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秀夫の章 その九

 秀夫の章 その九

 

 季節は夏から、秋に変わり、日中は暑いものの、夕方になるとだいぶ涼しくなってきた10月1日。

 練習を終え、白鳥さんと帰ろうとしている時に、携帯にメールが着た。


「あ、竹畠くんからだ。そういえばさ、聞いてよ。この間なんて、竹畠くん、倒れて運ばれたとかいって、病室の写真送ってきたんだよ? びっくりして、病院にいったら、ピンピンしててさ。嘘だよーだって。まいっちゃうよ」


「ふふふ。竹畠くんは、この前会った時も、元気そうだったものね。顔色もだいぶよかったわ」


「うん。これなら、年内って言わず、彼案外治っちゃうんじゃないかって、思うんだよね」


 僕は、メールを見て、背筋が凍った。

 見間違いかと思って、着たメールを何回も読む。

 それは、竹畠くんの携帯から、妹さんが送ってきたものだった。


〝本日、15時に兄が永眠しました。長らくお世話になりました。通夜は、明日19時より……〝


 動けない僕に、麗華さんが声をかけてくる。


「秀夫くん、どうしたの? 顔、真っ青よ」


「た、竹畠くんが死んだって……」


「え?」


 それからのことを僕は、よく覚えていない。

 気が付けば、僕は麗華さんと、竹畠くんの通夜に参列していた。

 車椅子テニスの人達ように、前の方に椅子のないスペースがあった。

 僕はその列の最後に並んだ。

 お坊さんのお経が続き、葬儀社の人が、お焼香に誘導していく。

 僕はお焼香を済ませると、竹畠くんの柩をみた。

 竹畠くんは、目を閉じ、安らかに眠っている。

 竹畠くんが、着るのを楽しみにしていたライダースが、かけてあった。

 僕が親族席に頭を下げると、竹畠くんのお母さんが、声をかけてきた。


「ありがとうね。友達でいてくれて。最後まであなたの試合を楽しみにしてたのよ。試合、頑張ってね」


 僕は無言のまま、車に乗り込んだ。麗華さんも沈んだ顔で、涙を流している。

 僕は、ポツリと呟いた。


「竹畠くん、本当に死んじゃったんだね。なんか嘘みたいだ」


 ついこの間、会ったときは、本当に元気そうだった。

 俺、ガン治ったかも? と冗談を言っていた。

 僕が買っていった、ハンバーガーを美味しそうに食べていた。

 僕がラケットを見せると、嬉しそうに握っていた。

 そんな竹畠くんが、もうこの世にいないなんて。


「うあああああ、うわぁあああ」


 僕は、ハンドルに突っ伏して泣いた。声を上げて泣いた。

 自分の中に、これほど涙があるのかと自分でも呆れる程、涙を流し続けた。

 笑顔で冗談を言う竹畠くん、ライダースを嬉しそうな目で見る竹畠くん、苦しそうにしている竹畠くん、ガンに負けないと力強く言っていた竹畠くん。

 彼の顔が、僕の頭でぐるぐると回る。

 麗華さんは、その間、黙って座っていてくれた。

 ひとしきり、泣いたあと僕は顔を上げて、涙を拭った。


「よし! もう、思う存分泣いたぞ。僕はやることがある。彼との守るべき約束がある! あと一ヶ月半、僕はやるよ。絶対に、優勝してみせる! 元メインだとか、セカンドだとか関係ない! 僕は、やる! 立ちふさがる相手は全部倒してやる!」


 麗華さんも涙をぬぐい、大きく頷く。


「そうね! ずっと泣いてちゃ、竹畠くんに笑われるものね! 頑張ってね、秀夫くん! 私もできる限りのことをするわ!」


「ありがとう。でも、いいのお? 白鳥さんの試験、11月上旬でしょ? 勉強ちゃんとしてる?」


「大丈夫だって。ちゃんと毎日、遅くまでやってるんだから。なんなら、模試の成績見せましょうか? 推薦で受けるのもったいないって言われてるんだから」


 まあ、麗華さんなら、そうだろうね。僕は、竹畠くんの冥福を祈り、帰宅した。

 次の日から、僕はさらに自分の体をいじめ抜いた。

 腕は、ますます太くなり、二の腕の太さは、50CMを超え、前腕も40CMを超えた。

 もっていた服はどれも入らなくなり、母さんは呆れ顔だったが、ご飯のおかずには、肉を多くだしてくれた。

 車椅子にも慣れ、10月の下旬にはバックターンも自在にできるようになっていた。

 

