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①月の国

 また、あの夢だった。

 辺り一面に広がるのは、夕日のような深く深くとても深いところからやってくるような赤い色。まぶしいぐらいに輝く黄色を塗りつぶして、それは全てを呑み込んで揺れていた。

 熱を孕んだ風が呻るその奥から、時折、声が聞こえてくる。誰のものかはわからないけれど、聞き覚えのある声だった。苦しそうな悲鳴があがって、悲しそうな叫びが飛び交い、だけどすぐ静かになった。

 唖然として、わたしは何もできなかった。全身に力が入らず、へたりこんだまま目の前の出来事を眺めていた。頭よりも心のほうが先に理解したのか、頬を熱いものが流れて落ちる。水滴が地面を濡らすのを見て、それが目の奥から押し出されてきたものだと理解した。堰を切ったように、涙が止まらなくなった。

 叫んだ。炎の奥へ消えていった人たちの名前を呼び、叫び、しかし返事は無い。それを認めたくなくてわたしは、嗚咽で塞がった喉を無理やりにこじ開けて、咽びながら潰れた声を搾り出して息の続く限り呼び続けた。

 終わりは唐突だった。炎の合間から時折覗く色は黒。陽が沈むように炎は消えて、辺り一面にはもう何も無かった。絶望の色に染まってしまったこの場所に、何があったというわけではない。誰かとの約束が守れなかったわけでもなく、遣り残したことが何かと聞かれても答えられない。当たり前のように過ごしてきたありきたりな楽しかった時間が、もう戻ってこない日々が、握りつぶすように胸を締めつける。何が消え、何を失ったかの整理も付かないまま、ただそれらの大きさにどうしようもなくて、意味の無い言葉を喚き散らしながら、自分の頭やら顔やらを掻き毟った。

 そして気が付けば、呆然としていた。

 あれからどれだけ時間が経ったのかはわからない。疲れたのか、諦めたのか、嫌気が差したのか、何も考えられないぼんやりとした頭のまま、わたしは立ち上がり、歩き出していた。

 知らない道を何も考えられないまま進む。足を止めると何もかもが止まってしまいそうな気がしていたのかもしれない。顔も知らない人と何人もすれ違い、見たこともない村をいくつも通り過ぎ、いくつめかの集落に入ったときだった。とうとう足が上がらなくなり、自分の足に躓いてわたしは倒れた。

 もう立ち上がる気力なんてない。

 まるで自分ひとりだけがこの世界に取り残されたようだった。

そんな鮮明で記憶のような悪夢を、わたしは毎夜のように見るのだが……

「ナナミ、大丈夫? ナナミっ!」

「ん……」

 ナナミというのはわたしの名前だ。肩をゆすられてわたしは、重たいまぶたを開く。わたしの顔を心配げに覗き込み、肩をゆすっていたのは、金色の髪に青い瞳をした少年だ。名前をランスという。ランスは鮮やかな青の服に身を包んでいる。年齢は十七歳。わたしは自分の正確な年齢も分からないが、おそらくわたしよりひとつかふたつ上なのだろう。

 ランスはこの国の王子だ。わたしはこの王宮の、ランス付きの使用人。そしてここはランスの部屋だった。

「うなされてたみたいだけど、大丈夫?」

「大丈夫だけど……あれ?」

 さて、状況を整理してみよう。窓の外は明るくて、日は完全に昇りきっている。わたしの腰の下にはふっかふかのソファがあって、腰の上には洗濯したてでこれから交換するはずだったシーツがくしゃくしゃになっている。

「えっと……わたし、寝てた?」

「かわいい寝顔だったよ」

「うにゃ!」

 どうやら仕事をすっぽかして、うたた寝をしてしまったらしい。またやってしまったようだ。

「ランス様、失礼しましたっ!」

 わたしは「すぐに代わりのシーツ持ってくる……じゃなくて、きますっ!」と立ち上がるが、ランスは「いいよいいよ」と、わたしの手からシーツを奪い取ると自分で敷いてしまう。

「それ、わたしのお仕事……」

「代わりのを貰いに行ったりしたら、また婦長に怒られちゃうでしょ?」

「まぁそうなんですけど……」

「あと、敬語も様も付けなくて良いって」

「そう? こういうときぐらいは頑張ったほうがいいかなーって」

「いいよ別に。というか、もしかしてわざとかな? 僕は気持ちを察したりってのが苦手だから、違ったらごめんだけど」

「あってるよ、正解!」

 わたしが笑うと、ランスも笑い返してくれた。

 わたしが「じゃぁまた後でね」と部屋を出ようとするときには、ランスは再び机に向き直っていた。

 ランスは一日の大半を費やして魔法の研究をしている。おそらく今机で書いているものもそうなのだろう。わたしは好奇心に負けて、再びランスのほうへと足を向ける。

「ランス、今度はなにしてるの?」

「……ナナミ、仕事は?」

「あとでやるから。だから教えてよ。ねっ?」

「まぁ僕は別にいいけどさ」

 そう言ってランスが差し出したのは、一枚の紙だった。紙いっぱいに円が書かれていて、その中にさらに図形が書いてあって、その図形に沿って文字やら記号やらが書かれている。紋様のようなそれは、『魔法式』というらしい。

 ランスは、王子としては少々変わった少年だ。『月の国』と呼ばれるこの国の第二王子で、フルネームはランス・ディーゼルボルグリーベント・クレセントナイト。ランスは他の王族が政治や軍事を学んでいる中、自室にこもり、日夜、魔法なんてものの研究に明け暮れている。王族が住む王宮の敷地にはもともと居館と十二の棟があり、それが繋がったりしているのだが、ランスは敷地の端に十三個目の棟を建てさせて、数名の使用人だけを専属として引き抜いたという。わたしがこの城で働き始めたのがたったの一ヶ月前だから、あくまで聞いた話なんだけど。

「で、今回のはどうやったら発動するの?」

「陣の端が一箇所切れてるから、そこを繋いでみて」

「陣って?」

「魔法式の一番外側の円のことだよ」

 よく見ると、ほんのわずかだけ円が繋がっていない。ランス風に言えば、『式が完成していない』と言ったところか。わたしはランスが差し出してくれる羽ペンを受け取ると、円の途切れた部分を繋ぎなおした。

