第3話 主人と奴隷
――奴隷1人で5000万リエルとは、良い商売ですな。
――まさか、この金が丸々オレの物になると思っているんですかい? 冗談言っちゃいけません。今回のように希少な奴隷を手に入れるのに幾つもの情報屋から話をかき集めて、他の商人たちと話をつけ、更には拘束するための器具を買ったり、手出しをしない看守を雇ったりとか、かなりの出費があるんですよ。もちろん毎月のように奴隷商人ギルドに上納金を納めなきゃいけませんし、顔役たちにも賄賂を送らなきゃならない、知っているかと思いますが、市場のシャバ代だって少額じゃないんですぜ。その辺の諸々を差し引けば、手元に残るのはほんの少しなんですよ。いや、本当に。けどまあイヴァの旦那、どうやら奴隷刻印を刻まないみたいなんで、烙印師への仲介料や依頼料は浮きましたね。
――でしたらその分は……。
――今回の襲撃を受けた代金と相殺ってことにしておきます。
―― ザハド老とゴブリンの奴隷商人の会話 ――
ペルセネアは血の滴る赤い仔羊肉を噛み千切る。
肉汁が溢れだして口元を汚すが、女蛮族は気にすることなく肉を食らうと、次に舌を刺す強烈なドワーフの火酒で喉を潤した。お世辞にも上品な食べ方とはいえないが、見ていて気持ちよくなるほどの食べっぷりであり、主人であるダークエルフの少年は次の料理と酒を持ってくるように命じた。
浴場から上がった後、イヴァとペルセネアは服を着替えて、食堂に向かう。彼らが黒壇の長テーブルに座ると、料理長の作った自慢の料理を、5人の召使が入れ代わり立ち代わりで運んできた。
それを見て、ペルセネアは軽い祈りの言葉を口にした後、次々と料理を平らげた。
「どんどん食べてね」
そう言って、ダークエルフの少年は黒真珠葡萄と呼ばれるブドウの品種から醸造された赤ワインを飲む。すると口の中にキャンディのような甘い味が広がる。少年はこの優しい口当たりとなめらかな味わいを、最も好んでいる。
種族を問わず大人に言わせれば、「酒は苦味を楽しむもの」らしい。だが、イヴァにはその感覚がわからない。
(辛い生を楽しめるようになって、一人前ってことなのかな?)
慣れの問題だろうが、イヴァはそう考えた。
実際、人生は中々に辛いものである。〝蟲の皇子〟と呼ばれ、領主という地位についてはおり、目もくらむばかりの財宝を手にしてはいるが、それらはふっとした出来事で失われてしまう蜃気楼のようなものだ。
例えば、少国家群の連合軍が再び攻め寄せてきたら、あるいは大帝国が領地を取り戻そうとすれば、もしくは影の有力者たちが団結して領主の座から引きずり下ろそうとすれば、イヴァはすべてを失うだろう。
そして、その可能性は日々高まっている。
特に最初の2つは、ここ数年以内に確実に起こるだろう。そうなる前に準備を進めなくてはならない。少なくとも、このエルカバラードで生を謳歌するつもりならばやるしかない。
(幸い、影の有力者たちはそれぞれ敵対しているから、3番目の可能性は無いだろうけど……。とりあえず、明日の貿易商人ギルドとの話し合い次第かな)
ペルセネアに風呂で語ったように、ここしばらく情報収集や偵察を行った結果、味方になってくれそうな勢力――貿易商ギルドと渡りをつけることができた。
この貿易商人ギルド、その実態は海賊の集まりだ。
都市国家群や大帝国の港がある悪徳の海はもちろん、外海に出て混沌の海を渡り、遥か遠方にあるコンロンやアマツ、果ては極寒の大地ヨルンヘイムや未開の大陸エストリア、最果て諸島まで向かい、そこにある様々なものを略奪してくる。
