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⑦さよなら

 『月の国』を出てから、もうすぐ一日が経つ。それでもわたしは寝ずに、出来る限り馬を走らせ続けた。

 止血は『月の国』を出る前に、市場街を少し離れたところにある林で隠れて済ませた。痛み止めも塗ったのだが、その時点ですでに体力的にかなり苦しかった。腕も足も重く、頭にも痛みがあった。

 それから二十四時間。わたしが『月の国』を出てから二度目の日没が、わたしの目の前で赤々と燃えていた。すでにまぶたは重くなり、指に力が入らなくなってきている。少しでも前にと進んできたが、ついに体力の限界だった。

 ふと、砂漠の中に大きな岩を見つける。岩陰で休むことのできそうなほどの大きさだ。 三時間ほどそこで仮眠をとったあと、夜のうちに進めるだけ進んでおこうと考える。砂漠の夜は昼間に比べて大きく気温が下がるので、体力の消耗は少ないはずだ。少し懸念があるとすれば、食料は十分にあるが、水がもう底をつきかけていることだ。

 馬を二日ほど走らせれば『光の帝国』という国に着くと、以前ランスが言っていた。ということは、たいだい半分ぐらいまでは来れているのだろうか?

 日陰だった場所を選んで馬を座らせ、自分も馬の腹に背を預けて目を閉じる。

 どうやらわたしは、自分が思っていた以上に疲れていたようだ。いつ眠ったのかも分からないまま、わたしは眠りに落ちたようだった。


「ちょっと、起きなさいよ」

 頬を何度か叩かれて、ようやく目を覚ます。

 再びまぶたを開けたとき、聞こえてきたのは数頭ではきかないほどの馬の声と足音だった。空は既に明るい。どうやら三時間どころか一晩丸々寝てしまったようだ。ぼんやりとした頭で、わたしを起こしてくれた人の顔を見る。

 わたしと同じぐらいの年齢の女の子だった。金色の髪をツインテールにしていて、もともとはかわいらしい顔の眉を吊り上げ、拗ねたように口を尖らせていた。

「あんたねぇ、馬っ鹿じゃないの? 真昼間の砂漠で居眠りするなんて信じられないっ! 何考えてるのよ、死にたいの? どうでもいいけどあたしの前でそんなことはやめてよね。ほら、水よ。あたし達の分はまだ別にあるから、ゆっくり全部飲んじゃいなさい」

 水筒を受け取ると、水を一口飲む。まるで体中に染みとおるようだった。わたしは夢中になって、すぐに水筒の水を飲み干してしまった。

「ありがとうございます」

「べ、別にあんたのためじゃないんだから。ほっといたら寝覚めが悪いのよ、あたしが。それだけなんだから! 迷惑だから、もう二度と行き倒れになんてならないよう気をつけなさいよね!」

 わたしの礼に、ツインテールの女の子は頬を少し赤くして、拗ねたようにそっぽを向きながら返事をした。

「あんた名前は? どこから来たのよ?」

「ナナミといいます。『月の国』から来ました」

「あたしはイリス。『光の帝国』国軍の兵士よ。って言っても衛生兵だけどね。それと、あたしたち同い歳ぐらいでしょ? 堅苦しい話し方もいいから。それよりも、ここも危ないんだから早く立ちなさいよ」

 イリスが差し伸べてくれた手を握る。思いっきり引き上げてくれたおかげで、ふらつく足でも何とか立つことができた。

「ありがと……ところで何が起こってるの?」

 千頭は優に超える数の馬と、それに乗った兵士。『光の国』のものであろう大きな黄色い旗を掲げ、鼓舞するように叫んでいる。まるで戦争に行くようだと思い、しかしそれ以外の返事を期待して訊いた。

「戦争よ」

 イリスの口から出た答えは、聞きたくないと思っていたそれだった。

 戦争。また人が死ぬ。誰かにとって大切な人が、ただ義務というだけ命を落とす。戦場という手の届かないところへ赴き、二度と戻らないという知らせが届く。優しかったはずの人の手が赤く染まり、祖国を守った兵士が自分の罪に悔やむ。戦争はだめだ。殺めた人は苦しみ、殺められた人の家族は悲しみ、誰の心にも汚れと傷跡しか残さない。戦争なんて数回しか経験したことの無いわたしでもそれぐらいは分かる。

「あたしたちは後発隊。いわゆる増援部隊ね。先遣隊はすでに戦闘を始めているの。だから……そろそろ行くわね」

 イリスが作った笑顔は、痛々しいほどに引きつっていた。行きたいわけじゃない。それでも行かなくちゃいけない。自分から戦場に飛び込んだわたしとは違って、イリスの大切な人も自身の居場所もまだ祖国にあるのだろう。

 さっきイリスは自分のことを衛生兵と言った。最前線で傷ついた兵士を手当てする役――つまりは最前線に身を投じるということだ。戦禍に巻き込まれて命を落とすこともある。覚悟の決まっていない少女さえ戦場に駆り立てるなんて、わたしは到底納得できなかった。

「またね……生きていたらまた会いましょ」

 イリスが自分の馬に跨ろうとする。迷うより先に体が動いた。イリスの腕を掴むと、わたしはそのまま後ろに引っ張る。

「何よ、わたしは急いでるのよ」

「行かないで」

「はぁ?」

「イリス、行きたくないんでしょ? だったら行く必要ないよ。行ったら死んじゃうかもしれないんだよ?」

「ふざけないで! みんな死にたくないし、戦争なんか嫌いだ。だけど衛生兵のあたしよりももっと危ないところで戦ってる人がいるのに、あたしが逃げ出していいわけ無いでしょ!」

 イリスが怒る。こういう反応が返ってくると予想はしていたが、それでも訊かないわけにはいかなかった。そしてイリスが戦場に行くと言うのなら、わたしの選択肢も既に決まっていた。