 いつものように、放課後、汗を流しているとコートに小田が現れた。

 石飛が小田の方へと歩み寄る。


「なんだよ? なんか文句あんのか?」


 石飛に凄まれ、小田は目を伏せる。


「いや、たださ、これ渡そうと思って」


 小田の手には、炎症をしずめるスプレーが握られている。

 僕が近くまで行くと、小田は顔を背ける。


「ま、前は、悪いことしたと思ってさ。よかったら、これ使ってくれ」


 そうか。わざわざ持ってきてくれたんだ。こいつも案外いいやつなのかもしれない。


「ありがとう。使わせてもらうよ」


「お、おう。試合がんばってな」


 小田は、スタスタと校舎の方へと歩いて行く。


「へ、罪滅ぼしのつもりかよ。なあ、山野先輩よ」


「まあ、そういうなよ。あいつなりの謝り方なんだろう。ん? 山野先輩?」


「おかしいかよ? 俺が、先輩って呼ぶとよ」


「いや、おかしかないけど、どうしたの?」


 石飛は、目を逸らし、鼻の頭をかく。


「いや、あのよー。ゆいが、付き合いたいなら、山野先輩って呼べって言うからよー。それでよー」


「え? お前、告ったの? で、どうだった?」


 石飛は、顔を赤くして、頭をかく。


「一応、OKもらった。あんたのおかげだ。ありがとうな」


「おおー! よかったじゃん! いいなあ。彼女ができて、うらやましいよ」


 コートに、練習を終えたゆいちゃんが走ってくる。


「山野先輩! クッキー焼いてきましたよー! 食べてくださーい!」


 石飛が、自分を指差し、戸惑いの表情をする。


「ゆ、ゆい、俺には?」


「あーん? あんたにあるわけないでしょうが?」


「そ、そんなあ。俺は、お前の彼氏だろう? くれよー」


「あんたが、山野先輩みたいにかっこよくなったら、いくらでも作ってあげるわよ。それまで、我慢しなさい」


 二人のやり取りを見て、僕はくすりと笑った。

 僕も麗華さんとあんな風になれたらいいのにな。二人がひどく羨ましく思える。

 麗華さんは、今頃、推薦試験の真っ最中だ。

 11月17日は合格発表だから、僕の試合は見にこれない。


「おーい、石飛! 僕のあげるよー」


 石飛は、僕の持っていた包を受け取る。


「ホントか? ちくしょう! あんたいい人だな!」


 石飛は、口を開けると一気にクッキーを流し込む。

 うおっ。なんて、食い方するんだよ。


「こらー! 全部食べようとするんじゃない! 先輩の分、ちゃんと残しなさいよー!」


 漫才のような二人のやり取りに癒された僕は、ハンドバイクで帰宅した。


 11月16日を迎えた。

 九州大会は、11月16日、17日の二日間開催され、1日目は、シングルスの準々決勝まで、2日目は、ダブルスとシングルスの準決勝、決勝が開催されるという日程だった。

 シングルスしかエントリーしていない僕は、1日目に負けてしまえば、それまでとなってしまう。

 テニス部のみんなは、明日応援にきてくれることになっている。1日目で負けるわけには行かない。

 僕は、車椅子テニスの試合に出たことがない。どんなレベルなのか全くわからない。

 テニスを小さい頃からしていたといっても、車椅子テニスを初めて、4ヶ月程度の僕がどこまで行けるのか。

 なんともいえないプレッシャーを感じて、僕はそれを克服しようと自分の顎をコンコンと叩く。

 昔からプレッシャーに勝つための、僕なりの儀式だ。

 開会式が終わり、いよいよ試合が開始される。僕は三試合目となっている。まだ間がある。

 僕が出るのは、クラス3。一番下のクラスだ。

 どんなものなのか、クラス3の試合を見学する。

 僕をどん亀呼ばわりした渡辺が、コートに入っている。

 速い。動きが凄く速い。腕の太さは、僕ほどではないが、腰が効いていて、一漕ぎの伸びが全く違う。

 サーブもいい。ショットもすごいスピンを掛けている。これは、上手い。強いぞコイツ。

 横で見ていた人たちが言う。


「渡辺は、なんでクラス3なんて出てんの? 元メインだろ? 反則だよなあ。優勝はもう決まったようなもんじゃないの?」


「なんか、仕事で試合でれなくて、ランキングなくなったってさあ。また、来年からポイント取って、メイン目指すらしいよ」


 くそ。羨ましい。僕に腰の力が残ってさえいたら、あんな風に動けるのに。

 僕は、頭を振って、その考えを打ち消す。自分の残っている筋力で勝負するしかないんだ。

 あいつは、反対側の山。絶対勝ち上がってくる。

 僕はあいつに勝って、優勝するんだ。そして、竹畠くんに優勝カップを見せるんだ。

 僕は弱気になる自分に喝を入れ、自分の試合を待った。

 試合前は不安だったが、僕は1試合目から調子がよかった。

 サービスエースを連発し、ショットはコースに決まる。

 知り合いのいなかった僕に、試合が終わるたびに話しかけてくれる人が増える。

 僕は、自分でも驚く程スムーズに、準決勝まで勝ち上がった。

 試合が終わり、車に戻ると緊張の糸が切れ、どっと疲れが襲ってくる。

 腕は重く、肩も張っている。

 それはそうだ。楽勝に見えていたかもしれないが、僕は不安と戦っていた。

 全てのショットを全力で打ち、全力で動いていた。

 今までの練習の疲労と合わさって、もうへとへとだ。

 すぐに運転すると、危ないような眠気が襲ってきて、僕はシートを倒して、

目を瞑った。

 

 どれぐらい眠ったのだろうか? 携帯の着信音で僕は目を覚ました。

 時刻は、20時半。2時間以上眠っていたことになる。

 首をコキコキと鳴らし、携帯を見る。

 うお! 麗華さんからだ! 僕は急いで出た。


「あ、秀夫くん。わたし、麗華よ。どう? まだ残ってるの?」


 彼女の声を聞くと、僕の身体に力が漲ってくる。

 あー、なんて綺麗な声なんだ。10日以上は会ってないために、枯渇していた白鳥麗華エキスが、僕の身体に注入される。


「うん! 残ってるよ! いま、ベスト4! いやあ、見せたかったなぁ。サービスエースバンバンとったよ」


「そっかー。応援行きたかったんだけど、ごめんね。明日、発表だからさ。落ちた時のこと考えて、予備校の講義受けないといけなかったんだ。今度試合の時は、絶対応援にいくからね」


「ありがとう。明日、勝って優勝の報告できるように頑張るよ」


「うん。期待してるからね。頑張ってね! それじゃ、疲れてるだろうから、切るね。また学校で」


「うん。それじゃまた」


 よーし、やるぞ! 明日も頑張ろう! 僕はパンパンと顔を叩いて気合を入れ直し、帰宅した。

 

