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「ヘレンお嬢様。お加減は如何ですか?」
「……ご迷惑ばかりおかけしてすみません、夫人」
「いいえ、きっと疲れが出たのでしょう。今はゆっくりと体を癒すときなのですわ」
ヘレンがオルト邸を訪れた翌日、ヘレンは体調を崩して寝台の上の人となった。気づいたサブリナは、すぐに医者を呼び、ヘレンを診てもらったところ、疲労による熱だろうとの診断が下された。
「ご主人にご挨拶もできていないというのに…」
「お気になさらず。あの人は理解のある方ですから。さぁ、薬です」
「ありがとうございます」
ヘレンは恐縮しながらも渡された薬を飲む。少し苦いが、良薬は口に苦しというところだろう。
「お休みのところに申し訳ありませんが、知り合いに既に連絡を取らせていただきました」
「お知り合いというと…」
「カロリアンに住む知り合いです。ヴィノーチェ公爵という方をご存知ですか?」
サブリナの問いに、ヘレンは首を横に振る。辛うじて貴族だということしか分からないが、有名な人なのだろうか。
「カロリアンで女傑と有名な公爵様です」
「…女領主様…?」
「はい。ご縁あって親しくさせていただいております。鷹を飛ばしましたので、五日ほどで返事が来ることでしょう」
ヘレンはサブリナの行動力の速さに驚いていた。まさか昨日の今日で連絡をしてくれるとは。しかしサブリナにも理由はあった。
「お嬢様が屋敷を出られたことは、既に旦那様もお気づきでしょう。きっとお嬢様の知り合いにお尋ねになられます。我が家で匿うのにも、限界がございましょう」
「! ご、ごめんなさい、何も考えなしに行動してしまって」
そこまで考えが至らなかった自分に、ヘレンは嫌気がさす。しかしサブリナは微かに笑みを浮かべながら頭を横に振った。
「気になさらないでくださいまし。こうしてお嬢様が私を頼ってきてくださったこと、とても嬉しく思っていますので」
「夫人…」
「ヘレン様、どうぞ、サブリナとお呼びください」
「っ…サブリナ、様…」
初めて言われたそれに、ヘレンの涙腺が一瞬緩んだ。まるで、自分個人が認められたような、そんな気がしたのだ。
そんなヘレンの心情を少しでも感じ取ったのか、サブリナは柔らかく微笑む。
「体調が戻りましたら、公爵様のことをお教えします。なので、今は治すことに集中してください」
「…ありがとうございます」
ヘレンは、自分を見てくれている人はちゃんといたのだと、感動に打ち震えていた。しかしよくよく考えれば、グリンデルも、リュシアンも、自分のことを心配してくれていた。どうしてそのことに思い至らなかったのだろうか。
……きっと、あの時の自分は悲劇に酔っていたのだろう。
みっともない笑みを浮かべるヘレンに、サブリナは愛おしそうに笑みを浮かべていた。
*****
「ノアー!」
「はいはい、なんでしょうか、母上」
「もう! ママと呼んでくれと言っているのに!」
「いやいや、いつも言っているでしょう、二十四の男が母親をそんな呼び方出来ないって」
「でもエメリオは呼んでくれるぞ?」
「エメリオはまだ十一でしょう」
「むぅ…可愛げのない…」
「はいはい。それで、どうしたんですか」
「あぁ、そうだった。私の友人のサブリナを覚えているか?」
「バーゲンムートの? 母上相手にまだ親交が続いていたんですね」
「失礼な子だな」
「だって、母上の性格に付き合える女性なんて限られているでしょう」
そこは、カロリアン王都にほど近い領地にある屋敷の一室だった。立派な執務室の大きな机にいるのは、四十代くらいの女性だ。ウェーブがかった赤い髪を下ろしているが、それがなんとも言えない色気を醸し出している。そして楽しそうに輝くその瞳は、明るい緑色だ。
対してその部屋に用意されている来客用の椅子に腰かけているのは、女性に面立ちの似た青年だが、色は全く異なっていた。紺色の髪に、はちみつ色の瞳は溶けそうな色合いを持っている。
「ノアと話していると話が脱線するな」
「母上の所為ですけどね」
「サブリナから連絡が来てな」
「無視か」
「ほら、バーゲンムートの女領主試験の話は知っているだろう?」
「あぁ、あの、長男が生まれなければというやつですね」
「それそれ。それでサブリナがある伯爵家の令嬢の家庭教師をしていたそうでな。その娘はとても出来がいいらしく、サブリナが珍しく肩入れをしているそうなんだ」
「そうなんですか」
「だが、その家に長男が生まれた」
「それで」
「お前、本当に興味のないことにはドライだな」
「仕方ないでしょう。そのご令嬢が領主になれなかったにしても、他に嫁ぐなどの道はあるでしょうから」
ヴィノーチェ公爵…エルサ・ヴィノーチェは息子のノアの冷静な意見に苦笑を零した。
「それがそうもいかんらしくてな。こちらで面倒をみてくれないかとのことだ」
「…はぁ?」
「まぁまぁ、そんな怒るな。どうやらその令嬢はとても勤勉で真面目らしいんだが、伯爵家にいるとその才能が潰されてしまうのだと。だから実力主義のカロリアンで少しばかり手助けをしてほしいんだと」
「それ、うちがする必要あるんですか?」
