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3rd inning : I am Alex Rangmary.

【いったぁ――――――――! アルゲニーズ、初回からドビーの3ランでカーニバルスから先制――――――――――――――――!】


 カーニバルスのヘッドコーチ、コリンズの頭から、灰色の毛がハラハラ~っと落ちる。


 前半戦最後を飾る三連戦の二つ目である。

 ゲーム差はわずかに〇・五である。

 今日負けた時点で、開幕から守り続けた首位の座から転がり落ちる正念場である。

 しかも今日のカーニバルスの先発は、ここまで十勝をあげているエースのグレッグス。

 つまりは何がなんでも取らねばならない一戦なのである。


 だというのに、一塁側を見れば、ハイタッチの嵐が吹き荒れるアルゲニーズベンチ。


 対照に、カーニバルス陣営は早くもお葬式だ。


「な、なぁに! まだ初回だ! たった三点だ! すぐに取り返してやろうじゃないか、なぁっ! ははっ!」


 コリンズが引きつった笑顔を振りまいても、灰色地に赤文字ロゴのユニフォームを着た選手たちは、ぐったりと虚空を見つめるだけ。

 笛吹けど踊らずとはこのことだった。


 それもそのはず、珠姫が加入して以降のアルゲニーズは先制すると極端に強く、実に勝率九割以上。

 最後に絶対的なクローザーのいることが、対戦相手の焦りを誘うのだ。


 そうでなくても、打線はここのところエアポケットに入っており、最近十試合で平均得点が二・一という体たらく。

 統計上、負けは決定的だった。


「か、監督、監督ってば! あなたからも何とか言ってくださいよ!」


 ベンチ奥に助けを求めると、麻酔銃でも撃たれたように横たわっていたハミルトン監督が、据わらない首をもたげた。


「あ、ああぁ……もう試合が始まったのか……なんだか悪い夢を見てたぜ」

「何言ってんです、今が悪夢の真っ最中ですよ。というか、まだ来ないんですか」

「何が?」

「何がって、今日登録した選手ですよ。ホラ、ルーキーリーグの」

「ああ…………えぇと……なんだっけ、アラ、アリ、アリルレロ……?」

「アレックス・ラングマリ、です。頼みますよォ、監督が『すごいヤツがいるから』ってんで推薦したんでしょ。それが試合が始まっても姿見せないって、シャレになりませんよ」

「いや……その、それがだな、大きな声じゃ言えないが、自分でも登録した記憶がないんだ」


 はぁ? と目をむくコリンズに、ハミルトンは頭を抱えた。


「朝、教会でシスターと話をした記憶はあるんだが、それから何も覚えてない。気がついたらグラウンドで試合前のメンバー交換をしてた。頭ン中に消火器をブチまかれたみたいだ」 


 うつむいた頭の上で、コリンズが絶句するのが分かる。

 そんな顔しなくてもヤバいのは俺が一番分かってるよ……と涙が出てくる。


(こりゃダメだな、ホント……)