「じゃぁわたしも行く。わたしも前線に連れてって!」

「はぁ? あんたはこの戦争に関係ないでしょ? 死ぬかもしれないのよ、本当に分かってる?」

「分かってる。でも、人が死ぬのはもう嫌なの」

「だからってあんたが行ってどうなるの? あたしたちみたいな小娘一匹に何が出来るってのよ!」

 イリスの気持ちも言葉の意味も、痛いほど良くわかる。

 けれど、だからこそわたしが行かなくてはいけないんだ。

「大丈夫。わたしの前ではもう誰も死なせないから」

「……あんた、何者なの?」

 いぶかしむイリスに、「ちょっと訳ありなお尋ねものよ」とだけ答えた。

 イリスが「勝手にすれば?」と吐き捨てて馬に乗る。わたしも自分の馬に乗ると、イリスの後を追いかけた。



走り出して二十分ほどだろうか。大きく砂の舞い上がる一帯をイリスは指差して、「あれよ」と言った。目を凝らしてみると、砂の合間から人が戦っている姿が見えてくる。

 風のうなりの合間から微かに聞こえてくるのは、剣と剣がぶつかるような甲高い音。叫び声と勝ち鬨が聞こえ、馬が逃げ出す。人数は『光の帝国』側が勝っているようだが、それでも押されているようだった。

 そんな中で、ひとつ気になったことがあった。敵兵の全員が、小麦色の肌に対称的な銀色の髪をしており、何より、片目に紅い瞳を宿していた。その特徴はリアちゃんとかなり近しいものがあった。

「ナナミ、止まって」

 咄嗟の声。イリスの指示でわたしは馬を止める。そしてその意図を尋ねる前に、わたしは止まった理由を理解した。前方から、大きな火の玉がわたしたち増援部隊を目掛けて飛んできていたのだ。

 咄嗟のことだった。能力を発動しようとしたが間に合わなかった。

 着弾と同時に爆発したような音と、叫び声のようなものが聞こえる。大きく燃える炎の上を、人の体が吹き飛ばされているのが見えた。

「…・・・五十七人」

「ナナミ、何か言った?」

「いまの火の玉で死んだ人の数。いまので五十七人分の体が動かなくなった」

「そんなに……ってか、あんた何でそんなことが分かるのよ?」

 イリスの言葉に答えている余裕は無かった。前線の更に奥から、先遣隊の戦っているところを飛び越して、再び火の玉が飛んでくる。

 今度はもう、逃がさない。

 空気で出来た大きな手で、火の玉を殴り返すイメージで、火の玉の正面から更に大きな力を加える。目に見えない力の流れと激突した火の玉は砕けて、後発部隊に届く前に四散した。その後も無数のツララが上空に現れたのですべてを弾き飛ばし、突如現れた竜巻のような風の軌道を逸らすなど、起こった異常現象を異常な力で払い落とした。

「ナナミ……これ、あんたがやってるの?」

「ちょっと話しかけないで。今あんまり余裕ないから……見つけたっ!」

 先遣隊の更に奥の様子を把握する。敵陣は前線で戦っている兵士の背後に、五十人ほどが隊列を組んで立っている。この五十人が火の玉だったりツララだったりを作っているようだった。そのさらに奥には十人ほどの兵士に守られて台座に座っている人が一人。おそらく指揮官のような立場にある人なのだろう。

 でも、ここまで分かればもう大丈夫だ。

 わたしは火の玉をひとつ能力で捕まえる。同時に現れたツララもすべて捕まえると、能力を使っている五十人の近くを狙って投げ返した。

 怪我人が出ないギリギリの場所。それでいて恐怖を感じられるような目と鼻の先にそれらを落とす。

 ありえない位置からの爆発音。

 戦場が一瞬にして静まり返った。

「双方、剣を納めなさい!」

 叫ぶ。出来る限りの凛然とした声で、それでいて余裕のある表情を心がけた。

 戦場のどこまで聞こえたかは分からない。けれどもそれも関係なかった。わたしは戦場で生きている人間すべてを捕まえて、それらを宙に浮かせる。『光の帝国』の兵士は高さ二メートル分。敵国の兵士は高さ四メートル分。これで互いに剣は届かないはずだ。いま砂に足をつけているのは、わたしのほかには、敵国の指揮官らしき人と彼を守る兵士だけだ。

「ナナミ……」

 イリスの声が二メートル上から聞こえる。本当はもう、頭が割れそうなぐらいに痛いのを我慢して、笑顔でイリスに振り向く。

「ごめんね、イリス。わたしちょっと普通じゃないのよ」

 わたしは先遣隊の足元を歩き、名前も知らない国の指揮官の元へと向かう。途中、火の玉をまた作ろうとしていたので、それが発射される前に破壊する。

 兵士の足元を歩き終わると、超常現象を起こしていた五十人の隊列の前に行き着く。わたしは目線を合わせるために四メートルほど浮くと、先ほど火の玉を作った男の前に行く。

「あなたね?」

 わたしは声を作る。それから空気でこの男の四肢を掴んだ。

 ここで躊躇っては、また新しい犠牲が出る。ちょっとでも気を抜けば、この五十人ひとりひとりが、百人二百人単位の人間を一度に殺せるのだから。

 思い出すのは、ランスの足を砕いたときの感触。柔らかいそれを握り、その中の硬いものを指先に感じ、それが自分の手の中で砕ける。寒気がする。もう二度とやりたくないと思っていた。

 けれど今はそれが必要だ。

 見せしめが必要なのだ。

「ナメた真似してくれたじゃない?」

 砕く。両腕両足をすべて。苦痛で叫ぶ男を四メートル上空に残し、わたしは砂に足をつける。

 あとは十人の兵士と、守られている一人の男だけだった。

 けれどわたしにももう時間が無い。能力をこの規模で使うのは、あと五分が限界だ。焦りを悟らせないように涼しげな表情を作るのが、またどうしようもなく辛かった。

 歩を進める。十人の兵士には、意図があってもともと能力を使っていなかった。斬りかかってくる護衛をの剣を、指揮官の目の前で止める。最初に斬りかかってきたのが五人、後から続いて五人。その誰もが剣を振りかぶったまま微動だにできず静止する――そんな異様な光景を目の前に、指揮官にだけは能力を使わなかった。

