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16th inning : NOW IS THE TIME!

【NOW IS THE TIME!

 積み重ねた八つのイニングは断頭台への階段か、それとも天国へのきざはしか!

 常勝軍団と言われ続けて幾数年、真価を問われる瞬間がやってきた!


 九回ウラ、スコアは6―7!

 我らがカーニバルスが一点を追いかけて、最後の攻撃に入ります!


 打順は折よく一番から!

 すなわち一人でも出塁すれば、四番ラングマリに回ります!


 古い格言に言います! 天は自ら助くる者を助く、と!

 この試練を乗り越え、自らの手で天国への扉をこじ開けることができるか!

 もう一度申し上げます!


 NOW IS THE TIME!

 今こそ審判の時!】


 最終回、一点のビハインド。

 一塁ベンチでは、カーニバルスのメンバーは、一人残らず顔がこわばっている。


 無理もない。

 初戦を獲って「あと一勝」のところから、ここまで追い詰められたのだ。

 常勝軍団の金看板も、今となってはプレッシャーの種でしかない。


 いや、ただ一人例外がいた。


 シスター・ラングマリ――彼女だけが悠然とベンチに腰掛け、バットの手入れを行っている。

 思えばこれまでの試合でも、彼女が重圧を感じているそぶりは一度も見られなかった。


 カーニバルスナインのミッションはただ一つ、このシスターを打席に立たせることだけ。


 しかし、その前には、あまりにも高く分厚いカベが立ちはだかっているのだ。


【さぁ、来るぞ! ブルペンの扉が開く前から、早くも場内ブーイングのハリケーン!】


 五万観衆の発するブーイングの低音がスタジアムを揺らす中、左中間ブルペンの金網がゆっくりと口を開ける。


 純白の生地に、黄色く縁どられた黒いロゴ。

 アルゲニーズのアウェー・ユニフォーム。


《アルゲニーズ、投手の交代をお知らせします》


 漆黒のキャップの下に見えるのは、腰まで流れる絹糸のような白い髪。

 そして、ルビーのように妖しく光る真紅の瞳――。


《背番号91! タマキィ、ヒメカワ!》


 BOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!


【お聞きになれますでしょうか、このうなり声と指笛の嵐! すさまじいブーイングに迎えられ、アルゲニーズの守護神ヒメカワの登場だ! 5.1フィート(155センチ)の大魔神! 人間型核爆弾! 存在自体がルール違反!】


 縞模様の外野芝を踏みながら、魔球の姫君はゆっくりとマウンドへ向かってゆく。


【七月に打球直撃で負傷し、今シーズン中の復帰は不可能とも言われておりました! しかし、大詰めの三連戦に合わせ、奇跡の復活! 過去二戦は出番がなかったため、本日が実に二か月半ぶりの登板ということになります!

 そして繰り返します! この回、カーニバルスは一人出れば、四番のラングマリまで回るのです! 必殺の魔球を打ち崩し、再び因縁の怪物対決に持ち込めるか! 運命のラスト・イニングがはじまります!】




「よーし、来たなプリンセス」


 マウンドに到着した珠姫を、ドビーと内野陣が輪になって出迎える。

 このブーイングの中でも、彼女は普段と変わらぬポーカーフェイスだ。


「いつも通りでいい。頼むぜ」


 それだけ言い残し、とっとと戻ってゆくドビー。


 二塁手のカーターがあわてて、


「ちょ、ちょっとちょっとドビーさん、いいんスか?」

「何が?」

「優勝を決めるイニングっスよ。しかもケガからの復帰戦で、かける言葉がそんだけって」

「他に何言えってんだ。ケガのことなら、首脳陣がOK出してんだからOKなんだよ。それともお前が車椅子でも押してやんのか?」

「や、でも、タマキだって不安だろうし……ちょっとは気遣ってやっても」

「あのなぁ、カーター。そういうこと言うと、余計に不安になるだろーが」


 あ、と口をふさぐトラビス・カーター、二十一歳。

 まだまだ青二才である。


「大丈夫であルますよ」


 珠姫は口元を優しく緩め、青二才に微笑みかけた。


「心配してくれてありがとうござルます。かーたーサンの気持ち、嬉しく思うであルます」

「う、うん……あの、がんばれよ」


 月並みなセリフだが、心はこもっていた。

 これで許されるのは青二才の特権である。


「なんだカーター。お前、まさかタマキに気があんのか?」

「な、何言ってんスかゴメスさん! 俺はただ心配して!」

「わかったわかった。続きはあとで聞いてやるよ、シャンパンシャワーしながらな」

「いや、だから」

「おっしゃあ、じゃカーターのために優勝してやっか!」

「頼むぞ、タマキ! バックはカーターが愛のチカラで守ってくれるってよ!」


 口々に励ましの言葉をかけながら、散ってゆく内野陣。

 「違うっスからー!」と叫びながら、赤面青春野郎・カーターも定位置に逃げ帰ってゆく。


「? どびーサン、愛のチカラとはどういう意味でショうか?」

「聞いてやるな。ま、せいぜい気負わずにな、タマキ」


 ドビーも肩を揉みながら、キャッチャーボックスに戻った。


 いつもの通りマスクをかぶる。

 いつもの通り腰を下ろす。

 いつもの通りレガースを締め直して、


 ――くそっ。


 バンドを締められない。

 手が、震えていた。


 何がいつも通りだ。

 本当は、珠姫にかける言葉が見つからなかったのだ。


 完全アウェーのこの雰囲気。

 一点差。

 復帰初登板。

 加えて、一人でも出せばあのラングマリに回ってしまうという重圧。

 逆風の材料を挙げていけばきりがない。


 それでも、他の連中に弱気を見せるわけにはいかなかったのだ。


 ――タマキ……ボールは戻ってんのかよ?


