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大好きの、ことばの代わりに

作者: sakoaki

 

 蒲公英様主催「ひとまく企画」参加作品です。


 

 

 

 僕は今、とっても上機嫌だ。

 サラと、二人きりの家の中。

 ずっとずっと、こんな時間が続けばいいのに。





「ねえニキ、私、今日からまた2、3日、引きこもるね」


 ずっと、何か考え込むような顔をしながら朝食をとっていたサラは、食事を終える頃になって、突然僕にそう告げた。

 口の中に残ってた食事を慌てて飲み込んだせいでむせそうになった僕は、けれどそんな素振りは見せずに、少し顔を曇らせてみせる。


台本(ホン)、うまく、書けてないの? 』


 そう首を傾げると、僕の顔を見つめたサラは、数度瞬きをして、おでこを寄せてきた。


「だいじょうぶ、そんな心配そうな顔しないで。何とかして見せるから」


 額を合わせてぐりぐりとしてから、僕に心配をかけまいとするかのように、その目に笑みを浮かべる。僕を子ども扱いする振る舞いも、無理をしてみせる気遣いも、本当はほんの少し不満だ。

 僕だって本当は気が付いてたよ。サラがここ何日か、何か悩んでる様子だったことにも、仕事が行き詰まってるんだろうってことにも。

 確かに僕は、頼りないかもしれないけど、そんな時ぐらい、もっと頼ってくれればいいのに。


「また少しの間我慢をさせるけど、ごめんね」


 頬を両手で撫で、鼻先にほんのごく軽いキスを一つだけ落としてから、いい匂いのするサラの身体が僕から遠ざかる。

 単純で現金な僕は、そのキスだけで、さっき感じた不満が少し消えはしたけど。


 ねえサラ。キミはわかってないよ。

 サラが家にこもる間は、誰に邪魔されることもなく、二人だけでこの家で過ごせるんだ。

 僕は、それが嬉しくってしょうがない。

 だから、僕にごめんなんて、言う必要ないんだ。


 子どもの頃の僕は、こんな時、ずっとそばにいられる事に浮かれすぎて、サラの後ろをひっついて回り離れなかった。遊んでと強請り、構ってくれないと泣きわめいたり拗ねてみせたり。ほんとに聞き分けもなく。

 でも僕はある時ふと気が付いた。そうやって僕は、凄くサラの仕事の邪魔をしてたんだって。

 自分の嬉しさばかりに夢中になって、やたら騒いだり無邪気に喜んだり、そんなのは、カッコいい男のすることじゃない。

 だって家に籠る時のサラは、もう、大概切羽詰ってるんだから。僕一人、バカみたいにはしゃいでる場合じゃないんだ。


 だから今の僕は、心の中では飛び上がって喜びながら、それが態度に出すぎてしまわないように気を付けてる。

 もう小さな子どもじゃないってとこを見せておかないと、サラは、いつまでたっても、僕を子ども扱いするからね。



 片付けを済ませて、職場へと電話を入れ終えたサラは、いつものようにリビングの中ごろにあるソファーの上で、胡坐を組んだ。

 僕は、その隣にそっと、腰を下ろす。


『サラ、僕にも、何かできることがある? 』


 しばらくの間横顔を見つめていると、伸ばされたサラの手が、小さな頃と変わらない優しさで、僕の頭をくしゃっと撫でた。そうしながら、サラの綺麗な目は、何かを想像するように、何もない真正面の空間に注がれる。


 僕はこんな時、いつも思うんだ。

 その目に映っているものが、僕にも見えればいいのに。サラの見るもの、聞くこと、感じることを、僕も全部共有できたらいいのに。


「ニキ……」


 視線を前に向けたまま、サラが、ポツリと僕の名を呼んだ。


『うん? 』

「もう何度も言ったかもしれないけど、私ね、今でもまだ夢をみてるみたいな気分なの」

『……うん』

「だって、あのマグネラよ。彼女は、私にとって神様みたいな人なの」

『知ってるよ。何度も聞いたから』

「初めて彼女の芝居を見た時から、いつか、この人に私が書いたものを演じて貰いたいって、そう思って、それを目標にしてきたから」

『サラ、ずっとそう言ってたよね』

「だから、思いがけずそんなチャンスが回ってきて、私、浮かれて、変に気負いすぎて。いいもの書かなきゃ、マグネラらしいものを書いて、彼女に認めて貰わなきゃって、そればっかり考えしまって」

『仕方ないよ。だって、ずっとずっとサラが、憧れ続けてきた人なんだから』

「自分が書いてて楽しいとか、お客さんを喜ばせたいって、そんな基本を忘れてたのかも」


 マグネラ・ダルレーヌは、 サラが、憧れ続けた役者で、サラが今の仕事を本気で始めたきっかけになった人だ。

 僕は、サラと暮らすようになってから、本当に何度も何度も、ちょっとウンザリするほど何度もその人の話を聞かされている。

 

