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秀夫の章 その二

秀夫の章 その2 


 次の日の朝。

 バス停に行くと、琢磨とさやかがいた。

 さやかが、にこやかに挨拶してくる。


「おはよう。まだちょっと朝は、ヒヤッとするね」


「おはよう」


 僕は琢磨の方を見て、頭を下げる。


「ごめんな。俺、どうかしてた」


 琢磨は、ふんと鼻を鳴らすと、肩をぽんぽんと叩く。


「まあ、気にすんなって。ラーメンでチャラにしてやるよ」


 よかった。昨日のことはなかったみたいに普通に接してくれる。

 僕は、ほっとしながら鞄の中から写真を取り出す。

 その仕草をみて、琢磨が写真を覗き込む。


「お? 新作? 見して見して」


 写真を見た、琢磨の表情が変わる。目を丸くして、口をぽかんと開ける。


「ヒデ! お前、これ!」


 琢磨にヘッドロックされる。いててて。でも何だか、優越感に浸れる。


「ヒデくん、これ白鳥さんじゃないの? どうしたのいったい?」


「いててて。ちょっと放してって」


 やっと琢磨が放してくれた。僕は琢磨のヘッドロックでずれてしまった2年生の証である青色のネクタイを整える。


「びっくりした? 昨日さ、偶然あって写真撮らせてもらったんだ」


「ほえー。すげえじゃん。学園のマドンナとよー。うらやましいぜぇ。2ショットも撮ったんかよ?」


 琢磨に言われて、僕はハッとした。そんな考えは思いつきもしなかった。

 僕は馬鹿だ。大馬鹿者だ。惜しいチャンスを棒に振るなんて。昨日の僕に1時間は説教してやりたい。


「いや、邪な考えで撮ったんじゃないんだよ。純粋に被写体さ」


 言いながら、僕の口角は上がってしまう。下心があるのが見え見えだ。


「なんか、ヒデくんやらしいー」


 さやかが、目を細めて、僕を軽蔑の目でみる。視線が冷たい。たはは。


「さやか、なに言ってんのよ? ヒデにしちゃ上出来じゃん? 写真撮るなんてよ」


 おお。琢磨が珍しくフォローしてくれてる。ありがとう琢磨。ラーメンに餃子もつけるよ。


「いや、ほら、何でも撮りたいって前から言ってただろ? 昨日、偶然話すチャンスがあったから、被写体としてお願いしただけだよ。ホントさ」


「ふーん。ホント?」


「ああ、ホントにホント」


「じゃあさ、私がモデルになるよ。自由に撮っていいよ」


 さやかは、すまし顔でモデルのように髪をかき揚げる。


「あはは。なに言ってんのよ。さやかみたいに足が太いとダメダメ。あははは。なあ、ヒデ?」


 笑いながら、僕の肩を叩く琢磨の背後に、怒りの表情を見せるさやかがいる。


「お、おい」


 何とか気付かせようとするが、琢磨はけたけたと笑い続けている。

 さやかが、琢磨のほっぺたをつねって引っ張る。


「いてててて」


「誰の足が太いですってー! あんたは、彼女に向かって!」


「ご、ごめん! 許してー!」

 

 さやかは、腕組みしてそっぽを向く。


「さ、さやかさん? 機嫌なおしてよー。ねー、せっかくの美人が台無しだよー」

 

 二人のやり取りを見ながら、僕はくすりと笑った。


 学校に着き、二人は3階へと上がっていく。僕のクラスは2年3組。

 本来なら、2年の教室は2階だけれど、3組だけ1階だ。

 校舎にエレベーターがあるにはあるが一箇所しかなく、車椅子用のトイレは1階にしかない。

 そのため、学校からの配慮により、僕の所属クラスだけ1階にしてもらっている。

 クラスメートの大半は、文句も言わないが、小田とその取り巻きは、僕に聞こえるように不満をもらしてくる。

 あいつらは、弱いものいじめが大好きらしい。

 教室に入り、一番後の席に着き、車椅子の下からカメラ雑誌を取り出す。

 レンズのレビュー記事を見ながら、これらのレンズを使って白鳥麗華を撮影することを夢想する。

 EF85mm F1.2Lを使えば、きっと素敵な写真が撮れるに違いない。

 もし撮れたら、A3ノビで印刷して部屋に飾ることにしよう。

 もっとも、新品で20万円、中古でも16、7万するレンズなんて、買えるわけないけど。

 EF 50mm F1.4なら、柔らかい感じに写せるし、現実的だろうか?


