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Everlasting  作者: 水無月
見えぬ先

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18/118

17


 どくり、とヘレンの心臓は脈打った。イライアスの視線に、怯えるかのように。いつぞやの、母のように。


 ざぁ、と血の気が引く。

 あの日、あの時。

 自分は母の期待に応えられないと感じた。そして相手も、そう思った。

 どうして、と問うような、あの視線。

 期待していた何かが裏切られたような、どうしてできないのかと、問われるような。


 期待に(・・・)応えられない(・・・・・・)自分を、責めるように。





「ご、め…なさ、ごめんな、さぃ、ごめん、なさい」

「…ヘレン?」

「ごめんなさい、できなくて、ごめんなさい、きたいにこたえられなくて、ごめんなさい……」


 イライアスはヘレンの様子の変化に、戸惑いを隠せなかった。そして失敗したと即座に気づいた。


「ヘレン、ヘレン、違います、君が悪いのではありません」

「……ごめんなさい、ごめんなさい、お母様、ごめんなさい」


 イライアスは軽率な行動をとった自分を殴りたくなった。責めるつもりなど欠片もなかったが、結果としてヘレンは責められたと感じた。

 心の病というのがどれほど繊細で難しいか、自分は知っていたはずなのに驕ってしまったのだ。


「ヘレン、落ち着いてください…、大丈夫、貴女は何も悪いことなどしていません」


 イライアスはヘレンを慰めるように抱きしめる。十五歳の細く未熟な体は、イライアスの腕にすっぽりと囲われた。

 深い青の瞳は見開かれ、硝子球のように蝋燭の明かりを反射している。しかし、その瞳は恐怖に彩られていた。いっそのこと、泣いてしまえばいいのに、ヘレンの瞳から雫が零れ落ちる気配はない。


 ―――きっと、そうやって、我慢してきたのだ。


 それに思い至ったとき、イライアスの胸中に言いようのない何かがこみ上げてきた。


「ヘレン、落ち着いて、落ち着いて聞いてください…。君は、他人のために頑張れてしまう。とても優しい子です…」


 イライアスはヘレンの頭に直接吹き込むように耳元で話した。声を荒げず、落ち着いた音で。


「だから、心配してしまうのです…。いつか君が、自分を犠牲にするのではと。貴女は私が知る誰よりも頑張っている。ですが、頑張りすぎて壊れてしまわないかと心配にもなるのです」

「……?」

「ずっと頑張り続け、休む暇のない貴女の体は休息を欲したのでしょう。その休息から戻ってすぐに頑張ろうとしなくてもいいのです。少しずつ、ゆっくりと出来ることから。大丈夫、誰も貴女を責めたりしない。むしろもっとゆっくりしなさいと言うでしょう」

「……」


 ヘレンは腕の中からイライアスを見上げる。その瞳には薄くだが涙が張られている。


「大丈夫、ヘレン、ここには怖いものなど何一つなく、誰一人貴女に頑張れとは言わない。むしろ貴女が今まで頑張ってきたことを知っている人ばかりです」

「っ……」


 息を詰めるヘレンに、彼女がちゃんと聞き、その言葉の意味を理解していることを知る。


「……大変でしたでしょう…。長女に生まれ、そのためにずっと家の為に頑張ってきたのに…。褒められることは減り、ついには不要と言われて、辛かったでしょう」


 イライアスはエリザベスから仕入れた情報から、言葉少なにそれを語る。本人が認める認めないではない。きっと、ヘレンの性格上認めることはできないだろうから。

 だが、自分が…イライアスという人間がそう思っていることを知るべきなのだ。

 そしてヘレンは、自分が頑張っていたこと、無理をしたこと、そして…認められなくて悲しいことを自覚しなくてはならないのだ。


「ヘレン、貴女は、頑張った…。だから、もう休むべきです」

「…や、すむ…?」

「そうです。頑張りすぎた貴女は、休むべきです。……それに」


 イライアスは一瞬だけ言葉を詰めて、そして現実(・・)を理解させるためにそれを言った。


「……もう頑張ったとして、貴女の両親は困るだけです」

「っ―――!!」


 どうして、と。その青い瞳が問うているのがわかる。どうして、どうして、どうして、と。


「…弟が生まれましたね?」

「……アンドレ、」

「そう、アンドレ。彼が、これから貴女の代わりになるのです」

「…あんどれ、が?」

「そう、アンドレが。貴女が日々大変な思いをして頑張ったものを、アンドレが頑張り、そして認められるのです」

「…わ、たし、は…?」

「…貴女は、アンドレのような頑張りをしても認めてもらえません。むしろ、すればするほど貴女の両親は貴女を持て余す」

「……ど、して」

「…ヘレン、本当は理解しているのでしょう? アンドレがいる以上、貴女はあの伯爵家から出なければなりません」

「それ、は、わかって、いる…けど」

「もし貴女が嫁いだとしましょう…。相手の家が、貴女に発言を許してくれるとは考えにくい」

「……」


 それは、女当主が認められてなお、バーゲンムートに古くから巣食う問題の一つだった。


 五か国のうち、二か国は、今なお女性を下に見る傾向のある風土をいまだに持っていた。百年前に比べれば格段に良くなってはいるが、それでも他の三か国よりは良くはない。

 アーガンマースにおいては女性の当主すら認めていない。それ比べればバーゲンムートはましなのかもしれないが、ダンデリオンなどは女性の社会進出を推奨している。カロリアンなどは有能であれば誰でも引き立てるという風土のためか、男女ともに切磋琢磨している。唯一異色なのはエーファリアで、国を統治してるのが代々女性というのもあって、男性の地位は低い。