 11月17日になった。

 筋肉痛がひどく、肩が重たい。前腕には刺すような痛みが走る。

 僕は、消炎剤を腕に塗りたくり、マッサージする。

 すごく張っている。昨日のように動けるか自信がない。

 いや、弱気になるな。あと2試合だ。8プロセットの2試合すれば、終わりなんだ。全力だ。全力で勝ちに行くんだ。

 僕は、熱いシャワーを浴び、低周波治療器で肩のコリを取る。

 シングルスの準決勝は、午後からの予定だ。

 それまでは、疲労を回復させることができる。僕は前日の7時出発より、2時間遅い9時過ぎに、試合会場に向けて出発した。

 会場には、石飛をはじめ、ゆいちゃんや僕の練習を手伝ってくれた1、2年の顔ぶれが既に到着していた。


「残ってんじゃんよ! おまけに、4試合で、3ゲームしか取られてないじゃん! あんた、こりゃ余裕で優勝じゃねえの?」


 石飛の頭をゆいちゃんが引っぱたく。


「あんたってなによ! あんたって! 山野先輩って呼べって言ってるでしょうが! すいませんねー、山野先輩。このバカには、よく言っときますから」


「いやいや、みんな来てくれて嬉しいよ。飯塚まで遠かっただろ?」


「大丈夫ですよ。運転手さんにお願いして、学校のバスできましたから」


「え? そうなんだ。まあ、みんなが来てくれたんだ。無様な試合しないように頑張るよ」


 しばらく、皆と雑談しているとダブルスの準々決勝まで終わり、シングルスの準決勝が開始された。

 僕の相手は、左利きだ。なんでも、元セカンドらしい。

 練習時間、ラリーをすると、動きが今までの相手と違う。速い。ショットもスピンの効いたいいボールを打つ。

 腰椎の下の方を骨折したらしい。腹筋や背筋が残っている。

 試合は、一進一退となり、ゲームカウント7-6で、僕のサーブとなった。

皆の応援にも熱が入る。


「山野! いけー! 気合いれろー!」


「山野せんぱーい! がんばってー!」


 僕は、ふーっと息を吐き、球を一回突く。トスを上げて、スライスサーブを打つ。

 よし、いい感じだ! ボールはサービスコートの左隅でバウンドする。

 相手は、ボールに追いつけない。

 よし、まずは。ワンポイントだ。

 僕はアドコートに移り、ポイントを告げる。


「フィフティーン、ラブ」


 ボールつき、トスを上げて、思い切り体を仰け反らせて、スピンサーブを打つ。

 サイドコートのサイドラインぎりぎりにボールは落ち、高く跳ね上がる。

 相手は、ボールに追いつくが力のないボールを返してくる。

 僕は前進し、フォアを打ち込む。

 よし。行けるぞ。いい感じだ。


「サーティ、ラブ」


 今度は、トスをあげた直後にクイックサーブを打つ。

 タイミングを外された相手は、ふわりと浅いボールを上げる。

 僕はネットに詰め、スマッシュを叩き込む。


「よし!」


 僕はアドコートに向い。フーっと息を吐く。

 行ける。行けるぞ!

 トスを高く上げ、スライスサーブを打つ。

 今度は、相手もいい球を返してくる。

 僕は、サイドラインめがけて、必死になってこぐ。

 クロスにフォアを返す。

 読んでいた相手は、球に追い突き、クロスに打ってくる。

 ラリーが、数回続き、相手がロブを挙げてくる。

 僕は、ライジング気味に肩口に上がった球を思い切り、打つ。

 ストレートに決まり、僕は8-6で勝った。

 

 試合後の握手をしようと、ネットまで行こうとしたとき、右手に激痛が走った。刺すような痛みに耐えながら、握手をする。

 まずい右手を本格的に痛めたかもしれない。でも、渡辺がこっちを見ている。

 痛い素振りなんて、してられない。

 僕がコートの外に出ると、石飛が肩を叩いてきた。


「やったじゃん! すげえよ。いい試合だったよ! 次、決勝だろ? この調子でポーンとやっつけちゃえよ!」


 僕は石飛に耳打ちする。


「石飛、右手をやってしまったみたいだ。ちょっと向こうに来てくれるか?」


 石飛は、僕の車椅子を押して、車の方へと行ってくれた。


「見せてみろよ。どうだ? これ痛いか?」


「ツっ!」


 僕が顔をしかめると、石飛は顎に手をやる。


「うーん。これ筋じゃなくて、筋肉を痛めてるぜ? 腕使えないと、動けないだろ?」


「なんとか出れるようにしてもらえないか? まだ、試合まで時間がある」


「って言ってもよう。このまま続けると、もっと酷くなるぜ。肉離れは3段階あるけど、いま、Ⅰ度ぐらいだ。ここで止めといた方がいい。試合はまだ他にもあるんだろ?」


 僕は目を瞑る。いや、ダメだ。この試合を降りるわけにはいかない。

 やる前から諦めることなんてできない。そんなことをしたら、竹畠くんに顔向けできない。

 彼の墓前に、胸を張って報告できない。やるんだ。筋肉が切れようが、腕が折れようが、僕はやる。絶対に最後までやる!


「石飛、聞いてくれ。この試合を棄権することはできない。僕は亡くなった竹畠くんと約束したんだ。この大会で優勝するって。お願いだ。何とかしてもらえないだろうか?」


「んー。そうは言ってもよう……」


 石飛の頭を後からきた、ゆいちゃんが叩く。


「何をあんたはグズグズ言ってるの! 山野先輩が治してくれって言ってんだから、あんたはやれるだけやりなさいよ! あんた、そういうの上手いでしょ? 腕の見せどころじゃないの?」


「わーったよ。やるよ。やる。でも、冷やして、テーピングするぐらいしか手がないぜ。動かせば絶対痛める。いいのか?」


「うん。やってくれ。お願いだ」


 石飛は、1年生を呼び、コンビニに氷を買いに行かせた。

 続いて、僕の腕に消炎剤を塗り、丹念にマッサージする。


「まったく、やりすぎだっていうのに、いつも止めないから、こんなことになるんだよ。無茶ばっかりしやがって」


「ごめんな。迷惑かけて」


「前にも言ったろ? そんなあんた、嫌いじゃないってさ」


 ゆいちゃんが、石飛の頭を引っぱたく。


「あんたは、山野先輩って呼べって言ってるでしょうが!」


「ははは。良いんだよ。ゆいちゃん。石飛に先輩なんて言われたら、背中が痒くなっちゃうよ」


 その時、1年生の小島が走ってきた。


「山野先輩! 大会事務局の人が呼んでます!」


 くそ。もう試合か。せめて冷やして痛みを取りたかったのに。

 石飛が押してくれて、事務局へ行くと思いもよらない事を言われた。


「ごめんなさいね。ダブルの決勝ペアが、飛行機の時間があるから、シングルス決勝の前に、やらせてくれないかって言ってるのよ。渡辺くんが、ダブルスも決勝に残っててね。山野くんさえよければ、シングルスの決勝を最後にさせてもらえないかしら?」


