第26話 「ファジー・デッドライン」
どれほど続いただろうか。永遠に続くように感じられた惨劇は唐突に終わりを告げた。
「ハァッ、ハァッ…………うっぐ……うぅぅ……」
「兄貴! 大丈夫すか、兄貴っ!?」
「だ、大丈夫ですか? アニキさん」
チカチカする視界で声のしたほうを確認すると、サルと司書のお姉さんが心配そうな顔で見ていた。自分に何が起こったのか理解できず混乱する中、この無様な姿をお姉さんに見られたという事だけは理解できた自分が情けない。悔しいけど、俺も男なんだな。
ちょっとでも見栄を張ろうと立ち上がろうとしたが、未だ手足の痺れは抜け切らず、ゴロリと仰向けになる事しか出来なかった。仕方がないので、このまま返事をする。
「ハァ、ハァ……な、なんとか……ハァ……生きてる。本気で……死ぬかと思ったけど……ふぅぅ……。
……サル、俺に一体何が起きたんだ?」
サル曰く、普通に話をしていたと思ったら、急に俺がバチバチと白く発光し、叫び声をあげて苦しみだしたとの事。何とかしたかったが、まるで雷の魔法をくらっている様だったので近づけなかったらしい。それで大体30秒程で発光が消え、今に至るそうだ。
「そ、そうか……そんなちょっとしか経っていなかったのか」
「ううぅ、本当に無事で良かったっす! 兄貴の骨が透けて見えた時はもうダメだと思ったんすからっ! ほ、本当に……本当に……あ、あ、あにぎぃー!」
今度は何故かサルが泣きながら、未だ寝転がっている俺に縋り付いて来た。仲間を失う辛さを思い出したのだろうか。普段のおちゃらけた感じは一切なく、大真面目な表情である。
本気で心配してくれたらしいな。申し訳ない。
というか骨が透けるって……漫画かよ。まあ、それはつまり電撃というか、何かそういうやつをくらったと考えていいのかもしれない。サルも雷の魔法をくらっているようだったって言ってたし。
「アニキさん、これをどうぞ。お顔がぐしゃぐしゃですよ」
俺の事をアニキさんと言って顔の前に白いハンカチを差し出しているのは司書のお姉さんだ。さっきもアニキさんと言っていたが、名前を間違えているのだろうか?
そんな疑問を覚えつつも、泣き付いているサルから、俺の傍に屈んでいる優しいお姉さんへと視線を移すと、何とも輝かしい純白のパンチラが。捨てる神あれば拾う神あり。不幸の後には幸せが舞い込んで来るようだ。
先程の痛みなどなんのその。俺は差し出されたものへと、痺れの余韻で震える手をプルプルと伸ばした。
「あ、ありが」
「キャッ!」
「どおおおオオオオオオオオオオオッ!!」
「あにぎぎぎぎぎぎギギギギギギギギギギギギーーッッ!」
「という訳で、散々な目に遭ったんだよ」
「本当っすよ!」
あの後、再び謎の電撃攻撃を受けた俺と、俺に触れていたために感電したサルは、這々の体で宿へと戻ってきた。そして今は、フラフラで戻ってきた俺達に驚いたヴォルクへと、事の次第を説明している。
「なるほど……そんな事が。
しかし、兄さんのアブソリュート・ディフェンスを突破するような攻撃を受けて、よく無事でしたね」
ベッドに座り、静かに話を聞いていたヴォルクは怪訝な視線を向けてきた。しかもまだあの名称は諦めていないようである。
「オートガードだ! ……全く。
んで、別に突破された訳じゃない。発動すらしなかったからね。大体、あの魔法は突破出来る出来ないの話じゃないんだよ。俺の様に空間を操れるなら別だけどさ。
だからたぶん、何者かに魔法で攻撃されたって事では無いと思う」
ちょっと魔法の話になってしまうが、この世界では『魔法とは自らの魔力を代価に何らかの事象を起こす事である』というのが、その筋での一般論であり常識とされている。ここで大事なのは『事象を起こす事』という部分なのだが、これは逆に言えば『起こした事象は魔法ではない』という事になり、魔法によって起こした事象は全て物理的な現象だという事になる。そしてオートガードは空間を固定することであらゆる物理的な現象を、その大小に関わらず遮断する。故にオートガードの突破は不可能なのだ。
また、魔法を使う際には、事象を起こす地点に糸を伸ばすように自らの魔力を供給しなくてはならないのだが、俺のオートガードはそれにも反応するようになっている。勿論、自分の魔力には反応しないが。
よって、外からの全ての攻撃を阻むオートガードで防げなかった今回の件は、外部からの攻撃ではないと思ったのだ。
「うーん……となるとアブソリュート・ディフェンスを発動させずに攻撃したって事になるんすが……一体どうやって?」
サルは椅子に座り、机に頬杖を付きながら考え込んでいる。
というか何故コイツまであの名称を……。ちょっとヴォルクはニヤけているし。
「だからオートガードだっ!
