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Everlasting  作者: 水無月
見えぬ先

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3



 いつからだろうか。ヘレンは考える。


「ヘレン、どうしたんだ、最近めっきりではないか。それでは試験に受からんぞ」

「伯爵様、お嬢様は本当によく頑張っておいでです…、どうかそれ以上…」

「先生、私は貴方に期待し、ヘレンを任せているのです。これ以上ヘレンの成績が上がらないようであれば、残念なことになりますぞ」

「……」

「ヘレン、貴女なら出来るわよね、そうよね? 今は少し、間違えてしまっただけでしょう?」


 自分を痛ましそうに見るグリンデル先生。手に持った試験の用紙を握りしめるお父様。自分の腕を掴んでくるお母様。

 ヘレンは、ふにゃりと笑った。


「ごめんなさい、お父様、お母様、グリンデル先生……。昨日、試験だと緊張して、あまり寝付けなかったのかもしれません…。もう二度と、このような失態は晒しません」

「そうか、体調には気を付けるんだ、ヘレン」

「まったくもう、心配させないで、ヘレン。貴女なら出来ると思っているのですからね」

「……」


 グリンデル先生は、どうして自分をそんな目で見るのだろうか。もっと勉強が出来るようになれば、褒めて笑ってくれるだろうか。





***





「ヘレンお嬢様、少しお休みになられたほうがよろしいのでは…」

「ありがとう、マリ。でも、頑張らないと…。お父様やお母様が期待しているのだから」


 心配そうに見てくるマリに、ヘレンは笑みを返した。マリは、ヘレンが八歳のころにつけられた専属の侍女で、二十三歳の気立てのいい女性だ。もちろんカレンにもつけられていて、エマという二十歳の女性だ。そこまで長く話したことはないが、天真爛漫でカレンと仲良くやっているようだった。

 マリとヘレンの仲も良く、身の回りのことをすべて行ってくれるマリと仲が良くなるのは必然だった。


「旦那様も奥様も、もっとお嬢様の頑張りをご覧になるべきです。お嬢様がどれほど頑張られているのか、ご存じないから…!」

「マリ」


 マリの言葉に、ヘレンは待ったをかける。それ以上は言ってはいけない。マリはあくまで父であるドナルドに雇われているのだから。


「…申し訳、ありません」

「いいの、マリ。ありがとう、心配してくれて。でもね、大丈夫よ、私」

「お嬢様……」

「だって、お父様やお母様がそう仰るのだって、私に期待をされている証拠でしょう? それにうまく応えられないのが、とても悲しいところだけど…、でも頑張れば、きっとお父様やお母様が求める水準までいけるわ」


 ヘレンは明るく笑って言った。

 ヘレン・マイヤー十一歳の一日は、多忙だった。午前中は座学に勤しみ、午後はダンス、そして剣術か馬術のどちらかをこなし、そしてその後は教養を学ぶべくオルト夫人を招いての勉強。夕食は家族で囲み、そしてその後は復習。

