第16話 「憧憬の正体」
「……す、すごい…………兄さん」
迫り来る圧倒的な魔物の群れが一瞬にして潰されるという異常な現象を目の当たりにし、しばし呆然としていたヴォルクは、我に返るとフラフラとした覚束ない足取りで陥没地点へと近づいて行った。
「あ、ヴォルク! 待て!」
俺の言葉が届いていないのか、そのまま進んでいったヴォルクは、陥没した地面の底を見て、足を止めた。
「うぁっ!! ……あ、ああ…………うっ……うぉえぇぇ」
真っ赤に染まった地の底。そのあまりに凄惨な現実を目撃したヴォルクは、顔を背けて嘔吐してしまった。
……だから待てと言ったのに。力ずくでも止めるべきだった。トラウマにならなければいいんだが。とにかく早く連れ戻さないと!
俺はヴォルクの傍に駆け寄り、その小さな小さな背中をさすって落ち着かせた。
2,3分そうしていただろうか、少しは落ち着いたようなので、ある程度離れた位置まで多少強引に連れ戻し、ポーチから水筒を取り出してヴォルクに渡す。
「ほら、まずは水で口をゆすげ。あと、これで口の周りを拭え」
「うぅ……ありがとう……兄さん……ありがとう…………」
口をサッパリさせた後、何かを考え込むようにしばし俯いていたヴォルクが顔を上げ、ふと口を開いた。
「ねぇ、兄さん……僕、間違ってたのかもしれない」
その声は弱弱しく、か細い。無理やり引っ張り出しているかのようだ。
「あの凄い数のゴブリン達が迫ってきた時、僕はもうダメだと思ったよ。絶対に死ぬって。
……でも兄さんは、いつもと変わらず、何てことも無い風に一瞬でそれを叩き潰した。
僕はそれを見て、兄さんはやっぱり凄い! あんな格好良い魔法を使えて、とっても強いんだ! まるで英雄だ! って、そう思った。誇らしかった。ルッチさんと一緒に魔法を見せてくれた時も、本当にそう思ったんだ。
だから、その証を絶対に見なきゃと思って、少しでも兄さんの強さに近づきたくて、あそこに行ったんだ。
……でもそこにあったのは……地獄だった。怖かった! 僕が憧れた格好良さ、強さ……そんなものはどこにも無かった!
僕は……何も分かってなかったんだ…………」
搾り出すような声で思いの丈を吐露したヴォルクは、暗い表情でまた俯いてしまった。
「…………ヴォルク。力っていうのはな、大きくても小さくても、必ず相手を傷つける。ヴォルクが剣を振るのも力。俺のさっきの魔法も力。大きさが違うだけで、同じ力だ。
けど、お前はその大きな力に恐怖した。自分の力は平気だったのに。何故だと思う?」
「……僕は……弱いから」
「いいや…………優しいからだよ」
「え?」
想像していなかった答えが返ってきたからか、ヴォルクは虚を突かれた様な顔を上げ、真剣な表情で俺を見つめている。
「大きな力を恐れる奴は、相手の痛みが分かる優しい奴だ。そういう人間は、力の使い方を間違えない。だから、俺は安心したよ。
ヴォルク、お前はきっと強くなる。世界中の誰よりもな。そんなお前が振るう力は途轍もなく大きいだろう。
……恐怖しろ、ヴォルク。怖さを知ることは強さを知ることだから」
「う、う、ううぁー……兄さぁん! うああぁぁ……」
俺の言葉に感極まったヴォルクはその銀灰色の瞳から大粒の涙を溢れさせ、抱きついてきた。変な意味は無い。
……なんじゃこりゃこりゃ。イケてる兄貴を見せようと、ヴォルク好みの演出までして派手に魔法をぶっ放しただけだったんだが……。妙な方向に来てしまった。
あんな真剣に考えてたなんて、もの凄く焦った。なんかヴォルクにとっての大事な分岐点みたいな雰囲気だしてたから茶化すわけにもいかなかったし。
無茶苦茶な理論をでっち上げて説教じみた事をしたけど、これで正解だったのだろうか? グレたりしないよね? 家庭内暴力とかやだよ?