 憧憬をもって彼女の事を語るサラは、どこか浮かれてはしゃいでいて、まるで、サラを見る僕を見てるみたいだ。


 今では、その名前でたくさんの客を呼ぶことができる劇作家になったサラが、この仕事が決まった時だけは、尋常じゃないくらい興奮してた。


 ――ああ、どうしよう、夢みたい、ねえニキ、聞いて


 帰ってくるなり僕に抱きついて、叫んだり泣いたり喚いたりの大忙しで。


 そんなサラの喜ぶ姿に、僕も嬉しくなったけど。でも僕は、サラにギューギューと抱き締められながら、その感触に酔いしれながら。

 本当は、サラがそんなにまで想う相手が女性だったことに、内心ホッとしてる程度の器の小さな男だ。だってマグネラが男だったら、サラは間違いなく、そいつに恋しただろうから。



「夢みたいだとか、いつまでも言ってちゃだめよね。だって、この舞台が成功しなきゃ、本当に夢が叶ったなんて言えないもの」

『うん、まだサラは、夢の入口に着いたところだもんね』


 僕から手を離したサラは、空に向けて長い息を吐き出すと、両手で、気合を入れるように自分の頬を叩いた。

 

「うん。やっぱり自分らしいものを書いて、まずはそれをマグネラや他のみんなに認めて貰わなきゃ」


 ブツブツと口にしながら、サラは、両手を上げて身体を伸ばしてから、首を左右にコキコキと鳴らした。


『できるよ。サラなら』


 きっと、僕なんかの声じゃ、何の力にもならない。けど、それでも伝えたいって思う。

 サラなら出来る。マグネラが興奮するような凄い話が書ける。

 だって、僕のサラは、天才なんだから。


「ありがとう。ニキに話したら、少し、落ち着いた」

『うん……、ならよかった』


 僕を有頂天にさせる言葉を落として。

 そうして、唇を結んだサラの表情は、さっきまでのものとはもう違っていた。きっと、何か道筋が見えてきたんだろう。


 


 集中し始めたサラの邪魔をしないように、僕は、彼女のそばを離れてテレビの前に腰を下ろす。

 一人になったソファーの上で、サラは、 胡坐をかいた姿勢のまま、目を閉じていた。


 いつもサラは、そんな風にして、少しずつ自分の世界の中に沈み込んでいく。そこは、サラだけが入っていける世界だった。全てのものを――僕のことさえも、締め出したサラだけの世界。

 一番近くにいて、一番の理解者である僕は知ってる。その世界がなければ、サラは、きっと自分らしく生きてはいけない。それは、彼女の核を成すほどに大切な世界だ。


 だから僕は、そんなサラの世界を壊さぬように、音を絞ったテレビの前で画面を見ているフリをしたり、一人で遊ぶフリをしながら、彼女の様子を見守る。


 たとえこの時間はサラの世界から締め出されても、僕の世界はサラで満たされてるから、それでいいんだ。


 テレビの音の合間に、朝から降り続いている雨の音が聞こえてくる。雨は、この家と外の世界とを遮る幕みたいだ。

 外の世界から隔離された場所に、二人だけで閉じ込められている。そんな妄想を掻き立てる音が、部屋の中を満たしている。


 滴が落ちる音を聞くうちに、僕は、サラと初めて出会った時のことを思い出していた。

 サラが、捨てられた子どもだった僕を救ってくれたあの雨の日の事を。


 ――あなたはもう、うちの子よ。大丈夫、ここで、ずっと一緒に暮らそうね


 僕を胸に抱いて温めて、そう言ってくれたサラの体温と綺麗な目を、僕はいまも鮮明に覚えている。


 ガリガリに痩せた僕にミルクを与え、死んでもおかしくなかった僕のために必死で医者を探して回り、大丈夫だと励まし続けて。毎日毎日、温もりと優しさで僕を満たし続けて。

 そうやって僕は、サラの手で育てられた。


 ニキという名を僕にくれたのも、サラだった。


 初めて会ったあの時から、僕の目は、サラしか見ていない。大きくなった今も、それは変わらない。

 そして僕はもうあの頃のような子どもじゃない。ねえサラ。僕はもう子どもじゃないんだよ。




 見つめ続けた視線の先で、サラがゆっくりと目を開いていく。

 まだ半分は自分だけの世界に意識を繋ぎながら、あの頃と同じ綺麗なブラウンの瞳が、僕の姿を認めた。


 瞳に僕の姿を映したまま、そこに笑みが浮かぶ。


『……いいもの、書けそう?』

「……うん。書ける気がする」


 何度か頷いてから、立ち上がり身体を伸ばしたサラの足は、迷いなく、机のある隣りの部屋へと向かって行く。そうして、ドアの手前で足を止めて、ふと、窓の外へ視線を向けた。


