20th inning : It's gone!!
【アルゲニーズのドビー・ジョンソン、新しいミットを受け取ってホームベースに戻ります! かなりの重傷のようですが大丈夫でしょうか? 攻めるほうも守るほうもまさに死にもの狂い、すさまじい勝負になってまいりました! 続く二球目、シスター・ラングマリはヒメカワの魔球にどう対抗……と、おや?】
そのラングマリの姿が見えない。
先ほどまでベンチの前にいたはずなのだが。
【あっ、今ダグアウトの奥から出てきました……どうやら、替えのバットを取りに行っていたようです……が……おおおぉっ?】
出てきたシスターの姿に、観客席からどよめきが上がる。
もっと言うなら、彼女が手のしたものに、だ。
【な、長い!】
ラングマリが携えてきたバットは、一目で分かるほどに長大だった。
通常メジャーの打者が使うバットは、三十四インチ(八十六・三メートル)前後。
対してこれは四十二インチ(百六・七センチ)、すなわち野球規則による上限ギリギリの長さと思われる。
スタンドから見ても分かるほどの、異様なロングバットだ。
「なるほどなぁ……」
バットを引きずるように歩いてくるシスターを、ドビーが苦笑いで迎える。
つまり、彼女はこう言いたいのだ。
押し負けたのは力が足りなかったためではない。
バットが短かったからだ、と。
「またえらくアナログな手で来たじゃねぇか。マジックはもう品切れか?」
「何のことでしょう? 気分転換にアクセサリを変えただけですよ。これでも女ですから」
顔中に切り傷を作りながら、なお凄艶に笑ってみせる姿には、言い知れない凄みがあった。
――次が勝負だな。
たかが数インチ。
しかし次はその数インチ分、シスターの神通力がボールを押し返すことになる。
その結果何が起こるのか、答えは神しか知らない。
【さぁ、プレイ再開だ! 驚異のスピニングボールを披露したヒメカワが、精神的には一歩リードしているでしょうか! しかし、前回の対戦ではこの二球目でシスター・ラングマリが見事ヒメカワのボールを打ち返しています! その再現を期待したい!】
打席に入ったシスターが、再び槍の構えをとり、そして珠姫に語りかけた。
『やはり貴女だわ、九尾。私のファム・ファタール。錆びた宝箱を開く、黄金のカギ。九百年止まっていた時計が、動き出したみたい……』
珠姫は答えなかった。
いや、答える余裕がないというほうが正解だ。
「ふぅっ……はぁっ……」
びっしりと汗をにじませ、肩で息をする。
十貫球の連投にも表情を変えなかった彼女が、たった一球でこのありさま――穿貫球とは、それほどの魔球だった。
深く大きく息吹くと同時に、光の粒が舞い上がる。
十、二十、三十、四十――見る間に数を増やしていく蛍のような粒が、ひとつの群れのように意思を持って渦巻きはじめる。
「貫き、穿て――」
ぐん、と体重を六歩半先へと移し替え、弓なりに張った胸から、全身の力を右腕へ。
全身全霊、乾坤一擲、まさしく渾身の、
「秘球・穿貫球!」
ライフル弾のごとく、らせん状に旋回する白球が弾き出された。
「はあァッ!」
ラングマリは何の迷いもなく迎え撃った。
輝く神槍と螺旋の魔球。再びホームベース上で衝突する超常パワー。
衝突点から炎と黒煙、そして激音とともにナイフのような木片が乱れ散る。
さらには神通力同士の衝突の余波か、爆竹が炸裂したかのような火花まで散り始めた。
「ぐううううううっ!」
シスターの両腕がブルブルと震える。
いつもの余裕はもはやどこにも見られない。
バットが発する光の量は一球目よりもはるかに多く、彼女も力を振り絞っていることが見て取れる――が、それでも。
【うわああっと! 削られる! ドリルボールが神の槍を確実に削り取ってゆくゥ!】
穿貫球のパワーは神槍をはるかに凌駕していた。
あれほど長大だったバットが、もうペットボトル程度の長さしかない。
「こ……の……!」
ラングマリが左手をバットから離した。
もはや両手で持てるほどの長さがないのだ。
槍の構えは崩れ、右手だけで、ドアノブを持つようにボールを押し込みにかかるだけ。
【と、止まらない! それでも止まらなぁい! スピンボールはなおもバットを食い破ってゆく! なんというパワーだ!】
ついにバットは、グリップを残すだけになった。
神通力を出しつくしたのか、もはや火花も散っていない。
「く……こ、これしきで……っ……これ、しき……で……っ!」
回転魔球がラングマリの手に到達するまで、あと五インチ。
四インチ、
三インチ、
二インチ、
一インチ――
「く……あ……あ……あ……!」
バットが完全に消滅するその瞬間、ラングマリはひときわ強くグリップを握り、
「はああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
振り切った。
「何ィ!」
爆発的に弾ける青い閃光とともに、粉微塵の木片が四散する。
その中で、ドビーは高々とセンター方向へ舞い上がるボールを見た。
【あ、上がったァ――! なんとラングマリ、片手だけでドリルボールを打ち返したァ!】
スタジアムが地鳴りそのものの歓声に揺れる。
「センタ――――――ッ!」
内臓も飛び出んばかりの声を上げるドビー。
言われるまでもなく、中堅手のエンリケスは、バックスクリーンに向かって一直線に背走している。
芝生を蹴り飛ばして走るその背中を、空飛ぶ白球が追いかける。
【センター、猛然とバック! しかしシスターのマジック・バット、ボールは落ちなーい!】
神通力を受けた白球は、重力を無視して風船のように天へと伸びてゆく。
【大飛球がバックスクリーンへと向かう! サヨナラへ向けて、天へと果てなく……えっ?】
違う。
ボールが。
どこまでも小さく、夜闇に溶けてゆくと思われた白い点が。
【お、落ちてくる! なんと打球が重力に引かれて落ちてくるぞ! そんなバカな!】
穿貫球だ。
ドリルボールがバットを完全消滅させたため、ラングマリの神通力がボールまで通りきらなかったのだ。
いまや、この打球は物理法則に従うだけの、ただのボールにすぎない。
「伸びろ、伸びろ、伸びろ――――――っ!」「入れ、入れ、入ってくれぇぇぇぇっ!」
「落ちろ、落ちろ、落ちろ――――――っ!」「捕れ、捕れ、捕ってくれぇぇぇぇっ!」
両軍の選手、ベンチ、ファンたちの決死の声が、夜空の白点ただ一つに注がれる。
まるでボールに耳があると信じているかのように。
そして、もしそうならば、あまりにもアルゲニーズは、不利だ。
【……の、伸びる! 打球はまだ伸びる! 圧倒的多数のカーニバルスファンのコールを聞き入れたように、ボールは! バックスクリーンのフェンスめがけて! 距離を伸ばして行くゥ! いいぞ、そのまま行けぇぇぇっ!】
エンリケスの目の前にフェンスが迫る。もう下がるところがない。
白球は彼の頭上を越え、そしてとうとうフェンスの向こうへ――
「させるか、このやらァァァァァァァッ!」
瞬間、エンリケスはジャンプ一番、右のスパイクでフェンスを蹴った。
そこからさらに体重を持ち上げ、カベを駆け上るようにして体を伸ばす。
バネのように伸び切った身体がボッシュ・スタジアムの低いフェンスの上、半分以上も飛び出し、突き出したグラブが頭上を越えようとするボールにすがりつき、
【な――】
もぎとった。
完全にスタンドに入っていたはずの打球を、スパイダーマン顔負けの動きでつかみ取った。
ホームラン・キャッチだ。
「うおおおおおおおおおっ!」「やった! やったーッ!」「エンリケースッ!」
ドビーとアルゲニーズの面々が両腕を突き上げる――その次の瞬間だった。
ぐらり、とエンリケスがフェンス上で揺れる。
勢いのつきすぎた身体がバランスを崩す。
「あ……っ」
ドビーの目には、まるでスローモーションのように映った。
壁の向こうへ重心を持っていかれるエンリケス。
その背中が、足がゆっくりと逆さになってゆき、そのままボールごとフェンスの向こうへ――
【は、】
消えた。
【入ったああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!】
セントルイスの街が地鳴りのように揺れた。
【ホ―――――――――――――――――――――――ムラン! 最後はセンターの体ごと、フェンスの向こうに追いやって! そして! この瞬間! 逆転サヨナラ! セントルイス・カーニバルス、地区優勝決てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!】
カーニバルスのダッグアウトがあっという間に空っぽになる。
選手もコーチも監督も、顔じゅうをしわくちゃにしてグラウンドに飛び出してゆく。
スタンドから、狂喜乱舞の喚声と、スティックバルーンが花火のように飛び上がる。
ざしゃ、と。
砂の上に重いものが落ちる音が、ドビーの耳を打った。
やけに視線が低い。
お祭り騒ぎの観客席が、はるか頭の上にある。
「あ……」
そこでようやく、ドビーは、自分がヒザ立ちになっていることに気づいた。
無意識のうちに、ヒザから崩れ落ちていたのだった。
「負け……た……」
右中間スクリーンが、フェンスの向こうの芝生に横たわるエンリケスと、彼のかたわらに落ちた白球を映している。
抗議の余地もない、完全無欠のホームランだ。




