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麗華の章 その一

麗華の章 その一


"キーン、コーン、カーンコーン"


 授業の終わりを告げる鐘の音が、スピーカーから流れた。

私が、席を立とうとすると、隣のクラスの若林くんが教室に駆け込んできた。

一目散に、私の元へとやってくる。


「麗華さん、生徒会室に行くんだろ? そこまで一緒に行こうよ」


 私は、この男が嫌いだ。顔がいいのを鼻にかけ、外見がちょっとでも悪い人をみると、見下した態度を取る。

 話す内容は、バスケの試合でシュートを決めただの、女生徒からラブレターをもらっただのといった自慢話ばかりで、聞いていると気分が悪くなってくる。

 彼氏気取りで、ついて回るのを止めて欲しいと何度も言っても、聞いてくれない。本当に鬱陶しい。


「部室と反対方向だろう? ついてこなくて結構だ」


「またまた~、つれないなあ」


 私がこんな口調になったのは、いつの頃からだったろうか。

 私は戸籍上、父がいない。

 もちろん本当の父はいる。政治家の浦田大輔だ。母がウグイス嬢のバイトをしたことが、出会いのきっかけらしい。

 父は、いまでも東京から月に1、2度会いにきてはくれるが、愛人の子という引け目から、私は小さい頃から他人との間に壁を作ってしまっていた。

 中学に上がって、男子に言い寄られるようになってからは、それが無性に嫌で仕方がなく、気付けばこんな変な口調になっていた。


「ね、知ってる麗華さん、歌手の菅野さゆりが、不倫略奪愛だってさ。いやだねえ、不倫なんて」


 私の肩は、びくんと震える。〝不倫〝という単語を聞いた途端に、心が重くなる。


「興味ないな。芸能ニュースなどには」


 階段までの廊下を歩くあいだも、若林くんは左右にちょろちょろと動き、いろんな角度から話しかけてくる。

 どういう風に言えば、彼は諦めてくれるのだろうか。

 階段を降りていると、後から声をかけられた。


「麗華さん! 日曜日の話、考えてくれました?」

 

 振り向かなくても、声の主はわかっている。テニス部の主将、神崎くんだ。

 彼もいけ好かない男子の一人。家がお金持ちで、プレゼントで人の気をひこうとする。


「あいにくと、日曜は模試があってな。応援にいくことはできない」


 神崎くんは、私の横にやってくると、顔を覗き込んでくる。


「そんなー。来てくださいよー。麗華さんが来てくれたら、テニス部のみんなも張り切るしー」


「悪いな。他をあたってくれ」


 私は構わず階段を降りる。背後では、若林くんと神崎くんの言い争いが聞こえる。


「聞こえたろ? さっさと、どっかにいけよ」


「何言ってんだよ? どっかいくのはお前の方だろ? 麗華さんに相手にされてないのがわからないのか?」


 止めてくれ。私の彼氏気取りでつきまとうのは。

 私はどちらとも付き合うつもりはない。

 1階に降り、校長室の前を通りかかる。額に入れられた写真が自然と目にとまる。

 大堀公園の池をバックに、開花しようとしている桜の写真だ。

 美しい。どうやったら、こんな写真が撮れるんだろうか。

 陽がさした蕾は、まるで冬から、春に移りゆく季節を象徴しているかのように力強さを感じる。

 この写真は何度となく目にしているはずなのに、それでも通りかかる度に、目を奪われてしまう。

 撮影者は、山野秀夫。写真を初めてわずか半年だというのに、写真部が佳作にも入れない新聞社の写真コンテストで、大賞を受賞した人。彼は、どんな思いでシャッターを切ったのだろうか。

 私は、彼を知っている。ずっと前から知っている。

 初めて、見かけてたのはテニススクールでだった。

 テレビ番組で、父の趣味が自転車とテニスであると知った私は、母にねだってテニススクールに入会した。

 こんな風に、実の父親の趣味を知る小学生など、きっと私ぐらいだろう。

 レッスンを受けている隣のコートに、山野くんはいた。

 彼は、叱責されながらも、ボールに必死に食らいついていた。コートの脇で吐きながら、厳しい練習に耐えていた。

 私は、週に2回、2時間程度のレッスンだったが、私が自転車で塾の行き帰りにテニスコート横の道路を通った時は、彼はいつもそこにいた。雨がふり母に車で迎えに来てもらったときでさえ、雨の中コートにいた。

 そんな彼が、私と同じ小学4年生であると聞かされた時は、本当にびっくりした。

 私と同じ10歳の男の子が、なぜあんなにもテニスに打ち込んでいるのか? その理由が知りたくてたまらなかった。

 彼のことが知りたいと思うようになった。

 しかし、話しかけようにも、そのチャンスはなく、気が付けば私は中学生になっていた。

 山野くんは、練習のかいあって、ジュニアでは全国区で名前を知られるようになり、スーパーキッズなどともてはやされ、テレビ番組で時たま見かけるようになった。

 追っかけみたいな人たちも、コートに姿を現すようになると、ますます話しかける機会はなくなり、自転車にも興味を持っていた私は、自然と足がテニススクールから遠のき、中3になる頃には、受験を言い訳にテニススクールを辞めた。

