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7th inning : 「誰をたぶらかして、何をするつもり?」

 すさまじい歓声の渦が、二人の選手を包み込む。

 目を開けていられないほどのフラッシュが、嵐となって吹き荒れる。


 それもそのはず、これから始まるのは、メジャーリーグ・ベースボール史上初の、女性選手同士の対決――それも、断じて余興ではない。

 超ド級の怪物同士の激突なのだ。


「当たれば必ずホームランにする打者と、当たれば必ず相手を吹き飛ばす投手、か」

「仕事抜きで観たいマッチアップだな。この打席だけで、一試合分カネがとれるぜ」


 プレス席の記者たちも、一人残らず前のめりだ。

 明日の一面のコピーのことも、今この瞬間だけは、彼らの頭からすっ飛んでいるに違いない。


「たのむぞ、タマキ――ッ!」「ビシッとキメてくれよォ、クノイチガール!」「ヘイ、シスター! 調子に乗んのもここまでだぜ!」「カビ臭ぇ修道院に帰りな、アーメン!」


 歓声とヤジが、四方からなだれ落ちる。

 珠姫が、手にしたロージンバッグを地面に置く。

 ラングマリが、右のバッターボックスに入る。


 対決が、はじまる。


【二人の超絶プレイヤーが六十フィート六インチの空間を挟んで、今、対峙! くぅ~~っ、こりゃ鳥ハダ止まんねー! いいか、絶対ジャマすんなよ! たとえおふくろが死んだっつっても、俺ァこの席を離れねェからな!】


 主審がプレイの宣告のため、右腕を上げかける。


 と、その寸前、思いもかけないことが起こった。


『ひさしぶりね』


 ラングマリが、マウンドの珠姫に向かって声をかけたのだ。


 珠姫の眉間がぴくりと動いた。


『私が分かるかしら? ……いえ、分かるからこそ、出てきたんでしょう?』


 ドビーも思わず眉をひそめ、かたわらの打者を見上げた。


 ――なんだ、何をしゃべってんだ、こいつ?


 言葉の内容が分からない。


 どうやら、日本語のようだ。


 しかし、なぜアメリカ人であるラングマリが日本語を話せるのか。

 なぜこの場面でいきなり珠姫に話しかけるのか。


『まさかこんなところに現れるなんてね。今度は誰をたぶらかして、何をするつもり?』


 言葉は分からないが、ラングマリの声には、嘲け笑う色があった。

 珠姫を見下すような、それでいて楽しむような。


 一方の珠姫はシスターの言うことが分かっているのか、いないのか。

 表情は変わらない。

 いつも通り、やや釣り目気味で感情の見えない赤い瞳をじっと前に向け――やがて声を返した相手は、ラングマリではなかった。


「主審サン」


 英語だった。 


「プレイの宣告を。試合をはじめまショう」

「あ? あ、あぁ……」


 呆けていた主審が、我に返ったように右手を上げる。


 無視された形のラングマリは、しかし、気分を害した様子はなく、ふ、と口元だけで笑ってバットを水平に構えた。

 一撃必中、ホームラン・バントの構えだ。


「プレイッ!」


 珠姫のグラブがゆっくりと天を衝く。

 ぐぐっ、と音がしそうなほどに、スタジアムの視線が集中する。


 胸元にグラブが下りると同時に、左のヒザが顔につきそうなほど引き揚げられる。

 片脚立ちの水鳥のごとく優雅なフォームは、しかし、次に肉食獣の咆哮へと変わる。

 腰を深く落とし、体重を力強く踏み出した左足へ。

 斜め上に張った胸から右腕がうなり、


「十貫球!」


 空気のカベを貫く音とともに、レーザービームが放たれた。


 光の帯が、定規で引いたような軌道でミットめがけて飛んでゆく。


 対するラングマリは迷いなくバットをかぶせにかかった。

 白の光弾と、青の神具。

 二つの超自然的パワーがベースの上で、


【しょ、正面衝突ゥ!】


 ギィン! と、まるで金属同士がぶつかるような激音がとどろいた。


 衝突点を中心に、白と青の波紋が広がる。

 激しい衝撃に、ベース周辺の砂粒が弾け飛ぶ。


【こっ……これは! 互角かァ!】


 力と力のぶつかり合いは、しかし、長くは続かなかった。


 ラングマリの踏ん張った両足がずり下がる。

 腰を落として抑え込みにかかるが、十貫球の威力はそれをなお上回っていた。


「ぐっ……」


 押し込まれたシスターの体がエビぞりに反り返り、そして、


「くぁっ!」


 バァン! と車にはねられたごとく後方へと吹き飛んだ。


 アルゲニーズベンチから雄叫びが上がる。


「やった!」「よォしっ!」


 そして、ボールは。


「ファーストぉ!」


 ドビーの怒声の先、一塁線のちょうど真上に上がっていた。


 ふらふらと上がった打球の勢いは、どう考えてもファーストフライのそれでしかない。


 なのに。


「なに?」


 ドビーの金壺眼が、驚愕に見開かれた。


【お…………落ちない!】


 ボールが落ちない。

 神通力を得た打球は重力を無視し、弱々しいまま一塁線上を昇ってゆく。


【やばい…………やばいやばいやばいやばいッ!】


 実況の声が一気に緊迫の色を増す。スタジアムの歓声が悲鳴に変わる。


 ボールの上昇が止まらない。

 十貫球をもってしても、ホームラン・バントを止められない。


 グラウンドとスタンドの全員の絶叫を悠々と見下ろしながら、ボールは風船のように音もなく夜空へ舞い上がる。

 その高度はもう、ライトポールのはるかに上だ。


【ジ――ザ――ス! ボールはもうスタンドイン、いや、場外脱出間違いないところへ! ……し、しかし、ポールの内か外か、これは微妙なところだ! ファウルか、インか? 切れるか、入るかァ?】


「切れろ、切れろォ!」「来るな、バカ――ッ!」


 ライトスタンドのアルゲニーズファンたちが、打球をポールの外側へと押し出すように両手を突っ張る。

 逆に、ポールの外側の客たちは綱引きでもするようなジェスチャーだ。


 そして、夜空の小さな白点が、アルゲニーズパークの外壁の向こうへ消えた。


【判定はッ?】


 ボールを追っていた六万個の目が、一斉にライト線まで移動する。

 その向かう先は、フェンス際まで寄っていた一塁塁審だ。


 ジャッジ権を持つ塁審が、ポールの彼方の闇へと目をこらす。


 ごくり、と固唾をのむ音が聞こえそうなほどの緊張感の中、ゆっくりと両手が斜めに上がり、


「ファ――――――――――――――――ル!」


 どはぁ――――ッ! と、スタジアムが、三万個分の息を吐き出す音に包まれた。


【あっ………………ぶねぇぇぇ! し、死ぬかと思った! ラングマリの打球は、かろうじてライトポール外側へ! 助かったぜ、サンキューゴッド!】

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