「ひゃっ!」

 途端、風が吹いた。

 冷たい風だ。魔法式の陣に吸い込まれるように吹いている。陣に手を近づけると、凍ってしまうのではというぐらい冷たかった。ランスは細かい粉の入った小瓶の蓋をあけると、その粉をひとつまみ、陣へと振りかける。現れたのはキラキラとした、宝石を細かく砕いたような輝きだった。一瞬だけ光を見せて消えていくそれが、とても幻想的だった。

「わぁ……すっごぉい!」

「粉の周りに水滴が付いて、一瞬だけとっても細かい氷になるんだ。ダイヤモンドダストっていうんだよ」

「これがそうだんだ」

「知ってたの?」

「聞いたことがあるだけ。おとぎ話の中だけだと思ってた……本当にあったんだ。わたしもその粉、振りかけてみてもいい?」

「いいよ」

 ランスから小瓶を受け取る。中身は本当にただの粉のようだった。振り掛けるとダイヤモンドダストができて、思わず「きゃぁすっごーい♪」なんて、何度も声をあげてしまう。でも、だって素敵じゃない? すっごいじゃない? とっても楽しい気分になって、わたしがもう一度、小瓶を傾けようとしたときだった。

「ナナミ……」

「ん?」

 ランスが背後を指差していて、わたしはランスの指の先をたどる。部屋の扉の方だった。そこには婦長が仁王立ちしていて、鬼の形相でわたしを睨んでいた。

「げっ、婦長っ!」

「なぁぬぅぁぁみぃぃぃぃぃぃっ! あんたは仕事サボって何やってんのっ!」

「ごめんなさぁいっ!」

「一週間、水汲み十往復追加。それと明日までに薔薇園の手入れ。分かったらさっさと昼食の準備に行きなさいっ!」

「うにゃぁぁぁぁぁっ!」

 ランスに小瓶を返すと、わたしは一目散に駆け出す。厨房へ向かう階段を一段飛ばしで降りながら、同時にわたしは考えていた。

 ランスはあの魔法式を使って何をしようとしているだろうか、と。



 わたしは第十三棟を出る。王宮の敷地の隅に建てられた、最も新しく、最も小さい第十三棟は、魔法を研究するためにランスが建てさせたものだ。三階が実験室で、四階がランスの寝室兼書斎。そして二階にはランス専属の使用人のための寝室がある。わたしも毎晩、十三棟の二階で寝泊りしている。

 わたしは第十三棟の螺旋階段を四階から一階まで一気に駆け下りる。王宮の構造は、中央にどでかい居館があり、十二の棟と使用人用の宿舎がそれぞれ屋根つきの廊下で繋がっている。第十三棟だけが孤立しているので、わたしは薔薇園を迂回して、第六棟の裏にある勝手口へと向かう。そこから第七棟を経て、居館にある厨房へと向かう。

 わたしたちのような女の使用人の制服は、エプロンが縫いこまれたようなロングスカートのワンピースだ。給仕服としての機能も併せ持つそれは、シックな黒の生地にところどころ刺繍が織り込まれ、とても上品に見える。その制服の走りにくい構造に舌打ちしながら、わたしは厨房へ続く廊下を全力で駆けた。

 わたしは厨房に入ると、すぐさま樽にたまった水を使って手を洗う。

「遅くなってごめんなさいっ!」

 わたしがそういうと、使用人仲間のリアちゃんとエミリアさんが振り返る。

「げっ……来ちゃった」「ほら、リアちゃんがもっと手際よくやらないから」「エミリア姉さんだって、ちょっと遅れて来たじゃないですか! 一時間前に集合って言い出したの、姉さんですよ?」「庭の手入れが思いのほかてこずっちゃったのよ。庭なんか無きゃいいのに」「知らないですそんなの。ってか、急いで仕事終わらせて来たのに、時間になってもわたししかいなかったですし」「だから、それはごめんって」「ミリア(ねぇ)も呼べばよかったのに。声かけているものだとばっかり思ってたです」「あの子はダメよ。急がせるとお皿を割るもの」「姉さんが急がせなきゃいいんじゃないです?」「だってナナミが来ちゃうじゃない」「まぁ確かに、ナナミさんのアレは格段に残念だからそうなんだけど……」

 ちょくちょく失礼なことを言われている気がするのは、わたしの気のせいだろうか?

「でもとりあえず、ナナミさんもミリア(ねぇ)も、エミリア姉さんよりはよっぽど働いてくれるんですけど?」「わたしだって、やるときゃやるんだから」「じゃぁいつもはサボってるんですね」「え? それが普通じゃん?」「そんなわけないのですっ!」

 リアちゃんがわたしに振り返る。思いっきり同意を求める目だ。

「ナナミさんもそう思いますよね?」

「もちろん! お仕事は責任を持ってきっちりやらないと!」

 ついさっきまでお仕事をすっぽかしてソファで居眠りをしていて、挙句、ランスに自分の仕事をやらせてしまい、魔法を見せてもらってとっても楽しい時間をすごしていたなんて、口が裂けても言えないのです。反省してます、はい。

 そして今度は、エミリアさんと目が合った。エミリアさんはきょとんとした顔をしていたが、やがて意地の悪い笑顔に変わる。

「あら? まぁ! うふふふふ」

「えっと……エミリアさん、なんでしょう?」

「えっ? 別に~ ただ、さっき見ちゃったのよねぇ」

 バレてるっ!

 わたしは慌ててエミリアさんに駆け寄る。「風呂炊き二回っ!」「五回ぐらいかな♪」「そんなぁ、三回ぐらいでなんとか……」「四回。これ以上は譲れないから」「風呂二回、薪割り二回は?」「風呂二の薪三なら考えてあげる」「うぅ……じゃぁそれで」「商談成立ね。まいどあり~♪」

 嗚呼……今週は忙しくなりそう。もうやだ。

 まぁとにかく今は、昼食の準備をしないと。わたしは気持ちを切り替える。

 ちなみに朝食は王宮全員分を一度に作って、それぞれの王族の部屋に運ぶ。昼食は王族の方々がそれぞれ、その日の都合に合わせて変えたりする。夕食は王族が一堂に会して、居館の大食堂で食べている。

「で、リアちゃん。あとは何をすればいいのかな?」

「えっと、ナナミさんは、その、えっと……」

「遅れてきた分、頑張っちゃうから」

「じゃぁそうですね、えっと、あの……」

 リアちゃんがすっごい悩んでいる。そんなにも説明しにくい、複雑な料理を作ろうとしていたのだろうか?