 2Aで二試合投げて抑えたというが、マイナー相手ではなんとも言いようがない。

 メジャーのマウンドに立った途端、見る影もなく崩れる投手を、自分は何人も見てきたのだ。


 ――頼むぞ、タマキ。


 震えを押し殺し、ドビーはレガースの金具を留めた。


【さぁ決戦だ! 大歓声の中、左打席に入ったのは一番ヘルナンデス! 本日、ホームランを含む三安打を放っております!】


 主審がマウンドに向かって右手を差し出す。

 力強く人差し指を珠姫に向け、


「プレイッ!」


【今、宣告が下された! さぁ、この初球注目しましょう! いかにヒメカワといえど、約七十日ぶりのメジャーのマウンド、一球目は相当の緊張があるものと思われます! さらに、打席のヘルナンデスは今シーズン、ファーストストライクに対する打率が実に四割以上! ここはぜひとも、初球ストライクをとりに来たところを積極的に、】


 ドォン!


 と、トラックのぶつかったような轟音が、実況を断ち切った。


【……は?】


 キャッチャーボックスの中には、誰もいなかった。


 ヘルナンデスが、呆然とバックネットを振り返る。


 そこにいたのは、仰向けに折り重なって倒れる、主審とドビーの姿。

 そして、キャッチャーミットから立ち昇る白い煙と、焦げた匂い――。


「ス…………、ス、ス、ス」


 よろぼい起き上がった主審が、右腕を突き上げた。


「ストライ――――――――――ク!」


 うおおおぉっ――――? とスタジアムがどよめきに揺れた。


【なっ、なんとぉ! ヒメカワ、とてつもない豪球でド真ん中ストライク! 恥ずかしながらワタクシ、実況がまるで間に合いませんでした! こ、これが二か月前に頭蓋骨骨折した人間の球なのか? 誰かウソだと言ってくれ!】

「ヤッロー……。こんだけ回復してんならそう言えっての」


 両足ガクガクになりながら、ドビーは嬉しそうに口の端を歪ませた。

 スピード、パワー、威圧感。どれをとってもケガの前と遜色ない、いや、それ以上の球だ。


【マウンドのヒメカワは表情ひとつ変えません! まさにマウンド上の……っと言ってる間に二球目が来たァ!】


 再び六十フィート六インチを突き破るレーザービーム。


 ヘルナンデスは我に返り、迫りくるボールにバットを出しかけ、


「うっ!」


 爆音とともに吹っ飛ぶドビーを、見送ることしかできなかった。


 振れない、見えない、手が出せない。

 この世に生まれて二十数年、彼にとって初めて遭遇するボールに違いなかった。


「いざ、参ル――」


 間髪入れず、三球目。

 マウンドの上に光が満ち、うなりを上げる右腕に導かれた光線が、


「十貫球!」


 三球連続、ド真ん中。


 捕手をぶっ飛ばす超絶魔球に、バットはぴくりとも動かない。


 ドビーの下敷きになった主審が、寝転がった姿勢のまま、プロ根性で拳を突き上げた。


「ス、ストライーク! バッターアウゥッ!」

【うわあああっ! なんとなんと三球三振! ヘルナンデス、呆然自失ゥ!】


 生気のかけらもなく、ベンチに帰ってゆくヘルナンデス。


 それと入れ違いに、次の打者が打席に立つ――が。


「ストライーク! バッターアウゥッ!」


【ここも三球三振だぁ――――ッ! 二番マードック、手も足も出な――い!】


 沸き上がっていたスタンドも、完全に意気消沈である。

 二人続けての見逃し三振――普通ならブーイングものだが、これほど圧倒的なピッチングを見せられては、声も出ない。


「な、なんだよあの球……メチャクチャだよ」「バケモンだ……あんなの打てるわけねぇ……」


 対するアルゲニーズ、その気勢の上がり方は天井知らずだ。


「うおっしゃあ! いいぞタマキィ!」「あとひとつだ、あとひとつゥ!」「いけ――ッ!」


 内外野もベンチもあらん限りの声を張り上げる。


 二十五年ぶりの地区優勝まであとアウト一つ。

 地元ピッツバーグでは、ファンたちが総立ちでテレビにかじりついているだろう。

 チームにとって歴史的な瞬間が、間近に迫っていた。


【ツ……ツーアウト、ランナーはなし……。カーニバルス万事休すか? ……いや、違う! まだ、まだカーニバルスには、この男が残っています!】


 実況の声に応えるように、ネクストバッターズサークルから、一人の男が歩み出てくる。


 その巨体、いや、その巨顔に、五万観衆が「おぉ……」と生気を取り戻す。


【まだ終わらせはしません! 三番は、そう! 三番打者はこの男であります!】


 日本人とは思えないほどの巨躯。

 常人の倍はあろうかという巨大な顔面に、ゲジゲジ眉毛とギョロギョロ眼。


 場内アナウンスが、祈るように男の名を呼んだ。


《背番号315! ゲンジロウ・サイゴォォォ!》

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