第06話 「死地、襲来」
この世界に来て4日目。今日も今日とて依頼である。
まだランクが低く高額な報酬の依頼は請けれないため、日々小金を稼がなくてはいけないのだ。
討伐系の依頼であれば多少は報酬も上がるが、もっと経験を積むまでは安全な依頼しか請けないという慎重さが、そうさせている。決してびびっている訳ではない。
そんなことを思いながら、自室のベッドに腰掛けて、赤く派手な冒険者カードを眺めていた。
そういえば、これも見れるのかな。
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魔法道具:オロクルの契約書
オロクルとの契約の証。
セキュリティがかかっており、
通常は一部しか表示されない。
本人が額に当ててアンロックと唱えることで
セキュリティの解除が可能。
ロックと唱えることで再度セキュリティがかかる。
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契約書って、また現実的な……。もっと夢のある言い方があるだろうに。
そしてセキュリティなんて聞いてないよ。ロングさんちゃんと教えてよ。
……いや、もしかしてみんな知らないのか?
「アンロック」
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氏名:エルザム・ラインフォード
性別:♂
生年月日:マーロ暦4162年6月16日
所属:シルバリバ帝国
クラン:
ランク:1
次のランクまで:4950P
合計P:50P
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Pってこれだったのか! 魔物に表示されてたの忘れてたよ。やっぱポイントってことで、経験値みたいなもんかな。
今までのを計算してみよう。
クローラビットは初日の4匹と、採取依頼の時のが7匹で合計11匹。んで5Pだったから55P。
スモールフュトンは採取依頼の2匹×20Pで40P。つまり合計は95Pだ。
しかし50Pと表示されている。計算が合わない。冒険者登録以前の分を引いたとしても、75Pあるはずだ。
何か下がる要因があると考えるべきだろうか。今後はまめにチェックしよう。
冒険者カードの真実を知り、この情報を公開するかどうか悩んだが、命に関わるような問題でもないし、大騒ぎになっても嫌なので秘密にしておくことにした。
また、誕生日が変わっていたことに、何故か多少のショックを受けていた。
その後気を取り直し、冒険者ギルドで慣れた一日草の採取依頼を請け森へと向かった。
いつものように認識領域を伸ばし、一日草を採取していたが、なぜか今日は魔物の姿が無い。もう必要量の半分は採取したが、1匹も見かけていない。
不思議に思いながらも、魔物が居ないなら居ないで安全だと、深く気にせず採取を続けた。
そのまま採取を続けて必要な量を満たした頃、40メートル程前方に5匹のクローラビットが固まって移動しているのが判った。結構な速さでこちらに接近している。
今日は団体行動してたのかな? 一網打尽にしちゃうぞ! 等と暢気に考え、勇んで近づくと、その後ろから凄いスピードで近づく大きな魔物が認識領域に引っかかった。
その魔物はどんどんクローラビットの集団へ近づき、接触と同時に吹っ飛ばしてしまったようだ。
好奇心に駆られ、その姿を一目見ようとゆっくり近づき、視認できる距離まで近づいた。
その姿はまさに猪。しかしその大きさは高さ2メートルはあり、四肢は丸太のように太く、全身が石のようなもので覆われていてズッシリとした重量感を感じさせる。だらしなく開いた口からは巨大なキバが2本そそり立ち、涎をダラダラと垂らしている。
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魔物:ストーンボア(2100P)
性別:♂
固有名:
年齢:8
状態:興奮
特殊能力:
石や岩を主に食べる雑食すぎる猪。
体内で消化した鉱物を皮膚に纏っている為、その外皮は非常に硬い。
縄張り意識が強く、繁殖期に縄張りに侵入されると
非常に興奮して襲い掛かってくる。
その突進の 威力は 凄まじく インド象も
一撃で 失神するだろう。
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こいつがロングさんの言ってたヤバイ奴か!? しかも興奮してるじゃん。
やばいよ! 怒りを鎮めたまえ!