「大丈夫よ、リアちゃん。わたし、料理は得意なんだから!」

「そんなわけないでしょ!」

「うにゃ! 痛いっ!」

 何故か突然、背後から頭を叩かれる。振り返るとエミリアさんがハリセンを持っていた。「名づけて、『Worldend(荒廃した世界の終焉と) Daybreaks(新たなる夜明けを祈る) Blade(世界で最後の剣)

 いや、聞いてないし。というか、いつの間に作ったのだろう……

「とにかく、あんたは食材に触っちゃダメ!」エミリアさんはいつになく必死な口調で続ける。「ナナミはどんな食材も、虫一匹寄り付かないような素敵でワンダフルな生ごみに変えちゃうんだから……って、何で嬉しそうな顔してるのよ? 『生ごみ』って言ってるでしょ、褒めてないから。きょとんとした顔もしなくていいから!」

「そんなぁ」

「ナナミさんの料理って、盛り付けはすっごい綺麗ですよね。盛り付けは」今度はリアちゃんが言う。「見た目も上品で香りも良いし、一口食べるまでは、文句の付け所の無い一流料理なんです。そのうち本当に人を殺しちゃうと思います」

「リアちゃんの言うとおりよ。人死にが出る前に、ちょっとは自覚もちなさい!」

「うにゃぁ……」

「『うにゃぁ』で誤魔化さないの!」

 どうやらわたしの料理は、それほどまでに酷いらしい。自分で食べる分には、我ながら美味しいと思うんだけどなぁ……

 そんなことを頭の半分で考えながら、残り半分では、今朝も見たあの夢のことを思い出していた。

 『死』という言葉は苦手だ。どうしてもあの夢を思い出してしまう。

 記憶には無い景色の、記憶のように生々しい夢。

 わたしと親しかったらしい人たちが大勢死に絶えてしまう夢。

 人が死ぬのは嫌だ。誰かを殺めてしまうのはもっと嫌だ。だからまだちょっと納得いかないけれど、リアちゃんとエミリアさんの忠告は聞いておこうと思う。

「ナナミさん、顔色が悪いですよ?」

「ちょっと、大丈夫? 顔が真っ青よ」

「あ、ううん。大丈夫です」

 どうやら心配をかけてしまったようだ。もっとしっかりしないと! ちょっとわざとらしいかもだけど、わたしは話題を変えることにする。

「あれ? そういえばミリアは?」

 ミリアは、わたしと同い年ぐらいの使用人仲間だ。まぁわたしは自分の歳を知らないから、だいたいそれぐらいかなって勝手に思っているだけなんだけど。リアちゃんとエミリアさんが同時に指を差したのでそちらを向くと、昼食を台車に乗せたミリアが厨房の奥から出てきたところだった。

「昼食、完成です。あ、ナナミちゃん来てたんですね、お疲れ様」

「ごめんね、遅くなっちゃって」

「ううん、大丈夫。リアちゃんと姉さんのおかげで、なんとかなったから」

 そう言うとミリアは右手でVサインを作り、微笑んだ。



 わたしとミリアで料理を運んでいる間に、リアちゃんとエミリアさんがランスを部屋に呼びに行く。昼食はいつも庭にテーブルを出して、5人で食事することになっていた。折りたたみ式のテーブルをミリアと協力して広げて、その上に料理を並べていく。

「ランス様、今日はどの席に座るでしょう?」

「最近はそっちの席が多くない?」

「じゃぁお肉がいちばん大きいのが、この席っと♪ ナナミちゃん、わたし今日、ランス様の左隣の席でもいいですか?」

「まぁいいんじゃない? 特に決まってるわけでもないし」

「ですよね♪ 実は昨日、簡単なのですけど席札を作ってみたんです♪」

 そういってミリアが置いた席札は、花のような飾りがついていて、とても手が込んでいた。みんなの席札の色がばらばらな中、ランスのとミリアのがおそろいの青色なのは、ちょっと露骨すぎやしないだろうか? ちなみに青はランスの好きな色らしい。これもミリアから聞いた話だ。

「ねぇ、ナナミちゃん。この制服だけど、青い布で同じのを作ろうかと思うんです。それ着てお仕事しちゃだめかな?」

「制服だから、それはさすがに。婦長に聞いてみる?」

「え、えっと……それは無理です。ピラニアのいる池に手を入れるようなものですよ」

「だよね……」

 料理の配置が終わって、ようやくわたしたちは一息つく。

 さて、普段ならば、そろそろリアちゃんたちが来て良いころなのだが……

「うーん、遅いね」

「ですね。ランス様に魔法か何かを見せてもらってるんでしょうか?」

「だね。遅いときはいつもそうだもん」

「また何か新作でしょうか?」

「とってもきれいだったよ。わたしも今朝、見せてもらったし」

「なっ! わたしだけですか!」

 何故かミリアがショックを受けている。魔法なんて週に2回ぐらいは見せて回ってるから、もう珍しくもないだろうに。

 しかしそれからふと、ようやく言葉の意味に気づく。魔法が見れないことではなくて、『自分ひとりだけが見せてもらえていない』ということが、ミリアにとっては不安なのだと。

「ナナミちゃん、どうしよう……わたし、ランス様に嫌われてないですよね?」

 ミリアの顔は今にも泣きそうだ。わたしはミリアの頭を撫でると、「絶対に大丈夫だよ」と言う。「ほんと?」「うんうん、本当」「ホントに本当ですか?」「大丈夫、大丈夫」「ナナミちゃんがそう言うなら、あぁでも、もしものことがあったら」「ミリア、元気出して」「どうせ私なんか、私なんかぁ、うっ、うぅぅ……」とうとう泣き出しちゃったし。

 しかも面倒なことに、このタイミングでリアちゃんたちがランスをつれて来てしまった。エミリアさんは意地悪そうな表情を一瞬見せたあと、一転、悲しげな素振りをしてミリアに駆け寄る。めちゃくちゃわざとらしい。

「ミリアちゃん大丈夫? ちょっとナナミちゃん、ミリアちゃんに何をしたのよっ!」

 いや、わたしは何もしてないんだけど。

「ランス様! ナナミちゃんがミリアちゃんにあんなことやこんなことを、それもあれがああなってこんなになるまで……すみません、わたしの口からはこれ以上は言えません!」

 それ、もはや何も言ってないですよね?