彼らは自分たちの船が略奪品と奴隷で溢れるまで各地を荒らしまわり、十分な戦利品を得ると、海賊たちは七つの海を支配する〝海賊卿〟の1人に上納金を収めるため、エルカバラードに来るのだ。
その〝海賊卿〟は、この交易都市エルカバラードが、国に支配されることなく存続することを望んでいるので、イヴァとは意見が一致している。あとは直接会い、互いの利権が噛みあうように調整すれば良いだろう。
もし万が一にも話し合いに失敗すれば、イヴァの勝ち目はほとんどなくなると言っても過言ではない。
そんな思惑を断ち切るように、アマゾネスの奴隷戦士が声を上げる。
「美味かった。アスナラーマ神の舌にかけて、この料理を作った者は天上に招かれた後、英雄の食事を作る栄誉を与えられるな」
食事を終えたペルセネアはそう絶賛すると、感謝の印を結んだ。
「喜んでもらって良かったよ。もう寝るかい?」
「いや、少し休んだら、戦いの勘を取り戻したい。ご主人様、この宮殿のどこかに訓練場はあるか? 対戦相手などもいると嬉しい」
「そういうことなら地下に闘技場があるよ。戦う相手は人型生物じゃなくてもいいかな?」
アマゾネスは首を縦に振った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ペルセネアが奴隷となったのは、闘いに負けたからである。
いつも通り、狩りを終えて集落に戻ると、その時には同胞のアマゾネスはすべて囚われていた。手首と首を拘束する枷をはめられ、鎖でつながれている姿を見て、ペルセネアは襲撃者たちに襲いかかった。
弓矢で5人は仕留めて、斧を使い10人は殺した。
鎖を断ち切って、同胞を助けようとしたが、それよりも先に襲撃者の中にいた妖術師が奇妙な呪文を唱えると、巨人のような悪魔が3体も現れた。それはグレーターデーモンと呼ばれる上位悪魔であり1体だけでも騎士団を壊滅させる怪物だ。
この悪魔は様々な魔法を使い、更には魔法を帯びた武器でなければ傷つかない特性を持っている。ペルセネアは優れた戦士であったが、狩りに使っている弓矢や斧は魔法の武器ではなく、それゆえ最初から勝ち目はなかった。
ペルセネアは相手に武器が効かないなど知らなかったが、相手が強大な力を持つことを肌で感じ取った。そのため、悪魔を呼び出した妖術師を仕留めようとしたのだが、その意図を見抜いた妖術師は魔法を唱えて影も形もなく姿をかき消した。
ここで逃げ出していれば、あるいは彼女の運命は違うものになったかもしれない。だが、ペルセネアは逃げることなく悪魔と戦い、敗北し、奴隷として売られたのである。
そして今、奴隷戦士としてイヴァに仕えることになった。
(敗者としての運命は受け入れよう。だが、どのような状況でも戦うことをやめはしない。私の心臓が動き続ける限り、戦い続ける)
まさしく生まれながらの戦士。
密林の女蛮族はすべてがそうなのか、あるいは彼女だけが特別なのかは分からないが、彼女にとっては食べて戦うことがすべてなのだろう。
「そこに愛も加えたいけどね」
ダークエルフの少年イヴァは心覗きの魔法で彼女の心情を読み取ると、無邪気な笑みを浮かべて言った。イヴァが今いる場所は、地下に建造された簡易闘技場の観客席であり、心を読み取ったペルセネアはちょうど真下にある控えの間にいる。
普段はイヴァが蟲同士を対戦させる場であるが、稀に人間を蟲と戦わせることもある。それは例えば、兵士の昇級試験の時であったり、賭けを行う遊戯の時であったり、嬲りものにして処刑する時であったりする。
「ペルセネア、今から戦うのはディープ・スパイダーっていう巨大蜘蛛だよ。情報はそれだけでいいかな?」
「ああ、それだけあれば十分だ」
