5th inning : You wanna take a mound of the world's hightest?
【いったぁ――――――――! アルゲニーズ、土壇場八回、満塁ホームランでロジャースを逆転――――――――――――――――!】
ベンチに座るドビーの半開きの口から、スポーツドリンクがダダ漏れた。
スタンドを見れば、大歓喜のアルゲニーズファンたち。
ナイトゲームということで重ね着をしていた彼らだが、今はほとんどがシャツ一枚。照明に照らされた顔はどれも熱狂に染まっており、ダイヤモンドを回る四人の選手に「ブラヴォー!」の大合唱を送りまくっている。
地元テレビのアナウンサーが、グラウンドまで聞こえるようなバカ声でまくしたてた。
【ファンタスティック! どうなっちまってんだ今日は! 二連敗で迎えたこの試合、先発バルフォアがノされていつも通りかと思ったら、毎日湿りっぱなしのアルゲニーズ打線が大爆発! ロジャースのエース、ブラウンを四回でノックアウトすると、3点ビハインドの八回ウラには、八番カーターにプロ初本塁打のグランドスラムが飛び出して、とうとう9対8と一挙大逆転だ! こんなの、俺の知ってるアルゲニーズじゃねぇ――!】
本塁に帰ってきたカーターを、ビールの売り子までもが拍手で出迎える。
もちろん、ヒーローを迎えるベンチは大騒ぎだ。
「このヤロー、やりやがったな!」「やりゃできんじゃねぇか、おい!」
強烈な平手打ちが前後左右からめったやたらに襲いかかる。
カーターは嬉しそうに痛がり、
「はっはっは、よせやい! おいおいやめろよ痛いじゃないスか! いたっ、いたいって、ちょっ、マジで……いだだだだだだだ! 誰っスかワキ腹を中心にすごく殴ってくるの!」
ドビーだった。
「ドビーさん! 痛い! それちょっと痛い! ってか、なんか目がこわいっスよ!」
「ドビー、やりすぎだ。カーターのヤツ、顔が紫になってる」
仲間たちにはがい締めにされ、ようやくボディブローの連打を止める。
ドビーの眼は百年の恨みを重ねたような怨念に満ちていた。
ふぅ、と落ち着くように息をつき、
「いや、悪い。あまりの嬉しさにな…………ナイスバッティング。殺すぞ」
「サ、サンキュー。最後の言葉は喜びの裏返しなんスよね? よね?」
ヒーローの顔は複雑だった。
――バカ! アホ! ボケカスマヌケのうんこたれ! いつもは頼んでも打ちゃしねぇくせに、なんでこんなときに限って仕事するんだよ!
心で百回殺しながら、ドビーはベンチに置いてある双眼鏡でスタンドをのぞいた。
未だ興奮の冷めない観客席の中に、ぽつりと色違いの区域がある。
三塁外野スタンド、あわれっぽく固まったロジャースファンの葬列の中に、愛する娘の姿を探す。
(アニー……待ってくれ。俺の話を聞いてくれ。神様の気まぐれで、確かにチームはリードしてる。けどダディの努力は認めてくれるよな? 今日は5三振だぞ? それも気のないふりじゃなく、打てるボールをわざとファールして追いこまれた上での、オスカーものの演技でだぞ? ここまでしたんだ、このまま勝っちまっても、その、約束は……)
見つけた。
意気消沈するロジャースファンたちの中、ぽつんと座る一人の少女。
その顔は。
(ヒィー!)
怒っていた。
音のしそうなほど強く握られた拳をヒザに押しつけ、クルミのような丸い瞳をイガグリのごとく尖らせている。
どう考えても許してくれそうにない。
青ざめるドビーの後ろから、事情を知らないチームメイトたちが、優しく声をかけてきた。
「ドビー……お前一人5三振だからって荒れるなって。ここまでホームラン数がリーグ二位だぜ。立派なもんだよ」
「そうだよ、そういう日もあるさぁ。5三振だけどな」
「あんたへの信頼は揺らいでないよ。5三振だけどな」
「ドビーさんっ、カッコいいっす! 5三振だけどな」
「うわあああああああああああ!」
生ぬるい視線に耐えかねて、ドビーは通路に逃げた。
うかれ気分のチームメイトは、自分のことをただの不調と思っているらしい。
怪しまれずに済んでいるのは助かるが、5三振の上にパスボールを二つやらかして「不調のうち」で済まされるのはちょっと悲しかった。
スパイクで廊下を打ち鳴らし、一目散に無人のロッカールームに駆け込む。
とにかく次の最終回だ。なんとしてもロジャースに逆転してもらわなければならない。
――しかしどうする。
アルゲニーズの脆弱投手陣と好調ロジャース打線の組み合わせを考えれば、点を取ってくれる可能性はたしかに高かろう。
だが、ここまで来てなりゆき任せにするのは危険すぎる。
どうするどうするさぁどうする、
「どうかしたであルますか?」
ぎょっと顔を上げる。
隅っこのベンチに座っていたのは、小さな背中の背番号91――珠姫だ。
この試合、ここまで彼女の出番はなかった。
「……お前こそ、何やってんだ。ブルペンにも入らずに」
「心の準備を、であルます」
と言いつつ、ベンチの上で足を組み目を閉じる珠姫。
ザゼン、というやつだろうか。コンセントレーションの一種だと聞いたことがあるような気がするが、東洋の風習はよく分からない。
「……お前、まさかそれでチームに呪いでもかけたんじゃあるまいな」
「はイ?」
「いや、何でもない。気にすんな」
そう、こんなヤツに関わっている場合ではないのだ。
なんとか逆転してもらう手立てを――
「!」
頭の上に天啓が落ちた。
珠姫の肩をひっつかんで振り向かせる。
驚きすくむ彼女に向かい、至極真剣な声で、
「お前、投げたいか?」
「はイ?」
「今日、今から投げたいか。世界最高峰のマウンドに立ちたくないかと聞いてるんだ」