 二つ、意外なことがあった。ひとつは指揮官だと思っていた人が鎧を着るでなく、剣を持つでなく、どことなく宗教の宣教師のような格好をしていること。そしてこの男だけが、肌の色が白く瞳の色が赤くないことだ。

 わたしは兵士の一人の手から剣をもぎ取ると、宣教師のような指揮官の首元に当てる。

「詰みです。撤退していただけますよね?」

 宣教師のような指揮官が言葉に詰まる。腹が立ったので頬を張り飛ばしてからもう一度、同じことを分かりやすく訊くことにする。

「撤退していただけますよね? 今この場で、あなたを含めた兵士全員の首の骨を折ることだって、わたしには可能なんですよ?」

 今度は素直に、宣教師のような指揮官は頷いた。


 撤退の準備が始まる。わたしは兵士全員にかけていた能力を解くと、イリスの元へと重い足を引きずっていった。

「ちょっとあんた、すごいじゃない! ……ナナミ?」

 イリスに体を預ける。もう限界だった。頭痛がして、体の感覚も殆ど無い。目が回ったときのように、真っ直ぐ立っているのも難しかった。

「ちょっと、ナナミっ!」

「イリス、ごめん。わたしを隠して。向こうからわたしのこんな姿を見られたら、また攻めに来るかもしれないから」

「……うん、わかった」

 イリスが近くの兵士に声をかけると、わたしのところに人垣を作ってくれた。

「ナナミ、ひとつ聞いてもいい? なんであたし達の味方をしてくれたの?」

「戦闘を中断できれば、わたしは別にどっちでもよかったの。たまたまイリスがこっち側だったからかな」

「なによそれ。照れるじゃないのよ」

 それから二人で笑った。人垣になってくれた兵士の人たちも、一緒に笑ってくれた。

 安心すると、まぶたがだんだん重くなってくる。

「イリス。眠い……」

「ついさっき起きたばっかりのくせに……いいわよ。あとは何とかしてあげるから、ゆっくり寝てなさい」

「うん」

 そしてわたしの意識は、深い深い暗闇へと落ちていった。



 夢を見た。

 とてもとても、楽しい夢だった。

「お父さん、ミミさん。ただいまっ!」

 わたしが扉を開けると、黒髪に黒い瞳の女性――ミミさんが迎えてくれた。

「おかえりなさい、ナナミちゃん。今日はどこまで行ってきたの?」

「わたしの畑の様子を見てきて、それから丘の上の菜の花畑まで。だからちょっと遅くなっちゃった」

 わたしは靴を脱ぐと、床に足を乗せる。

 木造りの家。部屋と呼べるような区切りは無く、大きな箱に窓と屋根が付いた感じだ。井戸やトイレは共用のものが、村の七箇所に設置されている。村の北側には丘があり、それを越えてもうひとつ山を越えると、シュトというこの国の中心? あれ?シャトだっけ? とにかく王様とお金持ちの住むところがある。村の南東側に少し行くと小さな林があり、わたしはそこの一部を耕して、いろいろな畑から苗を一本ずつ拝借して自分の畑を作っていた。このことはミミさんにしか話していない。お父さんに話すと怒られそうだからだ。林の道を抜けて更に進むと砂漠がある。前にお父さんに聞いたら、砂漠からはもうこの国じゃないから行ってはいけないそうだ。

「あれ? ミミさん、お父さんは?」

「おう、ここにいるぞ」

 返ってきた返事はミミさんのものではなく、お父さんの声だった。部屋の奥に座っていたのが、ミミさんの体で見えなかったのだ。お父さんはわたしの前まで歩いてくると、いきなりわたしの頬を張り飛ばした。

「こン馬鹿娘がぁっ! 七時には帰って来いと言っておいただろうがっ!」

 お父さんが怒る。けれど、遅れたと言ったって十五分程度だ。外だってまだ十分に明るいし、危ないことなんて無い。まだ外で遊んでいる子供達だっている。「何でわたしだけ」と、つい漏らしたら、また逆の頬を張り飛ばされ、玄関の扉に背中をぶつける。

「ちょっと、ジョージさん。もうそれぐらいにしてあげて」

「いや、駄目だ」

 ミミさんが制止するのを聞かず、お父さんはわたしの腕を掴むと力任せに立たせる。プチプチと、服の縫い目の糸が切れる音がした。そんなことも意に介さず、お父さんはわたしにさらに問いかける。

「なぁ、なんで俺がこんなに怒ってるか分かるか?」

 お父さんから目を逸らしながら、必死に考える。「暗くなって危ないから?」と答えれば「違う」と言われ、「約束だから?」と答えれば「それだけじゃない」と言われた。本当に分からなかったので、わたしは首を横に振る。

「お前は、ミミと俺の気持ちを考えたか? どんな気持ちだったと思う?」

「……心配した?」

「そうだ。ミミがお前を心配しているなんて考えもしなかっただろう? 七時にはお前が帰ってくるからって、飯まで作って待っていたんだ。なぁ、ナナミ。俺は帰りが遅くなったから怒ったんじゃない。お前がミミの気持ちを考えなかったから怒ってるんだ。他の人の気持ちを大切にできて、みんなに優しくできる女の子に育ってほしいんだよ。わかったか?」

 わたしは頷く。口から「ごめんなさい」という言葉と、目から涙が零れ出た。自分の楽しみに夢中になってしまった自分が恥ずかしくて、けれどそれよりも、ミミさんとお父さんに悪いことをしてしまったと今さらながらに気がついてだ。