「わかった。だけど一つだけ忠告するよ。ディープ・スパイダーは殺戮本能に支配された狩人だから、手加減とかは一切できない。最悪、負けたら死んじゃうかもしれない。本当に、それでいいね?」
アマゾネスの奴隷戦士は嬉しそうに獰猛な笑みを浮かべ、首を縦に振る。
(まあ死ぬなら、それまでの人ってことだよね)
ザハド老がこの試合を見れば絶対に止めただろうが、幸か不幸か彼はこの場にはおらず、ちょうどゴブリンの奴隷商人に代金を渡しているところであった。
その代わりにイヴァの周囲には、以前から囲っている愛玩用の女奴隷6人が侍っている。いずれも種族もタイプも異なる美熟女、美女、美少女が2人おり、ダークエルフの少年を愛撫しながら、ペルセネアのことを興味深気な目で見ている。
警備には浅黒い肌をしたベリシュナ人で構成された軽歩兵50名と隊長1人からなる部隊が選ばれた。彼らは全員、鉄製の鱗鎧を着ており、長槍と曲刀で武装している。寡黙で実直なベリシュナ人らしく、直立不動の姿勢で真面目に見張りについている。イヴァの傍には、警備隊長1人と選抜した軽歩兵5人が邪魔にならない程度に立っていた。
その他には、闘技場の設備を動かしたり、扇で風を煽ぐ雑用召使いが10名ほどいる。
「それじゃあ、はじめようか」
イヴァが手を振ると、召使いたちが闘技場の扉を開いた。
まず、ペルセネアの門が開き、アマゾネスの奴隷戦士はその姿を見せる。
その姿を見た警備の兵士たちは思わず感嘆の声を上げた。隊長が叱責しようとするが、イヴァは手を振って許す。
(まあ、無理ないよね)
イヴァは心のなかでそう呟いた。
流れるような美しい赤髪を持つ女蛮族の右手には暗殺者から奪い取った曲刀、左手にはイヴァが用意した片手斧、数本の投擲用短剣が腰のベルトに下げられている。どれも上等な武器ではあるが、魔法などはかかっていない。戦う相手であるディープ・スパイダーは魔法の武器でなくとも、十分な力がこもっていれば傷つけることができるので問題はないが、ペルセネアの防具は問題であった。
ストリングバックと呼ばれるT字状の紐の下着だけで他には何もない。
ほとんど裸と言っても過言ではない姿なのである。
どっしりと胸を占領する豊満な乳房、武器を構える腕や大地を踏みしめている脚は柔軟で無駄なく引き締まっている。アマゾネスならではの完成された肉体美を惜しげも無く晒して、ペルセネアは闘技場の中心まで歩いてきた。
「イヴァ様、可哀想ではありませんか?」
女の奴隷戦士が、これから凶悪な怪物と戦うと聞いていた愛玩奴隷の1人が憐れむように言った。アマゾネスのことを知らない者が見れば、確かに悪趣味な処刑遊戯に見えなくもない。
だが、この装備を選んだのはペルセネア自身で、イヴァは何も口出しをしていない。
「大丈夫だよ。彼女は素手で暗殺者数人を一蹴したんだ。ディープ・スパイダーが相手でも、なんとかなるはずだよ」
イヴァはそう言って、愛玩奴隷の身体を愛撫する。
ただダークエルフの少年も、実際どうなるのかはわからなかった。何故なら人型生物とは全く違う戦い方が要求されるからである。とはいえ、戦いを止めることなどできない。イヴァは彼女が奴隷として振る舞う代わりに、食事と戦場を提供すると契約したつもりだ。相手側からその約束を反故にするのならともかく、イヴァの方から破るわけにもいかない。これから謀略を行う身としては笑止なことではあるが、自分から交わした契約を破れば、それからの人生を楽しめないと、イヴァは考えている。
「開いて」
イヴァの合図を受けて、ペルセネアが出てきた方とは反対側の扉も開かれた。
――シュウウウウゥゥゥ。
剛毛をこすり合わせた威嚇音とともに、ディープ・スパイダーが姿を見せる。
