第21話 「眼差しの先」
「兄貴ぃー、朝っすよー! 兄貴ぃー」
窓から注ぎ込む爽やかな朝日に目を覚まされようとしていた時、奴はやって来た。
サ、サルだ。……あ、歩く喧噪だ。
やや高めの良く通る声とドアを叩く重低音のディスコードを遮る為に、俺はサルを無視して頭までスッポリと芋虫の様にシーツに包まった。もう少し気持ちよく朝の微睡みに浸っていたかったのだ。
「まだ寝てるんすかー? 兄貴ぃー。起きましょうよー」
しかし、さしたる効果は無く、ドアを叩く音とサルの声は益々大きくなり、嫌になるほど耳に届いた。徐々に覚醒する意識は昨夜の羞恥をも呼び覚まし、サルに対する怒りが煮え繰り返る。
「あーーうるせよぇっ!! 朝っぱらから何なんだよお前はっ!」
すっかり目が覚めてしまった俺は、その怒りをぶつけるべくベッドを飛び出し力一杯ドアを開け、寝惚けた頭で精一杯の皮肉を捻り出した。
「ハロー、ミスターモンキー! 太陽にお別れは済ませたかい!?」
「はぁ? 何言ってるんすか。いつまでも寝ぼけてちゃダメっすよ、兄貴。
さあ、支度して仕事に行くっす。ヴォルクの兄貴にも頼まれてるんすから」
ぐっ、そこでヴォルクの名前を出すとは卑怯な……。
昨夜、俺が食堂を飛びだして階段を駆け上がっている頃、その食堂では大歓声が上がっていた。例の決め台詞が大受けしたようで、その後もしばらくサルのトークショーは続き、食堂は大盛り上がりだったらしい。
大分遅い時間に部屋に帰ってきたヴォルクが言っていた。その間俺は、ずっとベッドに潜り込んで瞑想という名の現実逃避をしていたのだが。
そのヴォルクはすっかりサルと仲良くなってしまい、サルさんは意外と人を見る目があるしすごく面白い人だ、なんて手放しで褒めていた。俺を起こすのをサルに頼む位だから、それなりの信頼も預けているのだろう。厄介な事だ。
「…………もういいや。支度してくる。つーか、まだ7時半じゃねーかよ。やだやだ」
ドアを閉めることで、サルを視界から消し去った俺は、渋々支度をし始めた。ドアの外でまだ何事かをペラペラ喋っているサルの声を聞くと、自然と手足の動きが重くなる。いつもより時間が掛かった身支度を終えた俺はその重くなった足取りでドアの外で待つサルの下へと向かった。
「おっ、準備できたっすね。まずは朝飯っすか?」
「……そうね」
こうして朝から元気なサルと共に朝食をとった俺は、そのまま宿を出た。
ヴォルクはとっくに道場へと行っている。今日も朝練だ。
澄んだ朝の空気を感じつつ、爽快な気分で冒険者ギルドに向かっている。隣にお喋りマシーンが居なければ、より良いのになぁ、等と考えながら。
「兄貴、今日はどんな依頼を請けるんすか? また雑用依頼っすか?」
「さあなー。着いてから決めるよ」
「じゃあ、討伐系とかも請けましょうよ。兄貴なら楽勝っす! 魔族でも余裕なんじゃないすかねぇ」
魔族ねえ……。そんなおっかなそうな奴らなんて会いたくも無い。
「そういや、魔族について疑問に思ってた事があるんだよ。
ヴォルクやエヴィル・ランジ・タックルの皆は村を魔族に襲われたらしいんだが、俺が読んだ本には魔族はこのシルバリバ帝国の南にある魔族領から侵攻してきて、その侵攻は国の南端にあるミシェルホーン要塞で食い止めてるって書いてあった。
なのに、なんで村が襲われるんだ?」
魔族に関して、ちょっと疑問に思っていた事をサルに聞いてみたが、サルは正気を疑うかの様な目で俺を見た。どうやら、極めて常識的な事を聞いてしまったらしい。しかし、既に聞いてしまったのだから、ここはもう堂々としているしかない。
「兄貴、まだ寝ぼけてるんすか?