「ミリア、大丈夫か?」ランスがミリアに駆け寄って言う。「何があったか分からないが、もう大丈夫だからな。ナナミ、いったい何を……」

「だから、わたしは何もしてないっての……ってか、エミリアさん、そこ笑ってないでください!」

「だって、だってぇあははははは……あいたぁ!」

 スパン!と一閃、リアちゃんがハリセンでエミリアさんの頭を叩いた。

「無様な姉と無礼な姉がご迷惑をおかけしました。茶番はこれぐらいにして、お昼にしませんか?」

「リアちゃん、バッサリ切り捨てたね」

「おなかが空いたので」

「あ、そう……」

 ミリアの並べた席札のとおりにテーブルに座って、食事を始める。ランスが慰めてくれたおかげで、ミリアもなんとか泣き止んでいたようで……というかちょっと嬉しそうにしてるし! 心配して損した!

「ねぇ、ナナミちゃん」ミリアが言う。「ランス様が、わたしにも魔法みせてくれるって♪ わたしまだ嫌われてないですよね?」

「だから、大丈夫だって」

「ナナミちゃん、ありがとうです」

 ミリアの頭を撫でてあげると、ミリアはくすぐったそうに肩をすぼめた。かわいいけど、犬か猫を相手にしている気分だ。そんな調子だから、ミリアはテーブルマナーは良いとはいえない。

 それに対して、エミリアさんはとても上品に食事をする。初めて気づいたときには目を疑ったが、理由を聞いたら『セレブっぽく無駄に上品に食べたほうが。食事は楽しい』だそうだ。うん、エミリアさんらしい。

 そして、リアちゃんはと言うと……

「うん……いつ見ても器用だよね」

「そうですか?」

 行儀は悪いけどね、と言う言葉は呑み込む。

 右手で器用にフォークとナイフを両方持ち、フォークで押さえながらナイフで肉料理を切ったりする。大皿のサラダを取り分けたり、盆に乗った料理を配ったりするのも全部、右手一本でこなしたりする。こんな調子で、皿洗いとか掃除とかも左手をポケットに入れたまま、右手一本で人一倍上手にやってしまうものだから、『神の右手』と呼ばれていたりするのだ。

「そういえばさ」エミリアさんが唐突に言う。「ナナミちゃんの髪ってきれいだよね」

 わたしの髪はカラスの羽ような深い黒だ。『月の国』は成り立ち上、さまざまな特徴の人が生活しているが、そこでも珍しい部類に入るらしい。

「でも黒髪より、金とか銀とか茶色のほうがきれいだと思うんだけどなぁ」

「そうです?」ミリアが言う。「ナナミちゃんの髪は、風が吹いたりすると流れるように光るんです。とってもきれいですよ」

 ちなみに、ランスとエミリアさんは白い肌に金髪。瞳の色はランスが青でエミリアさんは緑色だ。ミリアは黄色がかった肌に茶色い髪。リアちゃんは小麦色の肌に、対称的な銀色の髪をしている。どの特徴も珍しいものではないが、姉妹がばらばらというのは珍しいのではないだろうか?。

「でも」エミリアさんが言う。「ナナミちゃんの髪の色ってさ、厨房で目の端に入ると、ときどきびっくりするんだよね。あれと同じ色だからさ、黒いあ……ふがっ!」

 リアちゃんがまたもやハリセン。とりあえず、失礼なことを言われている感じがしたので、エミリアさんには同情しないでおく。

「わたしの黒髪よりもさ、リアちゃんとミリアの瞳のほうが珍しいよね?」

 わたしはリアちゃんとミリアの瞳を見る。

「この赤い目のことですか?」

「そうそう」

 自分の左目を指差すリアちゃんにわたしは頷く。

 リアちゃんの左目とミリアの両目は、ウサギのような赤い色をしていて、そこに金色の筋が外から内に向かって何本も走っている。ミリアも「やっぱり珍しいですよね~」なんて言ってるあたり、そこまで気にしてる様子ではないようだ。

 しかし思いのほか、それに反応したのはランスだった。

「『出軌(サリエル)の瞳』っていうんだ」

 なんだろう。どことなく重みのある声でランスは言う。

「あくまで迷信だけどね。特異な能力や神に祝福された存在、逆に呪われた運命を生まれもった子供は、金色の光の筋を宿した赤い瞳を持って生まれてくるって言われてたんだ。昔はその子供を奪い合って戦争のもとになったり、逆に災いを呼ぶものとして生まれてすぐに殺されたりなんてのもあったそうだよ」

「今はどうなの?」

「だから迷信。信じている人なんて、もういないよ」

「というか……」ミリアがわたしを指差して言う。「ナナミちゃんの右目も、わたしたちと同じ『眼』ですよ?」

「え?」

 見回す。みんなが頷いたり、今さら気づいたの?みたいな顔をしている。庭の端にある噴水まで走り、自分の右目を見ると、確かに赤色の瞳の中に金の筋が光って見えた。つまり気づいていなかったのは、当の本人であるわたしだけのようだ。

「おかえり。あったでしょ?」

「あんたねぇ、一ヶ月もその顔と付き合ってるんだから、さすがに気づきなさいよ」

 そんなこといったってわたし、自分の顔なんてじっくり見たことないし。

「鏡、買おうかな……」

「持ってなかったんですか?」「ときどき寝癖ヒドいときあったよね」「なんだろう……田舎娘っぽい?」「あー、そんな感じかも」「朝はちゃんと早いし、体力もどちらかといえばありますよね」「ゴリマッチョ?」「ゴリマッチョって……」「でも、よく集中力が切れで居眠りしてない?」「あー、してるかも」「してますね」「いろいろ無頓着だけど、ちゃんとしたらもっと可愛くなると思う」「何いってるのよ、ナナミちゃんはこの芋っぽさがいいんじゃない?」「芋っぽい?」「泥んこまみれになっても、すくすく元気ってことですよ、ミリア姉」「地道に何かするより、体動かしたりするほうが得意なタイプだよね」「洗濯物をちまちま畳んだり、物を整理したりってときなんか、よく飽きて寝てるし」「洗濯物干してるときは、結構楽しそうなのです」「あ、そうだ。ナナミちゃんがなにか書き物の仕事をしてるときは、こっそりあとで確認してあげて。たまーに簡単な字を書き間違えてるから」「どんな感じです?」「『A』の中の棒が足りなかったり、『m』の山が三つあったり、あと『B』とか『P』が左右逆になってたり」「あらまぁ、それは重症かも」「エミリア姉さん、本人もいることですし、学が無い……じゃなくて、おっちょこちょいだって話はこれぐらいに」

 『鏡、買おうかな』って言っただけなのに、ヒドい言われようだ!

