目覚め
眩しい。きっと朝だ。その明るさに脳がゆっくり覚醒し始める。
いやだ。まだ起きたくないのに。
何だかとてつもなく疲れてる。身体中がくまなくもれなく重い。
「ん……っ」
陽の光から逃れたくて寝返りを打とうとしたら、全身の至る箇所がズキズキと痛んで思わず声が漏れた。
重いだけでも辛いのに、この痛さ。残念ながら寝返りはお預けだ。
「お目覚めかい? 勇者様?」
「え……?」
聞きなれない声。
まだ持ち上がる予定のなかった瞼は、眩しさも手伝って薄くしか開かない。
薄目ながら、木造りの天井が見える。
……此処はどこだろう?
ああ、でも天国ではなさそうだ。
身体中の重さと痛さの原因を思い出して、ゾッとしながらもひと安心した。そりゃあここに居る理由もわからずに手放しでは喜べないけど、今この状態で足掻いても何が出来る訳でもないし、安堵したって良いはずだ。うん、私が許す!
目を開ければ他の感覚も働きだして、まず井草の匂いを伝えて来た。
直に敷かれた薄い布団からは底冷えとまでは言わないものの、ひんやりと冷たい感じがする。
普段洞穴の中で何も敷かずに寝ている身にしてみれば上等だけど、私の知っている寝室の仕様とは違う。
違和感は有るけど、かと言って嫌な感じがする訳ではない。掛け布団は温かいし。ああ、思いっきり潜り込みたい。
そんな欲望を抑えつけて、声の方向に何とか頭を向かせる。
すると窓からの逆光を背負い、微笑を浮かべあぐらをかいた男と目が合った。穏やかな色だ。
なるほど、この家は地べたが普通なのか。そんな事に納得しながら、男を観察する。
年は二十歳を超えた位。髪は金色で、襟足は長めだけど前髪は爽やかに上げられ、首元まで留められた白いシャツも清潔感を醸し出している。
整えられた眉、くっきりとした二重まぶた。鼻筋は通り、薄い唇は自然と口角が上っている。
柔らかく知的な雰囲気と合わさって、一言で表すなら好青年。
けれど私には胡散臭く見えてしまう。それはきっと彼のせいではなく、この状況のせいではあると思うのだけど。
「此処は何処?貴方は?」
私の耳は隠れていない。今は確認出来ないけど、尻尾だって見えてるかも知れない。獣人だとひと目でわかるはずだ。そんな私をここに連れて来たと思われる人間。単純に恩人かも知れないし、何か裏があるかも知れない。
そんな不信感からか自分が思った以上に不機嫌な声が出て驚いた。
少しバツが悪い心地がしながらも、先に問われた事は聞こえなかった事にした。
だって、勇者なはずがないし。真面目に答えるだけ無駄だ。それ以上は何も言わずに返事を待つ。
男は傍に読み掛けだと思われる本を置くと、私の枕元に座り直した。
「俺はリックス。ここはディースクールの宿屋だよ」
「……ディースクール……?」
男の名前はリックス。まぁ珍しくもない名前だ。
けれど、ディースクールとは。地理には明るい方だと思っていたのに、聞き覚えがない。少なくともドゥーバーンやミストラ山のあるシーズ地方にそんな地名はない。
「新しいタイプの自己召喚魔法でも使ったのかと思ったけど、違うみたいだね」
「自己召喚魔法なんて……」
使える訳ないし、そもそも意味がわからない。
だって自己召喚も何も、ここに私を連れて来たのはこの男、さっきらからずっとニコニコ微笑んでいるリックスのはず。
「君はこの島国ディースクールの丘の上に突然現れたんだ。しかも、勇者伝承の刻まれた石碑の前でね」
島国と補足されても全くピンと来ないし、突然現れたなんて信じ難い。けれどこんな嘘を付く理由も思い付かない。
まさか本当に自己召喚とか……。
いやいやいやいや、ないないないない。
火事場の何とかが出たとしても、零の力は百になんかならない。その道理で、魔力がないのに魔法が使える訳なんてないんだ。
そうだ、まず落ち着こう。
私は思い起こす。出来るだけ正確に。
昨日か一昨日かその前かわからないけど、最後に記憶として残っているのは、大きな怪鳥との戦い。圧倒的有利だったのに、晩御飯まであと一歩だったのに、油断から風玉を受けた。しかも死んだっておかしくない特大級の。
けれど、生きている。
身体中痛くても、失った部分はない。
身動きがとれないから視覚での確認はできないけど、血が溢れ出る感覚もない。
だから目が覚めた時に何となく思い込んでしまっていた。実はあの風玉は見た目程に威力のない魔法で、でも衝撃で意識を失ったところを物好きな誰か、この場合はリックスなのだけど、そんな人が介抱してくれたんだと。まあ都合の良い解釈だけど、寝起きなんて皆そんなもんだと思う。
それなのに。
風に飛ばされた? 聞いた事もない土地まで? あれは攻撃魔法に見せかけた転送魔法? じゃあこの痛みはなぜ?
