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「……俺は、父と俊江さんが不倫しているのを知っていました」
「うん」
「母がまだ生きている頃、俊江さんに会ったこともあります」
「………」
「あの時は、分からなかったんです。そういう……大人の事情は。……でも、父は、彼女の事が好きなのだろうと、思いました」
父に連れられている時に彼女と会ったのだ。
父の眼差しで彼女は特別な人だと分かり、彼女も父を少なからず良く思っている事を悟った。ただ、少し困ったようにしている姿が印象的で自分が一緒だったことが悪いことのように思えた。
けれど彼女は笑い、少し震える手で頭を撫でてくれた。
母親よりもずっと優しそうで、柔らかい人だと思った。
それから何度か父と彼女が会っているのを見たことがあったが、修司は気付かない振りをした。都の様子が次第におかしくなっていっているのも知りながら、修司は見ない振りをしていた。
幸せそうな二人を邪魔したくなっかったのだ。
最初に会ってどのくらい立っていただろうか。再会した俊江は都以上に不安定になっている風に見えた。サングラスと帽子で顔を隠した彼女は、修司を見た瞬間サングラス越しでも分かるほどに顔色が変わり、声を掛ける前に首を絞められた。ほんの瞬間だけ、息が止まる程度。彼女ははっとして傷ついた顔で手を離した。
弟の叫び声を聞いたのはその時だった。
彼女は立ち去り、喉に違和感だけが残った。
彼女が自分を殺そうとしたと分かっても、逆に彼女が可哀想に思えたのだ。だから修司は彼女を庇った。弟に嘘を付かせてまで黙っていた。
弟は恐らく最初は気付いていなかったのだ。その時の女が、俊江だと言うことに。だから父の再婚の話が出た時、弟は何も言わなかった。
修司に対する態度がよそよそしい姿を見て悟ったのだろう。彼女が修司に対して後ろ暗いことがあることに。
「再婚を、すめたのは俺です。……母が亡くなり、あのままでは、どちらも駄目になってしまうと思ったから」
都の死はどちらも不幸にしようとしていた。妻が事故死の後に再婚となれば世間でどんな風に見られるか分かっていたから、二人の関係もぎくしゃくし始めていた。そのままでは全てが不幸に終わってしまう気がして、父と話し合ったのだ。むしろ我が儘を言うように‘母親が欲しい’と父にねだったのだ。父は恐らく修司の真意に気付いていたのだろう。修司の言葉に彼はありがとうと呟いた。
むしろ結婚を渋ったのは俊江だ。
上手くやれるはずがないと。自信がないと言ったのだ。
誰が再婚の話を持ち出したのか話せば壊れてしまうと思ったから伏せてある。修司も自分が首を絞められた相手が彼女だと言うことに気付いていないふりをした。父が説得し、再婚し、きっと時間が家族にしてくれると思った。
俊江には修司が都のように見えていただろう。だから怖がって、嫌悪して、それでも距離を縮めようと何度も努力してくれた。
けれど、上手くまわらなかった。
だから距離を置きたかったのだ。彼女は自分に対して罪悪感を抱いている。それが違うのだと、言うには少し距離を置く必要があったと思ったのだ。
「あの人は、優しい人です。俺は、こんな風だから、言葉をちゃんと伝えられない。……距離を置きたかったのは、あの人を嫌いだったからでは……ないんです」
「……うん、わかるよ」
「母が亡くなった時、俺は正直ほっとしました……。もう二度と、あんな辛い顔を見ることがないんだって……ほっとしました」
「どっちの?」
「どちらもです。人が死ぬことを、喜んではいけないと……思います……けど」
「……修司君は優しい子だ」
修司は頭を振る。
「そんなこと、ないです」
自分は嫌な人間だと思う。
母親の死を喜んで、彼女が罪悪感を持っているだろうと分かっていながらも再婚するように父にすすめた。
そういう形が一番幸せだろうと思ったのだ。
人に優しくするのだって、人が喜んでいる顔を見たいからだ。少しでも自分が嫌われないように努力をしている。
「うん……やっぱり父さんは間違っていたみたいだな」
「間違っていた?」
「正直、修司君をこの家に迎え入れるのは私は反対だった。小早川の跡継ぎの問題もあるけれど、君がこっちに来たからと言って幸せになれるとは思わなかったんだ。君のことだ、こっちが困っていると言えば、二つ返事で了承すると思っていたからね」
それは自分でも思っていた。
徹也のことは好きではない。だが、泣き付かれてしまったら、断るつもりで来ていたとしても揺らいだかも知れない。今だって、徹也に申し訳ないことをしてしまったと思っているから、もう少し考えさせて下さいと言って結論を出せないかも知れない。
「……実を言うと、分家の方の長男をこちらにと言う話もあったんだ。経営も学んでいる子だからね、小早川の跡継ぎになるならそっちの方がいいだろうと私は思う」
「……?」
「でも父は修司君にと言った。それが修司君のためだって思いこんでいたからね。父はね、君が幸せになるためだったら何でもやるつもりでいるんだ」
「罪滅ぼしですか?」
いい方が少しきつくなったのが自分でも分かる。
言い直そうと見つけ出す前に、達彦が答える。
「それも、あるだろうね。でも、それだけじゃないよ」
「……」
「ゆっくり考えてごらん。相手に幸せになってほしいって、相手のことを真剣に考えるって、どういう意味だと思う?」
問われて、言葉を探す。
分からない。
都や自分に対する罪の意識があるために、自分の心を整理するために何かをしようとしているのなら理解できる。でもそれだけならば何も相続人にするという形で財産全てを修司に渡すことなんてない。だから、それだけではないのは分かる。
では、何故?
「……修司君は、どうして自分が苦しい想いをしてまで、俊江さんとの再婚をすすめたんだい?」
「苦しくなんかありません」
「でも複雑でないといったら嘘になるはずだ。そんな風に簡単に割り切れない」
「……はい。でも、俺は、家族が辛そうにしている方が、辛い」
「何故?」
「大切な……人たちだから」
言ってから修司は固まった。
もしそれが答えだとするのなら、徹也は自分のことを大切に思っているということになる。
理由が分からない。
そもそも、自分が徹也に対する態度は冷たかったと思う。そんな状態で好かれる理由なんてない。
くすりと、達彦が笑った。
「……修司君、一つ頼まれてくれないか?」