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9th inning : MAy I PiTcH seRioUsLy?

 均整のとれた体つきの黒人が、静かに、しかしオーラたっぷりに左打席に入る。


 三番センター、ラモン・モントレー。

 メジャー屈指のファイブツールプレイヤーと称される男である。


 ファイブツールとは肩の強さ、守備力、スピード、打撃力、パワーの五要素のことで、万能性を重んじるアメリカでは最上級の称号と言える。

 三割三十本三十盗塁を記録すること二回、打撃と守備の勲章であるシルバースラッガー賞とゴールドグラブ賞はそれぞれ十年連続受賞中というから恐れ入る。

 同じペンシルバニア出身、同じ黒人ということで、ドビーにとっても憧れの人物だ。


 典雅ささえ漂う仕草で足元をならすモントレーに、ドビーは努めて深刻そうに声をかけた。


「ラモン、手加減してやってくれよ。今日デビューのルーキーなんだ。ウソでもマグレでも、ラモン・モントレーを抑えたとなりゃあ自信になる」


 もちろん心にもない。

 それが証拠に、マスクの下の顔は我慢しきれぬ笑みにひきつっている。


 かたやモントレーは、視線すら返さない。

 野球選手というより哲学者のような知的な顔で、バットを天に向ける。

 ピシリと背筋の伸びた、決闘にのぞむ騎士のような構えだ。


 キン、と凍るような緊張感が打席から弾け出る。

 メジャーでも超一流、本物中の本物だけが醸し出せる空気――手加減はない。


 珠姫が投球動作に入った。

 目の前にいる打者が誰か分かっていないのか、踏み出す足にも振り下ろす腕にも躊躇はない。


 そして肝心のボールは、


(来たっ!)


 またしても打ちごろのスピードでド真ん中に――


 一閃。


 輝線を残すようなスイングがドビーの視界を斜めに切断し、瞬間それと分かる打球が右翼後方へ糸を引いた。


 今度は失速しない、角度も下がらない。

 ボールはナナメ上空一直線の弾道に乗って、今度こそ、ライトスタンド最上段に炸裂した。


【フ……】


 ただし、


【ファ――――――――――――――ル!】


 かろうじて、ポールの右側で。


【どわ――っ! し、死ぬかと思った! モントレー、ライトポール際へもンのすごいファール! もう、誰か胃薬持って来て――!】


 残念そうに空を仰ぎ、小さく息をつくモントレー。


 が、ため息をつきたいのはドビーのほうだ。


(うおーい、早いトコ楽にしてくれよ、もう!)


 ここまで三球、全ての球が「打ってください」だ。

 ロジャース打線の破壊力を考えれば三点入っていてもおかしくないのが、なんだかんだでまだ無失点である。


 一方、スタンドのファンからは、いい加減ブーイングが漏れ出してきた。

 もちろんマウンドの珠姫に向けられたもので、ヤジの内容が「しっかりしろ」でも「交代しろ」でもなく「打たれるならスパッと打たれちまえ!」というのが、なんとも万年最下位球団らしい。