 僕はすぐに承諾し、駐車場へと戻った。

 1年生が買ってきてくれた氷で、腕を冷やす。痛みが少しずつ和らいでいく。


「痛み止めの注射でもあれば、また違うけどなあ。山野先輩、辛抱してくれよ」


「いや、ありがとう。助かるよ。ってか、別に山野で構わないよ。クラスメートだろ?」


「ははは。違いねえや」


 十分に患部を冷やし、テーピングを終え、体を休めていると、1時間ほどして呼ばれた。腕は、随分マシになっている。

 コートに入ると、渡辺が憎まれ口を叩いてくる。


「どん亀が決勝の相手とはなー。どう? お前少しは動けるようになったのか?」


 見てろよ。目にもの見せてやる! 僕は、静かに闘志を燃やした。

 試合は、終始僕が押され気味に進んだ。

 渡辺は、口だけじゃなく実際に強い。サーブもショットもいい。特にバックで打つスピンは、すごく伸びてくる。

 動きも速く、甘いところに打つと、簡単に決められてしまう。

 それでも、僕はなんとか食らいついていった。


 ゲームカウントは、3-4。僕のサーブだ。これを落とすわけにはいかないのに、カウントは15-40。あと1ポイントで、このゲームを落としてしまう。

 ブレークされたら、僕の今の状態では、追いつくことは難しい。これを落とすわけにはいかない。

 ジンジンと腕が痛む。肩も首もパンパンだ。

 僕はよくやった。初出場で、準優勝。十分立派じゃないか。

 試合は、来年もあるんだ。この試合は、ここで棄権して、来年いろんな大会に出て、ポイント取り、ランキングを上げていけばいいじゃないか。

 僕はまだ、18だ。これから何年もできる。

 ここで、無理をするのは馬鹿のすることだ。


 いや、そうじゃない。そうじゃないぞ。なんで、僕はもっともらしく逃げる理由を考えてるんだ?

 勝つことをなぜ考えないんだ? 僕は、竹畠くんと約束したんだ。彼はもうテニスをすることさえできないんだ。

 それをなんだ。僕はなんで逃げることを考えるんだ!

 前を向け! 最後まで戦うんだ!


 球を突き、ふーっと息を吐く僕の耳に、聞きなれた声が響いてきた。


「秀夫くん! 頑張ってー!!」


 え? 白鳥さんが来るはずない。推薦入試の合格発表の日だぞ。

 会いたくて、とうとう空耳まで聞こえるようになったか。


「山野! 生徒会長が来てるぞ! いいとこ見せろ!」


「山野せんぱーい! デカパイ女が来てますよー! ファイトですー!」


 あれ? 石飛とゆいちゃんの声まで聞こえる。

 僕が顔を上げ、コートの外を見ると。麗華さんがいた。

 必死になって、僕に声援を送ってくれている。

 やるぞ! 麗華さんが、見てる前で無様な真似できるか!

 僕はトスをあげ、思い切りサーブを打つ。

 スライスサーブが、ラインぎりぎりに決まる。

 これで、30-40。行けるぞ。不思議と手に痛みを感じない。

 僕はアドコートに移動し、麗華さんをチラリと見る。

 彼女は、祈るように僕を見ている。見ててくれ。

 僕はトスをあげ、フラット気味にサーブを打つ。

 センターにサービスエースが決まる。

 これで、40-40。なんとかタイに持ち込めた。

 デュースコートに移り、球を一回つく。チラリと麗華さんを見る。

 目があった彼女が頷く。君を見ていると僕は力が湧いてくるよ。

 トスをあげ、スピンサーブを打つ。

 渡辺がセンターに返してきた球を、僕は逆クロスに決める。

 よし、これでアドバンテージサーバーだ。

 取る。絶対にこのゲームは落とせない。

 僕は、麗華さんを見る。また、彼女は頷いてくれる。

 君を好きになってよかったよ。こんなにも力をもらえるなんて。

 僕はトスをあげ、限界までのけぞって、ツイストサーブを打った。

 球は、右に高くあがり、渡辺はなんとか球にさわるものの、ネットにかけた。


「よし!」


 僕は小さくガッツポーズした。

 

 試合は、そのまま一進一退を繰り返し、とうとう8-8までもつれた。

 コートに照明がつけられ、12ポイントタイブレークが開始される。

 タイブレークでも、渡辺はまったく疲れを見せない。

 35歳のくせに、なんでこんなにタフなんだ。18歳の僕は、ボロボロだというのに。

 タイブークもお互いに、譲らず7-7になった。

 渡辺が、ここで初めてミスをした。ダブルフォルトで、8-7。あと一ポイントで、僕の勝ちだ。

 でも、腕の痛みが酷い。上げるのもきつい。握力もなくなってきている。

 ここで決めないと、僕は負ける。このポイントに全部かける。

 僕は大きく息を吐き、握力のなくなっている右手の甲を噛む。続いて、麗華さんを見た。

 麗華さんは、大きく頷く。ありがとう。君の声援がなかったら、僕は負けていた。ここまで頑張れたのは、君のおかげだ。

 もし、勝てたら僕は、君に告白するよ。卒業式の日に、君に告白する。

 しばらく気まずくなるかもしれないけど、許して欲しんだ。

 僕の心からは、君への愛が溢れている。

 僕はトスをあげ、あらん限りの力で、サーブを打った。

 渡辺が鋭く反応し、いいリターンを返してくる。

 僕は、ロブをあげ、バックターンの時間を稼ぐ。

 渡辺が、バックサイドに鋭い球を打ってくる。

 僕は必死で、食らいつきロブを上げる。

 渡辺が、強烈なバックを打ち込んでくる。

 僕は、無理矢理前に出て、ライジングでフォアを思い切り振り抜いた。

 球は、ワンバウンドして、外の鉄柵にガシャリと当たった。

 ここからでは、見えなかった。入ったのか?