……方法は一応ある。敵意無く俺に触れて直接電気を流すという方法が」
「それは流石に無理じゃないですかね?」
「そうっすよ。それにあの時兄貴に触ってる奴なんていなかったじゃないすか」
ヴォルクもサルも否定しているが、確かにその通りだ。しかし、たった一つ俺に触れているものがあったのだ。
「いや、あの時俺に触れていたものはあった。それどころか包まれていた。そして今も……」
「なんですか?」
「なんすか、それ?」
「それは……ムーちゃんの愛だっ!!」
……
……
……
「はい、解散ーーっす」
「ですね。サルさん、ご飯食べに行きましょう」
「いやいや、ちょっと待て! ちょっと待て!
俺の眼によるとね、<ムタンの加護>の解説に、あなたは常に彼女の愛に包まれているだろう、っていう一文があるんだよ。
あと、二人を邪魔するものは神の雷に裁かれる、っていうのもある」
二人は蔑む様な冷たい視線を向けると、この場を去ろうと立ち上がったので、俺は慌てて理由を説明した。
「それはつまり……兄さんにムタン様の裁きが下ったって事ですか?」
ヴォルクはベッドに座りなおし、質問を投げかけてきた。どうやら繋ぎ止める事が出来たようだ。
「あの電撃をくらった時の状況を考えれば……おそらく」
「えーっと、確か一回目の時は司書さんを可愛いって言おうとしてたんすよね?
んで二回目が、その司書さんのパンツに手を伸ばした時」
「おい! 余計な事を言うなよ! せっかくぼかして話したのに!
それにあの時は意識が朦朧としていて、ハンカチとパンツを間違えただけだ。事故だ事故!」
「……何やってるんですか、兄さんは。
まあつまり、二人を邪魔するものっていうのは、邪魔者の事じゃなく、兄さんのよこしまな心って事ですね」
「寄る虫よりも根っこを断つってことすか。非常に効率的っす」
そう。随分な物言いだが、たぶんそういう事なのだ。落とし穴はここにあったのだ。
というか、ここまで勿体つけて喋ったりしたけど、一回目の電撃をくらった時点でなんとなく気付いてはいたんだよね。そんで二回目をくらって確信した。あ、終わったなって。
今後、俺は女の子に手を出せない。唯一手を出せそうな存在は、個人的には最高の女性なのだが、何処にいるのか分からない。まさに高嶺の花。
エルザム・ラインフォード、齢15にして禁欲生活の始まりである。
「なあ、サル……加護って…………消せないのかなぁ……」
「……今日嫌というほど読んだ本には……書いて無かったすねぇ…………」
「そもそも、加護をいらないなんて言う罰当たりな人はいませんよ。そんな記録あるわけ無いじゃないですか。
兄さん、これからはムタン様一筋の真直ぐな男になってください」
ヴォルクは呆れたような笑顔で消沈している俺を見ているが、事の重大さを理解していないのだろう。
現にサルはその猿顔を青くして同情の視線を向けてきている。実際に電撃をくらったというのもあるかもしれないが、大人の男なら当然恐ろしく感じるはずなのだ。
「さあ、いつまでも落ち込んでてもしょうがないんですから、ご飯を食べに行きましょう」
すっとベッドから立ち上がったヴォルクは、そのまま部屋を出て行ってしまった。非常にあっさりとして冷たく感じるが、未だ異性を意識していない様子や、加護の恩恵を受けている身としては、俺の気持ちが理解できないのだろう。
「……クールっすねぇ」
「この辛さを理解できないあたり、まだまだお子ちゃまなんだよ」
「おばちゃん、今日はハンバーグセットをお願いします!」
「俺もそれで。
兄貴はどうするんすか?」
「………………じゃあ、それで」
「はい、はい、はいっと! ってエルちゃん、随分と落ち込んでるね? 若いんだからもっと元気だして行かないと!