 正直にいえば、ヘレンは十一歳の女の子とは思えないほどの知識と教養を兼ね備えていた。しかしそれは、あくまでの同年代の話。

 実際ヘレンは家督相続のための試験の過去問題を解いた。結果として、六割程度正解したのだが、本当の試験は九割越えと決められていたのだ。

 先生であるグリンデルは、十一歳で六割も解けたら素晴らしいと手放しの賞賛を送った。

 しかし、ヘレンの両親であるマイヤー伯爵夫妻は、そうは思わなかった。出来のいい娘だから、一発で合格圏内に入るだろうと予想していた二人の希望は、外れたのだ。

 それからだろうか。

 ヘレンへの褒める言葉が減り、叱咤激励の言葉が増えたのは。


「確かに、お父様とお母様の仰ることは厳しいこともあるわ…。でも、私が出来ると思ってくださっているのよ」

「……お嬢様がそう感じられるのであれば、私は構いませんが…」


 歯に物を詰めたような物言いをするマリに、ヘレンは苦笑を浮かべた。


「大丈夫よ、マリ。私が頑張って試験に合格したら、きっとお父様もお母様も褒めてくださるんだから!」

「…わかりました。このマリ、誠心誠意お嬢様のお手伝いをさせていただきます。ですので、そろそろお休みになられてくださいまし」

「えっ、もう…?」

「もう、ではございません。お嬢様は成長の時期なのです。しっかりお休みを取られませんと、身長も伸びませんし体調を崩しやすくなってしまわれますよ」

「う…わかったわ。今日はもう休むわね…。いつもありがとう、マリ」

「いいえ、こちらこそ、ヘレンお嬢様にお仕え出来て幸せにございます」


 ヘレンはゆるりと笑った。部屋を一歩でも出れば許されない、年相応の笑みで。

 ヘレンは今日も夢を見る。しあわせなゆめを。






「あら、お姉さま」

「カレン」


 ダンス講師が体調不良になり突如空いた時間、ヘレンは本を読もうと書庫に向かったところ、そこにはカレンがいた。

 ほとんど同じ顔、同じ色。いや、少しだけカレンのほうがふくよかかもしれない。しかし、その双子は驚くほどに正反対の印象を醸し出していた。


「お姉さまがこの時間にこちらにいらっしゃるのなんて、珍しいのね。どうかなさったの?」

「先生が体調不良でお休みしてしまって。だから本を借りようと書庫に」

「まぁ、お姉さま。お休みの時間まで本をお読みになるの? せっかくなのだからお茶でもすればいいのに。あ、そういえば、お母様が商人の方を呼んでいるそうよ。一緒にドレスの生地を見ましょうよ」


 カレンは名案とばかりにヘレンの腕を取った。ヘレンも、せっかくだし行こうかな、と考える。自分のドレスは全て母が用意してくれているものだが、一枚くらい自分で選んでもいいだろう。そう思った。


「そうね、せっかくカレンとお母様とご一緒出来る機会ですもの。一緒に行きましょう、カレン」

「そうこなくっちゃ!」


 にっこりと笑うカレンに、ヘレンは唇の端を持ち上げ微笑む。楽しみだった。勉強時間が一日の大半を占める今、このような時間はヘレンにとっても貴重なのだ。


「誘ってくれてありがとう、カレン」

「お姉さまだもの、当然よ」


 双子は腕を組んで母のいる部屋へと向かった。



「何をしているのですか、ヘレン」

「お母様?」

「何って、お母様。お姉さまも一緒にってお誘いしたの」


 カレンの言葉に、母ジャクリーヌは少しだけ視線を厳しくした。


「カレン、ヘレンは勉強をしなければならないのよ? それをドレスの生地を選ぶために時間を使うなんて…。ヘレン、ドレスはお母様が似合うものを用意するから、お勉強を頑張りなさい? それがお父様も望んでいることだから、ね?」

「…はい、お母様」

「え、お姉さま、行ってしまうの?」

「ごめんなさい、カレン。やっぱり勉強をしないと…」

「そう…」

「カレン、貴女もよ? これが終わったらマナーの復習をなさいね」

「…はい、お母様」


 ヘレンはカレンの頬にキスし、母に一礼すると当初の予定を変更して自室へと向かった。


「お嬢様?」


 手ぶらで戻ってきたヘレンを不思議に思ったマリが、心配そうに声をかけてくる。


「なんでもないわ、マリ。わからないところがあったのを思い出したの。それで読書は止めて復習することにしたわ」

「そうですか…。ではお茶を用意いたします」

「ありがとう」


 母の言うことは間違っていない。自分は、マイヤー家を継ぐのだから。その期待に応えなければならない。大丈夫、父も母も、自分なら出来ると言っているのだから。先生も、自分はよくやっていると褒めてくれる。

 ヘレンは使い古したペンを手に取る。父が頑張るようにと買ってくれたペン。大切に大切に使い続けているペン。そうだ、今度の過去問題で、合格点数を取ったら新しいペンをお願いしてみようか。そうしたら、もっと頑張れると言って。きっと父も喜んで買ってくれるだろう。

