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「あぁ、お帰りなさい、ヘレン…! ごめんなさいね、貴女が帰ってくるまでに戻るつもりだったのよ」
「よく戻った、元気そうだな」
「はい、お父様、お母様。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
ヘレンが休んでから数時間後、マイヤー当主夫妻が帰宅したとの連絡を受けたヘレンは、身だしなみを整えると数年ぶりに会う両親と話をした。
「それにしても、もう大丈夫なのか?」
「そうよ、ヘレン、もっと休んでいてもよかったのに」
「いいえ、十分に迷惑をかけてしまいましたから…。これからは少しでも家の為に出来ることがあればと思い戻りました」
「本当に? ヘレン、家のことは気にしなくてもいいのよ?」
「そうだぞ、ヘレン。お前は十分に頑張ってきたのだから、ゆっくり休養をとるといい」
「…? だ、大丈夫です、お父様、お母様。私はもう問題ありませんから」
「そうか…? まぁいい。とりあえずゆっくりしていなさい」
「はい、ありがとうございます」
ヘレンは言葉にできない違和感を感じながら二人の傍から離れる。その違和感がなんなのか、しかし一つだけわかるのはあまり嬉しくないということだ。
戻ったヘレンは、夕食まで時間があると執事のロドリゲスに言われ、自室で休もうとする。確かに長旅で疲れているが、少しの眠りでほとんど取れていた。本当は、もっと話をしたかった。今までのことや、これからのこと。それにアンドレアスやカレンのことも聞きたかった。自分がいない間、家族がどう過ごしていたのかを知りたかった。
しかし両親はヘレンのことを思いやってか休むようにと言ってくる。それほどまでに心配をかけていたのだろうとヘレンは思った。
「それでね、アンドレってば」
「あらあら」
「そうか、やんちゃだなぁ~アンドレ」
夕食の場は、家族全員が揃った。久しぶりに揃う家族、ヘレンはいろんな話をしようと楽しみにしていたが、話題のすべてはアンドレアスに関することばかりだった。
「これや!」
「ん? あぁ、人参か。わかるぞ、アンドレ。お父様も小さいころは嫌いだったんだ。ジャクリーヌ、人参好きだろう?」
「えぇ、アンドレ、お母様に人参を頂戴?」
「うん!」
ヘレンはその光景に絶句した。
「ま、待ってください、お父様、お母様。それではアンドレアスに必要な栄養が…」
「大丈夫よ、ヘレン」
「そうよ、お姉さま。他のお野菜で摂ればいいのよ」
そういう問題ではないと思ってしまうのは、ヘレンだけなのだろうか。ヘレンとカレンは、幼いころは好き嫌いをするなと教わっていた。それなのに、どうして変わってしまったのか。
「お父様、お母様、好き嫌いはいけないとあんなに仰っていたのに、どうしたのですか?」
ヘレンがそれを言った瞬間、ドナルドとジャクリーヌの体が固まる。
「……方針を変えたんだ」
「そうよ。嫌いなものを無理に食べさせるのは良くないと気づいたの」
ヘレンはそういうものなのだろうか、と思いつつもそうですか、と返す。それ以外、何を言えばいいのだろうか。
結局、久しぶりの家族水入らずの夕食で、ヘレンが自分のことを話すことはなかった。
「ロドリゲス」
「っ……ヘレンお嬢様っ、こんな遅くにどうされましたか? 御用があればお呼び下さって構いませんのに」
夜遅く、ヘレンはロドリゲスが仕事をしている部屋を訪れた。本来してはならないことだが、ヘレンにはどうしても確かめたいことがあった。
「ごめんなさい、お仕事中に。でもどうしても確認したいことがあるの…」
「……」
ロドリゲスもヘレンが何を聞きたいのかわかったのか、無言のままヘレンを部屋に招き入れる。そして廊下に誰もいないことを確認すると、少しだけ扉を開いたままにした。
「申し訳ありません、お嬢様。ここにはお嬢様をおもてなし出来るものが何もなく」
「構いません。むしろいきなり来た私が悪いわ。……ロドリゲス、私がいない二年間、何があったの?」
ロドリゲスはヘレンの言葉に、深く眉間にしわを寄せてため息を吐いた。
「……申し訳ありません、お嬢様の前で」
「気にしないわ。話してもらえる?」
最初は、ちょっとした違和感だった。
「旦那様、本日のお仕事は」
「あぁ、ロドリゲス…。今日はアンドレと一緒に町へ行こうと思っていてな」
「旦那様、昨日はピクニックに行かれておりました。そろそろお仕事をされませんと溜まってしまいます」
「む……そうだな…。午前だけ仕事をする。午後からは出かける」
「…かしこまりました」
ドナルドは、ヘレンがいなくなってから不思議とアンドレアスに異常に構うようになった。双子の姉妹の時はそんなことはならなかったのに。しかし待望の長男ということもあってのことだろうとロドリゲスは思った。
「あぁ、ロドリゲス、ゲオルグはどこにいるの?」
「奥様、ゲオルグであれば手紙の整理をしておりますが、如何されましたか?」
「そんなのは後で構わないわ。ゲオルグにはアンドレについていてほしいの」
「…失礼ながら、アンドレアス様にはマリリンがついていたと思いますが」