ほらほらっ! そんなんじゃうちの娘が悲しむじゃないか」
ヴォルクの後を追い、食堂に来た俺達はスザンヌおばちゃんを呼び止めて注文をしていた。下降する気力に同調するかのように食欲も無かったので、適当にお願いしたのだが、俺の落ち込んだ様子を見たおばちゃんはいつもの明るい調子で背中をバシバシと叩いて活を入れてくる。気持ちはありがたいのだが、今はそっとしておいて欲しい。
ちなみにおばちゃんの娘さんというのは、今別のテーブルで注文をとっている給仕の子である。名前はキャサリン。歳は17。レーツェル料理で繁盛し始めて食堂の人手が足りなくなった所、おばちゃんが連れてきたのだ。明るい性格と素朴な感じの見た目が可愛らしく、今ではこの食堂の看板娘になっている。
「全く、しょうがない子だねぇ。すぐに美味しいのを持ってきてやるから、いっぱい食べて元気だしなよ!」
おばちゃんが去った後のテーブルには重い空気が流れ、珍しく無言が続いた。お喋りなサルは居心地悪そうにしており、ヴォルクも空気を読んでか静かに座っている。
うーん……俺が落ち込んでるせいだってのは分かるんだが、しょうがないよなぁ……。でも二人に申し訳ないという思いもあるしなぁ……。ちょっと無理やりテンション上げてみるか。キャサリンちゃんが悲しむらしいし。というか、俺はキャサリンちゃんに好かれていたのか? 確かに食堂に来る度に話はしていたからそれなりに仲は良いと思うが……。まあ、それが恋愛感情かどうかは分からないが、良い印象は持たれているってことだろう。そう思ったらちょっと元気が出てきたかも!
「よし! ヴォルク、サル、俺はボーダーラインを引こうと思う!」
「どうしたんですか? 急に?」
「そ、そうっすよ。それにボーダーラインってなんすか?」
「こんな重苦しい感じは嫌だろ? 原因の俺が言うのもなんだが、俺だって嫌だ。だから、まだ多少無理はしてるがポジティブに行く。
んで、ボーダーラインってのは、ムーちゃんからのお仕置きについてだ。どこまでがセーフで、どこからがアウトなのか、その線引きをするんだよ」
「それって危険なんじゃ……」
「そりゃそうだけど、これが分からないと俺はこの先ずっと縮こまって生きて行かなきゃいけなくなる。分かった所で変わらないかもしれないけどさ。
まあそういうことだから、またビリビリなるかもしれないけど、よろしく。たぶん死にはしないだろ」
心配そうな顔をするサルとヴォルクを尻目に、二回もお仕置きをくらいやや慣れた感のある俺は楽観的に色々と試し始めた。
まず行ったの妄想。これは大丈夫だと思いつつも内心ビクビクしながら目を瞑り、直前に見た笑顔で料理を運んでいるキャサリンちゃんを思い出してイチャついてみたのだが、お仕置きはされなかった。念のため司書のお姉さんでも試してみたが、大丈夫だった。どうやら思想の自由は保障されているらしい。というか、これがアウトだとまず生きていけないだろう。
次に行ったのが意志の伴わない行動。これはかなりの度胸が必要だった。お仕置きを覚悟しつつ、料理を持ってきたスザンヌおばちゃんに向かって、今日もお綺麗ですね、と言ってみた所、問題は無かった。予想外に本気で照れられたのは問題だったけど。
そして最後に、意志を伴う行動。おそらくこれはアウトだろう。今日くらった二回はこれだから。なので、よりギリギリを攻めてみる。自分のタイプではないため心は動かないが、可愛いというのは理解できるし世間一般でも可愛いとされる女性に対してだ。
