第二話 最終話
彼女は「寡黙な文学少女」だというのが、以前に僕の抱いていたイメージだった。
しかし、彼女が歴史マニア兼ミリタリーマニアと知ってからは、イメージはガラリと変わった。
「さっきも言ったけれども、戦艦『信濃』が航空母艦として建造されるとしたら、あの戦争において日本海軍が大量に空母を喪失するような状況ね。架空戦記ではミッドウェーの近海で日本海軍が曖昧な作戦目的と油断により正規空母四隻を一気に失う話もあるわ」
「ミッドウェーって、どこです?」
「ハワイの近くにある島よ。知らないの?」
「聞いた事無いです」
「ああ、そうね。架空戦記では、よく戦場になる島なんだけれど、史実では一度も戦場になった事の無い場所だものね。あなたは架空戦記より、史実の本をよく読むのね?」
「はあ……、まあ……」
僕は架空戦記にも史実にも、あまり興味は無いのだが話を合わせた。
「じゃあ、史実のあの戦争の始まりを知っている?」
「もちろんです。当時の日本海軍の誇る正規空母六隻、『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』『翔鶴』『瑞鶴』により、ハワイにあるアメリカ海軍の真珠湾基地を奇襲攻撃したのですよね?」
彼女は軽く拍手をした。
「真珠湾攻撃に参加した正規空母六隻の艦名を言えるなんて、あなたはやっぱり史実に詳しいのね」
歴史に興味の無い僕が、真珠湾攻撃に参加した空母六隻の名前を言えたのには理由がある。
「現代史」の授業で小テストに出たからだ。
現代史は数年前から新しくできた教科で、今までの日本史や世界史の授業では、日本史では江戸時代までで授業が終わってしまう事が多く、二十世紀に入ってからの歴史を知らない学生が多いので、それを補うためだ。
僕の学校の現代史の教師は頻繁に小テストを出す。
しかし、前の年度に出した小テストをほとんど使い回しにするので、先輩に以前の小テストのコピーを貰えば、良い点が取れるのだ。
真珠湾攻撃に参加した正規空母六隻の名前は、僕は意味も分からず丸暗記していた。
「日本の駐米大使がアメリカ国務長官に宣戦布告文書を手渡してから、きっちり二十四時間後に、南雲提督が率いる第一航空艦隊が真珠湾を攻撃したのよね。アメリカ太平洋艦隊の主力の戦艦部隊も空母部隊もすでに出撃していて、ハワイにはいなかったのだけど、何も問題は無かったわ。南雲艦隊の最優先目標は真珠湾にある海軍の燃料タンクだったのだもの。莫大な燃料を失ったアメリカ太平洋艦隊は、日本海軍と一度も交戦せずに、アメリカ本土西海岸に後退する事になったわ。港湾施設も徹底的に破壊したからハワイは数年間拠点としては使えなくなったわ」
彼女は自分のスマホを取り出すと、海軍の軍服を着た男性の画像を僕に見せた。
「この人、誰かは、もちろん知っているわよね?」
「えーと、それは……」
誰だっけ?現代史の教科書で見た覚えがあるのだけど?
「ああ、ごめんなさい。あまりに簡単すぎる質問しちゃったわね。ミリタリーマニアなら知っていて当然よね。開戦時の連合艦隊司令長官山本五十六提督よ。ハワイ奇襲作戦を周囲の反対を押し切って成功させた偉大な提督よ」
ああっ!思い出した!確か……。
「山本五十六提督はギャンブラーなんても呼ばれていましたよね?」
授業で習った微かな記憶を口にしたところ、彼女は少し不機嫌な顔になった。
「山本提督は将棋とブリッジが大好きで、個人としてギャンブル好きだったのは確かだけど、軍人として計画した真珠湾攻撃作戦までギャンブラーとして見られるのは、私はあまり好きじゃないのよね」
「すみませんでした」
僕は思わず謝罪していた。
「こちらこそ、ごめんなさい。歴史上の人物の評価は人それぞれよね。でも、架空戦記では真珠湾に停泊しているアメリカの戦艦部隊を南雲艦隊が目標にしている話があるけど、戦艦部隊が真珠湾を留守にしていた場合は、どうするのかしら?いくら作り話で、山本提督がギャンブル好きでも、そんなイチかバチかのようなことはしないと思うのよね。その架空戦記では水深の浅い真珠湾に米戦艦は沈んだから、引き揚げられて、修理されて改装されて、復活した米旧式戦艦部隊に数年後に砲撃戦で、逆に日本の旧式戦艦部隊が全滅するのだけど。あなたは、どう思う?」
「えっ!?あの……、その……」
架空戦記にも歴史にもミリタリーについても僕はほとんど知識が無いので、答えようが無かった。
「ああ、ごめんなさい。今日は『信濃』を見に行く途中だったわね。話題にするのならば『信濃』に集中すべきだったわね。話を戻すわね。初戦で太平洋の重要拠点であるハワイが使えなくなり、米国にとってアジアの重要な植民地であるフィリピンも我が帝国陸海軍による進攻により、たちまち陥落したわ。その結果、米国政府がした選択は知っているわよね?」
僕は現代史の授業で習ったのを必死に思いだそうとした。
授業中に教師に答えるよりも真剣になった。
僕が本当はミリタリーマニアでも歴史マニアでも無いとバレてしまったら、デートは中止だろう。
そんなのは嫌だ!