「キミ、キミ」

「え?」

「呼んでるぞ」


 主審から肩を叩かれて前を見れば、マウンドから珠姫が手まねきしていた。


 なんだよもう、と駆け寄ると、珠姫はグラブで口を隠しつつ、少し焦ったように言った。


「あの方、ひょっとしてすごいバッターであルますか?」

「……あのな」


 本気で誰を相手にしているか分かっていなかったようだ。

 ここまで来れば幸せの領域である。


「わかったわかった、もう誰がどうとか気にすんな。どうせ打たれるんだから」

「はイ?」

「だから余計なこと考えなくていいってことだよ。俺のミットだけ見てな。オーライ?」

「おーらい、であルます。……あ、それカラ」


 帰りかけた背中に声をかけられ、「あ?」と面倒くさそうに振り返る。


 その次の言葉に、ドビーは耳を疑った。


「次は、本気で投げていいであルますか」


 しばしの間、意味を考える必要があった。


「……ほー。そんじゃ、今までのは本気じゃなかったってわけか」

「そうであルますね」

「日本人はジョークが下手だって聞いてたが、ありゃデマだったみたいだな」

「? すムません、よく意味が分からないであルます」

「引退したらトークショーのホストになれって話さ」

「ええと……つまり、投げていい、ということであルますか?」

「イエス、イエース、ユーアーライト! さぁ、とっとと行くぜ!」


 いえす、と右手を上げて敬礼する珠姫を尻目に、ドビーは守備位置へと駆け戻った。

 まったくとんだ時間のムダだ。 


「プレイッ!」

【さぁ、試合再開だ! バッテリーがマウンドでイチャイチャやってる間に、俺ァロジャースへの転職届けを書いちまったぜ! この球投げ終わったら、ポストに直行すっからな!】


