麗華の章 その六
麗華の章 その六
明日には、山野くんが合宿免許を取りに行き、2週間会えないと思うと、私は夏期講習に行く気になれず、山野くんにメールしてしまった。
〝時間があるんだったら、ちょっと遠出しない? 筋肉痛が辛いなら無理にとは言わないけど(笑)〝
どんな返事が来るのか、私の胸はドキドキと高鳴る。
山野くんからOKの返事が来ると、私は喜び勇んで、自転車に飛び乗った。
坂を全速力で下り、一目散に山野くんの家を目指す。
今日は、露出多めな服装にした。ノースリーブのTシャツに、ホットパンツだ。
少し大胆かとも思ったけれど、お母さんのアドバイスに従うことにした。
これで、山野くんが私のことを少しでも好きになってくれるなら、やってみる価値はある。
山野くんのお家に着き、インターホンを鳴らす。
山野くんは、この格好をみて、なんて言ってくれるだろう。
「いいのー? 受験生が遊んでばっかでさあ」
「いいの、いいの。ちゃんと、昨日も8時間は勉強したんだから。誰かさんと違って、私は筋肉痛で辛いなんてことはないしね」
期待したような結果とはならず、山野くんはいつもと同じ態度だ。
うーん。失敗かな。
私たちは、二見ヶ浦へ向けて出発した。
なるべく平地を選んで走ったつもりだけれど、やはり坂がどうしてもある。
ハンドバイクは、前輪駆動であるため、坂になると荷重が後輪に移り、前輪が空転してしまうようだ。
山野くんは、汗だくになりながら、漕ぎ続ける。
私が、休憩を取ろうといっても、なかなか取ってくれない。
二見ヶ浦についたときは、3時間半ほど時間が経っていて、お昼過ぎとなっていた。
ロードレーサーで来るときは、2時間かからないぐらいで、気持ちいいと思っていたコースなのだけれど、私の見立てが甘かったかもしれない。
疲れきった山野くんが、障害者トイレに入っていく。
頭を濡らしてでてきた山野くんの車椅子を、私は押す。
「いいよ。自分でこぐよ」
「意地はらないの。もう腕に力入らないんでしょ?」
「う、うん。じゃあ、お願いします」
「そうそう。素直でよろしい!」
私たちは、道路を渡り、海岸線にそってある2M程の綺麗な歩道をゆっくりと進む。
「綺麗ねえ。来てよかったでしょ?」
「うん。よかったよ。すごく綺麗だ。もっとも、僕の腕はボロボロだけどね」
「鍛えなさいよー。男の子でしょ?」
「はーい。がんばりまーす」
山野くんを押して、私は休憩所まで行った。
いつも、私はここで休憩して、戻ることが多い。いつもは、一人で来ているけど、今日は山野くんと二人。
私の目には、今日の景色は格別に映る。
「私ね、よくここに来るんだ。自転車を一心腐乱に漕いでここまでくると、やなこととか忘れちゃうの。海はいいわよねー。いつ見ても癒されるわ」
山野くんは、意外そうな顔をして言う。私にどんなイメージを持ってるんだろう。
「白鳥さんでも、嫌なこととかあるんだ? 悩みなんてないのかと思ってたよ」
「何それ? 私をどういう目で見てたわけ? 私なんて、いつも悩んでばかりよ。愛人の子っていう引け目もあるしね」
冗談で、自虐的な発言をした私を、山野くんは真面目な顔で励ましてくれる。
本当にこの人は、優しい。
「白鳥さん、そんなに気にすることかな? 僕はそんなこと全く気にならないよ。愛人なんて、世間一般の固定概念でしかないでしょ?