「米国は欧州の戦場を優先して、太平洋は後回しにしたんですよね?」
「そうよ。ヒトラー総統が率いるナチス・ドイツの打倒を優先して、日本帝国は後回しにしたのよ。米海軍は水上艦隊が使えない代わりに潜水艦による通商破壊をしようとしたけど、ハワイは拠点としては使えなくなったし、潜水艦部隊はオーストラリアを拠点にしようとしたけど、豪政府は東南アジアをたちまちのうちに占領した日本軍を恐れて、『太平洋での中立』を宣言したのよね。米政府は抗議したけど、豪政府は欧州戦線へ引き続き参戦を表明したから、英政府が仲介にして、豪州は引き続き連合国側だったし、枢軸国に寝返りもしなかったわ」
「それで、欧州戦線がナチス・ドイツの条件付き講和で終わるまで、太平洋戦線では実質的に戦闘は無かったようなモノでしたよね?」
僕は乏しい歴史知識を披露した。
彼女に一方的に話されているままでは、僕の正体がバレてしまうと思ったからだ。
「そうね。米国は欧州戦線に全力を投入して、日本は占領した土地を大東亜共栄圏として自給自足体制を確立したわ。そして、第二次世界大戦末期にドイツのヒトラー総統がドイツ国防軍によるクーデターで暗殺されるまで、太平洋・亜細亜では表向き平穏な時が流れたわ」
「ヒトラー暗殺は、片目に片腕のドイツ軍将校が会議室に仕掛けた爆弾が爆発したんでしたよね?」
僕はヒトラー暗殺についてもよく知らないが、テレビで放映された映画で得た知識を言った。
「そうね。ヒトラー暗殺が失敗して、ベルリンにソ連軍が攻め込むまでドイツが抵抗して、ヒトラーが自殺して、戦後のドイツが東西の分断国家になるなんて、史実より悲惨な結果になる架空戦記もあるけど……、ごめんなさい。また、話が逸れちゃったわね」
「ドイツ新政府は占領地のほとんどを手放すことで、米英と講和したんでしたよね?」
僕が現代史の授業で得た知識だ。
「そうね。東欧諸国を占領しようとしていたソ連は反対したけど、連合国の最大のスポンサーである米国がドイツ新政府の講和条件を受け入れた以上、ソ連はどうすることもできなかったわ。欧州における戦争は亜細亜・太平洋における戦争の一足先に終わることになったわ」
列車の車掌による車内放送が流れた。
「間もなく、記念艦『信濃』駅、記念艦『信濃』駅であります。お降りになられるお客様はお忘れ物の無いよう。お気をつけ下さい」
駅のホームに降りると、目の前に砂浜があり、海が広がっていた。
砂浜にのし上げて記念艦、戦艦「信濃」はあった。
「ここに元々鉄道は通っていたんですけど、駅は無かったんです。戦争終盤に戦艦『信濃』がここにのし上げて、戦後に記念艦になってから、ここに駅ができたんです。ここには道路は通ってなくて、鉄道を使うしかありませんから、鉄道マニアの間では『秘境駅』なんても呼ばれています」
「さすが、地元の人、詳しいわね」
「当たり前ですよ。僕たち樺太に住んでいる日本人なら戦争終盤の『信濃』の活躍が無かったら、樺太はソ連に占領されて、日本人は全員追い出されて、この土地は『サハリン』なんて呼ばれていたでしょうからね」
僕は第二次世界大戦全般には詳しくないが、戦艦『信濃』が大戦末期に、ここ樺太でした活躍については詳しい。
しかし、それは樺太に幼い頃から住んでいる者なら当たり前だ。
幼稚園の頃から、児童向けの絵本やアニメで、戦艦「信濃」について学ぶからだ。
ここ日本国樺太県では、県として大戦中の歴史教育に力を入れており、戦艦「信濃」は樺太をソ連の侵略から守った軍艦となっているからだ。
僕と彼女は「信濃」の艦内にある映写室に入った。
そこで、大戦末期の信濃の樺太での活躍を題材にしたアニメが上映されるからだ。
子供向きのアニメで、僕は小学校の授業などで何度も見ている。
だけど、彼女は見るのは初めてだそうだ。
「このアニメって、結構レア物なのよね。有名なアニメ監督が製作しているのだけど、DVDが一般販売されていないのよね。この樺太県の全部の学校には教材として配布されているそうだけど、他の都道府県の学校には無いのよね」
室内が暗くなり、アニメが始まった。
最初は大戦末期の日本が置かれた状況の説明からだ。
欧州での戦争が終わり、米国は対日戦に本腰を入れようとしていた。
しかし、一歩先に動いたのはソ連だった。
ソ連は欧州で手に入れられなかった物の代わりを極東で得ようとしたのだ。
具体的には、満州、朝鮮、樺太を得ようとしたのだ。
日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、ソ連は満州と樺太になだれ込んで来た。