 僕は、審判を見る。


「ゲームセット。ウォンバイ、山野。ゲームカウント……」


 やった! やったんだ! 僕は両手を突き上げる。

 右手に刺すような痛みが走り、顔をしかめる。

 右手をかばいながら、ネットまで行くと、渡辺が左手を差し出してくる。


「ナイスプレイ。もう、どん亀とか言えないな」


「ありがとうございました」


「竹畠の車椅子に恥じないプレーだったぜ。手、怪我してんだろ? 治したら、またやろうぜ。今度は負けないからな」


「はい、その時はもっとコテンパンにやっつけますから」


「ははは。言うね。お前は」


 僕がコートの外に出ると、みんなが集まってくる。


「俺、感動しましたよ! さすが山野先輩です!」


「先輩! 優勝おめでとうございます!」


「やりましたね!」


 石飛が、近付いて来て、右手を見る。


「あーあ、あんたの腕、内出血してるじゃん。やっぱ悪化しちまった。でも、まっ。よくやったぜ」


「ありがとう」


 ゆいちゃんが、石飛の頭を叩く。


「あんたは、な・ん・ど・言えばわかるのよー! 山野先輩でしょうが!」


「ゆい、そんなに怒るなよー。本人がいいって言ってるんだからよー」


 石飛は、ゆいちゃんの尻に敷かれっぱなしだ。僕は、くすりと笑う。

 麗華さんが、そばによってくる。


「秀夫くん、おめでとう。手、痛いの?」


「いやいや、なんてことないよ。ほら、この通り」


 右手を上げようとすると、激痛が走る。いてー。こりゃ断裂してるぞ。まいったなこりゃ。


「そういえば、どうしてここに? 合格発表の日だったんじゃないの?」


「うん。なんか、気になっちゃって、お母さんに、さっき送ってきてもらったの。帰り、乗せてもらえる?」


「うん。もちろんだよ。それで、合格した?」


 麗華さんは、ニコリと笑う。

 よかった。合格したんだ。これで、麗華さんは、春から大学生か。

 僕は、高校生だけど……。嬉しいような悲しいような、なんか複雑な気分だ。

ゆいちゃんが、僕と麗華さんの間に割って入る。


「ほらほら、見つめ合うのは終わり! 山野先輩! 表彰式するって言ってますよ。行かないと」


「え? うん。そうだね」


 車椅子を漕ごうとすると、腕に痛みが走る。

 うー。困った。こりゃ、動くのも一苦労だ。


「ほら、デカパイ生徒会長! 山野先輩を押してあげないと。気が利かないわねえ。まったく」


 麗華さんは、顔を真っ赤にして怒る。


「ちょっと、あなたさっきから何よ! デカパイ、デカパイって人をホルスタインみたいに!」


「もう、いいからいいから。早く連れて行かないと、私が押していきますよ?」


「わ、わかったわよ」


 麗華さんに押してもらい、コート上で始まった表彰式に出る。

 クラス3の3位から順に呼ばれていく。

 僕の番になり、優勝カップを受け取る。

 500ml程度の大きさしかない優勝カップは、僕が今までもらったトロフィーや、楯に比べたら、ずっと安物だった。

 でも、僕には今までのどのトロフィーよりも、重くて価値があるように思えた。

 やったよ。竹畠くん。君との約束が守れたよ。

 

 閉会式が終わると、外で見ていたテニス部のみんなが中に入ってきた。


「山野先輩よー。写真撮ろうぜ。俺、カメラ持ってきたんだ」


 石飛がコンデジを出す。お、PowerShot S110じゃないか。石飛にしてはいい選択だ。


「石飛、カメラなら、僕持ってるよ。せっかくなら、EOS 6Dで撮らない?」


「あー? 山野先輩が持ってるあのでっかいの? あんなの使い方わかんねえよ。いいから、ネットの前にいきなって。ほら、生徒会長も」


 僕がネットの前に行くと、石飛は横にいる麗華さんに、かがむように言う。


「ほら、生徒会長、屈んで。いやそれじゃ、後の奴が見えないだろ? いや、それじゃ屈みすぎ。生徒会長の顔がみえないだろうが。

 そう、高さはそれ。もうちょっと、山野先輩の側によって。もっとだよ。もっと。そうそう。それでいい」

 

 なんだろう? 嫌に指示が細かい。しかも、麗華さんにだけ、指示を出している。なんか、変だな?


「いいかあ、いくぞー。はい、チーズ!」


 フラッシュが光る瞬間、僕のほっぺたに、柔らかいものが触れた。

 え? なんだ今の感触は?

 僕が左を向くと、麗華さんが口を押さえて、驚いた顔で僕を見る。

 へ? どういうことだ?

 麗華さんは、顔を真っ赤にして、後にいたゆいちゃんを睨む。


「ちょ、ちょっと! 何するのよ!」


「えー? わたし、何かしましたっけ? ねえ、みんな?」


 後にいたテニス部員たちは、口を揃える。


『さぁ、なんでしょうね? カメラをみたらわかるんじゃないかな?』


 石飛が僕に近付いてくる。麗華さんが、石飛からカメラを奪おうとするが、

石飛は、ひょいと避ける。

 僕は、モニターの画面をみて、口をぽかーんと開けてしまった。

 顔をゆいちゃんに掴まれて、僕の頬にキスしている麗華さんが写っていたからだ。

 石飛は、僕に耳打ちする。


「データ欲しいだろ?」


 僕は大きく何度も頷く。

 麗華さんは、画像を消そうと、石飛からカメラを奪おうと追い掛け回す。


「麗華さん、腕が痛いよ。痛くて、痛くてたまらない。早く車に乗らないと!」


 麗華さんは、心配そうに僕に近寄ってくる。


「嘘? 大丈夫? 早く病院に行かないと」


 車椅子を押す、麗華さんに見えないように。僕は、石飛に親指を立てた。

 ナイスだ石飛! 今度、肉まんでもおごるよ。

 車を走らせると、麗華さんが心配そうな顔で聞いてくる。


「大丈夫? 車なんて運転して。でも、私、運転できないし。病院いく?」


「いや、温まったら痛みが和らいできたよ。このまま帰れそうだ。病院は、明日行くよ」


「ほんと? 無理しちゃだめだよ?」


「うん。ホント、ホント」


 麗華さん、嘘ついてごめんなさい。痛いのはホントだけど。

 麗華さんは、ふふっと笑うと、嬉しそうな顔をする。


「でも、すごかったぁ。すごく白熱してたね」


「いやあ、僕も痺れたよ。しんどかったなあ」


 麗華さんは、首を少し傾げる。


「ねえ、サービスエースを何回も決めてる時があったじゃない? 3-4とかの時。観客席の方をチラッとみて、何か呟いてたでしょ? あの時、なんていってたの?」


 あの時か。あの時は、麗華さんが好きだって、呟いてたなあ。でも、そんなこと本人目の前にして、言えるわけないよ。

 うーん。なんていうのが説得力があるかな?

