑顔がとても素敵ですから」
ヘレンは最近になってようやく、自分の家のことを思い出すことが出来るようになった。精神的にも時間的にも余裕が出来た証拠ではないかと考えている。
そして見えるのは、こことあそこの違いだ。
あそこは…マイヤー家は、はりぼての幸せだったように今だと感じる。誰も根本的な解決を図ろうとしない、今だけ楽しければいいというような家。今こうして家を出ているヘレンだから言えることだが、実際にヘレンも似たようなものかもしれない。家の為と口にしながら、ヘレンは自分が求められる未来が欲しかったのだ。
そのことに気づいたとき、ヘレンは自分が悲劇の主人公に酔っていたと気付いた。
「……そう言ってくれると、とても嬉しいよ」
「本当のことですから」
「ヘレンー! 兄さま! 早く早く!」
二人がゆっくりと歩いていることに気づいたエメリオが、大きな声で二人を呼ぶ。ヘレンとノアは顔を見合わせ、微笑むと先を行く二人の元へと歩を進めた。
ヘレンは一人、与えられた部屋で物思いに耽っていた。四人で遊んだゲームはとても楽しかった。ノアは大人げなく全力でターニャとエメリオと遊んでいた。二人とも大人げない!と怒りながらも次は勝つ!と闘志を燃やしていた。ヘレンはそんな三人を見ながら、不意に心に溢れそうになる思いを閉じ込めていた。
「……私たちも、ああなることはできたのかしら?」
誰もいない部屋で、ヘレンはぽつりと零す。
ヘレンとカレン、そしてアンドレアスの三人は、ノアたちのような兄弟関係を築くことは出来たのだろうか。……どうすれば、築くことが出来たのだろうか。
今更考えても、とふるりと頭を振る。
きっと過去に戻ったとしても、似たような状況になったのだろうと言い聞かせて。
ヘレンは窓辺に寄り、夜の帳の落ちた庭を見つめる。過去にいくら思いを馳せても、ヘレンに出来ることはない。それよりも、これからの自分の身の振り方を考えなければとヘレンは思う。
考えこもうとしたその瞬間、ドアがノックされる。
「―――はい?」
こんな時間に一体誰だろうと思いながらもヘレンは返事をする。
「ヘレン、ノアだ。今少しいいか?」
「ノア様?」
ヘレンは慌ててガウンを羽織り、ドアを少しだけ開く。隙間からノアがヘレンを見下ろしていた。
「休んでいるところにすまないな。少し話、出来ないだろうか?」
「もちろん大丈夫ですが、着替えてからでも…?」
「あぁ、急で済まない。以前の応接室で待っている」
「わかりました」
ヘレンは急いで簡単なドレスへと着替える。しかしどうしてノアはこんな時間帯にやってきたのだろうか。ヘレンは訝しく思いながらも着替え終え、部屋を出る。
「ノア様、お待たせしました」
「あぁ、急がせて悪かったな」
「いいえ……ですが如何なさったのですか?」
「ん……とりあえず座るといい」
「はい」
ヘレンは言われた通りにソファーに座る。飲み物など用意されていないことから、晩酌に付き合ってほしいわけでもなさそうだ。
「……大丈夫か?」
「何が、でしょう?」
ノアのいきなりの質問に、ヘレンは小首を傾げながら問う。
「いや、今日少し様子が変だったから」
「私の、ですか?」
ヘレンは思い当たることがなかった。自分はいつも通りにしていたと思うが。しかしノアにはそうは見えなかったらしく。
「君が、羨ましいと言うのを、初めて聞いた」
「……変なことでしたか?」
「君はここに来てから、私が聞いた以外で家族のことを口にしたことはないだろう」
「………」
ヘレンはそうだっただろうか、と考える。そして確かに、心の中で思うことはあっても口にしたことがないかもしれないと思った。
「ヘレン、ここに来て君の意識が少しずつ変化しているのだろうと思う。何が理由で変化しているのか、聞かせてくれないか」
「どうして、ですか?」
ヘレンはどうしてノアがここまで自分を気にかけてくれるのか、理由が分からなかった。確かに彼の補佐をしているが、それだけの関係のはずだ。
不思議そうな表情を浮かべるヘレンに、ノアはぽつりと零した。
「……ただ、助けになりたいと思うのは駄目か?」
「――――――え?」
想定外にもほどがある言葉に、ヘレンはぽかんとした。