ストーンボアは興奮した様子でブヒブヒと鼻を鳴らし、荒い息を吐いている。周囲の匂いを嗅ぎ、次のターゲットを探しているのだろうか。キョロキョロと首を振っていたかと思うと、その鼻をひくつかせながらこちらに振り向き、互いの視線がぶつかった。
その殺意の篭った真っ赤な目を正面から見た俺は、恐怖で全身が竦み、頭は真っ白になり、腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。
これまで降って湧いた様なチート魔法に頼り、およそ戦闘と呼べるものは行っていなかった事による経験不足。
その強力な魔法が自らの実力であると錯覚し、自分は平和な世界に生きていた頃となんら変わっていないという事実の失念。
その平和な世界と全く異なる環境で偶々順調にこれたことによる危機感の喪失。
これらの致命的な要素を備えた事がこの体たらくを生み出したのだろう。後悔しても時既に遅し。死は目前である。
まだまだ遠くにいるはずだが、山のように巨大に感じられるストーンボアは、今潰してやるから待ってろ、と言わんばかりに後ろ足で大地を蹴り上げ、自慢のキバをぎらつかせて頭を大きく振っている。
準備が整ったのだろう、一つ大きく唸ると、ストーンボアは爆発的なスタートを切った。その突進力は凄まじく、間に立ち塞がる木々など存在しないかのように圧し折り、見る見る迫ってきた。
あ、死ぬ! ……ダメだ!! 逃げろ! この化け物からっ! 今すぐ! 早くっ! 早く!!
圧倒的な殺意の塊が近づき、初めて感じる死の恐怖にその体を縛りつけられる。歯をガチガチと鳴らし、手も足も震え、まるで役に立たない。しかしたった1つ、出来る事を思い出し、魔法を使った。
――ドッ!!
鈍い大きな衝撃を全身に受けて、ゆっくりとスライドしていく森の景色、徐々に小さくなるストーンボア、その長かった一瞬は、背中に強烈な打撃を与えて終わりを告げた。
かろうじて意識は保ったようだが、呼吸が出来ない。全身が痺れるようだ。しかし、すぐにでも現状を把握しなくては、という焦りが痛みを意識の外に追い出し、どうにか体を動かす。
背中の木に寄りかかりながらゆっくりと腰をあげてストーンボアを見やった。
空間に押しつぶされ地面に沈むはずだったストーンボアは、その魔法により突進の勢いを殺されるも、地面を擦りながら俺を突き飛ばしたようだ。横たわったストーンボアの後ろにはその自らの突進の勢いに引きずられた跡が見える。
「ブギィィーー!」
森全体に響くような大きな声を出し、ジタバタと足掻いている。
その姿に、またすぐにでも起き上がって動き出すのではないかという恐怖を感じ、すぐさまいつものように魔法を使って止めをさした。
ピクリとも動かなくなったストーンボアを見て安心し、心が落ち着いてくると今度は体が痛み始める。
この状態でここに留まるのはマズイと思い、ストーンボアを腰の不思議袋に収納して自室へと転移した。
マジで死ぬかと思った! マジで! 魔法で止まらなかった時はマジで死んだと思ったね。
減速はしたらしいが、惰性であの威力はヤバすぎる。俺3メートルくらい吹っ飛んでたじゃん。ほんと良く生きてたよ!