 僕は思いついたことを、適当に言ってみる。


「サーブを外すわけには、いかなかったから。入る。入るって言ってたよ。繰り返し、自分に言い聞かせてたんだ。そしたら、自分でもびっくりするぐらいイイのが入ったんだ」


 麗華さんは、うんうんと感心してくれた。


「秀夫くんは、やっぱりすごいねえ。メンタルが強いわ。私なんか、あんな場面になったら、手が震えてダブルフォルト連発しそうだもの」


「えへへ。もっと褒めてよ。褒められて伸びる子だからさ」


「はいはい。すごいすごい」


「なんだよー。もっと、ちゃんと褒めてよ」


「だーめ。もう、終わりー。秀夫くんは、すぐ調子にのるからね」


「なんだよ。それー」


 僕たちは、笑い話で盛り上がりながら、西の丘を目指した。

 

 次の日。

 午前中の授業を休み、僕は病院にいった。

 予想通り、Ⅱ度の肉離れで、2ヶ月は、テニスをしないようにとの注意を受けた。

 痛み止めの注射を打ってもらったおかげで、動くのに支障ないが、トレーニングができないのは、辛い。

 仕方ないから、2ヶ月間は、撮影に集中することにした。


 昼休みに、学校に行くと、教室に麗華さんがやってきた。

 いつものように、僕の机で向かい合って、お弁当を食べる。

 この光景も、もうすぐ見れなくなる。3年生は、1月には学校にほとんどこなくなる。

 麗華さんと、お昼一緒に食べれないのは、すごく寂しい。


「どうしたの? 秀夫くん。ぼーっとして」


「え? いや、何でもないよ。 今日もお弁当すごいなあって思っただけ」


 麗華さんは、ニコリと笑う。


「でしょ? 今日はアンパンマンだよ。ほら、アンパンマンの顔は、そぼろなの。アンパンじゃないから、そぼろマンかな?」


 麗華さんは、本当に器用にキャラ弁を作ってくる。また、お弁当作って欲しいなあ。今度は、できれば僕だけのために。


「手、どうだったの? 病院いってきたんでしょ?」


「うん。Ⅱ度の肉離れだって。年内は、テニスしちゃだめってさ。まいっちゃうよ。せっかく筋肉つけたっていうのに」


 麗華さんは、片眉をあげて、人差し指を立てる。


「無理するからでしょ? もう、こんな無茶しちゃだめだよ? テニスできなくなっちゃうぞ」


 ぐおっ。可愛いなあ。抱きしめてしまいたいくらいだ。いや、まあ、いつもそう思ってるけどさ。


「ははは。しばらくは、カメラだけにしときますよ」


「そうそう。素直でよろしい!」


 でもまあ、麗華さんとカメラを持っていろんな場所にいけるんだ。テニスは、しばらくできなくなったけど、悪いことばかりじゃない。


「麗華さん、今日は時間ある? 車でどこか撮影しにいかない? 二見ヶ浦の夕日とかさ」


 麗華さんは、手を合わせる。あれ? 受験おわったのに、予備校でもいくのかな?


「実はね、父の講演会の人に、息子さんが弁護士の人がいるんだ。あ、私より全然年上だよ? 30歳とかだったかな。で、その人が私に司法試験のコツとか教えてくれることになったんだ」


 そっかー。まあでも、弁護士を目指してる麗華さんのためになることだし、30歳とかだったら、心配ないかな。

 

 放課後になり、僕が駐車場に向かっていると、爆音が聞こえてきた。

 赤いスポーツカーが、駐車場の前を通りすぎる。あれ、フェラーリかも。音は、すぐそこで止まる。

 僕が駐車場から、顔をだし、正門の方をみると、フェラーリが止めてあった。

 かっこいい。スゴイや。あんなの、どんな人が乗ってるんだろう?

 運転席のドアが開き、中から長身のスーツ姿の人が出てきた。

 すごくスタイルがいいし、顔もいい。

 うわー、なんかすごいなあ。僕が感心していると、麗華さんが門から出てきた。

 男性と一言、二言、言葉を交わすと、麗華さんは、男性が開けた助手席に乗り込む。

 ええええ? 麗華さんが教えてもらう相手ってあんな人なの?

 僕は、呆然としながら、走り去っていくフェラーリを見送った。

 ああ、なんか不安になってきた。あの男のこと、麗華さんが好きになったらどうしたらいいんだろう。

 でも、どうすることもできないし。

 僕は、家に帰ってからも、二人のことが気になって、仕方がなかった。


 次の日。

 麗華さんは、いつものように教室にやってきたが、フェラーリに乗ってきた男性のことばかり話す。


「でね、黒田さんってすごいのよ。学生の時に、司法試験に合格したんだって。何ヶ国語も話せるし、数年に1度は、半年ぐらい海外に長期滞在するんだって」


 麗華さんから、男の話をされて、僕はおもしろくない。どうしても、笑顔を作れない。


「ふーん。すごいね。金持ちのボンボンなんだー。へー。」


 僕が肩肘をついて、顔を背けると、麗華さんは、目を見開いて否定する。

 そんなにあの男のことが好きなのか?


「違うよー。何言ってんの? 黒田さんは、そんな人じゃないよ。いい? 確かに全国に展開してるクロダホテルの長男なんだけど、親が用意したポストを蹴って、弁護士として頑張ってるんだよ? あの車だって、自分で稼いで買ってるし、ロードレーサーも持ってるんだよ。

 四国まで、自走したことがあるんだって! それにね、テニスもやってるし、マリンスポーツもしてるんだって! すごいよねえ。スーパーマンみたいだねえ」


「ふーん。そりゃすごいや。僕とはえらい違いだ」


 麗華さんは、僕の肩をバシバシと叩く。


「比べるのがおかしいよー。黒田さんは、大人だしー」


 僕はどうせ、子供だよ。はぁ。なんか、今日は昼食が美味しくないや。


「今度、走りに行こうって、誘われてるの! ね、秀夫くんも行きましょうよ! 黒田さんと話たら、きっと楽しいよ! ジョークもスマートなんだから」


 はははは。冗談がねちっこくて、悪かったね。はぁ、なんか今日は落ち込ませることばかり、麗華さんはいうなあ。


「いや、まだ手が治ってないしさ」


「そっかー。残念ねえ。ほんと素敵なんだけどなあ」


 麗華さんの目は、光輝いている。今まで見たことないような目だ。

まいったなあ。こんな伏兵がでてくるとは。そりゃ、恋人になれるとは思ってなかったけど、せめて麗華さんが、卒業するまでは、僕が一番身近な存在でいれると思ったのになあ。儚い夢だった。