 涙で滲んだ視界の中、今度こそお父さんの目を真正面に向き直る。

「分かったら歯ぁ喰いしばれぇぇえっ!」

 そしてお父さんは、大きく拳を振り上げていた。

「ちょっと、もう止めてよジョージさんっ!」ミミさんが止めに入る。「止めるなミミ!」「大丈夫よ、ナナミちゃんだってきっともう分かってるわよ」「有り得ねぇ! こいつはお前やナナみたいにアホだから、しっかりおぼえさせなくちゃいけねぇんだ!」「まっ……わたしはいいけど死んだ姉のことは悪く言わないで!」「悪く言ってねぇ、そこが可愛いんだよ」「まぁ♪ ……じゃなくて、それに何度も女の子の顔を叩くものじゃないわ」「大丈夫だよ、こいつはお前やナナに似て美人になる。だからちょっとぐらい歪んで凹んだって誰にも負けない女になる。問題ねぇよ!」「いいわけないでしょ! これ以上聞き分けないと、ジョージさんの分の夕飯は没収ですよ?」「な……」

 時間が止まったと思えるほどの沈黙。吹き抜ける風の音だけがそこにあった。

 すごい剣幕だったお父さんの額に汗が浮かぶ。お父さんはゆっくりとミミさんのほうを振り向くと、愛想笑いのような表情をした。ミミさんがお父さんに向ける笑顔にはゾッとするような凄みがあって、再びわたしに振り返ったお父さんは借りてきた猫のように居場所なさげにしていた。

「おぅ、ナナミ。そろそろ飯にしようか?」

 お父さんの声があまりに可愛そうで、わたしは頷いた。


 食卓を囲んで座る。木作りの丸いちゃぶ台で、天板は村人みんなで大木を切り倒し、輪切りにして作ったうちの一枚らしい。ちゃぶ台を百五十個作っても半分余るほどの大きな木だったそうだ。

「ナナミ、ちゃんと残さず食べるんだぞ。ミミの料理はこの村で一番なんだからな!」

「残さないよ。それにその話は今年に入って百回は聞いたって」

 お父さんが毎食のように、ミミさんの料理を誇らしげに話す。ミミさんは「褒めても何も出ないわよ?」なんて言いながら、麦飯の入った器をお父さんに差し出す。

 ミミさんはわたしの叔母にあたる人だ。わたしが五歳のときに母が病死して以来、この家で一緒に生活している。とてもきれいな人で、年齢はもうすぐ三十四歳になるというのに、この村で一番美しい女性だなんて言う人もいるぐらいだ。

「ミミさんは結婚しないの?」

「うみゃ!」

 思わず口を突いて出た言葉に、ミミさんは顔を真っ赤にする。そしてわたしの分の麦飯がミミさんの手から滑って床に落ちた。わたしはそれを拾って器に戻し、顔を上げたときもまだミミさんは真っ赤なままだった。

「ミミさん?」

「やぁね、ナナミちゃん。わたしなんてもう三十四のおばさんだもの、誰も貰ってなんかくれないわよ」

「でもみんな、ミミさんのこと綺麗って言ってるよ。ファンクラブもあるし」

「嘘っ!」

 ミミさんが目を丸くしている。どうやら本当に意外だったようだ。

「お前ほどならよぉ、」お父さんが言う。「貰い手なんかいっぱいいるんだ。こんな家にいつまでもいないで、いい男見つけて幸せになれよ」

「残念、わたしはもう幸せよ。わたしの初恋の人はジョージさんだって、前にも言ったでしょ? それにナナミちゃんもいるんですもの、十分すぎるわよ」

「なっ、今それを言うかよ。ナナミも聞いてるんだぞ?」

「何でジョージさんが赤くなるのよ、おかしな人ね」

 よく分からなかったけれど、お父さんとミミさんは困ったようにしながら、とても楽しそうだった。

 日に日に少しずつ、そんな会話が増えた。

 そしてこの年の八月、お父さんとミミさんは結婚した。



 わたしたちの朝は早い。日の出とともに起床し、朝食を食べ終わると午前中は畑へ向かう。季節によっていろいろだが、土を耕したり、種を蒔いたり、草取りをしたりなどだ。今は秋なので収穫する作物が多く、収穫の終わったところは次の作物を植える準備をする。

 昼食をとり、午後からは武器を作る。全ての家の裏に作業場があり、午後は商人を除いてほとんどの人が男女問わず剣や包丁、ナイフなどを作る。小さい頃から仕込まれ、八歳を越える頃には、他国では作れないような刀剣を大抵の子供が作れるようになる。その中でもお父さんの武器作りの技術はこの村一番で、最近は国からの注文だといって、見たことも無い形のものを作っている。お父さんに聞いてみたら、イシビヤと呼ばれるものの一部になるそうだ。

 作った刀剣のうち一定数を国に納める。国は集めた刀剣の一部を戦争のために保管し、のこりは他国に売っているらしい。そのお金を元手に、各村にはさまざまな物資が支給される。それでも物資が足りなかったりする村は、『月の国』などの近隣諸国へ刀剣を持って売りに行き、そのお金で必要なものを買って帰ったりするのだ。

 午後五時には作業終了。少し休憩したあとは夕食だ。ミミさんが料理したのを盛り付けだけ手伝い、みんなでそろって「いただきます」をする。毎日一時間ぐらいしゃべりながら食べて、それでも飽きない楽しい時間だ。誰かが眠そうにあくびをしはじめると、何となくそれが終わりの合図のようになって、みんなが立ち上がる。ミミさんは食器の片付け、お父さんは家の裏の作業場あたりで自主稽古だ。わたしはミミさんの皿洗いを手伝ったあと、軽めの剣を一本持って、作業場まで駆けて行く。

「お父さんっ!」

「また来たのか。お前も物好きだな」

 お父さんは剣の自主稽古をしている。うちの家に限らず、大概の村の男の人は稽古をしているそうだ。以前に『剣術?』と聞いたら、『そんな立派なもんじゃない、我流だ。戦争になったらどれぐらい役に立つかも分からん』と言っていた。