まぁ……仕方ないから教えてあげるっすよ。
魔族には大きく分けて2種類のタイプがいるんす。まず、兄貴が本で読んだ様に南から侵攻してくる奴。個体数的に言えばこれがほとんどっす。
そしてもう一つは…………はぐれ魔族。どっから来たのかは分かりませんが、魔族領に戻る事無く俺っち達人間の領域をフラフラとしてるんす。神出鬼没で、出会ったら最後。まさに天災っすよ。人間が魔族から受ける被害のほとんどがこいつ等っす。ヴォルクの兄貴の場合も恐らくこれっすね」
マジか! その辺ウロウロしてんのかよ! そりゃ、コレを知らなきゃあんな顔されるわ。いつ死ぬか分かったもんじゃないんだから。
「まったく、兄貴はどんなド田舎から出てきたんすか? よっぽど平和な所だったんでしょうねぇ。
そういえば、なんだか着てる服も変ですし。故郷の民族衣装かなんかっすか?」
ぬ! 俺が一生懸命作った服を変だと!? 不審がられなかったのはありがたいが、このサルめ。言わせておけば……。
「俺はな、それはそれは遠いところから来たんだよ。お前が想像もつかないような所からな。
あと、この服は民族衣装でもないし、変でもない。俺が作った……正確に言えばデザインした服で、時代の先を行ってるんだよ」
オリジナルでも何でもないパーカーのパクリを自慢げにはためかせて見せ付けると、サルは目を大きく見開いた。
「なっ! ……時代の…………先……っ!
……し、し、痺れるっす! かっこいいっすよ! まだまだ若いと思っていたっすが、俺っちの目はいつの間にか曇っていた……蒙が啓かれたっす!」
途端にその茶色い目を輝かせて尊敬の眼差しを向けてきたサルは、自分も着たい! 一歩先を行く男になりたい! どこで手に入るんすか! と詰め寄ってきたので、正直に服を作った店を教えることにした。ストレートに憧れられて少し気分が良くなったのか、こういうのも悪くは無いのかもしれないと思ってしまったのだ。
サルの口八丁に丸め込まれそうになるころ、俺達は冒険者ギルドに着いた。
いつもの様にロングさんに挨拶すると、今日は特に指名は無さそうなので、それぞれ依頼を探し始める。俺が雑用依頼のコーナーを見ていると、一枚の依頼書を持ったサルが相変わらずの大きな声で話しかけてきた。
「兄貴ぃ! これこれ! これなんかいいんじゃなっすかね!」
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依頼内容:猿額石の収集
ランク制限:2以上
契約金:なし
期限:なし
達成条件:【猿額石】10個の納品
報酬:15,000円
依頼主:冒険者ギルド
-詳細-
ゴブリンの集落が無くなった事により、
ランドベック東の森にフラッシュ・モンキー達が戻ってきたようだ。
光石の原料となる猿額石を取ってきて欲しい。
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「どうすか、兄貴? フラッシュ・モンキーなら大した事は無いっすよね?
まあ、10個ってなると1日じゃ無理かもしれないっすが」
うん。知らない事だらけだな。ここはお喋りマシーンを使うとしよう。
「フラッシュ・モンキーて何? あと猿額石って何? 風に吹かれて消えない?」
「兄貴、知らないんすか? しょうがないっすねー、また俺っちが教えるっすよ。
フラッシュ・モンキーってのは簡単に言うと光る猿っす。額にある石を光らせて相手の目を眩ませてくるんで、素人にはちょっと厄介な魔物っすね。その額の石が、この依頼にある猿額石っす」
「……うむ、合格だ。ということで、それにしよう」
あたかも知ってるような素振りで、平然と依頼書をサルから奪い受付へと持っていくと、後ろから、俺っちを試してたんすねー、等という盲目的な声が聞こえてきた。
ちなみに、サルは俺達のクラン、尾を噛む蛇には入っていない。こいつの性格的に、俺っちも入れてくださいよー、と言ってきそうなものだが、未だに言われた事は無い。不思議に思って聞いてみたら、未だ信用を得られていない自分がそんな事を言えるはずがないっす! と言っていた。意外と筋の通った所もあるらしい。
依頼を請けた俺達は東の森にやってきた。現在は森の手前にあるゴブリンの大群を潰した例の穴を迂回している。誰の仕業か、迷惑な事だ。
「いやぁー、相変わらずデカイ穴っすねー。もう名前つけちゃいましょうよ! エルザムの穴とか」
「やめろっ! 響きが危なすぎる!! キュッとしたわ!」
穴を迂回して森に入ると、以前来た時とはちょっと違う雰囲気を感じた。生物の気配を感じるというか、活気があるというか。