「あ、僕トイレ行ってくるね」


 僕はすっと机から離れる。


「じゃ、私時間だから、もどるね。今日も黒田さんに教えてもらうの。だから撮影行けないんだ。ごめんね」


 あーあ。もうしゃーない。すっぱり諦めるのが男ってもんだ。

 くそ。情けない。泣き出してしまいそうなくらい、辛いよ。

 こんなに辛い思いするなら、好きになんてならなければよかった。

 僕は、一階の障害者トイレに昼休みまでこもり、何をするでもなく、ただ時間を潰した。

 

 放課後になり、僕が教室でカメラ雑誌を読んでいると、フェラーリのエンジン音が、聞こえてきた。

 今頃は、麗華さんが笑顔で、黒田の運転するフェラーリに乗り込んでいるのだろう。

 くそー。イライラする。僕には、どうにもならないのはわかってる。でも、こんな幕切れってないだろ。

 僕は自分の思いを卒業式の日、伝えるつもりだったんだ。

 自分の思いを伝えることすら、僕には許されないのか。

 レンズのレビュー記事を見ても、ちっとも欲しいという気が起きない。

 口からは、ため息ばかりでる。

 雑誌をめくりながら、ため息をついていると、いつの間にか教室に入ってきていた琢磨が、頭を小突いてきた。


「ヒデー。お前なんだよ。その暗い顔はよー」


「タク、俺、暗いか?」


「暗い暗い。もう世間の不幸を一身に背負ってるって顔してるぞ。事故にあったばかりの時みたいだ」


 僕は机に突っ伏す。


「くそー。聞いてくれよー。もう僕は、立ち直れないよー」


「ああん? どうしたんだよ?」


「お前さ、最近、フェラーリが正門前に来てるの知ってる?」


「ああ、麗華ちゃんを迎えに来てるんだろ? 噂になってるぜ」


「それだよそれー! 麗華さん、そいつにもう完全に惚れてんだよ。今日だって、そいつの話ばっかするんだから」


「あーん? さやかには、法律の勉強見てもらってるって言ってたみたいだぞ?」


「僕も最初はそう聞いてたよ。でもさ、外国語がいっぱい話せるとか、外国にいっつもいくとか、テニスするとか、そんな話ばっか、

 目を輝かせながら言うんだぜ? おまけに、えらいイケメンだしさあ。最初は、30歳って聞いて、安心してたっていうのにさ」


 琢磨は、腕を組み、うーんと唸る。


「12歳差か。年は離れてるけど、芸能人とかそういうの結構あるみたいだしなあ。カトちゃんなんて、自分の娘みたいなのと再婚してたしな」


 僕は琢磨を睨む。


「タク! お前の役目は、僕を優しく慰めることだろう? 大丈夫とか、そんなんじゃないって言えよ。僕をこれ以上落ち込ませてどうするよー」


 力なく机に顔を埋める僕に、琢磨は笑いながら肩を叩いてくる。


「まあ、いいじゃねえかよ。ダメなら、諦めて次いけ次! だいたいお前は、レベルの高いの狙いすぎだっつうの。己を知れよ。己を」


「わかってるよー。そんなことは最初からあ。はぁ。なんか俺の心はまるで、真冬のようだよ」


「わーったよ。今日は、なんかおごってやるから、元気だせよ。それにさ、お前ダメだダメだって言ってっけど、麗華ちゃんの口から直接ダメって言われたのか? 勝手にお前があれこれ考えてるだけだろ? 麗華ちゃんの本当の心は、聞いてみないとわからないって。エスパーじゃないんだからさ」


 これでも、琢磨なりに慰めてくれてるらしい。そうだよな。本当のところは、聞いてみないとわかんないよな。

 麗華さんの口から、黒田のことが好きって聞くまで、結論は先に伸ばそう。

 僕は、琢磨と一緒にカラオケにいって、喉が枯れるまで歌った。


 それから、3週間あまり経った。

 12月の中旬になっても、麗華さんは毎日のように黒田と合っている。

 自然と僕が麗華さんに会える時間は減っていき、一人で撮影にいくことが増えた。

 麗華さんが初めて話しかけてきてくれたのは、夏休みの少し前だったろうか。

 短い間だったけど、それからの数ヶ月はすごく楽しかった。

 冷静に考えて、彼女にふさわしいのは、黒田のような男だろう。

 寂しいけど、それが現実。どんなにあがいても、どうしようもないことってある。

 僕が歩けるようにならないのと同じだ。黙って、その事実を受け入れないと前には進めない。

 きっと、この辛い経験も、時間が経てば、いい思い出になるはずだ。

 はぁ。そうは思っても辛いなあ。

 