「鏡はまぁあとで、僕が買ってくるとして……」ランスが言う。「ところで午後、みんなにちょっと手伝ってほしいんだけど、いいかな?」

 リアちゃん、ミリア、エミリアさんが頷く。三人とも大丈夫らしい。でも……

「あ、ランス。わたしちょっとこの後、薔薇園の手入れが……」

「大丈夫だよ、婦長に話はつけておいたから」

「やった! ランスありがと!」

 そうは言ったものの、不服そうな婦長の顔が目に浮かぶ。後がすっごい怖そうだ。



 昼食が終わり、みんなで「ごちそうさま」をした。このあとは、リアちゃんとミリアはランスと一緒に作業の準備、わたしとエミリアさんは厨房でお皿洗いだ。使った食器をじゃぶじゃぶ水で流しているのだが……なんだろう。隣で作業するエミリアさんが妙に静かだ。

「エミリアさん、どうかしたんですか?」

「ん? 何が?」

「いや……静かだなぁって思って」

「ああ、ごめん。心配をかけ……あれ、なんとなく失礼なこと言われてない? ってか普段のわたしってそんなにうるさい? ちょっとナナミちゃん、返事に困ったような顔をしないで! 嘘でも良いから『気にすること無いですよ』ぐらい言って!」

「気にすること無いですよ(棒読み)」

「ありがと、ナナミちゃんって優しいのね」

 エミリアさんが「いいこいいこ~」なんて、頭を撫でてくる。髪の毛が引っ張られて時々痛いけど、これはこれで心地よかったりするのだ。

「それとさ、さっきはごめんね」

 わたしの頭から手を離すと、また重い口調でエミリアさんが言う。謝られる覚えがなくて、わたしは首を傾げる。

「お昼の準備してたときにさ、思い出してたでしょ。前に言ってたあの夢のこと」

「あぁ。大丈夫ですよ。気にしないでください」

「本当に? 強がったりしてない?」 

「大丈夫ですよ」

 そしてわたしは、『もう慣れましたから』という言葉が口から出そうになったのを呑み込む。

 本当にあったことなのか、ただ鮮明なだけの夢なのか分からないそれは、思い出すたびにわたしの頭の中をぐちゃぐちゃに引っ掻き回して、胸なのか肺なのかわからないところをこれでもかというばかりに締め付ける。今だってそうだ。息ができなくて目の焦点が合わなくて、今にも叫んでしまいそうな心を表に出さないで、エミリアさんに笑顔で言葉を返している。そうだ。そのまま何も考えないようにして、いつもどおり、頭の隅から追い出してやればいい。大丈夫。大丈夫。大丈夫。

「ちっとも大丈夫じゃないじゃない!」

 胸にあたる何か。肩を締め付ける温かい感触。回らない頭がゆっくりと、何が起こったのかを理解する。わたしの顔のずっと近いところに、とても温かくてとても辛そうな横顔があった。エミリアさんがわたしの背中をぐっと引き寄せて、力いっぱい抱きしめてくれていたのだ。

「寂しくない? 怖くない? わたしは心配だよ……わたしがナナミだったら不安で気がおかしくなっちゃうと思うの。知ってる人の誰もいない、何も分からないところに放り出されてまだ、たったの一ヶ月前でしょ? わたしに何ができるかわからないけど、何にもできないかもだけど……」

「エミリアさん、泣いてるの?」

「だって、だってぇ……」

 わたしの肩に顔をうずめて泣いているエミリアさんの頭を撫でてあげる。

 怖い夢を見るのは嫌だし、怖いものは何度見ても怖いし、そう簡単に慣れられるものではないと思う。だけど、なんとなくだけど、今はそこまで不安な気持ちにはならないのだ。エミリアさんとかリアちゃんとかミリアとか、それからランスもたぶん、いっぱい心配とかしてくれているのが伝わってくるし、すっごいわたしのことを大切にしてくれている。出会って一ヶ月程度のわたしのことをだ。

「いつでもわたしは、ナナミの味方だからね……」

 嬉しくて、目の奥がツンと熱くなる。だから、泣きじゃくった声でいうエミリアさんに、わたしはこう答えるのだ。

「知ってます。だからわたしは、今日までやってこれたんですから」

 二人でひとしきり泣いたあと、急いでお皿洗いに取り掛かる。結構待たせてしまったようで、途中からリアちゃんとミリアも来て手伝ってくれた。(ランスも手伝うと言ってくれたが、三姉妹に猛反対されて厨房のすみっこでポツンとしていた)

 片づけを終わらせて、「おまたせー」と、わたしたちはランスに駆け寄る。

「ランス、今日はなにをするの?」

「街に出るよ。もうすぐ夏だから、ちょっとやっておきたいことがあってね」

 そういえば、今日で四月は終わりだ。そして、わたしがこの城に来てから、明日でちょうど一ヶ月になるんだなと、しみじみ思った。



 城の敷地を出ると、わたしたちは市場街へと向かった。多くの露店が所狭しと立ち並び、通りを歩けば魅力的な商品の数々に思わず足を止めてしまう。店には『月の国』の住人が営むものだけでなく、近隣の国の商人が品物を持ち込んで並べている店もある。旅の商人が自由に店を出すことのできる区画もある。珍しいものがいっぱいあって、見て回るだけでも楽しめた。

「他の国の市場も、こんな感じなの?」

「いいや、この国は特別だよ」ランスが答える。「もともとここは、砂漠にぽつんとあるオアシスだったんだ。五十以上の国の真ん中に位置する、とても大きな砂漠があってね。オアシスの周囲でいろんな国の商人が取引を始めたのが、この国の始まりかな。僕の祖父――先代の国王がここを国として成立させたのがだいたい四十年前なんだけど、そのときの祖父は国王と言うよりも、集落の長老みたいな感じだったんだって」

