2nd inning : He who believes shall be saved.
【……アルゲニーズの十連勝は十一年ぶり。七月以降で地区二位にいるのは、前回地区優勝したとき以来、実に二十五年ぶりですよ。いやぁ、驚きましたねぇ】
【ええ。五月までいわゆるダントツ最下位だったチームとは思えませんですねぇ】
【評論家のロングさんから見て、アルゲニーズが変わった、と思われる点は?】
【やはりいわゆるクローザーでしょぉー。タマキ・ヒメカワですねぇ、彼女がですねぇ、最後のイニングをきっちり抑える役割に入ってから、がぜんチームが勢いづきましたですねぇー。いわゆる絶対的守護神的存在で、相手にしてみれば、攻撃が八イニングしかないのと同じですからねぇー。いわゆるプレッシャーになるといいますかねぇー】
【なるほど。ヒメカワはここまで二十二試合に登板して十九セーブ。セーブ失敗は一度もなし。それもそのはず、デビューしてからただの一点も相手に与えていません! これは驚異的ですねぇ、ロングさん】
【打線も活発になりましたねぇー。ルーキーで、しかも女性がこれだけ頑張っているわけですからねぇ、他の選手たちもいわゆる発奮するでしょー。私の目にはですねぇ、アルゲニーズの選手がこれまでになく生き生きとプレーしているようにいわゆる見えるわけですねぇー】
【なるほど、一人の選手が起爆剤になって、チームに変革をもたらした、と。独特の風貌と超自然的な投球で一躍チーム、いやリーグ屈指の人気者となったクノイチガール・ヒメカワ。今日のカーニバルスとの試合を制すれば、ついに地区首位へと踊り出ます。彼女とチームの今後に注目しましょう。では次の試合……】
カーラジオの音声を、ハンリー・ハミルトンは乱暴にぶち切った。
六十過ぎてただでさえ高血圧持ちなのに、朝からこんなニュースを聞かされたら確実に死ぬ。
適当な音楽番組にしておけばよかったと後悔しつつ、レンタカーのアクセルを踏む。
ピッツバーグ郊外の公園近くに、その小さな教会はあった。
二台こっきりの駐車場に車を止め、そそくさと入った先は礼拝堂。
朝一番で、まだ他の信者の姿は見えない。
それでもなお用心深くあたりを見回しつつ、礼拝堂の隅に置かれた、簡素な木製の部屋に足を踏み入れる。
扉をくぐると、人一人がやっと入れる木製の部屋に、椅子がひとつ。
いわゆる告解室である。
目の前には顔一つ分ほどの小窓があり、その向こうは、同じ造りの小部屋。
明かりがない上に小窓には衝立が立てられており、声だけが聞こえる仕組みになっている。
小太りの体を椅子の上に乗せると、木製の四本足がぎしりとうめいた。
と、衝立の向こうから、くぐもった声がした。
「懺悔をされたい、というのは貴方ですね……」
神父には、事前に連絡を入れてあった。
聞いた感じ、やけに若いようだが、話を聞いてくれるならこの際誰でもよかった。
「はい、神父さま。こんなことを話すのはどうかしていると思われるでしょうが……」
「お話しなさい。どのような罪であっても悩みであっても、主は聞いてくださいます」
神父の落ち着いた声色に、ハミルトンは安堵をおぼえた。
「私は、その……とある野球チームの監督をしています」
「はい」
「そのチームは今、シーズンで首位にいるのですが、下のほうから、ものすごい追い上げを食らってまして……」
「はい」
「しかも昨日の試合でうちの四番打者が、バカな打ち方で金網まで吹っ飛ばされてケガをしまして……今日からDL(故障者リスト)入りなんですよ。いやもう、こいつがもうホントにバカでバカでしょうがないんですが、バカなりにうちとしては貴重な戦力だったんですよ」
衝立は黙って聞いている。
話すうちに勢いがついたハミルトンは、さらに続ける。
「それが大切な首位攻防戦の真っ最中で脱落って、ホントにもう……もし今日負けたら首位陥落……うっ、イダダダ、口に出しただけで胃腸が……!」
こんなことを教会で懺悔するプロスポーツの監督は、世界中探しても自分だけだろう。
今の姿をマスコミにキャッチされたら、何を書かれても文句は言えない。
しかし、このストレスを吐き出さずにいたら、シーズン終了まで自分の命はもたないに違いない。
「そもそも私、監督なんて器じゃないんですよね……」
そもそもハミルトンは、前監督のもとでコーチをつとめていた男である。
人の補佐をすることは得意だが、表だって何かをする性分ではない。
前監督が体調を壊したためにお鉢が回ってきたが、それもプライドの高い選手たちの機嫌を損ねないような人畜無害さが目にとまっただけの話である。
名門カーニバルスを率いてこれから先、追われるプレッシャーに耐えなければならないのかと思うと、ハミルトンの胃はますます縮んでいくばかり。
こうして定期的に毒抜きをしないと身がもたないのである。
衝立の向こうで、じっと話を聞いていた神父が重々しく声を出した。
「なるほど。お話は分かりました、セントルイス・カーニバルスの監督さん」
「はい、どうも……っていや違う! 私はそんな人間じゃなくて!」
「しかし、今のお話を聞く限り、他に当てはまる方はいませんが」
「い、いや、いるでしょ、ホラ、マイナーの監督とか」
「まぁ、そういうことにしておきましょう。で、ハミルトン監督」
「ハイ。……いや、だから違いますって!」