黒と青色の交じり合った色をした大蜘蛛の大きさは頭と胴体だけでも3メートル以上で、長い足はその倍以上あった。巨体に似合わぬしなやかな動きで、ペルセネアに接近すると、大人の拳ほどもある単眼で見下ろした。絶え間なく動く牙からはダラリと透明な液体が垂れている。
「はじめ」
イヴァはいきなり戦いの合図を口にしたが、その瞬間、両者は弾かれたように動く。
罠を張って相手を絡めとるのだけが蜘蛛の狩りでではない。
ディープ・スパイダーは丸太のように太い脚を使い、抱きつくようにペルセネアを捕食しようとした。あっという間の早業であり、普通の人間ならば瞬きする間もなく抱きつかれて、鋭い麻痺毒の牙を突き刺されている。
愛玩奴隷の何人かが「ヒッ」と小さな悲鳴を上げて、召使いや警備兵もゴクリと生唾を飲み込んだ。イヴァと警備隊長以外は、ペルセネアが食い殺されたと考えたに違いない。誰かが何かを言うよりも早く、ズルリとディープ・スパイダーの身体がX字に引き裂かれて、闘技場の砂地に気色悪い粘液を撒き散らした。
「ディープ・スパイダーじゃ、失礼だったかな」
イヴァはそう呟いた。
ペルセネアは巨大蜘蛛が自分を抱きしめるよりも速く、正確に、そしてなにより力強く、左右に手にした武器で胴体を引き裂いたのである。
「ふぅうううーーー」
アマゾネスの奴隷戦士は熱い息を吐いた。
一瞬の攻防であったが、生死をかけた戦いは彼女の全身を熱くたぎらせる。
「ペルセネア、まだやるかい?」
ダークエルフの少年の声を聞き、ペルセネアは首を横に振る。
「いや、良い戦いだった。こいつを葬らせてもらっても良いか?」
アマゾネスは恍惚と表情を浮かべながら、ディープ・スパイダーの死骸を指差す。
「残念だけど、そいつの亡骸は売り払うからダメ」
「そうか……、天上でまた戦えることができると良いが……」
ペルセネアは残念そうな顔をした後、軽く鎮魂の言葉を唱えた。
(戦っている時やその後のほうが、表情豊かになるんだ)
ダークエルフの少年は面白そうに心のなかでつぶやく。
「イヴァ様……、か、彼女はアレを倒したんですか?」
今更ながら愛玩奴隷が声を震わせながら言葉を紡ぐと、ダークエルフの少年は嬉しそうに「そうだよ」と答える。そして、警備隊長の方を見て問う。
「君だったら、彼女に勝てるかい?」
「互角の条件では万が一にも勝てないでしょうな」
浅黒い肌の警備隊長は首を横に振って言った。
ただ冷たい色の瞳は「多対一で戦えば、どうなるかわからない」と語っている。
「まあ、思ったよりあっさりめだったけど、お披露目にしては悪くなかったよね。彼女の名前はペルセネア。以降、ボクの護衛として傍に置くからそのつもりでね」
主人の言葉に、全員、首を縦に振る。
これで多少、口のきき方が悪く、露出が多くとも、ペルセネアが傍に居ても文句をいう者はいないだろう。
「そうだ。ペルセネアの体を拭いたら神秘の間まで案内して」
女の召使いにそう告げると、イヴァは愛玩奴隷たちとともに闘技場を後にする。
(主人としての勤めを果たしたから、奴隷としての勤めを果たしてもらわなきゃね)
ダークエルフの少年は蟲蔵からとっておきの壷を持ってくるように指示を出す。
夜が深くなり、子どもの時間は終わる。そして、大人の時間が始まるのであった。
・軽歩兵(月給100)
武器:長槍と曲刀
防具:鱗鎧(必要に応じて、黄銅の兜)
基本的な戦闘訓練を終えた歩兵である。仲間と槍を構えて敵を追い詰めるが、乱戦になった場合、曲刀に持ち替えて戦う。過度な期待は禁物であるが、集団戦には必要不可欠な兵種でもある。
―― とある軍師の兵法書 ――