 いくら心労が重なっているとはいえ、貴重なロースター枠を見たこともない選手に費やしてしまうとは、本格的に神経症のようだ。


 この試合が終わったら、ラングなんとかを抹消して、自分も休養願いを出そう。

 故郷のアイダホに戻ってジャガイモ畑でも経営して――


「ちょっとちょっと! アンタ、ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」


 と、奥の廊下で、スタッフの声がけたたましく反響した。


 なんだなんだ、と半分試合に興味を失っていたカーニバルスナインが、そちらへと顔を向ける。

 ストップストップと制止するスタッフの声にかぶさる、迷いのない足音。


 次いで現れた人物の姿に、ベンチの全員が我が目を疑った。


 黒いフードに黒づくめの長衣。

 ベースボールのベンチにはおよそ場違いな服装――すなわちシスター服を着た若い修道女だった。


「遅れて申し訳ありません。道に迷ってしまったもので」


 ぺこりと頭を下げるシスター。


 対する一同、どうしていいか分からず、


「お、おいおい誰だァ、尼さん呼んだのは? 葬式の時間にゃまだちょいと早ぇぞ?」


 という誰かのジョークに、ハハハ……と乾いた笑いが起こるだけだ。


「ア、アンタは!」

「ああ、監督。お待たせいたしました」


 ハミルトン監督の姿を認め、シスターの顔がほころぶ。


 もちろん、一同の視線は、彼女から監督のもとへと瞬間移動だ。


「え、知り合いなんスか、監督? どういう関係です?」

「いや、その、それを説明すると長くなってだな」

「監督、いくらストレスたまってるからって、コスプレのコールガールをベンチに連れ込むなんて……」

「ちがーう! ヘイ、シスター! 何しに来たんだ! 今どういうときか分かってとるのか!」


 と、シスターの顔に心外そうな色が浮かび、


「あら、選手として登録してくださったのは、監督でしょう? もうお忘れですか?」

「は? ……って、待て待て待て。登録したのはアンタじゃない。ええと、アレだ。アレックス・ラング……」

「はい。ですから、私が、そのアレックス・ラングマリです」


 アッサリと放たれたシスターの一言に、ハミルトンは塩の柱と化した。


「な…………な…………い、いやいや! だってアレックスって! お、おと、おとこ……」

「フルネームは、アレクサンドラですが、よく略して呼ばれるのでそう登録させていただいております。珍しいことではないでしょう?」


 たしかに、愛称を登録名としている選手も、そして、アレックスと呼ばれる女性も決して珍しいものではない。


 が、この女の顔には、「ワザと男と間違えられるようにやりました」と書いてあった。


 ルーキーリーグの所属だったというが、そこでも同じようにして登録枠をせしめたのだろうか。

 ともかくこの女は、ワケの分からない催眠術もどきと半偽名を使って、まんまとメジャーリーグ・ベースボールのロースター枠にもぐりこんだわけだ。


「い、一体何を企んでるんだ、アンタ……」

「あら。もう先制されているじゃありませんか。それも三点も。これは早速私の出番ですね」


 人の話も聞かず、さっさとバットケースから適当な一本を取り出そうとするシスター。


「ヘイ、シスター」


 そこへ、ずんぐりとした黒人の男が、怒りもあらわに近づいてきた。


 アルゲニーズの主軸打者、アルバート・トマソン。


 ケガで登録抹消されたサイゴウに代わり、今日は四番を努めている選手である。


「シスター。オレはカトリックとしては熱心なほうだ。シーズン中でも日曜のミサはかかさず参加してるし、四旬節の断食も毎年続けてる。こないだ生まれた息子には二か月で洗礼を受けさせた」

「素晴らしいことですわ。貴方に神の祝福を」

「サンキュー。だが出て行ってもらおう。どんな手違いで来たのか知らんが、ここはノートルダムでもウェストミンスターでもねぇ。ベースボール・スタジアムだ。たとえあんたがマリア様だろうと、女が足を踏み入れていい場所じゃあねぇ。アンダースタン?」


 にらみをきかせるトマソンに、しかし、ラングマリは微動だにしなかった。


「あら、その女の投げるボールに、手玉に取られているのはどなた方でしょう?」

「なに?」

「トマソンさん、貴方、前の対戦でタマキ・ヒメカワに手も足も出ませんでしたよね?」


 トマソンの顔が一気に紅潮した。


 そう、先月のアルゲニーズ三連戦、トマソンは三試合とも珠姫と対戦し、そのすべてで球威に圧倒されて三球三振を喫したのである。

 生え抜き選手として四番を張ってきた彼が、新参者のサイゴウにとって代わられるきっかけとなった、いわばトラウマの出来事だった。


「……どうやら、ちょいと手荒なマネをさせてもらわんといかんらしいな……」


 顔に青筋を立てながら、トマソンはプロレスラー顔負けの巨大な手をシスターの肩に伸ばしにかかる――


 が、その手が触れる直前に。


「ごめんあせばせ」


 こつん、と、シスターの手にしたバットが、トマソンの頭を小突いた。


 ほんの少し撫でるくらいの優しいタッチ、にもかかわらず。


「かっ……」


 日本のダルマのように、トマソンはその場に転がった。


「トマソン? ヘイ、トマソン!」「白目むいてるぞ、おい!」


 コーチたちが大慌てで抱き起こすも、昏倒したトマソンは完全に気を失ってしまっていた。


「まぁ大変。欠員が出てしまいましたね。よろしければ私が代わりに出場いたしましょうか」

「う……な……」

「まぁ、一打席だけお試しいただけませんか? 本塁打以外なら替えてくださって結構です」


 信じられない言葉を残し、シスターはそのままグラウンドに足を踏み入れる。


 向かいのアルゲニーズベンチをじっと見つめる、薬指の爪先を甘噛みし、「はぁっ……」と熱く息を吐く。


 灰色の瞳は、泥のように蕩けきっていた。


「あぁ、楽しみ……どんな顔をするかしら……ふふっ……うふふふ……うふふふふふふふ」 

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