「あ……、雨が降ってる」


 その言葉に、僕は少しだけ笑いそうになる。気持ちにちょっとは余裕が生まれたのかな。夕べから降ってた雨に、今頃になって、気がつくなんて。



 机の前で、一心不乱にペンを動かして、サラは、マグネラとの公演に向けた台本を書き始めた。

 クシャクシャと丸められた紙が床に落とされるたびに、僕はそれを拾って、ゴミ箱に入れる。


 時々部屋を覗いては、眠気に負けそうなサラを起こしたり、食事さえまともに食べなくなるサラに休憩をとらせるために、パンやチーズ、クッキーやお気に入りのジュースを持っていく。

 

 これが、サラが家に篭って仕事をする時の、僕の大切な役割だ。そうやって少しは役に立てるようになったところを見せ続けているうちに、きっとサラはもっと、僕に甘えてくれるようになる。


 夜が更けてくると、流石に眠くなった僕は、サラの部屋にあるベッドの上に寝そべる。そこからは、机に向かってる真剣な横顔がよく見えた。


 見つめ過ぎたのだろうか、手を止めたサラが、僕の頭をゆっくりと撫でた。


「先に、寝ててね」

『……うん』

「今日は、外に連れてってあげられなくて、ごめんね」

『僕は、楽しいよサラ』


 一度だけ、サラは僕を、その頃恋人だった男に預けようとしたことがある。その時の僕は、サラから引き離されるのが嫌で、狂ったように暴れて逃げて、部屋の隅で声が出なくなるくらい泣いた。

 サラではない手、サラがいない外に脅える僕は、それ以来、他の誰とも外には出ていない。


 仕事と僕のために使う時間を優先するサラは、きっと、そのせいで何度か恋を失った。僕のせいだってわかってるけど。でも僕は、恋人の心変わりに泣くサラの涙をぬぐいながら、いつも思ってた。


 僕なら、泣かせたりしないのに。あんな男よりずっとずっと、サラを大切にするのにって。


 ――ごめんね、サラ


 本当は、そう言わなきゃいけないのは、僕なのに。僕はその言葉を口にすることはできない。


 サラの手が心地よくて、僕の瞼は重くなる。ゆっくりとゆっくりと深い眠りに落ちていく。

 今日はきっと、幸せな夢が見れそうだ。




 そんな風に家にこもって台本(ホン)を描き続けたサラは、翌日の夜を迎えた頃、仕上がった原稿を手に叫び声を上げた。


『できたの? 』


 僕は、慌ててサラの元へと駆け寄った。


「書けたよー、頑張ったよニキ」


 身体を伸ばして、もう一度叫び声を上げたサラは


「私、天才かもしれない」


 そう口にして、満足気に笑っている。


 サラのそんな表情を見て、僕はホッとした。納得いくものが書けたんだって、伝わってきたから。

 それは、サラの引きこもり生活が、もうすぐ終わる事を意味するけど、こんな顔を見たら、もう仕方ないって思える。

 僕は、サラの一番のファンだからね。


「じゃあニキ、いつもみたいに、一番最初のお客さんになって」


 ほとんど眠っていないはずなのに、興奮したサラは、昨日とは違う少しはしゃいだ声を上げながらまた、ソファーの上に胡坐をかいた。

 仕上がった台本を、サラはいつも一番に僕に読み聞かせてくれる。時々手直しを入れながら、僕の前で一人で、全ての登場人物を演じる。

 

 僕は観客だから、今日は隣りじゃなくて、正面に腰を下ろした。


 恭しく礼をしてから、僕だけに向けた芝居が始まる。サラの言葉を、声を、仕草を追いながら、僕は、彼女の夢の世界を、垣間見る。


 やっぱりすごいよ、サラ!

 僕のサラは天才だ。



 芝居を終えたサラは、電池が切れたようにソファーへと倒れこみ、そのまま眠ってしまった。僕は、サラが冷えないようにと、そばにあったブランケットをそっと足に掛けてあげた。

 それから、サラの隣に横になり、寄り添いながら目を閉じる。


 夕方までは聞こえていた雨音は、もうやんでいた。

 幕が、上がってしまったんだね。


 眠りの淵で、僕は願う。


 神様。僕にサラを会わせてくれた神様。

 どうか僕の願いを、叶えてください。


 サラを抱きしめる両手を、涙を拭える長い指を、キスするための唇を、与えて下さい。

 サラと話す言葉を、サラと話す声を、僕に。

 一日だけでも、たった一度だけでも。


 そうすれば、僕がサラの芝居にどれだけ夢中か、サラがどんなにかわいいか、どれほどサラを愛しているか、全部、伝えられるのに。


 毎日毎日、眠る前に僕はそう、神様に繰り返し願う。


 けれど、そんな願いは、きっと叶うことはないんだ。


 目が覚めた後も、世界はやっぱり何も変わらなくて、そして僕は、外の世界に出ていくサラをいつものように見送るだけだ。


 抱き締める腕の代わりに、いってらっしゃいの代わりに、大好きのことばの代わりに。ちぎれるくらいに、尻尾を振りながら。





 fin





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