 わたしが来たあとも、お父さんは剣を振る手は止めない。いつものことだ。わたしもお父さんを真似していつもどおりに剣を振った。

 最初は『女が刀を振るんじゃない』なんて反対されたが、わたしが毎日のようにしつこく来たせいか、そのうち言われなくなった。からといって何を教わるわけでなく、わたしはお父さんの真似をしているだけで楽しかった。

「あら、ナナミちゃんも上手になったのね」

「あ、ミミさん」

 ミミさんが珍しく、稽古の様子を見に来ていた。お父さんが手を止めたので、わたしも剣を下ろす。ミミさんから手ぬぐいを二人分受け取ると、一枚をお父さんへと渡す。

「ミミ。剣のことでこいつを褒めるな」わたしにデコピンにながらお父さんが言う。「こいつが戦争に行くわけじゃねぇんだ。おまえらが剣を持つようなことにならないように、俺が稽古してるんだろうが」

「いいじゃない、剣を振るぐらい。そのうち飽きるわよ」

「俺もそう思ってたんだがな……ナナミ、剣なんか振って何が楽しいんだ?」

「え? 考えたこと無いかも」

「きっとジョージさんと一緒にいたいのよ」

 ミミさんの言葉に「そんなんじゃないもん」って言いながら、たぶんそれが正解のような気もしていた。

 次の日からミミさんも毎日、食器洗いが終わったら稽古場に来るようになった。

「ミミ、おまえよぉ……恥ずかしいじゃねぇかよ」

「いいじゃない、別に」

 稽古中のお父さんのため息が増えて、でもちょっとだけ笑顔も増えた。



 十月のある日。

 大食いのお父さんが、ミミさんにご飯を譲った。

「ほら。俺はもういいから、おまえもっといっぱい食べろ」

「うみゃ? ……えぇぇぇっ!」ミミさんも意外に思ったようで、目を丸くしている。「ジョージさん、どうしたの? 熱でも……」

「無ぇよ、額に手を当てるな! ナナミ、おまえもかっ!」

「だって心配だもんっ! お父さん、死んじゃだめっ!」

「だから死なねえって!」

 確かに熱は無かった。外を見ても雨は降っておらず、頬を引っ張っても確かに痛かった。余りに大げさにやりすぎたせいか、お父さんにデコピンされる。

「ミミ。これからはもっと栄養取らなきゃいけなくなるんだから、しっかり食べておけ。ナナミも、もうちょっとしたらお母さんが大変になるかもしれないから、遊んでばかりいないで家事を手伝うんだぞ?」

 お父さんが真剣な顔で言うので、わたしは頷いた。ミミさんがどういう風に大変になるのかは気がかりだったが、とにかくわたしは家事の手伝いを頑張ればいいらしい。

「じゃぁ明日からごはんはわたしが作るね!」

「雑草喰ったほうがまだマシだ」

「酷いっ!」


 この数日後から、時折ミミさんは吐き気を催すようになる。それが数日続いたある日、稽古の後にお父さんが、ミミさんのお腹の中に赤ちゃんがいると話してくれた。

「とにかく、今が一番辛い時期だからな、お母さんのこと頼んだぞ」

 お父さんの言葉にわたしは頷く。

 すでに食事以外の家事はわたしがほとんどやっていた。わたしだってミミさんのことは好きだ。こんなときぐらいは頑張らなくちゃって思う。

 考えてみれば、お父さんも少し丸くなった。ミミさんの前ではわたしを叱らなくなったし、言葉もどこか優しくなったような気がする。その分、陰でわたしが怒られるときは止めてくれる人がいなくなったんだけど。

「それにしても、赤ちゃんかぁ……」

「なんだよナナミ、気づいてたんじゃねぇのか。言っとくけどな、赤子ってのはチシャって鳥が連れてきたり、コノトリーって野菜の根元から生えてきたりするわけじゃねぇんだからな?」

「そんなの知ってるって……ん? お父さん、それ逆じゃない?」

「んなわけねぇだろ。お前のほうが記憶違いしてるんだよ」

「うぅ……そう言われると、そんな気がしてきたかも」

 でも、どことなく釈然としないのはなぜだろう? なぜだろう?


 忙しくて、友達と遊ぶ暇なんて無い日々が続いた。十二月ごろにはミミさんの体長は落ち着いてきたが、それでも家事はわたしがやり続けた。冬の間の辛い水仕事も、ミミさんのためだと思えば頑張れた。

 二月の後半ぐらいからは、ミミさんのお腹は、日に日に大きくなっていった。ときどき嬉しそうな顔で、「赤ちゃんが動いた」と言ってはお腹をさすっている。お腹に耳を当てさせてもらってもわたしにはまだ分からなかったけれど、ミミさんには感じるようだった。

 で、その頃、ふと疑問に思ったのだが……

「ところで、男の子なのかな? 女の子なのかな?」

 夕食時、そんな話になった。

 わたしの言葉に、お父さんが麦飯を口に運ぶ手を止める。

「さぁな。首都に行けば調べる方法もあるらしいが、こんな田舎じゃ生まれるまで分からねぇよ。ナナミはどっちがいい?」

「うーん、どっちでも嬉しいかも」

「だよな。いい子だ」

 お父さんに褒められた。ナナミさんが「珍しいこともあるものね」なんて言ったら、お父さんは「いちいち言わなくても、ナナミはいい子だからだよ」と拗ねて言った。「わぁい♪」って喜んだら、「馬鹿だけどな」って付け加えられた。「うにゃー」

「もし男の子だったら、俺に名前を付けさせてくれよ。ナナミが生まれる前から、ナナと考えていたのがあるんだ」

 お父さんが言った『ナナ』というのは、わたしが五歳のときに亡くなった本当のお母さんの名前だ。わたしはミミさんと顔を見合わせて頷き合った。

「男の子のときはそれでいいわよ。ジョージさん、もし女の子が生まれたら?」

「そっちはよかったら、ミミの方で考えてくれ。可愛い名前とかそういうのは、俺はよく分からねぇからよ」

「そうね……じゃぁ『ミナミ』がいいわ。どうかな、ナナミちゃん」

「うにゃ?」

 ミミさんが、わたしの頭を撫でながら続ける。

「生まれてくる子には〝ナ″の音を入れてあげたいの。兄弟って言っても、ナナミちゃんとは腹違いになっちゃうでしょ? だからこそまずは名前から、強く強く結ばれてほしいのよ」