「ふーん。このレンズなら、君みたいに綺麗に写真を撮れるのか?」


「まあ、Lレンズだからね綺麗に写せるよ」

「ふーむ。そうなのか」


 ん? 誰が僕に話しかけているんだ? 僕は顔を上げ、思わず声をうげっと声を漏らしてしまった。

 目の前で、雑誌を覗き込んでいたのは、白鳥麗華だったからだ。

 顎に手をやり、何やら思案していた白鳥麗華は、僕の視線に気付くと、にこりと微笑んだ。

 白鳥麗華が僕に微笑むなんて、これは現実のことなんだろうか。

 美しい。あまりの美しさに、僕は数秒見惚れてしまった。

いやまて、ここは2年の教室だ。なぜ、白鳥麗華がここにいるんだ?!


「そんなに驚かないでもらえないか?」


「え? いや、あのその、お、おはようございますっ」


 声が裏返り、目が泳ぐ。ああ、なんて僕はカッコ悪いんだ。


「いきなり教室に押しかけてすまない。実は父のカメラを持ってきていてね。使い方がわからないので、聞きたいと思ってきたんだ」


 白鳥麗華は、肩にかけていたカメラバッグからカメラを取り出す。

 EOS Kiss X5だ。レンズは17-85mmF4-5.6ISが付いている。


「実は今度の弁論大会の模様を撮りたいのだが、私はカメラに疎くてね。試しに教室で撮ってもブレたものか、テカった写真になってしまうんだ。

君のような写真を撮るのが理想なのだが」


 弁論大会ということは、屋内での撮影ということか。それなら明るいレンズではないし、単純に光量が足りないんだろう。


「被写体との距離はどれぐらいですか? 外付けのスピードライトは使ってます?」


「距離は3Mといったところだよ。スピードライト? それはカメラに付いてくるものなのか?」


「スピードライトっていうのは、フラッシュのことです」


「フラッシュ? ああ、このカメラに付いてる勝手に時々つくこれかな?」


「それだと光量が足りないんです。発表者にライトを当てるか、ガイドナンバーが大きなスピードライトを使うとかしないと。ブレる写真は、光量が足りなくて、シャッタースピードが稼げてないからですし、テカった写真になるのはフラッシュが正面からしかあたってなくて、光の影ができてしまうからです。教室ぐらいだったらバウンス撮影でなんとかなるんですけど講堂だとフラッシュを後にもおいてスレーブ発光させればダイブ違うんじゃないかと」


「ふむ。聞きなれない単語がたくさん出てくるな。これは私には荷が重そうだ」


 思案する白鳥麗華も綺麗だ。まつげが長くて、目鼻立ちはまるで女優さんのように整っている。この人は本当に僕と同い年なんだろうか。


「ええっと、実をいうと僕もスタジオ撮りとかしたことなくって、本の受け売りなんですけど」


「それにしても、やはり詳しいな。さすがだ。それはそうと山野くん、なぜ君は敬語なんだ?」


 僕は最初、言われている意味がわからなかった。白鳥麗華は、不思議そうな顔をして僕をじっと見る。

 数秒して、同い年だから敬語を使わなくていいと言っているのだとやっと気付いた。


「え? いや、その上級生ですし……」


 なんとなく気後れしてしまって、僕は下を向いた。


「学校の生徒である前に、私たちは同じ年の若人だよ。それに先輩後輩というのは、本来、世話になった人に対して持つ感情ではないかな?」


 若人……。こんな言葉を普通に使う同年代に僕はあったことがない。僕はあいまいな返事を返すがやっとだった。


「はぁ。そ、そうですか」


「ほら、また敬語になっている」


 白鳥麗華は、そう言って僕に柔らかい笑顔を向けた。

 なんだこの顔は、まるで女神だ。僕は胸を打ち抜かれたような衝撃を受けた。

 そうだ、写真だ。写真を渡さないと。

 僕はなぜか急に写真のことを思い出し、バッグから写真を取り出し、震える手で白鳥麗華に差し出した。


「ん? ああ、これは昨日の写真かい? これは綺麗に撮れてるまるで私ではないようだ」


 白鳥麗華は、僕から写真を受け取ると、まじまじと見ている。

 その仕草に立体感、甘い匂い。写真の数十倍は、本物の方がいい。


「山野くん、ものは相談だが」


 僕が白鳥麗華のピンクの唇に見とれていると、白鳥麗華と目があった。うわっ、こっちを見ている。なんで?

