第15話 アマゾネスと闘技場-1
――すべての客席が自分の名を称える瞬間、その一瞬のために俺は戦っていた。
――闘技場の砂場は血で染まり、数え切れない戦士の魂を天に還すことになったが、俺は一欠片の後悔もしていない。死んでいった連中も、きっと同じだろうよ。
―― トーナメントの勝利者 ――
イヴァの勧めに従い、ペルセネアは闘技場に足を運んだ。
エルカバラードの闘技場は、何千年も昔から存在している伝統ある建物である。増改築などはされているが、大まかな円形という外観は変わっておらず、その用途昔から何も変わっていない。
この場所は娼館であり、競技場であり、賭博場であり、処刑場だ。
この場所はトーナメントと呼ばれる大会でなくとも、常に賑わっている。観客はゴブリンやオークなどの妖魔がほとんどであるが、人間の数も少なくない。彼らは掛け札を手にして、闘技場で戦う剣闘士を応援、あるいは罵倒する。
最初に行われるのが、前座試合。
これは金銭の動かない新人剣闘士の戦いで、本戦前に観客の血と熱狂を高めて、さらに今後応援する剣闘士を発見する場でもある。
ペルセネアが参加するのも、この試合だ。
鎧の着用は禁止だが、武器は自前のものを使って良いとのことだったので、刀匠ムバラザールの半月刀を片手に試合に向かった。
前座試合は4人の剣闘士による生き残り戦である。この前座試合は1日1回行われて、合計3回勝利すれば、一般剣闘士に格上げされるのだ。
ちなみに一般剣闘士になると、闘技場から1,000リエルが支給される。
(まあ、私は戦えればなんでも良いがな)
ペルセネアはそんなことを考えながら、血に餓えた観衆の前に姿を現す。
遠目からでもわかる鍛え抜かれた肢体、情熱の炎が燃えるような長い赤髪、戦女神のような凛々しい顔立ちをした女戦士の登場に、熱狂の度合いが1段階、いや2段階ほど増した。
「〝蟲の皇子〟イヴァの奴隷戦士、ペルセネア」
司会がペルセネアのことを紹介する。〝蟲の皇子〟の名前は、それなりの知名度があるようで、応援と罵声が飛び交う。
「殺されろ。無様に死ねぇ!」
「領主様はいい女を奴隷にしてやがるな!」
「殺せ、ぶっ殺せ!」
割合的には応援3罵声7といったところだろうか? ペルセネアはさして気にすることもなく対戦相手を見る。彼女の他の剣闘士は全員人間の男で、ペルセネアのように志願して剣闘士となった者たちである。
彼らは全員、ボサボサの黒髪とモジャモジャの髭を生やした中年の男たちであり、鍛えられた上半身には無数の切り傷や刺し傷がある。だがその目は戦士というよりも人殺しの目であり、睨めつけるようにペルセネアの方を見ている。得物はペルセネアが使うのと同じ半月刀だ。
「それでは、全員開始位置についてください」
司会の言葉を聞き、剣闘士を開始位置に移動する。
全員が四方に移動したのを見て、貴賓席に座っていた人物が立ち上がり、重々しく右腕を上げる。一瞬だけ間を置いた後、右腕を下ろす。
――試合開始の合図であった。
3人の剣闘士はあらかじめ打ち合わせをしていたかのように、ペルセネアの方に向かった。
それに対して、アマゾネスは対角線上にいる剣闘士の方に向かって駆け出す。
全員を同時に相手にするよりも、各個撃破することを選択したようである。それに気がついた相手は防御の構えを取る。
時間を稼ぐ間に、他の2人が加勢に来ることを望んだのである。それは相手が同レベルならば正しい戦術であったかもしれないが、ペルセネアとの力量差を考慮に入れた場合、悪手であった。
ペルセネアの顔に獰猛な野性的な笑みが浮かべると、半月刀を真横に振るう。
剣闘士は構えた半月刀ごとまとめて真一文字に斬り裂かれ、信じられないという表情を浮かべたまま倒れ伏す。
味方がやられたのを見て、左右から襲いかかろうとしていた剣闘士は動揺する。合流しようにも、その間にはペルセネアが立ちはだかっており、1対1で戦えば、同じように殺されるのが明白であった。
「クソ!」
ペルセネアから見て右側の剣闘士が悪態をつくと、半月刀を高々と掲げる。
それは闘技場の観客席に隠れている仲間への合図であった。観客の何人かが武器を手に乱入してくる。このアクシデントに対して、闘技場の主催者側の対応は誠意を欠くものであった。
このまま続行せよ。
この理不尽な決定に、観客も異論はないようだ。もちろん、ペルセネアも無言で同意する。闘技場に降り立ったのは緑肌の筋骨隆々の大柄な妖魔オークが2人と、人間の上半身と蠍の下半身を持つ妖魔アンドロスコルピオ2人、さらにまだ生き残っている剣闘士と同じような中年男が2人加わる。
ペルセネアの敵が合計8人に増えた。
彼女が知る由もないことであるが、彼らは盗賊ギルドからの刺客である。
もちろん、多頭竜を単体で倒した女傑に対して、この程度の戦力では不足も良いところであるのだが、万が一にでも仕留めることができれば大手柄である。末端の構成員にとってはそれで充分であり、仮に彼らが失敗して殺されたところで、盗賊ギルドは痛くも痒くもない。
