17th inning : I give you a lovely charm.
【帰ってきた顔面ビッグバン! バットを持ったトーテムポール!
前回の対戦ではヒメカワの十貫球でバックネットまで吹き飛ばされ、長期離脱の屈辱を味わいました! 復帰後はご存じのとおり三番打者として三割を超える活躍! 因縁の相手にリベンジ成るかどうか!
いや、出塁すればラングマリまで回るこの場面! なにがなんでも成し遂げなければなりません!】
「たのむぞサイゴウ――――――ッ!」「レッツゴー、ヤマトダマシイ――――!」
しおれかけたスタンドから、最後の希望とばかりに声が絞り出される。
なにしろこのサイゴウ、前回、負けたとはいえ、十貫球を前に転がした実績がある。
ラングマリ以外で珠姫に対抗しうる、唯一の存在――期待感はいやが上にも高まった。
【一縷の望みを託し、スタジアムの歓声すべてが、この男一人に集まります! まさに声援のブラックホール! 吸引力の変わらないただ一つのサイゴウであります!
さぁ、この声に男サイゴウ、どう応える……か……?】
と、そこで実況と観客の声が、尻すぼみになった。
全員の視線が右中間の大型スクリーンに集中する。
正確に言えば、その大画面に映し出された、サイゴウの顔に。
「はっ……はひひっ……ひぐぐっ……」
彼の顔は、石膏で固めたようにこわばっていた。
「ふ、ふふっ、ふはははっ……ま、まさに男を上げる場面……っ! こ、ここ、この西郷、今こそ、日本男子として、一旗を、上げ、あげ、あげげげげげっ…………!」
視線は定まらず、ろれつも回っていない。
持ち前のパワフルな顔面は見る影もなく硬直し、服の上から分かるほど力みかえっている。
見た目と裏腹にプレッシャーには弱い男なのだった。
「マ、マジかよ、ガチガチじゃん……」「ダメだ、こりゃ……」「モアイ像に打たせたほうがマシだぜ……似てるし」「今年もここで終わりか……短いシーズンだったな……」
スタジアム中の期待感が、一気にしぼんでゆく。
五万観衆、オール終戦ムードである。
「サイゴウさん」
と、そこで、ネクストサークルから近づいてくる金髪の女。
シスター・ラングマリだった。
「お、おうっ、ラララングマリ殿。しし心配なされずとも、この西郷、かか必ずや次につないで、い、いや、自ら勝負を決してみせ、みせ、みせましょうぞ! は、ははハハヒホヘハ!」
強がってみせるが、目の焦点が合っていない。
視神経まで石化しているようだ。
ラングマリは、ふふ、とにこやかに笑んでみせ、
「まぁ、落ち着いてください。……いえ、無理ならかまいません」
「はヒ?」
「私が、素敵なおまじないをかけてあげますから」
何? とサイゴウは聞き返すヒマもなかった。
次の瞬間、ラングマリのバットが、こつん、と彼の額に触れていたからだ。
「あ……」
ブゥン……と青い波紋が額に広がり、次いでゆるやかに消えてゆく。
棒立ちになったサイゴウの目から、光が消える。
代わりに灯ったのは、サーチライトのような青白い光――
と。
「ブオオオオオオオオオオッ!」
発情したゾウのごとき叫びとともに、サイゴウの両腕が天を衝いた。
【なあっ?】
こわばっていた体に浮き出る無数の血管。
固まっていた肩から立ち昇る昂奮の蒸気。
表情からは気負いが消え――というか、理性すらも消え、牙をむいた口からは熱したヨダレがだらだらと漏れはじめた。
さながらゲームに出てくる狂戦士のようだ。
「お、おい、サイゴウ……」
「ブオオオオッ!」
「うおっ!」
声をかけた途端噛みつかれそうになり、ドビーはのけぞった。
もはや人間の言葉は通じていないらしい。
「おいおい! こんなヤツに野球させていいのかよ!」
主審に問いかけるが、こちらもこわばった顔で首を振るだけ。
なにせ『バーサーカーに野球をさせてはいけない』という規則はないのである。
【な、なんだかよく分からないながら、ともかく左打席に入りました、ゲンジロウ・サイゴウ! この状態でルールを理解できているかは定かではありませんが、少なくとも先ほどのモアイ像状態より変な期待感があるのは確かです! この際なんでもいいから打ってくれ!】
ブシュー! と全身から蒸気を発しながら構えをとる狂戦士サイゴウ。
対する珠姫の目は、ネクストサークルに戻ったラングマリに向いていた。
『そうまでして、妾とやりたいか……』
何かしらを日本語でつぶやいたようだが、ドビーにそれは聞き取れない。
ただ、ラングマリが妖しく笑みをこぼしたのが見えるだけだ。