 ああ、今話しかけられてるんだった。


「え、ええっと、なんでしょ?」


「さっきから、何か変だな? 山野くんは朝は苦手なのかな?」


「いえ、ああ、はい。低血圧で大変なんです。はい」


 顔を真っ赤にしているのが、自分でもわかる。耳まで熱い。これで低血圧といって、説得力があるだろうか?


「そうか。ならば出直すかな。いきなり邪魔して悪かった。では、これで失礼するよ」


 いけない。女神が帰ってしまう。引き止めないと。僕は舌がもつれるのも構わず、口を開いた。


「きえっ、いえ、全然大丈夫です! 全然! ほんとに全く。それはもう」


「ふふ。なんだか山野くんは、ゆかいな人なんだね。知らなかったよ」


 僕は頭をぽりぽりとかく。変な奴と思われたのだろうか。


「では、お言葉に甘えて要件を言わせてもらおうかな。時間があるときで構わないんだが、私にカメラの手ほどきをしてくれないだろうか? 学校行事の写真を綺麗に残したくてね。いや、無理なら……」


 白鳥麗華が、言い終わるより先に、僕は承諾の返事をした。こんなチャンス逃すものか。


「よろこんで!」


 まるで居酒屋の店員のような返事に、白鳥麗華はキョトンとした表情を見せたが、承諾したのをみてとると、携帯を取り出す。


「携帯番号とメールアドレスを交換してもらえるかな?」


 僕が焦りながら、携帯を出そうとしていると、教室にクラスメートたちが数人入ってきた。

 皆、白鳥麗華を見て、驚きの表情を見せる。


「おい、白鳥先輩じゃん。すげえ。なんで教室にきてんの?」


「きれー。素敵だわー」


 白鳥麗華は、教室のざわつきを耳にすると、自分の携帯番号とメールアドレスをメモ紙に書いて、教室を出て行った。

 僕は、その後姿をうっとりと眺めていたが、クラスメートの柴咲の一言が僕を現実に引き戻す。


「なになに? なんで、白鳥先輩来てたの?」


「写真のことで、ちょっとね」


 僕の返答に、クラスメートたちは納得し、騒ぎはすぐに収まった。

今日の星占いは、きっと しし座が一位に違いない。

 僕は気を抜くとにやついてしまうのを何とか我慢して、午前中の授業を受けた。


 午後の授業一発目は、体育になっていた。

 2クラス合同で行う今日の体育は、バスケット。

 着替えを終えたクラスメート達は、ゾロゾロと体育館へと足を運ぶ。

 僕は復学してから、体育の時間が一番嫌いだ。

 じっと見学している時間は、退屈以外のなにものでもない。

 体育館への渡り廊下を移動していると、後ろからきた小田とその取り巻きが僕にわざと聞こえるように嫌味をいう。


「あー、かったりいよなあ。おれも毎回見学してぇもんだぜー」

 

 くそ。怒鳴りつけてやりたい。でも、小田は人がいらいらしている表情を見て楽しんでいるのだ。

 負けるわけにはいかない。僕は何も聞こえてないフリをして、平然と体育館へと急ぐ。


「おーおー。聞こえないフリしてやがるよ。ユースだか何だかだったくせに、今は体育もできないとはなあ。かわいそうだよなあ」


 僕は小田に振り向いた。怒りで視界が歪む。


「なんだよ? なんか文句があるのかよ? ええ? 障害者のくせによ」

 もういい。もう我慢できない。復学して、3ヶ月我慢したけど、もうダメだ。こいつを殴らないと僕は収まらない。


「小田ーーーー!」


 僕が叫んで、小田に突撃しようとすると、不意に肩を掴まれた。

 振り向くと、さやかが走ってきて後にいた。


「ヒデくん、ダメだよ。こんなバカの相手しちゃ」

 