食事をしている際、丁度良くそんな女性が別のテーブルに着いたので、あのこ可愛いくね? などとサルの肩を掴みながら話を振ってみた所、幸いお仕置きはされなかったが、自分も道連れにされそうになっていた事に気付いたサルが猛抗議してきた。そんな抗議をスルーしつつ他にも色々と試してみた。
結果、『恋愛対象として意識した相手に対する好意を含めた言葉』でお仕置きをくらうと俺は結論づけた。お仕置きが怖いので大分手前で線引きした可能性は否めないが。
ちなみに女性に触れるという実験はしていない。もしお仕置きで感電させてしまったら大変だからだ。一応、スザンヌおばちゃんはセーフで、キャサリンちゃんはアウトだと予想してはいる。
「いやぁ、やっぱハンバーグは旨かったっすねぇ! これだけの為に生きていけるっす!」
「大げさですね、サルさんは。確かに美味しいですけど」
「おいおい、お前が大げさとか言うかね。コロッケの為に生きてるくせに」
「あ、それもそうですね! アハハハハ」
食事を食べ終えた頃にはすっかりいつもの調子に戻り、なんてことのない会話をしていた。俺は未だ無理して明るく振舞っている部分もあるけど。
「そういえば、サル。司書のお姉さんにもの凄い食いついてきたけど、ああいう子がタイプなの?」
「そんなに凄かったんですか?」
「ああ、俺の両肩を掴んでガクガク揺らしてな。鼻息荒げて、顔なんて鬼気迫る勢いだったね」
「それは、言いすぎっすよ兄貴ぃー。確かにタイプのど真ん中だったっすけど」
「へぇー。あ、じゃあキャサリンさんはどうなんですか? 彼女はここでも人気がありますけど……」
どうやらヴォルクもちゃんと見てはいるようで、女性に興味が無いというわけではないらしい。ちょっと安心した。
「……いや、あの子は…………何処とは言わないっすが、ちょっと足りないんすよねぇ」
「足りない? 普通の女性だとおもうんですが」
ヴォルクは分かっていないが、どうやらサルは巨乳好きのようだ。であれば、キャサリンちゃんに何の反応も示さなくて当然だろう。
「……困ったエロ猿だな。ちなみに俺は、あれば儲けもの派だ。
さて、そろそろ部屋に戻ろうか」
何の話をしているかいまいち分かっていない様子のヴォルクは首を傾げながらも席を立ち、サルは俺を見てニヤっと笑い席を立った。うーん、と唸りながら腕を組み考え込んで歩くヴォルクは微笑ましいが、サルの笑みは何か分かり合ってしまった感があり、イラっとする。
そんな二人を連れて食堂を後にしようと出口へ向かうと、横から声をかけられた。
「あ、エルちゃん。ちょっとは元気になったみたいね! 入って来た時落ち込んでたから、心配してたのよ!」
このハツラツとした声はキャサリンちゃんだ。振り向くと明るい愛嬌のある笑顔を浮かべている。そんな笑顔を見ると、落ち込んで曇っていた心が晴れやかになるようだ。
「それは申し訳ない。でも、美味しい料理とキャサリンちゃんの笑顔ですっかり元気になったよ!」
「そっか、良かった良かった。やっぱエルちゃんは明るく元気じゃないとね! アッハッハ!」
そう言ってキャサリンちゃんは笑いながら俺の二の腕をバシバシ叩いてくる。スザンヌおばちゃんの遺伝子はこんな所にも受け継がれていたようだ。
「いやいや、本当心配してくれてありがとうね。そうだ、お詫びに今度食事にいいぎぎぎギギギギギィッっ!!」
「エ、エルちゃん!?」
「兄貴ぃー!」
「ごごごれもぼぼボボボォォ! だだだめべべべががガガガあああッッ!!」
「…………はぁ。調子に乗るから……」
GW中に書き溜めたいと思うので、更新はないかもしれませんが、今後もよろしくお願いします。