 わたしは頷く。ミミさんがそう言ってくれたことが素直に嬉しかった。

 出産予定は五月末か六月の頭ごろになるそうだ。今からその日が待ち遠しかった。



「あれ? お父さん、ミミさんは?」

 三月三十日。出産まであと一ヶ月と迫ったこの日、ミミさんの姿が見えなくてわたしは首をかしげた。午前中に畑仕事を終えて、昼食のために家に戻ったときのことだ。

「あいつは頑固なんだよ」

 お父さんがため息を吐きながら、ふかした芋をわたしに手渡す。今日の芋はいつもより少しだけ大きくて、ちょっと嬉しい気分になる。

 とりあえずお父さんが行き先は知っているようだったし、心配しなくてはいいのかな?とも思ったが、やはり気になる。芋を一口頬張ると、「どういうこと?」とまた訊く。

「お前、明日は何の日か言ってみろ」

「四月一日……うにゃ?」

「そうだ、お前の誕生日だよ。自分の足でプレゼント買いに行くって言って、俺の制止なんて聞きやしない。これ内緒にしとけって言われてんだから、貰ったらちゃんと驚けよ?」

「うん、わかったけど……いいの? わたしに言っちゃって」

「覚悟しとけ。あいつのプレゼント選びはセンス無ぇから。それでも腹ン中に子供を抱えたまま、隣町まで行ってんだ。だからちゃんと喜べって言ってんだよ」

「あ、なるほど……」

 忙しくて、自分でも誕生日なんて忘れていた。それなのにわたしの誕生日を覚えてくれていて、わたしのためにプレゼントを買いにってくれている。そのことだけで十分に嬉しかった。

「それとよ、これはいつかでいいんだ。お前が自分で納得できるときが来たらでいいからよ。あいつのこと、『母さん』って呼んでやってくれねぇか?」

「え? 呼んでいいの? だって、その……迷惑じゃないかな?」

「んなわけねぇだろ。ガキがそんなこと気にすんじゃねぇよ。それに、そのほうがミミも喜ぶに決まってる」

 ミミさんが一緒に暮らすようになって、もうすぐ十年。義理のお母さんになって八ヶ月。だけど本当の子供じゃないのに、お母さんって呼んでいいのか不安だった。

 だけど……そうか。呼んでいいのか……

 ミミさんが戻ったら、少しだけ勇気を出して呼んでみようと思った。

「お父さん、わたし幸せかも」

「何を当たり前のこと言ってんだ。俺もだよ」

 照れて笑うお父さんの顔が、ちょっとだけ可愛かった。


 昼食を終えて午後。武器作りの作業の前に、村の端の井戸まで水汲みに行く。村に七箇所ある井戸ののうち、そこが一番近い水汲み場だった。首都へと続く道のすぐ脇にあるそこで、えっちらおっちら井戸の中の桶を引き上げていると、この辺りでは見ない髪の色をした少年がその道を通るのが見えた。

 青年はきれいな金色の髪に透き通るような青い瞳。砂漠を渡ってきたのか、大きな砂避けの布を体に巻いている。布の合間から見える服も、わたしが一生着る機会のなさそうな高そうな服だった。白い馬に乗る少年の周りには、同じように馬に乗る女の人が三人。金色の髪の二十歳ぐらいの女性と、黄色がかった肌に茶色い髪をさいたわたしと同じぐらいの年の少女。そして小麦色の肌に対称的な銀色の髪をした十二歳ぐらいの女の子だ。

 あ、いけない。目が合った。

 わたしが見ていることに気づき、金色の髪の少年がこちらを向く。

「ごめん、ちょっといいかな?」

 金髪の少年が馬を下りる。道から井戸のところまでは斜面になっていて、少年が綺麗な着物のままこちらに歩いてこようとしていたので、慌ててわたしは少年のほうへと走っていった。態度はそうでもないのだが、服とかから見て偉そうな人かも知れないと思い、自然と背筋が伸びる。

「えっと、なんでしょう?」

「わざわざ悪いね。シャトというこの国の首都に行きたいのだが、この道であっているのかな?」

「はい、この道を真っ直ぐ行ってください。山を二つ越えたところで一度だけ分かれ道があるので、そこは左側の道を通ぅらって……通って行けば着きます」

 うにゃ、噛んだっ!

「そんなに気にすることないよ」顔を真っ赤にするわたしに気を遣って、金髪の女性が言ってくれる。「そういえばミリア今いくつ? きっとこの子、同い年ぐらいじゃない?」

 ミリアと呼ばれた少女が「今年で十五です」と答える。

「あ、わたしも明日で十五歳です」

 わたしがそう答えると、ミリアという少女が握手を求めてきた。よく分からないけれど、ほんの一瞬で打ち解けたような気がした。

「ランス様」小麦の肌に銀髪の女の子が、少年に向かって言う。「もしかしてそのお姉さんも連れて行くんです?」

「そうだね……君、家族は?」

 少年がわたしに問うが、意図がよく分からずにわたしは首を傾げる。

「まぁそうだね、じゃぁ質問を変えよう。お父さんとお母さんは好きかな?」

「好きです。お父さんは厳しいけど優しいし、ミミさんもわたしのことを大切にしてくれるし。本当のお母さんはわたしが五歳のときに死んじゃって、去年、ミミさんはお父さんと結婚したんです。もうすぐ子供が生まれるんですけれど、ナナミってわたしの名前とも繋がりがあるように名前を付けようってミミさんが言ってくれたんです。今もわたしのために誕生日プレゼントをこっそり買いに行ってくれているんです! ……あっ」