 さやかは、小田たちを睨むと、きつい口調で言い渡した。


「あんたたち、やっていいことと悪いことの区別もつかないの? ヒデくんがおとなしいと思って調子に乗ってると、私が痛い目見せるわよ」


 小田は、片眉を釣り上げて、馬鹿にした表情を見せる。


「はあん? 女のくせに何言ってんだよ? 関係ないおばはんは引っ込んでてくれよ」


 さやかは、持っていた竹刀を構える。さやかは、小学生の頃、町道場に通っていた。陸上ではたいした成績を残せてないけど、

 剣道部には今でも助っ人で練習試合なんかに出ている。


「女のくせになんですって? もう一回言ってみてくれないかしら?」


 いまにも対決が始まりそうな時、渡り廊下の向こうに体育の藤木先生の姿が見えた。

 小田は舌打して、何事もなかったかのように体育館の方へ歩き出す。


「ヒデくん、今の子達にいじめられてるの? そうなの?」


 真顔で、さやかは聞いてくる。藤木先生も、さやかの様子がおかしいと気付き、足を止める。


「いや、何でもないんだ。ほんとだよ。ちょっと口喧嘩しただけさ」


「ホントに?」


 さやかは、僕の目を覗き込んでくる。僕は悟られまいと、無理に笑顔を見せる。


「大丈夫だって。何かあったら言うから。ほら、教室に戻れよ」


「うん。わかった」


 さやかは、走って教室へと戻る。

 その後ろ姿を、藤木先生は見送りながら、僕に言った。


「3年の青柳か。陸上部辞めて、剣道部にきてくれないかなあ。山野、お前からも言っておいてくれよ」


「そうですね。言ってみますよ」


 藤木先生に伴われて、僕は体育館へと入った。

 入口横の場所が僕の定位置。あとは授業が終わるまで、僕はみてるだけ。

 小田が、僕を睨んでくる。こいつとは、決着をつけないといけない。

 絶対に許せない。僕は小田を睨み返しそう決心した。


放課後になった。

 いつものように、クラスメート達は教室をあとにする。

 僕は自分の席で、じっとしたまま小田を見ていた。

 小田は、僕の目線に気付くと、取り巻き数人を連れ、近付いてくる。

 車椅子の僕は勝てないだろう。でも、一発顔に入れてやらないと気がすまない。

 殴られても、蹴られても絶対に痛い目を見せてやる。

 僕はギリっと歯を食いしばり、小田が手に届く範囲にくるのを待った。

 その時、琢磨が教室に走り込んで来た。後にはさやかがいる。


「お前か! ヒデをいじめてんのは!!」


 琢磨がずんずんと小田へ歩みよる。ダメだ。ここで琢磨の手を借りては。

 そう思った瞬間、僕の口から怒声が飛び出ていた。


「来るな!! これは俺の問題だ!!」


 僕の声に、琢磨が足を止める。小田は少し驚いた顔をして、琢磨が動かないのをみて、席の前までやったきた。


「何をカッコつけてんだよ! 障害者のくせによ!」


 ここで引いたら、僕はますますダメになる。ダメになるんだ。

 僕は小田を睨み言い返す。


「そうだよ。俺は、障害者さ。歩くことさえできない。社会的弱者、社会の底辺だよ。でも、俺はカスでもクズでもないぞ。弱い者しかいじめれないお前みたいなクズじゃない!!」