 つまり、バーゲンムート内でヘレンが婚姻を交わすとすれば、ヘレンは今まで学んだ全ては無駄になる可能性が圧倒的に高いのだ。

 いくらヘレンが夫となる者より能力が高かったとしても、ヘレンは意見をすることすら認められない。


 イライアスは慎重に言葉を重ねた。壊さないように。何も今までやってきたことが無駄なのだと諭すわけではない。ただ、もう今までのように頑張らなくともいいのだと。頑張らずともそのままのヘレンでいいのだと伝えたかった。

 しかしこれから頑張っても意味をなすのかどうかは、しっかりと伝えなくてはならなかった。

 目標を失った人間が、同じ目標を持ち続けた結果を知っているから。

 

「ヘレン、少しだけ、周りを見ませんか」

「………ま、わり」

「そうです。貴女を慕うもの、好きなもの、好きなこと。なんでもいいのです。言われてやるのではなく、自発的にやりたいと思うことを、探してみませんか」

「すきな、こと…」

「そうです。貴女が本当にやってみたいと思うことを、始めてみませんか?」


 イライアスの言葉に、ヘレンは考え込むように瞳を伏せた。その様子に、イライアスは少しだけ安心した。少なくとも、やらなければいけないという強迫にも似た概念を払しょくできそうだ、と。

 ヘレンの一番の問題は、自身がやりたい・やりたくないという感情を持つ前に、やらなくてはならず、それがやりたいことだと思わされていることだとイライアスは思っている。

 時にそれはいいかもしれない。だが、今のヘレンにはよくないことだ。


「そうですね…、少し休んだら、一緒に釣りでもしてみましょうか」

「つり?」

「えぇ、湖に魚がいたはずです。他には、花を育ててみるのもいいですし、何か楽器をやってみるのもいいかもしれません。料理も楽しいですよ」


 イライアスから出される次々の提案に、ヘレンは目を瞬かせる。


「少しずつ、試してみませんか、ヘレン」

「………うん」

「それともう一つ、大切なことがあります」

「?」

「私には何も隠さないでください」

「それは、どういう…?」

「怒っても、泣いても、なんでもいいです。感情を隠そうとしないでください。八つ当たりに怒ってもなんでもいいです」

「い、いくらなんでも、そこまでは…」


 イライアスの申し出に戸惑うヘレンに、イライアスは手を握り顔を覗き込むように続けた。


「いいんです、貴女の性格上、きっと言葉を我慢してしまう。ですがそれは絶対に良くありません。特に現段階においては」

「現段階…?」

「とりあえず、ここにいる間は何か言いたくなったら私に話してください、いいですね?」


 その、イライアスの有無を言わせない態度に、ヘレンはこくりと小さく頷くほかなかった。


「………どうして、そこまでしてくれるの…?」


 ヘレンがぽつりと零した。


「……貴女が頑張りすぎ屋さんですから、ですね」


 イライアスのいまいち的を射ていない答えに、ヘレンは小さく笑った。


「そんなこと言ってくれる人、おばあ様とマリ以外にいなかった…」

「頑張っているように見えないからかもしれませんね。やればできてしまう天才に近いものだと思われていたのでしょう」

「…そう、なのかしら」

「きっとそうです」


 本当はそうではないと気づいているだろう。しかしヘレンは可笑しそうにくすくすと笑った。

 夜更けに男女が二人きりで部屋にいるにも関わらず、その部屋の空気は酷く穏やかで優しいものだった。






*****






「お嬢様、おはようございます。今日はいい天気ですよ」

「……おはよう、マリ」

「はい、おはようございます」


 あの事件があった日から一週間、ヘレンは順調に体力を回復させていた。初めの二、三日は時折ぼんやりとした様子を見せたが、今ではそれもない。

 正直なところ、ヘレンにはエリザベスの屋敷に来た記憶が曖昧にしかなかった。そのため、マリやダンと共に湖に行ったことも、そこで落ちたことも何となくしか覚えていない。それを聞いたイライアスやマリは、もう一度行けばいいと朗らかに言った。


「今日は何をしましょうか、お嬢様」

「そうね……トミーに花植えを手伝ってほしいと言われていなかった?」

「そうでした。では朝食の後に行きましょうか」

「えぇ」

「ヘレン、ドナルドからの手紙よ」

「っ、お父様から…」


 エリザベスはあの事件の後、すぐにドナルドへと手紙を送っていた。ヘレンが回復の兆候を見せていること。そして自分を守ってくれたこと。それはもちろんヘレンにも伝えられていたが、やはり返事がくると少しだけ緊張してしまう。


「………」


 ヘレンは手紙を受け取り、ざっと目を通す。そこには、ヘレンが回復したことへの喜びと、エリザベスを救ったことへの感謝。そして本調子でないのであればゆっくりと静養するようにと書かれていた。


「……ヘレン、貴女さえよければ、もう少しここにいない?」


 エリザベスへの手紙にも似たようなことが書いてあったのだろう。そう問われる。


「……そうですね、おばあ様。ご迷惑でなければ、ぜひ」


 ヘレンの返答に、エリザベスとマリの表情が明るくなる。


「………」




 しかしヘレンの心にはぽつりと墨のような何かが落ちたのを、誰一人として気づくことはなかった。



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