前回は森に大量にいたであろうゴブリン達を叩き潰してから入ったので、ずいぶんと静かだった覚えがあるのだ。
「さあ、兄貴。フラッシュ・モンキーを探すっすよ。
奴らは大抵木の上にいるっす。なるべく遠くから見つけないと強烈な光を放ってくるんで気をつけて下さい」
「サルウィン、私を誰だと思っているのだ?」
サルのアドバイスを聞いた俺は、早速認識領域の範囲を広げると、何を当たり前の事を言ってるんだといった態度で歩き始めた。
そのまま認識領域に引っかかった猿っぽい生物に向かい、ギリギリ目視出来る距離まで来て足を止めた。
「どうしたんすか? 見つけたんすか?」
俺の後ろを珍しく無言で付いて来ていたサルは、俺が急に立ち止まった事に疑問を抱いたのか、小さな声で話しかけてきた。
かなり距離はあるが、魔物に逃げられないように、念のため声には出さず、そっと遠くの樹上を指した。
そこにいたのは、お腹と頭を掻いている茶色い猿。額には5センチ程の白い楕円形の石のようなものがある。あれが猿額石だろう。
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魔物:フラッシュ・モンキー(30P)
性別:♀
固有名:
年齢:3
状態:健康
特殊能力:発光
魔力を込めることで発光する石を額に持つ猿。
その発光は、敵の目を眩ませる他に、点滅させる事で
求愛行動にも使われている。
かなり賢く、石や棒を使って獲物を狩る場合もある。
オスの放つ光は白いが、メスは桃色の光を放つ。
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「あ! いたっすね。こんな距離から見つけるとは流石兄貴っす!
よし、じゃあここは俺っちに任せるっすよ。得意の魔法をお見せするっす」
小声で任せろと言ったサルは、俺の前にしゃしゃり出て杖を構えると、何やら詠唱しだした。
「母なる大地の……愛せ……の子ら……感謝せ……」
何処かで聞き覚えのあるような詠唱が進むに連れて、サルの少し前の地面が少しずつ盛り上がると、高さ50センチ程の円錐が出来上がった。
「……刺さっちゃえ! コーンダート!」
サルが必殺の決意を込めた杖をフラッシュ・モンキーに向けると、地面に出来上がった円錐状の土が飛び出していった。
ぐんぐんと飛んでいった土の矢は、直前で気付かれてしまい、反射的に飛び退いたフラッシュ・モンキーに掠り傷を負わせるに留まった。
「キキー! キーッ!」
突如襲われた事に怒りを露にしたフラッシュ・モンキーは、こちらを向くと、その両手を開いて顔の横に持っていった。
――カッ!
フラッシュ・モンキーの額から強烈な桃色の光が発せられた。これがフラッシュ・モンキーと言われる由縁か。
しかし、事前のポーズに嫌な予感がした俺は咄嗟に目を瞑り、顔を背けていたので被害を逃れる事が出来た。
「目がぁー、目がぁー!」
俺に注意しろと言っていたサルはもろにくらったようで、目を押さえて蹲っている。バカとしか言いようが無い。
「キッキッキーッ!」
未だに目を瞑っている俺と蹲るサルを見たフラッシュ・モンキーは、今がチャンスとばかりに軽い身のこなしで木々を伝い接近してきた。襲う気満々である。
しかし、例え見えなくとも俺の認識領域の前に意味は無い。
「プレス」
「ギェッ!」
俺の魔法により地面に叩きつけられ、磔にされたフラッシュ・モンキーはキーキーと悲鳴を上げている。
目を開けて近付いた俺は、いつものようにスライスの魔法で止めをさした。
「そろそろ立て、サル」
未だ目を押さえて蹲るサルに呆れた俺は、軽く蹴りを入れて立ち上がるのを待った。あの太陽……目眩ましは結構な時間効く様だ。
蹴られて地面に倒れたサルは、目を擦りながらも立ち上がり、その目をパチパチさせている。
「うぅー、まだ目がチカチカするっす」
「俺に気をつけろって言っておいて情けない。なんだよ、その様は?」
「も、申し訳ないっす……。
でも! どうだったすっか、俺っちの魔法は?」
「…………あんなのどうもこうもねーよ。
外してるわ、飛んでく速さも大した事ないわ、詠唱は長いわで、実戦ではとても使えたもんじゃない。
あれなら石を拾って投げたほうがまだマシってもんだ」
「そんなぁ……。俺っちはまだ初級の魔法しか使えないですし、初級っていったらどれもあんな感じっすよ!?」
マジで? あ、でも確かにルッチさんの魔法も水の玉が飛んでいっただけだったな……。
となると、コイツは戦闘で役に立たないという事か? ……いや、付き纏ってくるんだから、少しは役に立ってもらわないとな。
「もっと工夫しろ…………人間は世界でもっとも賢い動物のはずだろ」
「ッ!!