〝バチン!〝


 衝撃の後、熱いものを感じ、口の中に鉄の味が拡がる。

 でも、僕は歯を食いしばって小田の目を睨む。


「どうしたカス! お前の力はそんなものか!!」


 駆け寄ろうとしてくる琢磨を僕は手を上げて止める。僕は変わりたいんだ。心まで弱くなりたくないんだ。


「この野郎! 加減してやりゃ調子に乗りやがって!」


 机をどかされ、小田が髪の毛を掴んで殴ってくる。

 顔、頭、肩、あらゆるところを何回も殴られる。痛い。でも、絶対に根を上げない。絶対にだ。


「止めて! タッくん止めてよう!」


 さやかの悲鳴に近い声が、耳に届く。さやか、わかってくれ。これは僕の戦いだ。これを逃げたら僕は男じゃなくなる。

 僕は口から血を流しながら叫ぶ。


「効かねえぞ! お前みたいなカスに殴られたって、なんともない!」


 琢磨が歯を食いしばって、僕を助けるのを我慢してくれている。ありがとう琢磨。僕はお前みたいな友達を持てて幸せだ。

 小田がだいぶ息を荒くして、僕の襟を掴んでくる。


「はぁ、はぁ。しつけえぞ。障害者のくせしやがって」


 僕は血の混じった唾を小田の顔に吐きかける。


「貴様!!」


 小田が激高し、顔を近付けた時、僕は小田の首に左手を回し、髪の毛をがっちりと掴んだ。


「くっ、放せ!!」

 

 僕は右手で、力いっぱい小田を殴る。ゴンという鈍い音と、鈍い感触が右手に伝わってくる。

 手を振り払って離れようとする小田を僕は、あらん限りの力を込めて何回も殴る。

 小田の罵声が、弱々しくなり次第に内容が変わる。


「止めろ! ふざけんなテメエ!」

「痛っ! やめろって!」

「うげっ。やめ、やめてくれ」

「やめて、もうやめてくれ」

「俺が悪かったやめてくれ」

「たのむ。俺の負けだ」

「勘弁してくれ……」


 僕は興奮と痛みで、わけがわからなくなり、そのまま殴り続ける。

 その手を掴まれ、ハッとしてみると、満面の笑みを浮かべた琢磨がいた。


「ヒデ! お前の勝ちだ!」


「え?」


 見ると、僕の前に小田が顔を押さえて、跪いている。

 やったんだ。僕はこいつに勝ったんだ。

 途端に、顔のあちこちがズキンズキンと痛み出す。


「いてて。つう。鼻血出てるよ。まいったな」


 琢磨はにやりと笑うと、呆然と立ち尽くす小田の取り巻きたちを睨みつける。


「お前ら、ここまではヒデの喧嘩で手出ししなかった。こっからは違うぞ。お前らは俺がボコってやるよ」


「お、俺らは関係ないです!」


 小田の取り巻きは、小田を教室に残したまま逃げ出した。


「なんだぁ? つまんねえなあ。ヒデ、こいつどうするよ? 長いことやられてたんだろ? 仕返しなら俺がやってやるぜ」


「いや、もう気がすんだよ。手も顔もあちこち痛いし、もうこんなのは懲り懲りだよ」


「かぁー。言うねえコイツは~。こんなボロボロになってるくせによ。かっこいいぜヒデ!」


 小田が口を押さえながら立ち上がる。小田の鼻は僕と同じように折れ、前歯も一本折れている。

 僕は急いで、舌で前歯を確かめる。よかった。折れてない。カルシウムを取っててよかった。


「おい、お前、ヒデにいう事あんだろうが? 何黙ってんだよ」


 琢磨が凄むと、小田はビクッと体を震わせ、呟いた。


「ご、ごめん……」


「ああ? 聞こえねえよ! でかい声で言え!」


 何だか、ビクついている小田を見ていると、かわいそうになってきた。


「タク、もういいよ。小田、もう帰っていいよ。明日から俺に構うな。わかったな」


 小田はこくりと頷いてから、消え入るような声で言った。


「お前のことは、俺が悪かった……。でもな……、俺はお前のオヤジを許さないぞ。ゆり姉をそそのかしたお前のオヤジを」


 僕は頭をバットで殴られたような衝撃を受けた。


「まさか、お前の姉ちゃんと、父さんが?」


 小田は、口から血を吐き出し、顔をあげる。


「そうだよ。お前のオヤジが俺の姉ちゃんをそそのかして、駆け落ちしたんだ! 母さんを介護してた姉ちゃんが消えて、俺ん家はめちゃくちゃだよ!