あー……怖かった。……生きてて、良かった…………。
自室に戻り、息を切らしながら膝に手をついて震えるように恐怖を思い出すが、見慣れた風景に気持ちが緩んだのだろう。間も無く床に崩れ落ちて気を失った。
「……だぁっ!」
大声を上げて目が覚め、慌てて立ち上がると背中が悲鳴を上げた。手や足からもその声は上がる。
周囲を見渡すと見慣れたベッドが、見慣れた机が、牛乳を飲む優しげな女性が、窓から見える空には茜色が滲んでいた。
恐怖が確実に去ったことを実感して安堵し、自らを良く見れば服はあちこち破れ、血も流れていたようだ。
とりあえず、冒険者ギルドに採取依頼の完了報告に行こうと思ったが、流石にこの格好で出歩くのは気が引けた為、シャワーを浴びて着替えをすることにした。
部屋をでて痛みを我慢しながらゆっくりと階段を下りると、シャンさんに不審者を見るかのような目で声をかけられた。
「おい、なにやってんだ? 怪我までしてるじゃねーか。部屋にいたんだろ?」
「あ、えーと……リアルシャドーです」
「はぁ?」
シャンさんの視線から逃げるように宿を出て、痛む体を引きずりながら冒険者ギルドに向かった。
まだロングさんはいるようだ。
「あ、ロングさん、依頼完了しました。今日は30枚です」
「おお、エルさん。珍しく帰りが遅いので心配していましたよ。って怪我をされてるようですが、何かありましたか?」
「はは、ええ、ちょっとやんちゃな猪にぶつかってしまって……」
「なんと! まさかストーンボアですか!?」
「えっ!」
「なに!?」
「な、なんだってー!」
「奴がでたのか!」
ロングさんの大げさな反応に、周りの職員や冒険者たちがざわつき始めた。
「はい、本当に死ぬかと思いましたよ……」
「いやぁ、よくぞご無事……」
「おい! 小僧! その話は本当かい? どこにいた?!」
突然、いかついお姉さんが会話に割り込み、肩をガッシリと掴みながら詰め寄ってきた。
「本当ですよ。南西の森の、比較的浅い所だと思います。入って15分くらいでしょうか」
「近いねぇ。なんだってそんなところに……小僧! お前縄張りに入ったね!?」
「まさか。そんな森の奥までは行ってないので、入ってないと思いますよ。
ただ、クローラビットの群れがストーンボアから逃げるように走ってたんで、もしかしたらそいつらかも……」
「あんの、いたずら兎達かい!
面倒な事をしてくれたよ……話は聞いてたね!? 行くよお前たち! 40秒で支度しなっ!」
「あ、ちょっと!」
突然話に割り込んできたおばさんは、制止の声も聞かずに屈強な男たち数人を引き連れて飛び出していってしまった。
「あーぁー……」
「彼女達なら大丈夫ですよ。この辺で最も有力なベテランクランですからね。すぐに獲物を引っさげて戻ってきますよ」
ロングさんは俺があのお姉さん達を心配してると思ったのだろう。それを和らげるようにフォローをしてくれたようだ。
「いや、そうじゃなくて……もう行ってもいないですよ。倒しましたから」
「え?」
「ほら」
周囲の安全を確認してから、腰の小さな袋に手を突っ込みストーンボアの牙をガッチリと掴んで引っ張り出した。
――ドッスン!
その巨体が床に埋まるかと思える程の重量感ある音は、喧騒を引き裂き、静寂を呼び寄せた。
その後、宿に戻り夕食を食べ終えると、緊張の糸が切れてすっかり気の抜けた俺は、自室で何とはなしに冒険者カードを眺めていた。
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氏名:エルザム・ラインフォード
性別:♂
生年月日:マーロ暦4162年6月16日
所属:シルバリバ帝国
クラン:
ランク:1
次のランクまで:2855P
合計P:2145P
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あの猪のおかげで大分P貯まったなー。採取依頼を完了したら5P下がったけど。雑用依頼でもおそらく下がるのだろう。そうすれば計算が合うからね。でも、普通上がるもんじゃないの?
これだと採取や雑用だけでは上がらない。つまり……戦いを強いられているんだ!
ストーンボアはいいお金になりました。一部を除いて全部買取ってもらったが、820,000円って聞いた時は耳を疑ったよ。どうやら肉はそこそこ高級品で量もあり、石を纏った皮も有用でほぼ傷がないためらしい。
そのせいで帰りがけにカツアゲされそうになった訳だけど。まあ、あの猪に比べれば可愛らしいものだったから、特にびびることもなく、魔法で優しく潰しておいた。その様子を見ていた野次馬は、いきなり数人の人間が地面に倒れこんだ事に驚いていたが、手品です、と言ってごまかした。納得していたかは分からないが……。
急に手に入った大金の使い道や、明日の予定などをぼうっと考えていると、だんだんと意識がぼやけてきたので、早めにベッドに入ることにした。
しかし、毛布に包まり目を瞑ると、圧倒的な存在感で迫り来るあの巨大な猪の姿が目蓋に蘇る。初めて死を実感させられたその恐怖を思い出し、なかなか寝付けなかった。
ふと目を開けてベッドの横の机を見ると、逞しく反り返る凶悪な牙が、窓から漏れる月明かりに優しく照らされていた。
それは戒めと勝利の証であった。