考えてもわからない。いくら魔力のない私にだって、攻撃性の有る無し位わかるし、人並みには知識もある。風玉タイプの転送魔法なんて、多分ない。第一、あの状況で転送魔法を使う事なんてあるだろうか。いくら魔獣や怪鳥でも、そんなの馬鹿げてる。
あ。
そう言えばあの場にもう一人、誰かいた。声しか確認してないけど、確か男のようだった。
随分遠くから、危ない、なんて叫んでいたけど、危機的状況を見兼ねて助けてくれたんだろうか?
「で、勇者様は何処から来たの?」
「……」
私の思考を遮って、リックスは聞いてくる。
しかもさっきから、勇者勇者、と余計な単語。自分で眉間にシワが寄るのがわかる。
けれど当のリックスはバカにしてる様ではなく、かと言って、勇者だと信じ切ってる様でもなさそうだ。眼差しと声色から「勇者だと良いな」、その程度の期待な気がする。
真意は図りかねるけど、ぐちゃぐちゃの思考にイライラが混ざる。
どこの世界に追い剥ぎもどきの勇者がいるだろうか。昔から勇者なんてのは、真面目でお人好で人望が厚いと相場が決まっているのに。
リックスが悪い訳じゃないけど、怒りの様な悲しみの様な、何とも言い表し難い感情が湧いてくる。
それにしたって、少しでも本気ならどうかしている。
いや、私でも現にそんな場面、石碑の前に誰かが突然現れるところに出くわしたら、そう信じてしまうかも知れない。けれどそれは相手が『人間』だったら、の話だ。
「私はドゥーバーンの生まれ。それに、勇者だなんて、本当にそう思うの?」
また不機嫌な声が出た。一言、勇者じゃない。そう否定すれば良かったのに、卑屈さが溢れ出たみたいで居心地が悪い。
多分、おそらく、ほぼ確実にリックスは私を介抱してくれた恩人であるのは間違いない。打算の有無は別にしても、そのまま野晒しにされているよりなら、現に無事でこの布団の中に居られる事実は有難い。
わかっていても、こんな言い方になってしまう。他人と話すといつもこうだ。
獣人なのに? と続けなかっただけいくらかマシかも知れない。
「随分遠い所から来たんだね。じゃあ君について聞いても良い?」
「……私はティティ・ルプンクルス」
リックスは相変わらずの笑顔で、私の卑屈さに気付かないようなフリをして聞いてきた。
私だって何か気の利いた事の一つでも言いたいけれど、私について、と問われたところで出身地以外に伝えられるのは名前位しかないんだから仕方ない。
「ティティ、だね」
空っぽな私を見越してか、それとも言う程興味がないのか、リックスはそれ以上何か問うでもなく私の頭に手を置いた。
「……!?」
悪意は無さそう。無さそうなのは承知だけれど、反射的に手を払い退けようとした。そのつもりが、相変わらず身体は上手く動かず、少し身じろぎした程度で片腕さえも上がらない。
さっきから失礼な態度をとってばかりなのは自覚していたから、逆にこれで良かったのかも知れない。
そう納得しつつも、視線では不満を訴えてみた。
「そう警戒しないでくれないかな。治療するだけだよ」
穏やかな笑顔は困ったように変わった。