6th inning : I'LL BE aS UsuAL.
【さぁ、ゲームは3―3同点のまま、九回表! 先頭打者は、またまたまたまたシスターさんだァ! こんなキンタマもついてないヤツにポコポコポコポコ打たれやがって、情けねぇとは思わねぇのかアルゲニーズの野郎ども! 何とか言ってみろ、コラァ!】
バンバン! とテーブルをドラム代わりに、アナウンサーが怒りのビートを刻む。
アルゲニーズ愛あふれる彼も、やられっぱなしのホームチームに、とうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。
いやいやあんなバケモノどうやって抑えるのか、という反論もあるだろう。
しかし、相手がどうこう以前に、グラウンドでは、アルゲニーズ内野陣がボール回しもせず、十字架を握りながらガタガタ震えていたのである。
こんなザマを見せられては、誰だって脳天ブチ切れるに決まっていた。
【お前ら、それでもプロかァ! 次も放り込まれたら逆転だぞ、分かってんのか、おい! どうなんだ、どうすんだ、どうしてくれるんだァァァ! …………およ?】
そこでスタンドがざわ、と揺れた。
観衆の目が向かうのは、ブルペンからマウンドへと歩いてゆく一人の選手。
その帽子からは、すでに白く輝く長髪が流れて見える。
《ピッチャーの交代をお知らせします。ラミレスに代わりまして……》
一人、また一人と立ち上がるファンたち。
白髪を追って持ち上がる人波。
そして、場内アナウンスが、三万観衆の待ち焦がれたアナウンスを告げた。
《背番号91! タマキィ! ヒメカァーワ!》
YEAH! と怒号のごとき歓声が駆け抜けた。
【きたああぁぁぁ! 待ってましたァ! 我らのプリンセス・クノイチが今シーズンはじめて同点の場面で登場だ! そう! 目には目を、歯には歯を、キンタマついてないヤツにはキンタマついてないヤツを! ポンコツぞろいのアルゲニーズ、こうなりゃ頼れるのはもうおめぇしかいねぇ! いったれ、タマキィィィ!】
「で、どうするよ、プリンセス?」
ドビーはマウンド上、投球練習を終えた珠姫に歩み寄り、声をかけた。
「どうもこうもあルません。いつも通りであルます」
淀みなく言い切ったパートナーに、鼻をこすって苦笑する。
たしかに愚問だった。
相手がどうであろうと、真正面からぶつかり、そしてぶっ飛ばす。
この女はそれしか知らないし、やらないし、要らないのだから。
「オーケイ、ベストアンサーだろうよ。……オラァッ、お前らいつまでお祈りしてんだ!」
ドビーの喝に、砂山を作って召喚の儀式っぽいことをやっていた内野陣が、キャーと蜘蛛の子を散らす。ったく、とドビーは呆れ、
「ま、あのアホどものことは気にすんな。前に飛ばさなきゃあ、どうってことねぇんだから」
パートナーの背中をポンと叩き、戻ろうとする――と。
「……タマキ? どうした?」
珠姫の顔はドビーを見ていなかった。
朱の瞳を三塁側に向けて、どこか上の空だ。
「なんだよ、そんなに敵さんが気になんのか?」
「……いエ、大丈夫であルます」
「頼むぜ。ここを抑えたら次は俺に回る。とびきりのサヨナラホームランでメジャー初勝利をプレゼントしてやるよ」
「はイ。がんばルまショう」
よし、と拳を突き出してくるドビーに、珠姫はグータッチで応えた。
「ど、どうするどうする、シスター?」
ネクストバッターズサークルでは、片膝立ちで控えるラングマリに、ハミルトン監督がオロオロと声をかけていた。
「どうする、といいますと?」
「いや、大丈夫なのかと思ってな」
リーサルウェポン・珠姫の登場に、アルゲニーズパークは興奮の絶頂だ。
黒地にイエローラインの入ったアルゲニーズのレプリカユニフォームを着たファンたちは、ほとんど全員が立ち上がって手拍子足拍子。
三百六十度、完全アウェーのこの雰囲気は、百戦錬磨のカーニバルスの選手たちでさえ呑み込まれそうになる。
「たしかにもの凄いものですね、三万人の歓声というのは。テレビで見るのとは大違いです」
と言いながら、ラングマリの声色はまったく涼しげだった。
目深にかぶったヘルメットの下、目の表情はよく見えないが、緊張とか気負いとかは米粒一つ見当たらない。
これはこれで大したタマだと思う――が。
「いやいや、それもあるがな。前にも話したと思うが、ウチの四番を打っていたサイゴウってヤツが、昨日の試合でヒメカワのボールにぶっ飛ばされてケガさせられたんだ。それで……」
「私も同じ目に遭うのではないか、と?」
「う、うむ。なんだったら、振らずに帰ってきてもいいんだぞ?」
監督にしてみれば、目の前のシスターは金の卵を量産するニワトリ。
一億ドルの当選宝くじよりもはるかに貴重な、オズの魔法使いだ。
この試合を取りたいのはやまやまだが、無理をさせて、ケガなどされたら悔やんでも悔やみきれない。
「心配いりませんよ。前にも言ったでしょう? 信じるものは救われる、と」
「し、しかしだな」
「監督」
と。
そこで、ハミルトンは異変に気づいた。
ヘルメットの下に見えた、ラングマリの顔。
それが一変していた。
肌は熟れたザクロのように紅く上気し、唇からは熱く濁った吐息。
灰色の瞳は、熱した泥水のごとく蕩けきっている。
緊張ではない。
気負いでもない。
表現する言葉を探すなら、悦楽に酔った女の貌だ。
「私、今。とてもおなかが空いてるんです」
その瞳が、どろり、と監督を視た。
背筋にうすら寒いものが走った。
これが、二十歳そこそこの女のできる顔なのだろうか。
見る者すべてに得体のしれない寒気を覚えさせる、狂気をはらんだ笑み――。
「ごちそうを前にして『おあずけ』なんて……あんまりじゃありませんか?」
ハミルトンは、もはや声をかけられなかった。
ラングマリは幽鬼のごとく立ち上がると、バットを手に、打席へと歩みだした。