昔の殿様なんて、何人もお嫁さんもらってたんだよ? お父さんとお母さんが、本当に愛し合っていたらそれでいいんじゃないかな」
「ありがとう。山野くんにそう言ってもらえると、気が楽だわ。私、実はね、大堀公園で山野くんにその事を言ったとき、嫌われたらどうしようってすごく怖かったんだ」
「まあ、大人もいろいろあるんだろうしね。僕の父さんなんて、お金持って消えちゃうぐらいなんだから。あははは」
そうだよね。山野くんは、私なんかよりもっともっと辛い目にあっているのに、こうして立ち直っている。
「山野くんって本当に強いね。山野くんを見てると、私の悩みなんて、ちっさなことだと思うわ」
「え? 強くなんてないよー」
「強いよ。小さい頃から、お父さんのスパルタに耐えてたでしょ? 障害を持っても、お父さんにひどいことされても、山野くんはこうして前に進んでる。山野くん見てると、私も見習わなきゃって思うんだ」
「褒めすぎだよー。僕なんて、そんな大したもんじゃないし、もっと辛い目にあってる人はたくさんいるよ。
竹畠くんなんて、長く生きられないってわかってるのに、あんなに明るく振る舞えるんだから。僕にはきっと、あんな風に振る舞うのなんて無理だ」
ううん。山野くんはすごく強いよ。それは私が一番わかってる。
私は、少しイタズラ心が湧いてくる。ちょっと、意地悪しちゃえ。
「まあ、もっとも、いいところばかりじゃないけどね」
「何? 悪いところがあったら直すよ。言ってくれないかな?」
「んー? 自分じゃわからないの?」
「うん。教えて」
「私の格好見て、何か気付かない? ワタクシ、今日は結構冒険してるんですけど」
私がそう言って、見てというジェスチャーをすると、山野くんは顔を赤らめて目を逸らす。
あれ? 私が気付かなかっただけで、意識してくれてたのかな?
「い、いや、最初から気付いてたよ。いつもと違って健康的というか、活動的というか。僕、女の子と付き合ったことなんて、ないからどう褒めたらいいのかわからなかったんだ」
「本当にぃー?」
「ほ、本当さ。き、綺麗だよ。すごく。いつもだけど……」
「まっ、許してあげる。あんまり苛めると、可愛そうだしね」
うふふ。綺麗だって。まあ、これぐらいで許してあげるかな。
山野くん、本当にこういうこと苦手みたいだし。
私が、腕を組むと、山野くんの視線が下に下がり、胸の位置にきた。
私は、じっと見られた恥ずかしさで、またからかってしまう。
「あっ、やらしいー。今、私の胸を見てたでしょ? 山野くんは、そういう目で女の子を見るんだ」
「ち、違うんだよ。あのその、ごめんなさい。あんまり綺麗だから。それに、白鳥さんがそんなに胸が大きいなんて知らかったし……」
私は、ペロリと舌を出す。
山野くんは、あ、からかったなをいう顔をする。
「嘘よ。いつもからかわれてるから、そのお返し」
「もう、人が悪いなあ」
「うふふ。年頃の男のがエッチなこと考えてるっていうのは、私も知ってるわ。健全なことよ」
私がそう言って、笑うと山野くんは安心したのか、ジュースを飲みだした。
もう一回、イタズラしちゃおうかな。
「でも見たかったら、少しだけならいいよ。山野くんは友達だし。ジュース一本おごってくれたら、胸の谷間みせてあげる」
山野くんは、ジュースを吹き出して、咳き込む。
その驚いた顔がおかしくて、私はお腹を抱えて笑ってしまった。