「つまり貴方は、懺悔というよりグチを言うため、ここに来られたわけですね」
「……まぁ……言葉にすればその通りなんですけど。それを言っちゃあおしまいっていうか、言葉がキツすぎやしませんかね神父さま」
ふふ、と暗闇の向こうで、笑う気配がした。
何がおかしいのか、と眉をひそめたそのとき、ガラリと音がした。
向こうの部屋の扉が開き、神父が外に出たのだ――と気づいたときには、今度はこちらの扉が開かれていた。
「なっ? ……ええっ?」
そこにいた人物の姿に、ラングマリは目を見開いた。
白人の女だ。
年は二十歳かそこらだろうか。
ブロンドの髪にグレーの瞳。
目鼻立ちの整った、どこの大学でもミス・キャンパスをとれそうな美女である。
そして何より、女の風体――地面に引きずりそうな丈長のワンピース。
襟以外、ものの見事に黒づくめ。頭はすっぽりと白い頭巾で覆っている。
いわゆる修道服である。
「な、なんっ? シ、シスター?」
「失礼しました。だますつもりはなかったのですが、自己紹介の機をはかりかねまして」
「し、神父は? 神父はどこにいるんだ?」
「今日は体調がすぐれず、お休みをいただいております。なにぶん小さな教会ですので、代わりの者がおらず、つてのある修道会から私が代わりに参った次第です。もちろん、今お話になったことは一切他言いたしませんので、ご安心くださいませ」
衝立のせいで声がくぐもっていたせいもあるが、よもや女性が告解室に入っているとは思わなかった。
本来、シスターは懺悔を聞いてはいけない決まりのはずだ。
「ご不満ですか? であれば、今からでも他の教会を紹介いたしますが」
「い、いや、そこまでせんでもいいですが……」
うーむ、と口ごもる監督に対し、シスターは微笑みを崩さない。
一分のスキもない、完璧な笑顔だった。
が、それだけに人間離れしたものを感じる。
なんだか人形を相手にしているような気がして、ハミルトンは無意識に身を引いた。
「ところで監督。こういう選手をご存じですか」
と、シスターはやおら一枚の紙片を取り出し、ハミルトンに差し出した。
見れば、それはどうやら選手名鑑を切り取ったもののようだった。
写真はなく、プロフィールと所属チームだけが書いてある。
アレックス・ラングマリ。
カーニバルス傘下のマイナーチーム、グリーンバーズの外野手。
「いや……知りませんが……」
「ルーキーリーグの選手です。メジャー経験はないので、ご存じないのも無理はありませんね」
「はぁ、それで?」
「この選手をメジャーに昇格させなさい」
「はぁッ?」
ハミルトンは、デコピンをくらったフラミンゴのような声を出した。
「い、いやいやいや、ジョークが過ぎるでしょ、シスター!」
「シスターたるもの、ジョークは言いません。これは貴方のチームを救うための福音ですよ」
「バカ言わんでください、大体ね、そういうのは私の一存で決めるわけにはいきませんよ」
「しかし、決定権はあなたにあるのでしょう。チームが苦境にある今、あなたが強いリーダーシップをもって状況を打開すべきではありませんか」
なんだか急に風向きが怪しくなってきた。
そもそも懺悔において、聖職者の役割は聞き役に徹することであって、アドバイスや指示を出すことではない。
これではまるで裏談合だ。
「……いや、あのね。フツーに考えてほしいんですけど、こんなんで選手の起用が決まったら、監督なんて必要ないでしょ? サイコロ振って決めたほうがマシって話ですよ」
「そう変な話でもないでしょう。ストレス解消に懺悔にくる監督もいるのですから」
「イヤなとこ突くな、アンタも!」
ひょっとしてこのシスターは、選手の親族か何かだろうか。
だとしたら、これはとんだ不正行為だ。
さっさと退席しなければ――と腰を浮かせかけたそのとき、
「お待ちなさい」
と、いきなり目の前に長い棒を突き出された。
一体どこから取り出したのか、それはミサに使う、長いロウソクだった。
「な、何を?」
戸惑うハミルトンの前で、さらに奇怪なことが起こった。
ロウソクが、青白く光りはじめたのだ。
もちろん火はついていない。
なのに、まるでスターウォーズのライトセイバーのように、ホワイトブルーの光が、根元から先端へとゆっくりと伝播してゆく。
「信じなさい。ヨハネの福音書にもそうあります。すなわち――信じるものは救われる、と」
LED電灯のように青白く変色したそのロウソクを、シスターがぐるぐると回し始める。
おいおい何のまじないだ、つきあってられるか――そう思うハミルトンの目は、しかし、不思議なことにそのロウソクが作る円にくぎ付けになって動かなかった。
ゆったりとした動きが、網膜に溶け込むような青白い光が、脳に入り込んで体を支配している。
抵抗できない。
「あ……ああぁ…………あ……?」
「勝つか負けるか、生きるか死ぬか。そんな悩みは捨てておしまいなさい。私の言うとおりにすれば、貴方はすべての苦しみから解放されます。カーニバルスには祝福がもたさられ、アルゲニーズとタマキ・ヒメカワには罰が下されるでしょう。栄光は父と子と聖霊に。初めのように今もいつも世々に……」
そして。
「ア―――――メ―――――――――――――――ン!」
「うわぁ―――――――――――――――――――っ!」
天地が砕けるような絶叫とともに、ハミルトンの意識は途切れた。




