死のおとない
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
う〜ん、すっぱい! 今年の梅干しもまた、すっぱく仕上がったね。
すっぱいものっていうのは、腐っていたりして身体に悪いものが多い。それを予め判別できるように、味覚の中では特に発達している部分だと聞いたことがあるね。
けれど、人間はそのような毒に思える味も、薬にせんと研究を続けていた。梅干しが一般の食卓に並んだのは江戸時代のことと聞くけど、食すことそのものは、すでに平安時代の書物に記載があるという。
私の住んでいたところでも、梅干しを使って身を守ることに役立てるケースがあった。もっとも、ある家畜との組み合わせで効果を最大限に発揮するのだが。
その変わったケースについて、少し話をするとしようか。
私たちの育ったところでは、ウシやブタ、イヌやネコに加えて、カエルの飼育を行う家庭がほとんどだ。
種類としてはアマガエルにあたるはずなのだが、その大きさはウシガエルに引けを取らない。私も外出先で手のひらに収まるサイズのカエルを目にするまでは、地元のカエルの異常さを知ることはなかったよ。
更に独自の飼育方法により、各家庭で飼育しているカエルたちは、いずれも十年以上の命を生きている。一部の家では三十年以上、歳をくっているカエルもいるようだ。
私は詳しい飼育の方法を知る前に、地元を飛び出してきてしまったクチだが、それでも生活する中で目にした印象的なものとして、二点ある。
一点目。カエルの食事はたいていが生きた虫たちなのだが、それに加えて、梅干しも食べさせること。梅干しは私の地元の名産品で、どの家庭の食卓でも出され、幼いころから全員が口にしているようだ。
慣れていないカエルに梅干しを与えても、まず食べてはもらえない。初めのうちは梅の皮を軽く擦り付けた虫を、餌として与えていく。
数年をかけてじょじょに梅干しに慣らしていくと、そのうち、一個分の梅干しの皮を与えても、虫と同じように食べるようになるのだとか。
二点目。梅干しを食べられるようになったカエルは、夕暮れ時に、イヌと同じように外を散歩させる。ほとんどの家で三匹以上。犬のようにリードにつないで、歩くんだ。
それぞれのカエルのリードは、三匹の場合は短・中・長。三匹を上回る時には、それぞれの間を縫うか、更に長いリードを扱うか……。
だが、あまり多いと世話が大変な上に、大きさが違ったら違ったで、ケンカや共食いが起こる。
他の家も、カエルの散歩を行うからね。道がかち合いそうになった時には、ケンカし始めないか様子を見つつ、互いに譲り合う、なんてこともあったんだ。
この習慣も、よその友達と話すようになって、奇怪だという自覚を得たんでね。親に尋ねてみたんだよ。
そしたら、このカエルたちは「死のおとない」に関して、反応するように仕込んであるとのこと。
「死のおとない」。そう呼ばれる現象が見られたのは、江戸時代に入って数十年が経った時のこと。
ある日の夕暮れ時。村を往来する商人が、道端で不意に倒れて、帰らぬ人となった。
それだけでなく、その商人が倒れた、村中心に走る大路。商人に駆け寄った者。知らんぷりを決め込んだ者。それらを問わず、道に立っていた全員が、商人に近い位置にいる人から、順番に倒れていったんだ。
それでいて、脇道や家の中にいた者には、一切の影響がなかった。
彼らは例外なく死亡したが、その中でただ一人。死ぬまでに時間がかかった者がいた。
かの男は、他の人たちがその場で倒れ伏したまま死んでいく中で、苦しみ間があったらしい。とはいっても、商人に駆け寄った者の後を追うことを恐れ、手を貸そうとする人は現れなかった。
彼はお腹を押さえながらのたうち、どうにか道を外れたところまで這っていったが、ほどなく吐血して、こと切れてしまったという。他の者は血を吐いていないまま死んでいることもあり、彼と他の皆との違いを、早急に調べることになったんだ。
その結果、他の者たちに対し、彼のみ。その日の朝に梅干しを食していたことが判明した。
最初は多くの人に、あまりの小事ゆえに要因とは思われず、もっと別の理由があるだろう、と判断されたらしい。
しかし、以後も数ヶ月から数年の期間をおいて、同じような出来事が起こった時、その場で死ぬことなく、実際に生き続けた者も出てきて、彼らはやはり梅干しを食していたんだ。もう、梅干しが生き残りの要だと、認めざるを得なかった。
されど、この時点で助かった者の数はあまりに少ない。全員が梅干しを食したとしても、万全とは言えなかった。
幾度か、繰り返された悲劇で知ったこと。
それは、この「おとない」が、必ず道に沿ったものであり、その上にいるものに、例外なく「死」をぶつけてくること。決して順番を飛ばさず、道にある者ならば、人のみならず、小動物や家畜さえも、その犠牲となっていた。