「あはは。ごめんなさい。山野くんからかうのって、楽しくって」
「もう。人が悪いなあ。僕がホントにその気になったらどうするんだよ。僕だって男だよ」
「大丈夫よ。山野くんは、無理矢理そんなことするような人じゃないもん。私わかるんだ」
本当は山野くんに少しは、そうなって欲しいって思ってるんだ。
他の男の子みたいに、私に興味を持って欲しいって思ってるんだ。
山野くんは、突然カメラを撮りだした。
驚く私に、カメラを向ける。
「え? 撮るの? ちょっとやだな。こんなに汗かいてるのに。変な顔じゃない?」
私が、手ぐしで髪を直そうとしていると、山野くんがシャッターを切った。
恥ずかしがっている暇もないほど、山野くんは左右に動き私を次々と撮る。
いったい、何枚撮る気なの? 私が、二人で撮らないって言おうかと思った時、不意に山野くんが驚くことを言った。
「そうそう。そういえばさ、僕のクラスに大木ってのがいるんだけどさ」
「あの、太ってる子でしょ? 私が山野くんのクラスにいくと、じとーっと変な目で見てくるのよね」
大木くんは、2年3組に私が入ると、なんとも言えない目で見てくる。
あの目で、見られると私は背筋に寒いものを感じてしまう。
会ったことはないけれど、痴漢をするような人はきっとあんな目をしていると思う。
「白鳥さんの写真を売ってくれってうるさいんだよね。今日の写真は露出部分が多いから高く買ってくれそうだ」
え? なんてこというの? あんな子に写真渡したら、絶対変なことに使うよ。やだよー。
山野くんは、ニヤリと笑う。してやられた。さっきのお返しってわけね。
「もう、知らない!」
「あははは。お返しさ。じゃあ、そろそろ戻ろうか。休ませてもらったおかげで、だいぶ回復してきたよ」
私たちは、途中でお昼を取ったりして、往路よりも休みを多くして、ゆっくりと戻った。
40KM離れた福重についたときは、19時半を過ぎており、陽はだいぶ傾いていた。
「じゃ、免許取得頑張ってね」
「うん。予定では、2週間ぐらいで取るつもり」
「そっか。私は、その間、猛勉強でもしてますかね」
「あはは。頑張れ、受験生!」
「ふふ。そうね。2週間、私に会えないからって、泣いちゃダメだぞ」
「メールするよ。じゃ、またね。2週間後」
「うん。それじゃ、2週間後に」
これで、山野くんとは2週間会えない。
私は、後ろ髪引かれる思いで、西の丘へ続く坂を上った。
次の日から、山野くんは合宿免許を取りにいってしまった。
メールは、届くみたいだけど、山野くんの邪魔をしてもいけない。
私は、寂しい気持ちをごまかすように、勉強に打ち込んだ。
7月も終わりに近付き、山野くんの帰りが近くなってきたある日、学校の図書室で、勉強していると青柳さんに声をかけられた。
「白鳥さん、ちょっと話があるんだけど」
「何だい?」
「ここじゃ、ちょっと。付いてきてもらえる?」
青柳さんは、私の知らない山野くんをいっぱい知っているはずだ。
その話が聞きたい。青柳さんと仲良くなって、話をしたい。
私は、言われるまま屋上までついていった。
誰もいない屋上に着くと、青柳さんは真剣な眼差しで私を見る。
教室では、見たことのないような表情だ。
「あのさ、白鳥さんは、ヒデくんをどう思っているの?」
どういうことだろう? 青柳さんは、吉村くんと付き合っているはずだけれど、本当は、山野くんのことが好きなのだろうか?