 モントレーが騎士の剣をかかげ、ドビーがミットをど真ん中に構える。


 ウンザリと戦況を見つめていたスタンドがざわつきはじめたのは、そのときだった。


「え……?」


 観客たちの視線の先――マウンドに目をこらし、ドビーも金壺眼を丸くした。


 投球動作に入り、胸元にグローブを抱く珠姫、その姿に異変が起きていた。


 髪が伸びはじめたのである。


 シュガーパインのようにかぶさった髪が、まるで植物の成長を早送りで見るように長くなってゆく。

 肩まで届かなかった後ろ髪は、背番号を隠すほどに。

 クセのある髪質は、つややかな絹のごとくまっすぐに。

 そして何より、炭のようだった黒髪が――輝くような白髪に。


【な……な……?】


 さらに、人々の度肝を抜く出来事が起きる。


 珠姫の足元から、光の粒が舞い上がり始めた。

 金色に輝くその粒は、沸騰した鍋の底から泡が浮き上がるように、見る間に数を増してゆく。


「はあぁぁぁ……」


 マウンドに舞い踊る無数の光、その中心で、珠姫はゆっくりと両手を持ち上げる。


 天を衝くグラブに蛍が集う。

 それを吸い込むたび、グラブが――正確にはグラブの中のボールが輝きを増す。

 球場中が声もなく見守る中、神々しき光のドームはなおも大きさを増し、夜の闇をマウンドの外へと押しやってゆく。


「オリエンタル・マジック……」


 ドビーは、そこではじめて珠姫の瞳を目にした。


 日本刀のように鋭く、しかしまっすぐに澄んで前を見据える、ルビーのような赤い瞳。


 一瞬、彼女の背中から、キツネのような金色の尻尾が見えた――のは幻覚だろうか。


「いざ、参ル――」


 左足がぐっと持ち上げられる。

 さっきまでより、はるかに高く大きなフォーム。

 スパイクが大地に噛みつき、舞い降りる龍のごとく圧倒的な力感を持って振り下ろされる右腕から、


十貫球じゅっかんだま!」


 光球が解き放たれた。


 ドビーの視界で丸い光が一気に膨れ上がる。

 今までとは比較にならないスピードで近づいてくる光の束。

 尾を曳いてマウンドから一直線に延びる、正真正銘のレーザービームだ。


 そして、ここに来ても、モントレーはさすがだった。

 一寸の迷いもなく、迫りくる光線めがけてバットを振り落したのだ。


「おああぁっ!」


 気合一閃、騎士の剣が光の球に激突する――が。


「!」


 前に飛ばない。

 打ち返せない。

 光の球は鉄のような重みでバットにへばりつき、メジャー最強のファイブツールプレイヤーのフルスイングをじりじりと押し戻しにかかる。


「ぬあああああああああ!」


 モントレーの腕に血管が浮いた。

 みしみしと軋むような音がバットのへしゃげる音なのか、彼の筋肉の悲鳴なのか、もうドビーにも判別がつかない。

 視界に映るのは、痙攣するバットの影から弾け出る放射状の光だけだ。


 そしてついにモントレーが本当の本気になった。

 全身を投げ出すように体を傾け、全体重をボールにかけ、腕も折れよのスイングを放つと同時に、


 吹き飛んだ。


 六・三フィート(百九三センチ)の長身が、まるで人形同然。弾けるように後方にブッ飛び、そしてボールはまるで軌道を変えないまま、ドビーのミットへに突き刺さった。


「ぐうっ!」


 トラックに衝突されたようだった。

 キャッチャー人生で初めて遭遇する衝撃が掌から手首を貫き、ヒジから肩へ、胴体を突き抜けて両足に伝わり、ついに、


「ぐああっ!」


 審判を巻き込み、はるか後方、バックネットまでもろともに衝突するドビーの体。


 そのミットから、煙を吐く白球が転がり落ちた。


【ああっ! 捕れない! キャッチャー落球――!】


 よろぼい起き上がった審判が、右手を高々と上げて宣言した。


「アウトォ!」

「えっ?」


 思わず振り向いたドビーの視線の先、審判が指を指したのは、打席から十フィートも後ろで横たわるモントレーだった。


【ア、アウト! アウトだァ! モントレー、バッターボックスから出ちまったため、反則打球でバッターアウト!】


 ルールブックは、打者に対し、バッターボックスに両足を入れてバッティングするよう定めている。

 ボールの行方がどうなろうが、彼が吹き飛ばされた時点でアウトだ。


「……あ、ちょ、ちょっと待ちたまえ、キミ!」


 マウンドに戻ろうとする珠姫の背中に、主審が声を浴びせる。


 白髪を揺らし、肩ごしに赤い目を向ける珠姫。


「何カ?」

「あ……う……」


 制止したものの、主審は次の言葉を探しあぐねた。

 なにせ規約に「変身してはいけない」などという記載はない。

 非常識なのは分かっているが、どう制止すればいいのか分からないのだ。


 押し黙ってしまった主審に、珠姫はふいと顔をそらして、マウンドに戻ってゆく。

 背中の小ささは相変わらずだが、さきほどとはまとうオーラが別次元だ。


【し……しかししかし! なんてェ威力だ! 人の体を吹き飛ばすたァ……これが人間の投げる球かよッ?】


 あまりの驚きに場内声も出ない。誰より驚いているのは、他でもない、ドビーだった。


「なんてこった……」

 ヨロヨロと立ち上がったドビーの脳裏に、試合前、彼女の言った言葉が蘇った。


 ――どのチームでも、1球投げただけですぐに『明日から上に行け』と言われてしまったのであルます。


 彼女が今まで本気で投げてこなかったのは、捕手である自分が捕球できないと思ったからなのだ。

 どうやら自分はブタを選んだつもりで、とてつもないジョーカーを引き当ててしまったらしい。


【あっ……と、モントレーまだ立ち上がれない! 腰かどこか痛めたか?】


 ネクストバッターボックスの近く吹き飛ばされたモントレーは、苦痛に顔をゆがめたままうずくまっている。

 あれだけの衝撃を受け止めたのだから無理もない。


 ロジャースベンチから血相を変えてトレーナーが飛び出してくる――が、その前に。


「うわっ?!」


 モントレーの体が、突如空中に浮かび上がった。


【な、なんだァ?】


 丸太のような腕が、モントレーのベルトを後ろからひっつかんでいた。


 次打者として控えていた白人の大男が、片手で彼を持ち上げたのだ。二二〇ポンドの重量を片手で、である。


「おい。このゴミ、片付けといてくれ」


 ぞんざいに言い放つと、大男は、驚くロジャース陣営に向かい、モントレーを放り投げた。

 慌ててベンチから三、四人の選手が助けに入り、なぎ倒されながらも彼を受け止める。


 信じがたい暴挙にスタンドがどよめく中、男は平然とバッターボックスへと向かう。


 猛禽類を思わせる強烈な眼光、巌のようにごつごつとした鼻、傲岸そうな分厚い唇に牛の骨でも噛み砕けそうな、巨大な顎。


「まったく……どいつもこいつも、そんなに俺を目立たせたいかよ」


 ロジャースの四番サード、ケビン・バズワルド。昨年の本塁打王である。

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