 週末もすることがなく、僕がカメラを磨いていると、不意に携帯が鳴った。

 麗華さんからだ! 僕は喜びいさんで、出る。


『秀夫くん、いま、ちょっと時間ある? よかったら、家に来て欲しいんだけど』


「いく!」


 僕は家を飛び出て、車に乗ると、麗華さんの家を目指した。

 10分もかからない距離が、今日は嫌に長く感じられる。

 家の前に車を停め、車を降りインターホンを鳴らす。

 麗華さんと久しぶりにいっぱい話せる! 僕の胸は期待に膨らむ。


『はーい。ちょっと待ってね』


 麗華さんが、玄関を開け、僕の方へ歩いてくる。

 あれ? 今日は、ドレスを着てる。

 うわー。すごくセクシーだ。背中なんて、すごく開いている。

 僕がドキドキしていると、麗華さんは僕を車庫の方のスロープから、家の中へと入れてくれる。


「ごめんね、急に呼び出して。お母さんがいないから、意見が聞けなくって」


 麗華さんは、ソファーに置かれた、別のドレスを自分に当てる。


「ね、今着てるドレスと、このドレスどっちがいいと思う?」


「え? うーん。どっちも似合ってると思うけど」


「今日ね、黒田さんのお父さん主催のパーティーに、お父さんと行くのよ。あー、どうしよう。お父さんもうすぐ迎えに来ちゃうよー。

 ね、どっちがいい? どっちが似合ってる?」


 なるほど、黒田に見せるために、ドレスを選んでるんだ。

 もう、麗華さんの頭の中は、黒田のことでいっぱいなんだね。

 麗華さんの目は、黒田しか映っていないんだね。

 僕は努めて明るく振舞う。


「どっちもいいねー。うーん。やっぱ今着ている方が似合ってるよ。黒で大人の雰囲気だ」


 麗華さんは、スカートの裾をもち、くるりと回る。

 綺麗だよ。君の美しさなら、黒田のハートも射止められるよ。いや、毎日学校に迎えに来るぐらいなんだ。きっともう君に夢中さ。


「そう? うふふ。じゃあ、これ着ていくね。あー、楽しみー。きっと素敵なパーティーよ!」


「そうだね。楽しんでおいで。じゃ、僕ちょっと予定あるから、帰るね」


「うん。ありがとう。また今度ね」


「うん」


 車に乗り込み、車を走らせる。このまま、家に帰る気にもならない。

 僕は百道の海岸へ向かう。

 麗華さんは、本当に嬉しそうに用意していたなあ。黒田と楽しく食事して、

会話するんだろうなあ。よかったね麗華さん。幸せになってね。


 海岸に着くと、僕はカメラを構える。17時過ぎで少し薄暗くなっている。

 僕の気持ちも沈んでいる。こんな時でも、高感度に強いEOS 6Dは目の覚めるような綺麗な絵をモニターに表示してくれる。

 僕は、車に一度戻り、三脚を持って、陽がとっぷりとくれるまで、撮影に没頭した。

 

 手がかじかんで来て、もう帰ろうかと思っているときに携帯が鳴った。

 たぶん、琢磨だろう。受験生っていうのに、琢磨は最近誘いの電話をよくかけてくる。

 そんなことだと、受験に失敗しちゃうぞ。

 ため息を着きながら、携帯を取り出すと、麗華さんからの電話だった。

 なんだろ? まだ20時過ぎだ。パーティーってそんなに早く終わるものなのかな?

 それとも、黒田と付き合えるようになったという報告か?

 あ~あ。そんな話聞きたくないなあ。

 重い気持ちで、電話に出る。


「はい。もしもし、麗華さん? どうしたの? パーティー終わったの?」


 おかしい。何かおかしい。電話口の麗華さんは、無言だ。でも、息の音がわずかにする。

 何か、様子が変だ。いったいどうしたんだ?

 自然と僕の口調は、鋭いものに変わる。


「どうしたの? 麗華さん、何かあったの?」


『うぇっ。うええぇぇ』


 泣いている。麗華さんは、泣いている。すすり泣く声がしばらく聞こえ、

僕は驚きで、何もしゃべることができない。

 呼吸が荒くなる。なんで麗華さんは、泣いてるんだ? あんなに楽しみにしていたのに!


『ご、ごめんなさい……。む、迎えに来てくれる? 今、博多駅の筑紫口……」


「すぐ行く!」


 僕は、車に戻ると都市高に乗り、博多駅へ向かう。

 なぜ泣いてるんだ? 何かあったんだ。きっと黒田と何かあったんだ?

 あいつに振られたのか? それとも何かされたのか?

 麗華さんを泣かすなんて許さない。あの野郎、許さないぞ!


 僕が博多駅に着くと、ドレス姿にストールをかけた麗華さんが、車に乗り込んできた。目を真っ赤に腫らしている。

 僕は麗華さんを見る。麗華さんは、助手席に座るなり、顔を覆い。肩を震わせて泣いている。

 麗華さんが、振られたぐらいで泣くか? こんなに目を腫らすまで泣くか?

 絶対何かされている。許さん! 絶対許さないぞ!

 僕は、無言で西の丘を目指す。

 早良口付近にくると、麗華さんはだいぶ落ち着いてきた。


「ごめんなさいね。急に呼び出したりして。もう大丈夫落ち着いたわ」


「詮索するようで悪いけど、何かあったの?」


 麗華さんは、座席を倒して伸びをする。


「私って、馬鹿よねー。親切なお兄さんって、ほんとに思ってた。この人のようになれたらって思ってたんだ。

 あんなことされるなんて、思っても見なかったわ。のこのこ部屋についていくなんて、馬鹿みたい」


 僕は、車を止め麗華さんを見る。


「何か、何かあいつにされたのか!!」


 麗華さんは、びくんと肩を震わせ、怯えたような目で僕を見る。


「押し倒されただけ。寸前で顔を引っ掻いて、逃げてきちゃった。見て、せっかくのドレス。肩紐が切れちゃった。

 あれ? おかしいな。涙が止まらないよ」


 麗華さんは、僕に抱きついてきて、胸に顔をうずめて泣く。


「ごめんなさい。少しの間だけ、胸を貸して。すぐに落ち着くから」


 許さん! 許さんぞ黒田! あの野郎、ぶん殴ってやる! 高校退学になってもいい。警察に捕まってもいい。

 あいつだけは許さん! 麗華さんをこんな目に合わせたあいつを!!

 麗華さんが落ち着くのをまって、僕は努めて冷静に聞く。どうしても、怒りで声が震えてしまう。


「あ、あいつは、ホテルクロダにい、いるんだね?」


 麗華さんは、驚いて僕を見る。


「秀夫くん、私大丈夫だよ。なんにもされてないよ」


「いや、別に聞いただけだから。送るよ」


 西の丘の麗華さんの家に着くと、お母さんが待っていた。

 麗華さんが、お母さんに抱きつく。


「麗華! 大丈夫だった? 怪我はない? あなた、麗華が戻ったわ!」


 玄関から、男の人が飛び出てきた。あれは、浦田太郎。テレビでしか見たことない大物政治家。麗華さんの父親だ。

 浦田太郎は、麗華さんを抱きしめると、うんうんと頷く。

 その姿は、与党、民事党の幹事長という肩書きがある人物であるとは、到底思えなかった。


「麗華、すまなかった。まだ高校生であるお前を、あの男が、襲うとは……。

お父さんは、許さんぞ! 私の全人脈を使って、あの男に地獄をみせてやる!

お前の前に、這いつくばって、許しを請うようにしてやる! 金井!」


 メガネをかけた賢そうな男性が、玄関から出てきた。


「話は聞いたな? では、やることはわかるな?」


 男性は、車に乗り込みどこかへと走り去っていった。

 お母さんが、僕に気付いて頭を下げる。

 浦田太郎が、僕の方を睨む。


「お父さん、山野くんよ。私の友達。迎えに来てもらったの」


「そうか。君、すまなかったね。娘が世話になった。ありがとう」


「いえ、僕はこれで……」


 車を走らせ、僕はホテルクロダに向かった。ロビーで、数時間粘ったが、黒田にあうことはできなかった。

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