「この国って砂漠に囲まれてるけど、それってもしかして珍しいの?」

「そうだね。普通、国と国の土地はつながっていて、『国境』っていう境界線で区切られているんだ。国によっては、ちゃんとした手続きをしないと入っちゃいけない国もあるんだ」

「へー」

「まぁとにかく、資源や目立った伝統技術はないけど、商業で成り立っている国。何も無いけど全てがある国。それが『月の国』だ」

 改めて露店を見回す。

 水資源が豊富で、稲作や農作物が盛んな『穂の国』の店。

 多くの鉱物資源を有し、金属加工技術に長けている『鋼の国』と『剣の国』の店。

 山での狩猟や薬草とりを行い、薬の処方も行う『命の国』の店。

 ほかにもいろいろな国のお店が並んでいた。

 店先に果物を並べている、『穂の国』の赤毛の女性と目が合う。優しげな印象の人だ。手を振ってきてくれたので、わたしは手を振り返した。

「ランス、何か買いたい……」

「帰りに時間があったらね。ちょっと今回の作業は時間が掛かりそうだから。ほら、あれを見て」

 ランスが指差したのは市場街にある、この国唯一の泉だった。石を円形に何段も積み重ねた囲いが作られていて、そのおかげで水がたまるようになっている。

「これも夏場には全部蒸発しちゃって、毎年深刻な水不足になってるんだ。じゃぁ作業に取り掛かるよ」

 わたしとリアちゃん、ミリア、エミリアさんは頷く。「ランス様。まず何をすれば良いですか?」と、ミリアはやる気満々といった感じで、目を輝かせている。

「まず、ミリアとナナミはこの石の上一段を全部はずして。リアちゃんとエミリアさんは幅三十センチ深さ十センチぐらいの溝を、囲いの周りを一周にするように掘って」

 これが結局、何のためになるのかわからないまま、わたしたちは作業に取り掛かる。エミリアさんとリアちゃんの取り掛かりは早くて……というか、リアちゃんはホントにすごい。右手一本でシャベルを使いこなして、みるみる土を削っていく。

「リアちゃん、器用だね」

「慣れてますから」

 どうしてこうもリアちゃんは、右手だけを使うことにこだわるのだろう? 何か理由でもあるのだろうか?

 さて、わたしも自分の仕事に取り掛かろうと思うのだが、石を一段はずすといっても、石膏と粘土を混ぜた接着剤のようなもので石がそれぞれくっついていて、そう簡単には外れない。「ってかランス、これ壊していいの?」「いいよ。がんばって」人使いが荒いと思う。「だってほら、接着剤みたいなのでくっついてるから直せないし」「セメントって言うんだよ。大丈夫、僕が直すから」「うにゃー」こんな力仕事になるなんて。もしかしたら薔薇園の手入れのほうが楽だったかもしれない。

 わたしたちが石をはずし終わると、ランスは金槌で残ったセメントを砕いて落とす。その上に泥のようなもの(たぶん、固まる前のセメント?)を平らになるように丁寧に塗ると、そこに針のようなもので文字を書き始めた。

「あ! なるほど~」エミリアさんが突然、声を上げる。「わたし、ランス様が何をしようとしてるか分かっちゃった♪」

 エミリアさんが指差したのは、ランスが左手に持っている紙だった。わたしがそれが、今朝見せてもらった魔法式に、とてもよく似ていることに気付く。

「なるほど……泉の水を冷やすのですね」

 エミリアさんが「たぶんね」と頷いた。

 ランスが魔法式を書き終わると、わたしとミリアはその上に更にセメントを塗る。ランスは同じような式が書いてある、包帯のような布を取り出す。リアちゃんとエミリアさんは泉の周囲の溝に沿ってその布を置き、元あったように土をかぶせていった。作業が全て終わる。ランスは泉に手を入れてみて、「よし」と頷いた。泉に手を入れてみると、まるで氷が入ってるのように冷たかった。

「今日はここまでかな。数日掛けて、市場街の全部の井戸に、この式を仕掛けるから」

「えっ、井戸も? ランス、それってすっごい大変なんじゃ……」

「そうだね。だけど夏になる前に終わらせる計画なんだ。今年は特に日照りが強いらしいから」

「まぁ、がんばるしかないか」

 わたしはランスの頬についたセメントを指で落としてあげる。

 ランスが「ありがと」といって笑った。その笑顔がどこか無邪気に見えて、わたしは温かい気持ちになるのを感じたんだ。



 荷物をまとめ終えると、わたしたちは王宮へと足を向けた。

 それにしても、少し違和感を感じる。自分の商売に忙しいのかもしれないが、誰一人として泉に近づいてきたり、こちらを伺ってきたりしないのだ。心なしか、目をそらされているような気もする。もし避けられているのだとしたら、ランスは市場街の人たちのためにやっているのに、ちょっと冷たすぎやしないだろうか?

 そんな嫌な考えを振り払いたくて、わたしは明るい声を作って提案する。

「よし。終わったし、帰る前に買い物していきたいです! ねぇランス、いい?」

「いいよ、もちろん」

「やったぁ」

 わたしはミリアとハイタッチする。エミリアさんが「ナナミ、鏡買って帰るよ、鏡っ!」と走り出したので、わたしは慌ててその後を追いかけた。

「さっきね、『鋼の国』のお店があったから、きっといいのが買えるよ」

 エミリアさんが「ここらへんにあったはずなんだけど」と言って立ち止まったのは、旅の商人が自由に店を出すことのできる区画だ。わたしも周囲を見回していると、「お姉ちゃんたち」と声を掛けられた。

 声の主は、まだ少年だった。歳は十三か十四ぐらいだろうか。わたしと同じ黒い髪に、黒い瞳をしている。少年は剥き身のナイフをわたしたちに見せるように掲げてきた。エミリアさんが耳元で小声で「『剣の国』の子だね」と囁く。

「このナイフがどうしたの?」

「これ、僕が作ったんだよ。良かったら買って行かない?」

「これを君が?」

 そしてエミリアさんは「ちょっと見てもいい?」と言って、少年からナイフを受け取る。わたしには詳しいことは分からないけど、エミリアさんが真剣な表情をしているので、もしかしてかなり良いものなのだろうか。