 高校の入学式で、彼を見かけた時は、心臓が飛び出るほど驚いた。

 彼は最後に見かけた時よりも、背がかなり伸び、たくましくなっていた。1年生のうちからテニス部のレギュラーで、インターハイで、ベスト4、ユースの代表に選ばれた時は、私はなぜか自分のことのように嬉しかった。

 校内では、追っかけみたいな女子生徒たちが、いつも山野くんの近くにいたし、同じクラスでもない私は、話すことはできなかったが、それでも彼と同じ高校にいることが誇らしかった。

 彼のような人と同じ世代でいれたことが嬉しかった。

 でも、1年の終わり、学校帰りに交通事故で大怪我をしたと聞いた時は、めまいがするほどショックを受けた。

 一度、勇気を出してお見舞いに行ったことがあったけど、リハビリ室でみた肩を落とした彼の後姿を見たら、私にはそのまま帰ることしかできなかった。

 脊髄を損傷し、歩けなくなった彼の気持ちを考えると、声をかけることはできなかった。

 でも、彼は私が考えるよりもずっと強かった。

 車椅子になるほどの大怪我を負ったというのに、たった1年で復学してきた。

 しかも、写真を初めて半年で、写真コンテストで大賞を取る程の腕前を持って。

 写真には素人の私でも、彼が写真がうまくなるために、ものすごい努力をしたことは簡単に理解できた。

 

 若林くんと、神崎くんを振り切るため、私は用もないのに生徒会室に入った。

 今日は、特に打ち合わせなどがあるわけでもない。生徒会室には、誰もいなかった。

 私は、読みかけの小説を鞄からだし、ぺらぺらとページをめくる。

 数ページ読んだところで、外から言い争う声が聞こえてきた。

 私は立ち上がり、外を見る。

 あれは、山野くんだ。一緒にいるのは、吉村くんと青柳さん。

 何を揉めているんだろう。

 しばらくすると、山野くんだけ校門から出て行ってしまった。

 青柳さんは、顔を覆って泣いているようだ。仲のいい3人に何があったんだろうか。

 私は机に戻り、小説を再び読み出すが、文章がまったく頭に入ってこない。

 3人に何があったのか、気になって仕方がない。

 山野くんは、大堀公園の方へ行っていた。

 あっちにいってみたら、もしかしたら会うことができるかもしれない。話すことができるかもしれない。

 なぜ、そんな風に思ったのかは、自分でもわからない。

 私は、自転車に飛び乗ると、ペダルを漕いだ。

 大きな池の周りに2KMの周回コースがある大堀公園を、時計回りに回ってみる。

 期待に胸をふくらませながら、自転車を漕ぐが、彼の姿は見つからない。

 大通りに面した方まで来て、私はがっくりと肩を落として、もう半周して学校の方へと引き返す。

 私は何を期待していたんだろうか? 家に帰って、今日の復習でもしよう。

 速度を20KM程度に落とし、美術館横まで来た時に、池に向けてカメラを構える彼を見つけた。

 私の心臓は、高鳴る。胸がきゅうっと狭まるような感覚がして、息をするのが苦しい。

 逃げ出してしまいたい。でも、彼と話せるまたとない機会だ。

 ここで、逃げ出したら彼と話す機会なんて、これからも訪れないかもしれない。

 私は、自転車を止め、深呼吸しながらヘルメットを脱ぐ。グローブを脱ぐ手が緊張で少し震えている。

 なんて、話しかけよう。私の頭に名案が浮かぶ。そうだ。カメラを話題にすればいいんだ!

 私は、一歩、また一歩と彼に近付き、深呼吸してから話しかけた。


「君、すごいカメラだな」


 山野くんが振り向く。急に話しかけたせいで、少し驚いた顔をしている。変に思われただろうか?