みんなお前のオヤジが悪いんだ! 俺は絶対許さない!」


 僕は目眩を覚え、言葉を告げることができない。

 僕が事故にあわなかったら、テニスができてさえいれば父さんは家をでなかった。小田の姉ちゃんと駆け落ちすることもなかったんだ。

 僕が悪い。全部僕のせいなんだ。殴られた痛みと違う痛みが僕の胸をえぐる。

 僕はこいつに何も言えない。こいつが僕をいじめていたのは、僕が障害者だからじゃなかったんだ。

 僕が小田の顔が見れず、下を向いているとパシンという渇いた音が前から響いてきた。 見ると、さやかが小田の顔を張っていた。


「なに自分だけ悲劇のヒロインになってんのよ!! ヒデくんはね、あんたが感じた辛さの数百倍も辛い思いしてんのよ! 実の親に保険金、持ち逃げされた気持ちがあんたにわかるって言うの!!!」


「いや、さやか賠償金だよ……」


 僕はやっと言葉を告げることができたというのに、よりによってなんでこんな台詞なんだ。

 小田が僕を見る。その瞳には、憎しみと悲しみが入り混じっている。

 僕は、自然と頭を下げていた。


「小田、僕の父さんのせいで辛い思いをさせて悪かった。この通りだ」


「ヒデ! こんな奴に謝る必要なんてないぞ! お前は何も悪くない!」


 僕は顔を上げ、首を横に振る。


「タク、違うんだ。僕が全部悪いんだ。僕がテニスができていれば父さんはどこかにいかなかった。小田の姉ちゃんと駆け落ちすることもなかったんだ。僕が全部壊したんだ。僕の家も小田の家も。父さんの夢も僕の夢も。小田に殴られて僕は当然だ……」


 涙が頬を伝う。血と涙が混じって、カッターシャツを濡らす。

 小田は目を伏せると、そのまま教室から出て行った。


「ヒデ……」


「ヒデくん……」


 僕は目をゴシゴシとこすり、虚勢をはる。


「なんてね。そんなこと思ってないって。びっくりした? ねえ、びっくりした?」


 琢磨が頭を小突いてくる。


「強がりばかり言いやがって。でも、まっカッコイイぜ」


 さやかは、目に涙を溜めて今にも泣き出しそうだ。


「ホントに、馬鹿なんだから……」


 僕が無理に笑顔を作っていると、教室の入口からノックする音がした。


「ごめんなさい。今は間が悪かったかな?」


 そこには、白鳥麗華が立っていた。ドアに軽く手をかけ、少し不安な顔をして僕の方を見ている。

 廊下側は、陽があたっていないのに、彼女の周りだけ輝いて見える。胸がキューンと締め付けられる。

 琢磨が僕に囁く。


「うまくやれよ。結果報告楽しみにしてっからな」


「ばかっ、お前そんなんじゃないよ」


 慌てて否定しつつも、僕の胸はたかなっている。この時、ただの憧れというものではなく、僕は白鳥麗華に完全に恋してしまったことに気付いた。


「ほら、さやか行くぞ」


「え? タッくん、ちょっと引っ張らないでよ」


 琢磨が、さやかを引っ張って教室を出て行く。

 それと入れ替わるように、白鳥麗華が僕のそばまでやってきた。

 スラリと伸びた足、細いウエスト、歩くたびにふわふわと動く長い髪。

 綺麗だ。まるで映画のワンシーンを観ているようだ。

 え? なんか近くないか? うわっ。白鳥麗華が目の前だ。

 白鳥麗華は、僕の顔を心配そうに覗き込む。


「いったいどうしたんだ? ひどい傷じゃないか? 今すぐ病院へ行こう!」


「いや、大丈夫ですよ。このぐらい」


「何を言ってるんだ?! 自分の顔がどうなっているのかわかってないのか?」


 そういえば、顔がジンジンする。腫れてきているんだろうか?

 白鳥麗華は、それ以上僕に言い訳させず、車椅子の後に回ると、そのまま急ぎ足で、車椅子を押し出した。


「ちょっと、白鳥さん? 自分で漕ぎますから」


 僕の頭の上から、鋭い言葉が返ってくる。


「少し黙ってなさい! 唇も切れているのだから!」


何やら、すごい迫力だ。これは黙っていた方がいいだろう。

僕はそのまま、学校近くの整形外科まで連れて行かれた。

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