生贄がいる。人間以外の者で。
だが家畜の類は使えず、イヌやネコも物理的、精神的な意味で愛でている家がほとんど。
そうして、頭を悩ませている皆の耳に、大合奏が聞こえてきた。
水を張った田んぼ。その声の主は、常に身体を湿らせながら、人の悩みなど露知らず、のどを鳴らして、村一帯に声を響かせる。その数は、いったいどれほどか知れない。
……白羽の矢は、突き立った。
「カエルたちに異状が見られたら、すぐにその道を外れなさい」
私がそう忠告されて、何年もの時が経っていた。
夕暮れ時。家にいる者の誰かは、梅干しを食べた上で、カエルの散歩に出なくてはいけない。もしも、死がおとなってきたのならば、それを皆へと知らせる「拍子木」のごとき役割だった。
さぼるわけにはいかない。怠れば突然、ほぼ助からない危険に、身をさらされることになる。自分のみならず、他の人を守るためだ。
散歩は、ご近所同士で固まって動く。一人だけ遠くに行って、おとなわれたら、ことだからね。
私はずっと話に聞かされただけ。実際にその現場に出くわしたことがなく、心のどこかで、他人事のように感じていたよ。だから散歩も、ご近所の方とのおしゃべりの機会程度にしか、思わなくなっていた。
その日は、お隣のおじいさんと一緒に散歩をすることになった。自分とおじいさん、合わせて六匹がリードでつながれながら歩くんだ。
散歩の際、私たちは水鉄砲とホイッスルを常に持ち歩いている。カエルは皮膚が湿っている必要があり、一番長いリードにつないでいるカエルは、数メートル先に行っている。彼らに洗礼を浴びせるには、飛び道具が必要だった。
ホイッスルは言わずもがな。いざという時の周囲への注意喚起だ。
決められた巡回ルートを回る、私とおじいさん。いつも通り、他愛ないおしゃべりに終始するだろうと思っていたんだが、風向きが変わる。
私の、半歩ほど前を歩いていたおじいさんの足が止まった。私もそれにつられて足を止めると、おじいさんは「前を見ろ」と指をさしす。
向き直る私。私とおじいさんが連れている中で、最もリードの長いカエルが、ブロック塀に囲まれた、十字路の直前で足を止めていた。そのあごの下にある「鳴のう」。鳴き声を出す時に使われるそこが、膨らんでいる。
だが、その原因は声を出すことにはなかったらしい。膨らみに膨らんで、ついには全身の倍以上に膨らんでいき……。
弾けた。リードの先に残ったのは、足の断片と、赤く小さな水たまりのみ。
何が起こったか分からず、一瞬惚けてしまった私の横で、おじいさんがホイッスルを吹いた。
カエルの鳴き声は、鳴のうの使い方次第で、一キロ先まで届くと聞くが、この笛の音はいかほどの人に知れ渡ったか。
「距離を取ろう」と肩を叩かれる私。おじいさんはすでに後方へ向けて、駆け出していた。私もそれに続く。さっきまで先陣を務めていたカエルたちが、一気にしんがりになったが、おじいさんはリードを引き寄せて、再び進行方向の矢面に、生贄たちを立たせる。
「はさまれるかもしれん。早く前へ引き寄せろ。知らずに突っ込んだら、終わりだぞ!」
いつも穏やかな口調で話すおじいさんとのギャップに、私は力任せにリードを引っ張った。そして右折と直進しかできないT字路に差し掛かった時。直進方向へぴょんぴょん跳ねていた二匹目のカエルの鳴のうが、息を吹き込まれた風船のように、急激に膨らみ出す。
先ほどのように、最後まで見届けることなく、私とおじいさんは道を右へ曲がった。ここからはしばらく直線。脇道もない。
「塀によじ登れ。お邪魔させてもらうぞ」
私もすぐに意図が分かった。屋内なら、影響のない「死のおとない」。走って逃げきれなくなったなら、避難するまで。
私は左手、おじいさんは右手の塀をよじ登る。二メートルあるかないかだ、さほど手間はかからないはず。そう思っていた。
上半身を塀の上から、敷地内へ潜り込ませた瞬間。
私の息が詰まった。吸うことができない。必死に吐き出そうと口を開けても、ため息ひとつ出てこない。
お腹も張ってくる。痛いとかではなく、苦しいんだ。もしも尻から出すばかりでなく、じかに空気を入れられたら、こうなるのだろうか。
反射的に手を当てると、たいして腹筋を鍛えていないのに、パンパンの手ごたえ。その膨らみが、刻一刻と腹の残ったたるみを押しのけて、私の外に出ようとしている……。
塀を超えて、敷地内の庭に転がり込んだ私。音を聞きつけたのか、庭に面した窓を開けて、奥さんが顔を出す。
先ほどのホイッスルが聞こえていたのだろう。私を中へといざなうと、すぐに窓を閉める。私はもうリードを手放していた。
膨らみ続けるのは止まったが、苦しさは変わらない。私は電話番号を伝えて、奥さんに家に連絡してもらい、夜中になるまで、その家から動けなかったよ。
翌日。家に帰った私は、おじいさんが入院したことを知る。
そして半年後に、亡くなられてしまったことを耳にしたんだ。