私は、青柳さんの真意がわからず、回答するのを躊躇した。
「ねえ、教えて、ヒデくんのことをどう思っているのか」
「そんなことを、あなたに言われる筋合いはないな。勉強があるので、失礼させてもらうよ」
私がドアの方へ歩こうとすると、青柳さんが腕を掴む。
「待って! 私は、真剣なのよ! どうなの? ヒデくんのことどう思ってるの?」
「青柳さん、君は、山野くんのなんだい?」
私の高圧的な態度にも、少しもひるむことなく、青柳さんは真っ直ぐに見つめてくる。
「幼馴染よ」
「その幼馴染が、いったいなぜそんなことを聞くんだい?」
「ヒデくんはね、いっぱい傷ついてきたの。いっぱい苦しんできたの。もし、白鳥さんが退屈しのぎにヒデくんの相手をしているなら、すぐに止めて欲しいの。ヒデくんが、傷つく前に」
彼女は、真剣に山野くんを心配している。心のそこから彼を思っている。
青柳さんと山野くんの関係に、私は嫉妬してしまい、自然と言葉が鋭くなる。
「君は、まるで山野くんを子供扱いだね。誰と付き合うか付き合わないかは、君が指図することじゃないだろう? 違うかい?」
意地悪だ。私は意地悪だ。青柳さんは、山野くんのことを思って言っているというのに。
「わかったわ。確かに、白鳥さんの言う通りだわ。でもね、あなたが若林くんや神崎くん、クラスの大半の男子にしているような態度を、ヒデくんに取ったら、私はあなたを許さない。絶対に許さない」
私は、自分を恥じた。嫉妬心から、意地悪なことをいった自分を恥じた。
青柳さんに比べて、私はなんて小さい人間なのだろう。
青柳さんは、真っ直ぐに私にぶつかって来てくれている。山野くんのために、私にぶつかってきてくれている。
そんな相手に、話をはぐらかしてどうするのか。
「何か誤解があるようだから言っておこう。私は、山野くんを大切な友人だと思っている。初めてできた親友だと思っている。
そんな人に、無礼な真似をするほど、私は非常識ではないよ」
私が笑顔を作ると、青柳さんはニコリと笑ってくれた。
いいなあ。この子。このまっすぐなところが、クラスで人気のある理由なんだろうな。
私には、こんな真似は到底できないだろう。
「そ、そか。変なこと聞いてごめんね。実は、陸上部の子が、白鳥さんのことちょっと悪く言っててね。気になっちゃったんだ。よく考えたら、その子、若林くんのことが好きだって言ってたわ。わざと悪い噂広めようとしてたんだね。
面目ない。えへへへ」
「ふふふ。いいよ。気にしてない。よければだが、私と友人になってもらえないだろうか? 知っての通り、私は友人が少なくてね。
山野くんの小さい時の話とか聞かせてもらえるとありがたい」
青柳さんは、ニコリと笑って、私の手に抱きついてきた。
ふふふ。可愛らしい。まるで子猫みたいだ。
「いいよ。じゃあ、今から私たちは友達だね!」
「うん。よろしく頼むよ」
「私、みーんなに自慢しちゃおーっと」
「ん? なぜだい?」
「あのね、クラスの女子も白鳥さんと友達になりたがってるんだよ。でもなんか、白鳥さんは、話しかけてこないでオーラ全開じゃない? だから、話しかけれないんだって。うふふふ」
「それは、知らなかった。嫌われているばかりと思っていたよ。たしかに、クラスの男子は変な目で見るので、話し掛けにくい雰囲気を作ってはいたんだが。まさか、同性にまでそう思われていたとは。これは、失敗したな」
青柳さんは、私と手をつなぎ、楽しそうに廊下を歩く。
彼女に笑顔を向けられると、楽しくなってくる。
「白鳥さん、モテモテだもんねー。隣の川浪くんなんて、携帯でこっそり写真撮ってんだよ? その写真見てる時の顔が、にたーっとして、気持ち悪いんだまた」
「む? そうなのかい? 今度、画像を消させよう。無許可で撮るとは、なんて、常識のないことをするんだ。まったく」
青柳さんは、ケタケタと笑う。
何がそんなにおかしいんだろう?
「あははは。白鳥さん、知らないんだ? ヒデくんもこっそり撮ってたりするんだなあ。これが」
「いや、山野くんにはちゃんと、撮るって言われたよ」
「うそー? だって、この前、白鳥さんが全高集会で演壇にたっているところを、カメラで見てたよ?」
「むっ。そんな写真を撮られていたとは。山野くんには免許を取ってきたら、お仕置きしないといけないな」
「あはは。私、ヒデくんに怒られちゃうなあ」
「ところで、山野くんはどんな子供だったんだい?」
「私が知ってるのは、幼稚園ぐらいからかな。時間ある?」
「うん。大丈夫だよ」
私は、勉強をさぼり、青柳さんと夕方まで話し込んだ。