「これ貰うよ。いくら?」

「えっと……お姉ちゃん。ちょっとだけ高くてもいい? お父ちゃんに薬を買って帰りたいんだ」

 エミリアさんは、「まぁちょっとぐらいならいいよ」と答え、少年にお金を払う。少年はエミリアさんに感謝の言葉を口にすると、お金を握り締めて『命の国』の商人のもとへ駆けていった。きっとそのナイフが最後の一本だったのだろう。

「ちょっと……これ持ってて」

 ふと、擦れそうな、苦しみの底から搾り出したような声が聞こえる。

 一瞬、誰の声か分からなかった。先ほど少年が売っていたナイフを差し出され、わたしははじめてその声がエミリアさんのものだと知る。顔が真っ青になっていて、立っているのがやっとという感じだ。それでいて表情は今にも泣き出しそうにも見える。

「ナナミ、ごめん。鏡はまた今度で良いよね?」

 いつの間にか追いついていたランスが、エミリアさんに肩を貸しながら言う。わたしは頷く。見ると、リアちゃんもミリアも、どこか悲しげな顔をしていた。

「鏡ならあるよ」

 ふと、声。振り返ると、またもや黒髪の少年だった。この少年も店を出している。ランスに「この子も『剣の国』の?」と小声で聞くと、「いや、商品を見る限り、どうやら『鋼の国』から来たみたいだね」と答えが返ってきた。

「ありがとう」ランスが言う。「鏡ひとつだ。いくらだい?」

「お代はいいから、その黒髪の姉ちゃんが持ってるナイフと交換でどう?」

「いいや、これは僕が買ったものじゃないからね。ふつうに売ってくれないか?」

「わかったよ」

 ランスがお金を払ってくれて、わたしは少年から手鏡を受け取る。『鋼の国』で作られた手鏡は、驚くほどによくできていた。

 そんな、わたしのちょっと浮かれた気持ちも、ぞっとするような冷たい言葉で遮られる。

「でもあんたたち、残酷なことをするんだな。俺なら見るに耐えねぇよ」

 そう言った少年の目は、わたしたちを侮蔑しているようだった。

 わたしはその言葉の意味が分からなかったが、少年の雰囲気に聞き返すこともできなかった。ランスたちが歩き出してしまったので慌てて後を追う。

 おそらく少年の言葉の意味を、わたし以外の四人は分かっているのだろう。

 わたしは一ヶ月以上前のことを何も知らない。そのことをわたしは口惜しく思った。



 王宮に着くころには、エミリアさんも一人で歩けるようにはなっていたが、まだ顔色は悪いままだった。あれから一言の会話も無く、わたしたちは王宮の門をくぐる。

 それと同時、「失礼します」とわたしたちを追い抜いて、一人の兵士が走っていった。かなり慌てた様子で、足がもつれて転びそうになりながらも、ただひたすらに走っていく。

「グレン兄さんの兵士だな……」

 ランスが呟く。

 グレン王子――軍事と政治に長けていると噂の、『月の国』の第一王子だ。すれ違うときに数回見かけた程度だが、厳格そうな顔つきだった。

「何かあったのかな?」

「だろうね。『剣の国』と戦争になりそうって話だったから、それの関係かも」

 『戦争――』

 戦争に持つイメージから、ついいつもの夢を思い出してしまう。しかし途端、頭の中が真っ白になって現実に引き戻される。頬に痛み。エミリアさんがわたしの頬を叩いてくれたのだと分かった。

「ごめんね。大丈夫?」

 エミリアさんがわたしに問う。わたしが頷くと、エミリアさんはわたしの頭を撫でてくれた。

「ところで、ランス様」リアちゃんが聞く。「『剣の国』と戦争になりそうって、どういうことです?」

「そうだね。順を追って話をすると、もともと『剣の国』は好戦的な国なんだ。二十年ぐらい前かな、『鉄の国』という国がふたつに分裂したんだ。今までどおり工業で国を営んでいこうと主張する『鋼の国』と、優れた武器を使って他国に侵攻して国益をあげようとする『剣の国』とにね」

「それで『剣の国』が、『月の国』に侵攻してくるんですか?」

「正式な宣戦布告をされたわけじゃないよ。ただ、水面下で戦の準備をしていることと、標的はどうやら『月の国』らしいってところまでは、情報はキャッチしていたんだ」

「なるほど……」

 さっきの兵士が本当にそれ関係の報告を持ってきたのなら、何か大きな動きがあったということなのだろう。「グレン兄さんと話してくる」と言って、ランスは急ぎ足で行ってしまった。

「そういえば『剣の国』って、さっきお父さんの薬草を買うって言ってた子の国だよね?」

「そうね。でもまぁ戦争なんて、この国以外では珍しくも無いのよ。薬が足りない国もあれば、食料の足りない国もある。国が存続するかって規模での死活問題だったら、交渉で手に入れることができなければ、奪うしかないわよね。人を殺めるのが良くないことだって誰もが知ってるけど、王様は自分の国民を守るためならその数倍の人間を殺すこともある……そういうものじゃないのかな」

 一理あると思った。だけどそれと同時に、ちょっと寂しい考え方だとも感じた。



 王族が一堂に会しての夕食の後。部屋に戻ってきたランスから、『剣の国』が滅びたという旨が伝えられる。

 どこかと戦争をして勝った負けたと言う話ではなく、殲滅。兵士ではない人たちも含めて、生き残った国民はほとんどいない。正確には三月末日の夜のことだそうだ。

 思い出したのは、先ほど城下町で会った、ナイフを売っていた少年のことだ。父親の病の薬を買って帰ったときに、父親が亡くなっていたことと、自分の国が滅んでいたことを知ったら、あの少年はどれだけ嘆き悲しむだろう。

 そして、思う。かつてのわたしにも、わたしのことを大切にしてくれる人がいたのだろうか? かつてのわたしにも、大切にしたいと思える人がいたのだろうか?

 いつもの就寝の時間を過ぎ、見張りの兵士を残して城内のほとんどの人間が寝静まった午前二時。わたしはベッドを抜け出すと、当ても無く部屋を出る。とにかくじっとしていられなかった。王宮の敷地内をいくらかうろうろして、そのうち薔薇園に辿り着く。どうやら先客がいたようで、薔薇園の中心にある洒落たテーブルには、一人の少年が腰を掛けていた。ランスだ。もしかしてランスも寝付けなかったのだろうか?