もし、日本軍が米軍と数年間激戦し消耗した後だったのなら、満州と樺太からたちまちの内に叩き出されてしまったかもしれない。
しかし、陸海軍とも精鋭は維持されており、満州・樺太防衛のために奮戦した。
この戦闘の主役は陸軍であったが、海軍も基地航空隊と空母機動部隊によるソ連軍港空襲や地上部隊への空襲、戦艦部隊による艦砲射撃で活躍した。
戦艦「信濃」の最後の戦場が樺太となったのは偶然であった。
「大和」「武蔵」と戦隊を組んで行動していたのだが、ソ連潜水艦の雷撃を受け沈没寸前となった。
「信濃」艦長は近くの砂浜にのし上がり艦と乗組員を救うのを決断した。
それが、ここの砂浜だったのだ。
それからは、「信濃」は地上砲台となり、四十六センチ砲弾をソ連地上部隊に叩き込んだ。
上映されているアニメの映像では、ソ連軍の戦車や装甲車が次々と「信濃」の砲撃により吹き飛ばされていた。
「信濃」もソ連軍の爆撃機や重砲による攻撃で傷つきながらも砲弾が尽きるまで砲撃を続けた。
小さい頃から何度も見た映像だが、どんな映画よりも今日は面白く感じた。
何故なら、彼女が僕のすぐ隣にいるからだ。
上映が終わると、「信濃」のあちこちを見て回った。
閉館時間になると、名残惜しそうな彼女と一緒に駅に戻った。
駅のホームから「信濃」を眺めながら彼女は言った。
「大戦末期のソ連侵攻によって、米政府は日本よりもソ連を脅威に感じるようになったのね。最初の方針では日本を無条件降伏させて、本土を占領するまで戦争を続ける予定だったけど、『共産主義の防波堤』と日本をすることに方針を転換したわ。日本も大東亜共栄圏を自給自足で運営するのは難しいと分かったので、米国の資金と技術・物資が入ってくるのは条件付きながら歓迎したわ。亜細亜植民地の独立の保障と日本の一部民主化と引き換えに日米は講和したわ。我が国の国名が『大日本帝国』から『日本国』に変わったのはこの時ね」
僕は樺太県民なら誰もが知る「信濃」についての知識を言った。
「『信濃』は最初記念艦としてでは無くて、ここに放置されていたんだ。海軍は修理は不可能と判断したからね。一時はスクラップにするという話もあったんだ。でも、『樺太を守った戦艦をスクラップにするわけにはいかない』との樺太住民の声により記念艦になったんだ。でも、記念艦として維持する費用と手間が大変で、僕の小学生の社会見学で来た時には錆だらけの古い船という感じだったよ。綺麗に整備されるようになったのは、ここ最近だよ」
彼女は僕の言葉を補うように言った。
「『大和』『武蔵』にくらべると戦歴が短いから『信濃』は人気が無いのだけど、もっと注目されるべきよね」
「そうだね」
彼女は満足したような顔になっていた。
僕の貧弱な描写では失礼な表現になるが、大好物をお腹一杯食べた後のようだった。
「今日は、ありがとう。こんなにミリタリーについて、たっぷりとお話をできたのは初めてだわ」
「いいえ、どういたしまして」
彼女は少し真剣な表情になった。
「あなた、本当はミリタリーマニアでも歴史マニアでも無いでしょ?」
とうとうバレた!
僕がどう反応したらいいのか分からないでいた。
「途中で気づいていたわ。ごめんなさいね。興味が無いことを長々と聞かされるのは苦痛だったでしょ?でも、男の子相手に自分の趣味を遠慮無く話せるのは初めてだったから楽しかったの」
「君は美少女さんなんだから男とはいくらでも付き合えたんじゃないの?」
彼女は少し皮肉に笑った。
「自分で言うのも何だけど、私は見た目が良いから付き合おうとする男の子は多かったわ。でも、私の趣味がバレると『イメージと違う』と言って離れていっちゃうのよね。前の学校では私の趣味がみんなに知られると誰も私と付き合おうとはしなくなったわ。私も彼氏は欲しいから転校を機会に趣味は隠し通すつもりだったんだけど、あなたが同じ趣味だと勘違いしたからクラスのみんなには知られちゃったわね。この学校でも彼氏を作るのは無理みたいね」
僕は思い切って言った。
「あの、僕は君と正式にお付き合いしたい!」
「でも、私とお付き合いしていると、あなたには興味の無いミリタリーや歴史について延々と聞くことになるわよ?それは嫌でしょ?」
「嫌なんかじゃないよ!今日一日僕は本当に楽しかった。それよりも、ミリタリーや歴史についての知識に乏しい僕と一緒にいて嫌じゃなかった?」
「嫌じゃないわ。とても楽しかった」
「それなら……」
駅のホームには夕日に照らされた「信濃」の巨大な影が落ちていた。
僕と彼女の影が重なり合った。
ご感想・評価をお待ちしております。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。