一方、〝蟲の皇子〟イヴァの方もこういった展開を予測していないでもなかったが、ペルセネアが万が一にでも敗れるとは思っておらず、警告して興を削ぐよりもサプライズとして楽しんでもらったほうが良いと考えていた。
そして、その判断は間違ってはいない。
1対8の状況下で、ペルセネアは楽しんでいた。
(惜しいな。こいつらが手練であれば、もっと楽しいのだが……。あの翡翠解放団のような連中はそうそういないか)
ペルセネアを囲む連中の殺意は充分であったが、ペルセネアと比べれば、鍛錬も経験も足りない。アマゾネスは才能という言葉は好きではなかったが、客観的に見て戦いの才能も不足していた。
それでも考える頭がないわけでもなく、彼らは最初に殺された仲間と同じ轍を踏むことがないように、闘技場に降りた仲間たちはそれぞれ合流する。
右側に5人、左側に3人。
それぞれジワリジワリと距離を詰めてくる。堅実で慎重な動きであったが、獅子を前にして羊が集まったところで意味などない。
ペルセネアは獣じみた咆哮を上げると、燃え盛る戦意を解放して、最初に右側の5人――オーク×2、アンドロスコルピオ×1、剣闘士×2に襲いかかった。
半月刀の切っ先が弧を描くように華麗な舞を見せる。
オークの頭が断ち割られ、剣闘士の手が切り落とされ、アンドロスコルピオの上半身が地面に転がり落ちる。3人もの仲間があっという間に敗れて、残った2人が必死の反撃を行った。だが、アマゾネスの奴隷戦士は豹のように身をひねり攻撃を回避すると、身を出しすぎた剣闘士の命を断ち切った。
残ったオークは、自分たちが博打というのも愚かしい賭けをしていたことを後悔して、武器を捨てて降伏する。
客席からはブーイングの嵐が巻き起こり、左側の3人も仲間に罵倒を浴びせる。だがペルセネアは興味をなくしたように、命乞いするオークを無視して今度は残りの3人――アンドロスコルピオ×1、剣闘士×2に迫った。
アンドロスコルピオは手にした短槍を突き出したが、目標を捕らえることができずに虚しく空を切り、逆に袈裟斬りにされた。残り2人の剣闘士は悲鳴混じりの咆哮を上げながら無謀な突撃を行い、その無謀さに相応しい最後を迎えた。
最後に残ったオークに対して「殺せ」と観客が叫ぶ。
それが合図であったかのように「殺せ」「殺せ」「殺せ」と大合唱が巻き起こり、貴賓席の人物が親指を下にする。
――処刑せよ。
その判定に対して、ペルセネアは異を唱える。
「乱入を止めなかった時点で、貴公らの指示に従う理由はないのではないか?」
独り言のようであったが、その声は以外に大きく、闘技場全体に響いた。
「このオークは私に命乞いをしてきた。ならば、このオークをどうするのかは、私次第だと思うが、違うだろうか?」
侮辱や挑発の意思は欠片もなく、純粋に子供が親に疑問を問うかのような口調であった。そんなペルセネアの疑問に対する返答は、言葉ではなく戦士の入場口から出てきたのは完全武装の兵士たちである。
――無礼者を始末せよ。
そんな命令を受けた兵士たちは方陣を組んだ戦闘集団として、ペルセネアを包囲した。それを見て、ペルセネアに声援を送っていた観客たちは再び180度も立場を変えて罵声を撒き散らす。
(神々のように移り気なものだ)
期待を裏切った剣闘士に対する観客たちの態度を見て、ペルセネアは他人事のように呟く。観客たちは罵声のみならず、自分たちで無礼な新人剣闘士を捕らえてやろうと、武器を手に闘技場に降りてきている者もいる。
「まあいい、少し物足りなかったところだ。アスナラーマ神の心臓にかけて――、殺し合おう」
怒号と共に押し寄せる観客、闘技場の警備兵。その数は少なく見積もっても数百人であり、さらに何千人もの控えがいる。加えて相手も盗賊ギルドの刺客のようなゴロツキばかりではない。剣士としての技量を持った者もいれば、魔法の使い手もいる。もしも必要とあれば、闘技場で飼われている魔獣たちも動員することになるだろう。
如何に一騎当千のアマゾネスとはいえ、戦うのはあまりに無謀に見えた。だが、ペルセネアは恐怖や激情とは無縁で、その頭のなかにしっかりと勝算を描いている。
(ご主人さまには迷惑をかけてしまうかもしれんが、それは仕方がないな)
後で胸でも揉ませてやろうと考えて、命乞いをしてきたオークに言う。
「お前はもう好きにしろ。逃げるなり、また襲ってくるなり、自分のやりたいようにやれ」
一方的に告げると、ペルセネアは半月刀を手に暴徒の方に向かう。
闘技場での第2幕の始まりであった。
地下闘技場とは、闘技場の地下は女剣闘士が裸で殴り合う、あるいは魔獣に嬲り殺されるのを見るのが趣味の歪んだ性癖の持ち主たちが通う場所である。ほとんどの観衆はこの手の残虐な趣味に興味はないのだが、富や権力を手中にした者の多くはこの手の遊戯に手を出す。
極稀に自ら闘技場で戦う者もいる。自分の歪んだ欲望を満たすために……。
―― 闘技場の闇 ――