 お父さんとミミさんのことを聞かれたのが嬉しくて、ついつい喋りすぎてしまったかもしれない。もしかしたら、呆れられていないだろうか。

「そうか。とてもいい家族だね」

 少年がわたしの頭を撫でる。少年がわたしに向けた笑顔は、まるで作り物かと思うぐらいに綺麗だった。

 一方で少年以外の3人は、わたしから目を逸らしたり、どこか無理のある笑いを浮かべていたりする。呆れられているのとは少し違うようで、それが少し気になった。



 ランスという少年達と別れて、水を汲んで家に戻った後は、午後はいつもどおりの武器作りだ。夕方五時よりも少し前に区切りがついたので、お父さんに「先に戻ってるね」と声をかけて家の中に入る。

 もうさすがにミミさんも帰ってるだろうと思い、「ただいま」と言って玄関を開ける。

「うみゃ!」

「あ……」

 そしてわたしは、ミミさんが家具の陰にプレゼントっぽい箱を隠そうとしている場面に鉢合わせした。村では見かけたことのない、空色の紙に包まれた箱だ。

「あ、あの! わたし何も見てないからっ!」

「別に見たっていいわよ、ナナミちゃん。ナナミちゃんのために買ってきたんだから」

 それからミミさんは小さく舌を出して、「まぁちょっとびっくりさせようと思ってはいたんだけどね。失敗失敗♪」なんて言いながら、わたしを手招きした。

「見つかっちゃったからしょうがないか。一日早いけど、はいっ!」

 わたしは綺麗に包装された箱を受け取る。こんな立派な贈り物は初めてで、まだ自分の手元にある実感が無い。戸惑って声が出なかった。

 ミミさんに「よかったら開けてみて」と促されて、わたしは箱の裏に指を掛けると、包み紙を丁寧に剥がす。

「かわいいっ!」

 思わず声が漏れる。箱の中から出てきたのは、両手に乗るぐらいの大きさのクマのぬいぐるみだった。胸に金色メダルが付いていて、『HappyBirthday』と彫ってある。文句なしの最高のプレゼントだった。

 あれ? でもミミさんのプレゼント選びはセンスが無いってたのに……

「よかった、三時間も悩んだ甲斐があったわ。こういうの選ぶの苦手だから、結局最後はお店の人に相談しながら決めたんだけどね」

「そっかぁ、三時間かぁ……」

 でも嬉しいな。わたしのためにここまで本気で悩んでくれたなんて。

「ねぇ、ナナミちゃん。ハッピーバースデーってよく言うけど、誰が幸せなんだと思う?」

「えっと……誕生日の人?」

「ううん、みんなよ。明日はナナミちゃんのことを好きな人たちが、『生まれてきてくれてありがとう』って祝う記念日。ジョージさんもわたしもハッピーなんだから」

「でも、そう言ってもらえるわたしが一番ハッピーだよ」

 ミミさんと二人で笑った。わたしは包装紙を丁寧に畳むと、箱の中に仕舞う。その箱の中にテディベアを、可愛い角度で座らせた。

 そして再び顔を上げたとき、ミミさんの表情にどことなく違和感があって、だからわたしは「どうかしたの?」とミミさんに尋ねる。

「ナナミちゃん」そう言ったミミさんはどこかぎこちない笑顔だった。「たぶん、毎年今回みたいなプレゼントを買ってあげることは出来ないと思うの。だけどそれでも、今年からは家族として、ナナミちゃんの誕生日をお祝いしてもいいかな?」

 改まって聞かれると、どことなく恥ずかしい。「わたしもその方がいいかも……」なんて中途半端に口に出したら、思いのほか小さな声になってしまった。

 だけど、それじゃ駄目なんじゃないかと思い直す。たぶん無理して笑いながら、それでもミミさんは真剣にわたしに聞いてるような気がした。

 息を大きく吸うと、少し間が空いてしまったのもさっきの微妙な返事も全部無かったことにして、ミミさんの手を取り勇気を出して言う。

「わたしもその方が嬉しい! ありがとう、お母さん!」

 今度はミミさん――お母さんが驚いた顔をした。

「ナナミちゃん、今わたしのこと、お母さんって……」

 その言葉が零れるのと一緒に、お母さんの目から涙が溢れ出た。

「えっ? えっと……どうしたの?」

「分からない、分からないけど嬉しいんだと思う。ずっと、わたしなんかがナナミちゃんの母親なんかになっていいのかって不安だったの。結婚してすぐに家事も全然できなくなっちゃって、ナナミちゃんにいっぱい助けてもらったけど、内心どう思ってるのかなって、ふと怖くなるときもあったの」

 わたしだって、本当の子供じゃないのに、お母さんって呼んでいいのか不安だった。

 そうか。お母さんもわたしと一緒だったんだ。

「ごめんね、こんなに頼りなくて。わたし今かっこわるいよね? ねぇナナミちゃん、こんなわたしでも、ナナミちゃんのお母さんになってもいいかな?」

「ミミさんがいい! ミミさんはわたしのお母さんだよ!」

 強く抱きしめられた腕の温かさが、たまらなく嬉しかった。



 今日はとても良い日だった。お父さんが『幸せ』って言った。お母さんがわたしのためにプレゼントを用意してくれた。『お母さん』って呼んだら嬉しいって言ってくれた。

「えへへ……」

 思い出すだけでもにやけてくる。駄目だ、止まらない。今日はちょっと嬉しいことが多すぎた。

 今は夜。お父さんもお母さんも寝静まって、小さく寝息を立てている。せめて二人を起こさないようにと、わたしは布団にもぐった。

 しかも明日はわたしの誕生日だ。

『明日はナナミちゃんのことを好きな人たちが、「生まれてきてくれてありがとう」って祝う記念日。ジョージさんもわたしもハッピーなんだから』

 何度も思い出す、お母さんの言葉。お母さんが買ってきてくれたテディベアは枕元に置いた。子供っぽいとお父さんにからかわれたが、こればっかりは譲れなかった。明日が楽しみで、全く寝付ける気がしなかった。