 使いすぎてぼろぼろになった教科書を手に取る。もう諳んじれるほどだ。だが、それでも試験合格には程遠い。女性で家を継ぐともなると、歴史や規則はもちろん、そこからさらに柔軟性も求められる。あまりにも狭き門だが、これは国が当主となる女性のために行っていることだと理解できれば、俄然頑張れる。

 国が、保証しているのだ。国の提示する試験を合格した女性当主を、軽く見るな、と。

 事実現在いる女性当主は少ないながらにも、確実に国へと貢献している。男性ではなかなか出せない女性ならではの意見が通るのだ。

 ヘレンは考える。

 いずれ、自分もそうなるのだ、と。マイヤー家当主となり、家のため、そして国のために頑張るのだと。そのために自分は今頑張っているのだと。


「お嬢様、紅茶をどうぞ。お熱いのでお気を付けください」

「ありがとう、マリ。…いい香り…」


 少しだけ含むと、鼻に通る香りが気分をすっきりとさせる。ヘレンは目を閉じそれを少しの間堪能すると、ペンを片手に教科書へと向き合った。








「では、去年のものですが、やりましょうか」

「お願いします、先生」


 ヘレン十二歳。三度目の過去問題を解く日となった。

 別に過去問題自体は世間に出回っているもので、いつだって解ける。しかしグリンデルは適度な緊張感も必要だと言って、年に二回と決めているのだ。

 一度目は六割、二度目は七割弱。少しずつでも確実に、ヘレンは実力を身に着けていた。

 決められた時間の中、ヘレンは問題を解いていく。半年前よりもわかるようになったもの。初めて見るもの。そのどれにも、ヘレンは解答を書き込むことができた。正直に言ってしまえば、自分でも会心の出来だと思うほど。

 馬術と剣術、そしてダンスは年若いということもあり、練習と簡単な試験のみにとどめている。体の成長の関係があるからだ。なので、ヘレンにとって一番の試練は筆記であった。


「お姉さま、頑張ってね」


 始まる前に応援してくれたカレンに報いるためにも。最近体調を崩し気味な母に吉報を届けるためにも。二度も落胆させてしまった父のためにも。教えてくれ続けた先生方のためにも。

 本番でないことはわかっている。しかし、十二という年で一度でも合格圏内に到達したとなれば、その先も同様に頑張ればもっと早い段階で受かるということだとグリンデル先生は言っていた。

 ヘレンは、鬼気迫る風貌で数枚の用紙に挑んだ。







「―――」

「…………」


 試験の採点は、グリンデルが行った。その日のうちに結果が出るため、ヘレンはじっとその場でグリンデルを見つめる。

 ―――そして。


「……よう、頑張りましたな、ヘレンお嬢様」

「っ…せ、せんせっ…」


 グリンデルは微笑んだ。その眼尻に涙を滲ませながら。


「合格、です」

「――――!!!!」


 ヘレンは、震える手で、グリンデルから用紙を受け取る。九割越えの証である印が押されている。声にならない。ヘレンは何とかグリンデルに一礼すると、淑女という文字を捨てて走り出した。

 一番最初に、見てほしい人に、見せるために。


「お父様! お母様!!」


 ノックもろくにしないで両親の部屋に入る。自分が試験を受けていることは知っているはずだ。だから、きっと。

 

「よく、よくやった、ジャクリーヌ!!」

「ドナルド……!!」


「…お父様、お母様?」


 そこには、見慣れた医師と父、そしてベッドにいる母がいる。父は母の手を握り、額を押し付けるようにしている。母は、そんな父を慈愛の瞳で見ている。

 飛び込むようにしてやってきたヘレンには、目もくれない。



「新しい家族が、増えるのだな……!!」




 ペンを買ってもらうことは、なかった。






やさしい、ゆめをみた。


ほめてくれるおとうさまと、おかあさま。


いもうとと、てをつないで。


いっしょにあそぶ。


あたまをなでられる。



――――そんな、夢を。




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