「プレイッ!」
主審の宣告とともに、白髪姫がワインドアップの姿勢をとる。
高く持ち上げられたグラブが光り輝き、そのまま胸元へ収まる。
振り上げた左足のスパイクが、六歩半先まで踏み出され、繰り出す右腕から、
「十貫球!」
光の弾丸がホームベースに殺到した。
対する狂戦士は、やおら手にしたバットを口元まで持ってゆくと、
「ムグンッ!」
なんと、そのグリップに噛みついた。
恐竜のごとく分厚い歯が、ガッチリとグリップに食い込む。
バットの角度は、地面と水平に。そして、バットの色は毒物のような青に。
そのまま首を一旦キャッチャー方向へと振り、一気に逆向きに回転させて、
【く、くわえたバットでスイングぅぅ!】
ギィン! と金属同士のぶつかる音がドビーの耳をつんざいた。
青と白の波動が重なり、かぶさり、ぶつかり合う。
アゴに血管が浮き出させながら、サイゴウは野獣の力を振りしぼり、
「ンギィィィィッッッッ!」
【振り切ったァ――!】
と、次の瞬間、音を立てて、バックネットにサイゴウのバットが突き刺さった。
サイゴウの口には、バットグリップ部分だけしか残っていない。
力の衝突に耐え切れず、根本から折れてしまったのだ――が。
「! ボールはッ?」
ない。
ドビーのミットに白球は収まっていない。バックネットにも。
【あっ――】
あった。
【前だ! フェアグラウンド、三塁線にボテボテの当たりが転がっているゥ!】
完全に死んだ打球だが、それがかえってまずい。
サイゴウはすでに一塁へと駆けだしている。しかも。
【なんだぁ?】
手足を地面につけて、獣のごとく四本足で突進してゆく。
雄叫びを上げて爆走するその姿は、人間というより発狂したイノシシだ。
【サイゴウ、なんと四足歩行! しかも速ぁい! これが人類を脱出した男の走りか!】
珠姫がマウンドを飛び出し、三塁線のボールを捕りに行く。
それを制したのは、サードのアンガスだ。
「どけタマキ! 俺が捕る!」
猛然と突っ込み、素手で球を引っつかむ。と、
「づッ?」
瞬間、バチン、と青白い火花がアンガスの手を襲った。
電気を帯びた鉄の球に触れたかのようだ。
「な……ろぉっ!」
それでも根性で痛みを握りつぶし、身体を投げ出すようなジャンピングスロー。
サイゴウのヘッドスライティングと、ほぼ同時のタイミングで一塁手に送球が届く。
悲鳴と喚声、土煙が入り混じる中、一塁審判のコールが、
「セ――――――――――――――――――フ!」
ドォ、と大地が揺れた。
歓声、拍手、大喝采。アナウンサーが机を叩いて天に吠える。
【やった! サイゴウやった! 魂の走塁で、難攻不落の大要塞から内野安打をもぎ取りましたぁ! まだ終わってない! カーニバルスの戦いはまだ終わらないィィィ!】
「よくやったぞサイゴウ! ナイスバッティングだ!」
カーニバルスの一塁コーチャーが、うつぶせのヒーローの背中をバシバシと叩いた。
「は……は?」
面を上げたサイゴウの顔は、正気を取り戻していた。
「おい、よくやったぞ! 見事な走塁だった! ちょっと怖かったけど!」
ぽかんとあたりを見回し、ギョロ目を丸くする。
どうやらラングマリに頭を叩かれて以降の記憶がないようだ――が、そこはバカの理解力。
「ズ……ズワハハハ! 意識のない中で打ってしまうとは! この西郷に不可能なし!」
一方のアルゲニーズサイドは、目の前の勝利を取り逃がした形だ。
「くっそォォ!」
悔しさを拳に込め、アンガスが地面を叩く。
アウトにできるタイミングだった。あの感電のようなものさえなければ――
「大丈夫であルます。次は抑えるであルます」
その肩をぽんと叩いて、珠姫はマウンドに戻ってゆく。
「次って、お前……。次は……」
アンガスの声は、珠姫に届く前に、歓声の洪水に飲み込まれた。
次のバッターが、ネクストバッターズサークルから歩み出て来たのだ。
【そうです! 次は! 次のバッターはッ!】
絵画のように整った端正な目鼻。人形かと思うような白い肌。
見る者の視線を奪う美貌の中、そこだけが泥沼のように濁った、灰色の瞳。
血と同じ色をした唇を引き上げる、その女の名は。
《背番号66! アレックスゥ! ラングマリィィィィィィ!》
五万人の怒号で、ボッシュ・スタジアムが揺れ動いた。
鼓膜も破れんばかりの声の渦。
魔球の姫君は、九百年の宿敵に向かって言った。
『決着をつけようぞ』
神槍の聖女は、九百年の宿敵に向かって言った。
『貴女の死をもって、ね』