 そして、もう少しで日付が変わる頃だった。

「ん……何?」

 何かが、ゆっくりと流れているような気がした。

 音が聞こえるわけではない。目に見えるわけでもない。手の届かない、もっともっと遠くのところで、わずかに曲線を書いて流れようとしていた。きっとそれはどこか一箇所で堰き止められていて、だから滞っているだけなのだろう。

 わたしは肌寒いのを我慢しながら、布団を避けて起き上がる。明かりの消えた真っ暗闇で、どうしてかそのときはお父さんの寝顔も、お母さんがどこに寝ているのかもはっきりと分かった。玄関の段差を躓くことなく跨ぎ、自分の靴に足を突っ込むと、なるべく音を立てないように家の扉を開けて外に出た。

 感じた流れは、この村のはずれよりももっともっと向こうにあるようだった。僅かに曲がっただけのそれは、ずっとずっと大回りをして、いずれは元の位置に戻るのだろう。理由は分からないけれど、とても大きな円の形に繋がっているような気がした。どこかで堰き止められているそれが円の形に繋がると、その目に見えない流れはどんどんと加速して、何か良くないことが起こる気がした。

「駄目……」

 流れが変わる。

「やめて……」

 堰き止められたまま、それでも進もうとする力が強くなる。

「嫌だ……そんなの嫌っ」

 けれど、わたしの声は届かない。

 ――パチンッ――――――

 聞こえるはずのない遥か遠くから、その音だけははっきりと聞こえた。

 次の瞬間、叫びとも悲鳴とも似つかわない声が村中から聞こえてきた。見渡す限り四方すべてに広がるのは、禍々しいぐらいに赤い炎。深く深くとても深いところからやってきたようなそれは、全てを呑み込んで黒く黒く蝕んでいく。

 それなのにどうしてか、わたしの周りだけが炎も寄り付かず、僅かたりとも熱さを感じなかった。

 そんな中でふと、わたしのことを呼ぶ声に気づく。慣れ親しんだ木造りの家の中。わたしが開けっ放しにした扉の奥。そこで自分のことも意に介さず、わたしのことを探す人影が二つ視えた。

「お父さん、お母さんっ!」

 わたしが走り出してすぐ、二つの影は動かなくなる。地を蹴った。叫んだ。叫んだ。もう人の形をしていない二人に、わたしはここにいると伝えたくて。返ってこないと理解しながら、それでも二人の声が聞きたくて。家は崩れ、屋根も柱も全て灰になって舞い上がっていく。

 わたしが着いたときには、そこには知っている風景は何も無かった。玄関の段差も、部屋の中央の囲炉裏も、家の裏にあった作業場も、いまはもうどこがどこだったのかも分からない。灰さえ黒く染まるここで、わたしは周囲を見回す。

 探していた二人はすぐに見つかった。

 『HappyBirthday』と辛うじて読み取れる、黒く変色したメダルのすぐ近く。黒く変色して、熱で溶けて原型をほとんど留めていない骨が二人分。わたしが寝ていた場所を挟むように、二人の亡骸はそこにあった。

 唖然として、わたしは何もできなかった。全身に力が入らず、へたりこんだまま目の前の融けていく骨をただただ眺めていた。頭よりも心のほうが先に理解したのか、頬を熱いものが流れて落ちる。水滴が地面を濡らすのを見て、それが目の奥から押し出されてきたものだと理解した。堰を切ったように、涙が止まらなくなった。

 叫んだ。炎の奥へ消えていった二人を呼び、叫び、しかし返事は無い。それを認めたくなくてわたしは、嗚咽で塞がった喉を無理やりにこじ開けて、咽びながら潰れた声を搾り出して息の続く限り呼び続けた。

 当たり前のように過ごしてきたありきたりな楽しかった時間が、もう戻ってこない日々が、握りつぶすように胸を締めつける。何が消え、何を失ったかの整理も付かないまま、ただそれらの大きさにどうしようもなくて、意味の無い言葉を喚き散らしながら、自分の頭やら顔やらを掻き毟った。


 そして気が付けば、わたしには何もなくなっていた。

 あれからどれだけ時間が経ったのかはわからない。疲れたのか、諦めたのか、嫌気が差したのか、何も考えられないぼんやりとした頭のまま、わたしは立ち上がり、歩き出していた。

 黒い大地を抜けて、知らない道を何も考えられないまま進む。もしかしたらここはもう隣の国なのかもしれない。見慣れない風景の中で、一度足を止めるとこれ以上歩けなくなることは自分でも分かった。顔も知らない人と何人もすれ違い、見たこともない村をいくつも通り過ぎ、いくつめかの集落に入ったときだった。とうとう足が上がらなくなり、自分の足に躓いてわたしは倒れた。

 けれど、それももうどうでもよかった。

 わたしが大切に思っていた人たちはもういない。わたしを大切に思ってくれていた人たちももういない。もう立ち上がる気力なんてない。だってこの世界にはもう、お父さんもお母さんも友達も村の人たちも、誰一人としていないのだから。

 まるで自分ひとりだけがこの世界に取り残されたみたいだ。こんなところで独りになるぐらいなら、あの炎で一緒に死んでいたほうが良かった。死ぬ間際のほんの一瞬だけでも、お父さんと、お母さんと、手を繋いでいたかった。



 これがわたしが意識を失う前の、最後の記憶だった。

 目を覚ます。辺りを見回すが、そこは見たことも無い部屋だった。わたしは布団を避けると、ベッドから体を起こす。監禁されているということもなく、扉は押したらすぐに開いた。

「ランス……」

 口を突いて出たのは、自分を助けてくれたと思っていた人の名前だ。

 流れ出る涙は、どちらのものか自分でも分からなかった。

 けれど自分がどうすべきか、何をしなくてはいけないのかは理解している。そしてそれは、他でもないわたし自身がやらなくては意味が無いのだ。だから……

「さようなら、ランス」

 声が部屋に響く。わたしは扉を閉めると、薄暗い廊下を歩き始めた。

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