「え? ええ、まあ……」


 山野くんの顔に戸惑いの表情が浮かぶ。早く何か言わないと。会話を途切れさせてはダメだ。


「私の家にも父のカメラがあるのだが、これはまた随分と違うな。レンズもカメラも大きい」


 いきなり、知らない女生徒に話しかけられたせいか、山野くんは下を向いてしまった。

 失敗したー。話題を間違えたのかもしれない。


「これは、失礼した。名乗らずにいきなり妙なこと聞いてしまったな。私は、3年の白鳥麗華だ。よろしく」


 私は、ドキドキとしている内心を隠そうと、声のトーンを落として、冷静さを装う。

 勇気を振り絞って、右手をだしてみる。


「えっと、僕は2年の……」


「知ってるよ。2年の山野秀夫くんだろう?」


 知っているよ。山野くんのことはずっと前から。テニススクールで一緒だったといったら、どんな顔をされるだろう。

 ストーカーだと思われるだろうか? このことは、伏せておいた方がよさそうだ。


「先月、君の作品が入選していたからな。名前を覚えていたのだ」


 山野くんは、私の答えに納得したようだ。私は内心ホット胸を撫で下ろす。


「わたしは写真のことはわからないが、君の写真は素晴らしかった」


「いえ、そんな……」


 山野くんが照れている。何だか可愛い。テニスコートで見せていた鬼気迫る表情も素敵だったけど、彼の笑顔を見ていると、なんだか、私は暖かい気持ちになってくる。


「謙遜することはない。素晴らしい作品だった。あんな作品を撮れるとは、

君はどこか人と違う感性を持っているのだろうな」


 私はだんだんと気持ちが落ち着いてきた。口から滑らかに言葉がでてくる。

 よかった。いい調子だ。友達になって欲しいと言っても、大丈夫だろうか。いや、もうちょっと様子をみよう。

 ええっと、話題は何がいいかな。夏休みの話がいいかな? それとも文化祭? カメラの話は私からはあんまりできないし。

 私が迷っているうちに、山野くんは信じられない言葉を口にした。


「あ、あの、よかったら写真撮らせてもらえませんか?」


 山野くんが、私を撮ると言っている。これは、友達になるチャンスだ! 私はすごく嬉しかったが、なんとか平静を装う。

 それが山野くんには、拒否しているように見えたのか、彼は申し訳なさそうに続ける。


「ポートレイトも撮ってみたいなあって常々思ってまして。風景写真だけじゃなく。ダメです?」


 ダメなわけないじゃない! 私はヘルメットをかぶっていた自分の髪型が気になったが、ここで鏡でチェックしたら、自意識過剰の痛い女だと思われかねない。少しも気にしていないといった態度でいないといけない。


「ああ、私にモデルになれと言っているのだな? 構わんよ。好きなだけ撮ってくれ」


「ああ、いえ、いいんです。そりゃダメですよね……。え? 今なんと?」


 山野くんは、驚いた顔で私を見る。彼の瞳が私を見ている。

 こういう時、どういう顔をするのが一番いいんだろう。


「撮ってもらって構わないよ。私でよければ」


 山野くんは、カメラを意識せず散歩して欲しいという。私は言われるがままに、池を見ながら歩く。

 意識せずにと言われても、〝ピッ〝という電子音を聞くと、やはり緊張してしまう。

 でも彼の写真の練習のためには、我慢しないといけない。

 私は尻込みする自分の気持ちにムチを入れ、モデルになりきる努力をした。

 そして、彼と共有できている時間を楽しんだ。

 しばらくすると、不意に山野くんのカメラから警告音がしだした。

 故障でもしたんだろうか?

 彼のカメラのモニターには、『バッテリーを充電してください』と表示されている。

 よかった。故障ではなかったようだ。


「あ、すいません。夢中になっちゃって」


「私の方こそ君と話せてよかった」


 もっと話したいけど、撮影できなければ話を引き伸ばすのも悪いかもしれない。

 私は、後ろ髪引かれる思いで、自転車に戻った。

 この貴重な体験を、忘れずに日記にしたためなければ。今日は大作になることだろう。


「あ、あの、プリントしてお持ちしますから!」


 ということは、また確実に会って、話せるんだ! 私は嬉しくてつい笑顔になってしまった。

 自転車にまたがると、山野くんは下を向いた。私のスカートを気にしてくれているのだろう。

 大丈夫。ちゃんと下にはスパッツを履いているから。

 よく足は綺麗と言われる。山野くんに見せたら、印象付けることができるだろうか?


「はしたないと思っているのかな? 大丈夫だよ。ほら」


 私は、勇気を出して、スカートをすっと捲った。

 山野くんは、顔を真っ赤にして驚いている。


「では、失礼する」


 山野くんのあの顔、なんてはしたない女だと呆れていたのかもしれない。 なんであんな行動を取ってしまったのだろう。

 友達になりたかったのに、失敗したと悔やみつつ、私は家までの10KMをペダルに力を入れて漕いだ。

 家に帰ってすぐに、私は着替えることも忘れ、納戸の中を引っ掻き回す。

 確か、父さんが私の制服姿を撮るためにと、入学式の日にカメラを持ってきて、そのままここにおいていたはずだ。

 30分も探しているのに、見つからない。どこに直しこんだんだろう。

 いつの間にか、帰宅していた母さんが、私を不思議そうに見る。


「どうしたの? 何か探し物?」


「うん。カメラがあったでしょ? 父さんが持ってきたやつ」


「ああ、あの大きいの。あれだったら、この前来たとき、父さんが書斎にもっていってたわよ」


「え? ほんと?!」


 父さんの書斎に入ると、書棚に乗っているカメラバッグを見つけた。

 急いであけると、デジタル一眼レフがあった。

 やった。これで、私からも話しかける口実が作れる!

 カメラのスイッチを入れ、再生ボタンを押すと、私の寝顔が現れた。

 父さんだ。いつの間に、こんなの撮ったんだろう。

 私は、うきうきとしたステップで、2階への階段を上がった。

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