「まぁ、ないと言ったらないな。だが、あのサブリナが言うんだ。とても素敵なお嬢さんなんだろう。それに面倒を全部見ろというわけでもなさそうだ」
エルサの言葉に、ノアはため息をついた。
「…どうせ私が言っても聞かないでしょうが。どうしてその話を私に?」
「いや? どうせならノアが面倒を見てくれればいいと思って」
「は?」
「だって、面倒見がいいだろう」
「誰の所為ですか!」
ノアの怒りの声に、エルサはからからと笑う。エルサはカロリアンでも有能な人間だ。その為、領地内をあちこち駆けまわったり、王宮に呼び出しもされることが多い。つまるところ、領地の屋敷にいないことが比較的に多いのだ。
「お前には苦労ばかりかけているな…。だが、頼めないか?」
「ぐ……」
エルサの弱気な声音に、ノアは唸った。どうしても母のこのお願いというのに弱いのだ。
「……はぁ。使えないとわかったら追い出しますよ」
「いいぞ! サブリナもそこは理解を示してくれるだろうしな!」
エルサはそう言いつつも、ノアがそのようなことをしないのを知っている。色々苦労ばかりさせているが、自慢の息子なのだ。憎まれ口を叩くその姿すら、愛しくて仕方ない。
「とりあえず滞在するのであれば色々と用意をしなければ。母上、私は一度失礼しますね」
「あぁ。今日の執務は任せてくれ」
エルサはにかりと笑みを浮かべてノアを見送った。そしてサブリナから届いた手紙に視線を落とす。その内容に、顔を少しだけ顰めながら。
「にしても、あまりにも報われないお嬢さんだ…。いくら私とて哀れに思わざるを得んな」
手紙には、サブリナの知る今までのヘレン・マイヤーのことが書かれていた。五歳より英才教育をほどこされるも、長男が生まれたことによりその役目を果たせなくなる。そして全てのやる気を失ったようで祖母の元へと身を寄せる。二年後、屋敷へ戻ってくるも実家であるマイヤー家は長男にかかりきりで長女であるヘレンのことを腫物のように扱う。次女に婚約者はいるのに、長女に関しては何も行動されていない。
実家の為に奔走するも、全てがから回っているようだ。
エルサは、サブリナの過去を知っている。だからこそ、あの国でそうなった女性がどれほど苦しんでいるのかもわかる。領主としては仕方ないの一言で終わらせるかもしれない。国の決めたことなのだから、と。だが、親しい間柄であるサブリナに頼まれたことも加味して、少しばかり手助けしてやりたいとエルサ個人は思う。
「いいお嬢さんなら、ノアのお嫁さんにいいんだがなぁ」
脳裏に、つい先ほどまでいた愛息子の姿を思い浮かべる。かつて、ノアには婚約者がいた。小さくてとても可愛らしい子だった。しかしその娘はノアとの婚姻直前に、屋敷の使用人と駆け落ちして行方知れずとなった。あの時の衝撃といったら、言葉に出来ない。いい関係を築いていると思っていた矢先のことだった。
「あの時のノアは見ていられなかったな…」
燃えるような愛情でなくとも、家族愛を築いていこうと思うと自分に言っていた。妻になる人を、大切にしたい、と。それなのに裏切られたのだ。それから、ノアは女性に対して厳しい目で見ることが多くなってしまった。もちろん、相手の家にそれ相応の償いはさせたが。それでも息子を傷つけられたと知って、エルサは冷静ではいられなかった。
「あの小娘…このヴィノーチェを裏切ってただで済むとは思うなよ…」
つい怨嗟の言葉がこぼれ出る。ちゃんとした手順さえ踏んでいれば、エルサがここまで怒ることもなかった。しかしあの小娘はそれを裏切り、ノアを傷つけたのだ。親ばかと言われてもいい。それほど、エルサは自身の子供たちを愛していた。
「とりあえず、どうなることやら」
来てくれる令嬢が、本当にいい子であればいい。さらに言うのであればノアの心の傷を癒すような子であれば。サブリナの自慢の教え子だというのであれば、ノアを傷つけることはないだろうとエルサは考えている。
椅子から立ち上がり、窓辺へと近寄る。庭を見下ろせば、長女のターニャとエメリオが庭を駆けまわっているのが見える。
エルサは、亡き愛しい夫に誓っている。絶対に、家族を守ると。
「さてさて…楽しみだな」
そうして笑うエルサは、女傑の名にふさわしい笑みを浮かべていた。
「ターニャ、エメリオ」
「「お兄様!!」」
ノアは庭で遊んでいる弟妹達に声をかける。十三歳のターニャは紺色の髪に緑色の瞳を持ち、十一歳のエメリオは赤色の髪にはちみつ色の瞳をしている。兄弟全て、色は異なれど両親の色を確実に継いでいた。
「どうなさったの、お兄様!」
「一緒に遊んでくれるの?」
「いや、様子を見に来ただけなんだ。済まないな」
「えええええ」
「せっかく遊んでくれると思ったのにぃ…」
ふくりと顔を膨らませて拗ねる弟妹に、ノアは破顔した。
「仕事が終わっていたら遊んでやりたいんだが、母上から仕事を頼まれていてな」
「もーーーママってばお兄様に頼りすぎなのよ!」
「そうだそうだ!」
ふくりと膨らんだそれぞれの頬を、ノアは人差し指で押す。ぷすっと空気がそれぞれの口から漏れた。可愛い弟妹、誰よりも尊敬している母。この幸せな日常を壊すものは、誰一人として容赦しない。たとえ、それがどんなに哀れだと言われる人でも。
ノアはそのうちやってくるであろう伯爵令嬢のことを思い浮かべながら、そう心に誓った。




