8th inning : Now,Russian roulette begins!
【さァ、ロシアンルーレットの始まりだ! よりによって打順は一番から! しかもトップバッターのカルロスは今日四安打の大爆発とくらァ、オーマイガァッ!】
褐色の卵のようにつるりとした童顔の男が、左バッターボックスに入る。
ドミニカの若きスピードスター、ラファエル・カルロス。
小柄ながらパンチのある打撃と、昨年四十盗塁の俊足が武器。
弱冠二十一歳にして、強力ロジャース打線の切り込み隊長だ。
「ドビーさん、この場面で女出してくるってマジすか。超ありえねー」
カルロスは金管楽器のように甲高い声を、ウンコ座りのドビーに向けた。
「おう、気ィつけろよ。打ったら女性団体からクレームが飛ぶぜ」
「うははっ、超こえー」
陽気に笑いながら、クラウチングにバットを構える。
マスクの向こうで、珠姫がグラブを胸元に持ち上げた。
もっさり被さった前髪のおかげで表情は見えないが、仕草に緊張の色は見られない。
さっき「ドキドキしている」と言っていたわりには、度胸が据わっている。
ふと、イヤな予感が頭をかすめた。
もし――もし万が一、今までのへろへろ球のすべてが演技で。
この女が、マウンドから見たこともないような剛球を投げつけてきたら。
――まさか、な。
「プレイッ!」
主審が人差し指を突き出した。
ラスト・イニング。
珠姫はゆっくりと両腕を振り上げた。
グローブを頭上に掲げ、そのまま胸元に抱え込み、浮かせた左足を大きく踏み出してゆく。
教科書通りのスムーズなフォームだ。
スパイクが土を噛むと同時に腰が回転し、一気にうなる肘、鞭のように右腕がしなり、
【タマキ・ヒメカワ! メジャー第一球を――】
投げた。
瞬間、ドビーの目が真ん丸になった。
――ド真ん中へ、山なりのボール。
痛烈な打球音が轟き、次のまばたきの間に打球は右翼手の頭を越えていた。
観客の悲鳴を切り裂きながら、ライフル弾が一直線にライトスタンドへと向かってゆく。
【ギャ――――ッ! なんじゃそらァ! ヒメカワ、日曜日のキャッチボールみてぇな球を引っぱたかれて、デビュー初球はいきなりの同点ホームラァァァァァァン!】
と、誰もが思ったそのとき。
奇跡のように打球は角度を失い、フェンスの上端にブチ当たった。
半分あきらめていた右翼手が大慌てで走り出す。
強烈なクッションボールがグラウンドをネズミのように駆け回り、その間にカルロスは快足を飛ばしてダイヤモンドを蹂躙。
ボールが返ってきたときには、悠々三塁だ。
【カルロス! スリーベースヒットォ!】
球場がどおっと大きな息に包まれる。
半分は安堵、もう半分は呆れだ。
【いきなりノーアウト三塁! だぁーもぅ、だから女なんか出すなっつーんだ! これで逆転されたら、俺ぁロジャースの実況席にお引っ越しすっからな、ガッデム!】
アナウンサーの悲痛な叫びも当然である。
一発同点は免れたが、目をおおいたくほどのホームランボールだった。
カルロスは三塁コーチャーと拳を合わせつつ「ヒーローになり損ねた」とばかりの笑顔。
一方ドビーは両手を腰に当てたまま、うつむいて動かない。
先行きの暗さに絶望してるんだな――と観客の誰もが同情したが、真相はもちろん違う。
(ビンゴぉ~ッ!)
吹き出しそうになるのを、こらえていたのだった。
(よォ~しよしよし! 期待通り! まるっきり素人だぜこいつ!)
内野陣が面倒臭そうに前進守備をとる。
しかし次に右バッターボックスに入った白人の男は、この状況、ある意味で最もイヤな――いや、頼もしい打者だ。
マイケル・オールド。かつて首位打者も獲得した、シャープなスイングが売りの好打者。
御年三十八歳、百戦錬磨のベテランだけに、ヒットでなくとも、外野フライや緩い内野ゴロで三塁走者が帰ってくるこの状況、同点になる可能性は極めて高い。
オールドの謹厳そうな顔がマウンドをにらんだ。
対する珠姫、やはり顔色一つ変えない。
この度胸だけはメジャー級だなとドビーは考える。
セットポジションから左足が浮き上がる。
六歩半のステップがマウンドをまたぐ。
前に突き出したグラブが左脇に収まり、伸びる右腕から二球目が投じられた。
「イエス!」
快哉を叫んだドビーの目の前、またしてもド真ん中にやってきた半速球が、ドンピシャでバットに衝突した。
快音を残して高々と打ち上げられる白球。しかし――
【いやっ、高く上がりすぎた! 打ち損じの打球は大きく飛びあがってショート後方……あっ、いや、レフトか? イヤぁなところに飛びやがったぞ、チクショウ!】
縦長の放物線を描いて、ボールは二人の野手の間に舞い降りてゆく。
前進守備の分、遊撃手のウィルソンの追い方が苦しい。
あまつさえ昨晩三杯もやったウォッカが残っていて、足元がおぼつかないのだ。
走者は三塁と本塁の間で待機姿勢をとっており、落っことそうものなら間違いなく同点だ。
ふらふらと左右によろめきながら落下点にたどりついたウィルソン、捕球体勢に入り、グラブをかかげたまさにそのとき、横殴りの風が打球を揺らし、
【捕れー!】「捕るなー!」
捕った。
倒れながら伸ばしたグラブに、ボールは奇跡的に収まった。
【ぐわー、危ねェ! ギリチョン助かったぜベイビー! ……って、今誰か「捕るな」って言わなかったか?】
思わずマスク越しに口をふさぐドビーである。
一方、打ち取られたオールドは、首をひねりながら三塁ベンチに帰ってゆく。
その背中を見送りながらドビーも首をひねった。
あんな甘いボールを打ち損じるようなバッターではないのだが。
【さァ、やっとの思いでワンナウト! だが一息つくのはまだ早ェ! 次のヤツらは打ち損じてなんかしてくれそうにねェぞ! ブラッシュ・ブラザーズの登場だァ! ……おっとォ!】
口の悪いアナウンサーでさえ思わずビビるほどのブーイング。
球場を揺らす怒号に迎えられながら、次の打者が打席に向かう。
ブラッシュ・ブラザーズ。
リーグ最強ロジャース打線の中核を担う三・四番打者である。
ブラッシュ(払い落す)の仇名の通り、勝負強い打撃で塁上の走者はきれいさっぱりホームに帰す。
二人でリーグの打点一・二位を独占する、西地区首位の立役者だ。