「マリリンだけでは不安でしょう? 早いうちから専属の執事をつけてもいいのではないかとドナルドとも話していたの。ゲオルグは見習いだけれど、アンドレが大きくなるころには立派に成長しているでしょう?」
ロドリゲスはジャクリーヌが何を言っているのか理解できなかった。
「お、奥様…さすがに早すぎなのでは…? ヘレンお嬢様とカレンお嬢様に侍女がついたのは八つの時だったと記憶しておりますが…」
「そうなんだけれどね…。やっぱり心配になってしまって…」
「奥様、我が愚息には早いかと思います。それにアンドレアス様はまだお小さいです。ご家族とご一緒のほうがよろしいかと」
「……それもそうね。ドナルドに話してみるわ」
何かが、おかしい。ロドリゲスは言葉にできないながらもそれを確かに感じ取った。
まるで、過度に愛情を与えようとしているかのように見える。ロドリゲスは人目がないことを確認して深いため息をついた。ヘレンが屋敷を去ってから、マイヤー家は何かがずれてしまったように感じる。
夫妻は、ヘレンを甘やかさなかったからああなってしまったと思っているのだろうか。しかしハルトマン医師はそうは言っていなかった。勘違いするはずもないだろう。
そう思っていたのに、マイヤー家の長男への溺愛は日に日に酷くなっていった。
「アンドレ―、今日はお菓子を持ってきたわよ。カレンちゃんと一緒に食べましょうね」
「アンドレ、このお人形は嫌いなのかしら…? なら新しいのを買いましょうね」
「こらこらアンドレ、それはお父様の大事な書類だぞ? やんちゃな我が子だ」
誰も、彼を叱らない。
「あーー」
「あらアンドレ、これが欲しいの? 仕方ないわね、大事にするのよ?」
ヘレンとカレンが大切にしていたぬいぐるみが、アンドレアスの小さな手に振り回される。
「まー」
「!! ドナルド! アンドレが私を呼んだわ!」
「何!? アンドレ、パパだぞ、ぱーぱ!」
「うーあーっ!」
娘にはお父様とお母様としか呼ばせない夫妻が、蕩けそうな表情でアンドレアスにそう呼ばせようとする。
ロドリゲスはだんだん良くない傾向じゃないかと思い始めていた。そしてある日、そのことを進言した。
「旦那様、アンドレアス様に少し、甘いのではありませんか?」
「どういうことだ、ロドリゲス」
「あまりお叱りになられていらっしゃりません。そうされますと、アンドレアス様が我儘になったりされませんか?」
「……ロドリゲス。お前は長年仕えてくれているから何も言わないが…、アンドレアスには自由にのびのびと過ごさせるつもりだ」
「…それはよろしいと思いますが…」
それと叱らないというのは別問題ではないのだろうか。
「ヘレンには、自由を与えなかった。常に過度な期待をかけた私たちが悪いことは知っている。だからアンドレアスには自由に過ごさせるのだ」
「…お言葉ですが、自由にと甘やかすというのは違うと」
「ロドリゲス、私にだってわかっている。問題ない、ちゃんとする」
「……しかし、結果として旦那様は完全に混同しているように見受けられます」
「…つまり、アンドレアスは誰にも怒られず、欲しいものを簡単に手にしているということ? でも、五歳くらいになったら教育が始まるでしょう? その時に矯正はできないの?」
「アンドレアス様は人見知りが激しいので、ヘレンお嬢様には見せておられませんが…酷い癇癪持ちです。欲しいものが手に入らなかったときに暴れまわります」
「…え? それで、誰も怒らないの?」
「はい」
「……」
ヘレンは何を言えばいいのかわからず、沈黙した。自分が幼いころ、全く怒られないということはなかった。しかしそれに愛情を感じていたから、五歳から始まった教育も頑張れたのだ。
「……先生たちは、今は何をされているの…?」
「グリンデル先生は別の生徒を教えられていて、リュシアン先生は自警団におられます」
「グリンデル先生に連絡は取れる?」
「はい」
「ならグリンデル先生にも意見を聞きましょう。今のアンドレアスの状態がいいのか悪いのか、私には判断できないわ」
「かしこまりました。…僭越ながらお嬢様、私個人の意見を申し上げても?」
「えぇ」
「…正直に申しますと、このままではアンドレアス様は領主として認められないことになる可能性が高いと思われます」
「……それは、どうして?」
ヘレンには本当にわからなかった。小さいころ我儘になっても、直すことができるのではないかと思っていたからだ。事実、自分は五歳からの教育で色々な面で成長した。それをアンドレアスが出来ないとは思えなかった。
しかしヘレンは知らなかった。
いくら知識があったとしても、ヘレンは世間を、人を知らなかった。
「……お嬢様、人は一度我儘になってしまわれると、知らなかったときには、簡単には戻れないものなのです」
ロドリゲスは続けた。
「当たり前を当たり前と享受した時、そしてそれを受けられなくなるとわかったとき、人は時に恐ろしいような変貌を遂げることがございます。それは子供大人関係ありません」
「……でも、人は変わることが出来るのでしょう…?」
ヘレンの問いに、ロドリゲスは淡く微笑みを浮かべるだけだった。
ヘレンは、知らなかった。
確かに、人は時として変わることが出来る。だが、それは一人が頑張っても意味をあまり成さないということを。いくらヘレンが変えようとしても、周りがそれに対して協力してくれねば難しいということを。