…………確かに……そうっすけど……」
「いいか。魔法は想像力だ!
俺がお前を潰した魔法も、ゴブリンの大群を叩き潰した魔法も、実は同じ魔法なんだよ。あれだけの違いを出すにはそれなりの魔力が必要になるが、想像し工夫することでその形を変える事は可能なはずだ。現に俺は出来てる。
さっきの魔法であれば、同時に複数飛ばすとか、もっと速く飛ばすとかさ。
それと、詠唱を破棄しろとは言わないが、お前はあれだけ舌が回るんだから、もっともっと速く唱えられるはずだ。練習しろっ」
「……あ、兄貴…………そんなに俺っちの事を考えてくれるだなんて……!
俺っち、感激!
……今に見ててください! 頑張って兄貴の期待に応えるっすよ!」
その後、すばしっこく森の中を動き回るフラッシュ・モンキーを探し回り、納品に必要な10匹を倒して森を出た頃には、夕方になっていた。
一日がかりの仕事をやり終えたような充実感で満たされた俺は、軽い足取りで街へと歩いていたが、なんの役にも立てなかったサルは肩を落とし、トボトボと後ろを付いてくるだけだった。口数も少なく、大分落ち込んでいるようだ。
「……サル、なんか喋れよ。お前が静かだと気持ち悪い」
「でも……俺っち、何の役にも立てなかったっす。
申し訳なさで一杯なんす……」
手伝うといって付いてきていたサルは1匹もフラッシュ・モンキーを倒せなかった事で一応責任を感じてはいるようだ。真面目な一面もあるらしい。
だが、その縋るような目つきは気持ち悪い。
「……しょうがない役立たずだな。
よし、あそこのポツンと立ってる木に向かって得意なあの魔法をもう1回使ってみろ。但し、2つ飛ばすイメージでね」
魔法を使うように促されたサルは渋るような態度を見せたので、尻を叩いて強制的にやらせたがうまくはいかず、魔法が発動しなかった。
「やっぱり、駄目っすね……。申し訳ないっす…………」
「込めた魔力が足りなかったんじゃない?
今度はさっきと同じ魔力でいいから、10センチ位の小さいのを1つ飛ばしてみてよ。なるべく速くね」
「小さいのっすか? ……やってみるっす」
再度ごにょごにょと詠唱したサルが、杖を木に向けて振ると、今度は驚くべき速さで飛んで行き、目標とされた木には小さな穴が開いた。
「ああーっ! 出来たっす! 速いっすよ!!
凄いっす、兄貴ぃ!」
本当に出来るとは……。詠唱とか何も変わってないのにな。魔法の理論とか詳しくないから分からないけど、意外とファジーなのかな?
「お、おう。良かったな。
今の小さいのなら2つ飛ばせるんじゃないか?」
「はい! やってみるっす!」
今度は見事2つ飛んでいったが、先程よりも速さは遅かった。それでも初めて見たときよりは断然速いし、充分殺傷力もあるレベルである。
「出来たな。それだよそれ。
小さくてもいいから、なるべく多く、速く飛ばせるようにしたらいいんじゃない?
ポーンと大きいのが一つ飛んでくるよりも、あの小さいのがダダダダダッと連続して飛んできた方が、相手にとっては脅威になるだろうし」
「確かにっ! やっぱ兄貴は凄いっす! 時代の先を行く男は一味も二味も違うっすね!
俺っちも兄貴の様に先を行く男を目指して頑張るっすよ!」
すっかり元気を取り戻し、やる気を漲らせたサルは、赤く染まった空へと杖を掲げ、遠ざかる雲を見つめていた。