「今日で四月も終わりだ。明日でちょうど一ヶ月だね」

 わたしに気づいたようで、ランスが声を掛けてくる。

「そうね。正確には、もう日は変わっちゃったけど」

 もう午前三時を回ったぐらいだろうか。すでに日が変わって、今日は五月一日だ。

「ランスに拾ってもらって、『ナナミ』って名前ももらって、このお城で働かせてもらえるようになって……まだ一ヶ月なんだね」

「そうだね」

「わたしは随分、長かったように感じる。充実してるというよりは必死なときのほうが多かったけど、何も知らないわたしにとっては、いろいろなことがあったから」

 わたしがランスに出会ったのは、『穂の国』のはずれにある、小さな町だったらしい。

 わたしはそのときは、意識も朦朧としていて、自分がどこを歩いているのかも分かってはいなかった。まぶしい青い空とどこまでも続く土の色が次第に真っ白になっていって、気が付いたらまぶたが落ちていた。一歩も歩けなくなって、立ち上がれなくなって、苦しかった息が次第に苦しく感じなくなっていくのを、ただただ怖いと思っていた。

 行き倒れと言うのだろうか。そんな状態のわたしに、ランスは手を差し伸べてくれた。そのときは視察で『穂の国』を訪れていたらしい。リアちゃん、ミリア、エミリアさんもいっしょだった。介抱してもらって、王宮まで運んでもらって、また介抱してもらって、使用人として紛れ込ませてもらって今に至る。感謝してもし尽くせないぐらいだ。

「ランス、ありがとうね」

「どうしたの、いきなり。手鏡のこと?」

「それもあるけど、全部。ねぇランス、覚えてる? ランスがわたしを助けてくれたときのこと。本当に死ぬんだなぁって思ってて、だけど体力も残ってなかったし、意識も消えかけててさ。自分が何者かも分からなかったし、悲しんでくれる人もいなかったしね。だからもう、生きることを諦めてたのよね」

 だけどそのとき、ランスは言ってくれたのだ。

 わたしに手を差し伸べて、『もう一度、生きてみない?』と。

「だからランスが『生きてみない?』って言ってくれたとき、本当に新しい命を貰ったような気さえしたんだ。そんなはずはないんだけれどね。でも、通りかかる人みんなが、わたしのことに気づいているのに、食べ物とか飲み物とか分けてくれる人もいなくて。もちろん、大切な人とか、もう一度会いたい人とかも分からなくてさ。苦しくて苦しくて、死ぬのは不安なんだけれど、何のために生きていけばいいのか分からなくなっちゃってた。なんで生きてるんだろう、何で生きようとしてるんだろうって、ずっと考えてたの」

「今はどう?」

「生きたい!」

 ランスの問いに、わたしは胸を張ってそう答える。

「言葉にするのは難しいんだけど、楽しいからかな? 嬉しいからかな? 大切で、ずっと一緒にいたい人ができたからかな? なんかいろいろ、とにかく明日が楽しみなの! だからさ……なんだろう。改まって言うと恥ずかしいんだけど、ランスには感謝してるのよ」

「『感謝』か、ふふふっ……」

「わたし変なこと言った? ちょっと、涙うかべて笑うほどのことじゃないでしょ、もぉ。ってか、大丈夫? ツボに入った? その笑い方、本当に苦しそうなんだけど……」

「ごめんごめん、素直に嬉しくてね」

「じゃぁもっと素直に笑ってよ」

 そうは言いつつも、もしかしたら仕方が無いのかとも思う。どうしてかランスはどんなに良いことをしても、感謝されないのだ。王族として異端な振る舞いをしていることと、関係でもあるのだろうか。

「僕からもひとつ、聞いていいかな?」

 ランスが言う。とても優しい口調だ。

 木々がわざめく。ひんやりとした風が頬を撫でた。思わず風上に目を向けてしまう。再びランスに向き直ると、優しい笑顔を作る口元と目元と、けれど瞳の奥に真剣な眼差しを感じて、わたしは頷いた。

 緊張してるのだろうか。ランスが息を呑む。

 そして、言った。

「記憶が戻るのは、まだ怖い?」

 それは、わたしがこの王宮に来た日にされた質問だった。

 わたしは、記憶喪失だ。

 気が付いたときにはどことも分からない場所を歩いていて、今までどうやって生きてきたか、誰とともに過ごしてきたか、自分の名前さえも分からなかった。

 ランスに助けられてからも、毎夜のようにあの夢を見た。その夢が記憶を失う前のわたしの本当の記憶かもしれないと思うと、いっそ全てを忘れてしまいたくなるぐらい怖かった。

 ランスに助けられて二日後に王宮に着いた。記憶を取り戻したいかと尋ねられて、そのときわたしはただ一言、『怖い』と答えた。震える唇で、やっとのことでその短い言葉を搾り出したのを、今でも鮮明に覚えている。

 それから一ヶ月。

 怖くないかといえば嘘になる。今でも不安に決まっている。

 けれど、なんとかやっていけそうな気もするのだ。一人じゃ無理だけど、何も持っていない一ヶ月前のわたしには無理だったけれど、今なら何とかなる気がする。もし今、ふと記憶が戻ったとして、あの夢が本当にわたしの過去だったとしても、何とか踏ん張って乗り越えられるような気がするのだ。

「ありがとう、ランス」

 わたしは言う。ランスがわたしを心配してくれていることが嬉しくて。

「今はもう大丈夫だよ。不安だし怖いけど、今この瞬間に記憶が戻ったとしても大丈夫な気がするの。そうね、でも今はこの生活が楽しいから、戻っても戻らなくてもどっちでもいいかな」

「そっか」

 そう言ってまたランスは笑った。

 ふと空を見上げる。今夜は満月だった。

 気が付くとランスも月を見上げていて、だからわたしはランスのすぐ横にそっと腰を下ろした。

第一話を読んでいただき、ありがとうございました。


2017年11月27日(月)~12月7日(金)の毎日17時に投稿予定です。


少しでも皆様の心に届けられたものがあるのなら、二話以降も読んでいただけると嬉しいです。

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