つーか、俺だって怖かったわ! 自分があの血肉の海を作りだしたと思うと手どころか足まで震える。
しばらく、しくしくと泣くヴォルクをなだめていると、ようやく落ち着いたようで、俺から離れて目をこすりながらも話かけてきた。
「すいません。また泣いてしまって……。
そういえば、兄さん。こんなに派手に魔法を使って良かったんですか? 隠しておきたかったんじゃ……」
俺が魔法の事を隠しておきたかった事を知っていたヴォルクは心配してくれたようだ。
その口調は大分普段に近づいている。表情にも明るさが見え始めている。多少無理をしている所はあるかもしれないが、切り替えが早いのは良い事だ。俺は引きずるタイプだからね。
「ああ……まあ仕方ないだろ。
考えてもみろ。まず、ゴブリンの大群から逃げてたらどうなった? 恐らくあのまま俺達を追って街まで来ただろう。そうなったら……まあ、街が壊滅するって事は無いと思うが、少なくない被害は出たはずだ。だから、あの場で叩き潰した」
「なるほど。そこまで考えてたんですね! でも、兄さんが魔法を使った事はいつものように誤魔化せますかね?」
「流石に無理だろ。なんて言って誤魔化すんだよ……。魔法以外でどうやったらあんな事が出来るか俺は知らないし、想像できないぞ」
「あ、僕もです」
「だろ? それにもう誤魔化すのも面倒だし、何かあっても魔法でどうにかなる気がするんだよね。
あと、俺は適当な人間だからな。真面目な嘘は苦手なんだよ。すぐにボロが出る」
「それもそうですね」
適当な人間と言ったあたりで深く頷き、相槌を打つヴォルク。
「……いい意味で受け取っておこうか」
「あ! いや、えーっと、さっきの魔法はやっぱりすごく格好よかったですよ。特に詠唱とか! よかったら教えてください!」
俺の皮肉とじっとりとした視線に気付いたヴォルクはあからさまに話題を変えてきた。微笑ましいものである。
しかし、さっきの詠唱ときたか。あれは昔取った杵柄というやつか、意外にもスラスラッと出てきたが、実際はあんなの必要ないから結構適当だった。いつも無力化用に使ってるプレスを多少強く広く放っただけだしね。それにもう1回言えっていうのは、俺にとっては完全に罰ゲームである。
「詠唱はなぁ……秘密だ」
その後、これからどうするかをヴォルクと話していたら、遠くから声がした。
「おーい! お前らぁ! 無事だったか!」
聞こえてきた声に振り返ると、ムースさんを先頭に先程のメンバー達が戻ってきていた。
「あ、戻ってきたみたいだな。
こっちは無事ですよー!」
大きく手を振り、無事を知らせると、皆集まってきた。
話によると、逃げている途中地面が大きく揺れたと思ったら、ゴブリン達の叫び声がプッツリ途絶え、後を追ってくる気配も無かったため、全員で相談して警戒しながら戻ってきたそうだ。
「何にせよ、無事で良かったぜ。所でゴブリン……」
「うおぉっ!」
「うわあ!! なんだこりゃ!?」
「げぇ! ひ、ひでぇ……」
「えげつねぇな」
「何だこれろれろれろれろ……」
周囲を調べるため、例の陥没地点まで行った冒険者達が騒ぎ出したようだ。
その声を聞いたムースさんは、俺への対応を後回しにしてすぐに駆けて行った。
「おいおい…………こりゃ……ゴブリン共か?
おーい、ボウズ! 一体何があった!?」
「俺がやりましたー」
……
……
……
気の抜けた俺の返事は、全員の視線を集め、しばしの沈黙をお返しした。
「何ぃ!?」
沈黙を破ったムースさんは、今度はこちらに向かって走って来た。忙しい人だ。
「おい、ボウズ。どういう事だ? 冗談でしたじゃすまさねーぞ?」
「はい、魔法で叩き潰しただけです」
「……おい、パエリア! そんな事が魔法でできんのか? 俺は詳しくねーからよ。教えてくれ」
ムースさんの言葉を受けて後ろにいた集団の中から、上から下まで真っ黒なローブを着た暗い雰囲気の男が出てきた。
「いくら魔法とはいえ無理でしょうね。少なくとも、私は聞いたことがありません」
黒いフードから神経質そうな顔を覗かせたパエリアさんは、胡散臭そうに俺を見ている。
「だそうだが? おい、どうなんだ?」
「そんな事を言われても……本当……」
「嘘ついてんじゃねーぞ! てめえみてぇな碌に杖も持たねえガキが、そんなこと出来るわけねえだろ!?」
魔法使い然りとした格好の、名前も知らない灰色のローブの男が、突然横から胸倉を掴み、言いがかりをつけてきた。
「ムースさん、こいつ、誰も見てないからって、自分の手柄にしようとしてるんすよ。ねぇ? パエリアさん」
ムースさんに、パエリアさん、他の面々も呆れたような目で突然出てきた男を見ているが、一向に止めようとはしない。体のいい当て馬として、俺からちょっとでも情報を引き出すことを期待しているのだろうか。酷いものである。
「いやいや、本当ですって。杖は持ってませんが、このバングルが媒介……」
「ハッハッハ! ボロをだしたな、このガキ! そりゃただの飾りだ! 素人は誤魔化せても、俺達本職は誤魔化せねぇ! 杖ってのはなぁ、こういうのを言うんだよ!」
高らかに自慢の杖を掲げた男は、その猿顔に勝ち誇った様な笑みを浮かべて俺を見下ろしている。胸倉を掴まれたままの俺は、今にも殴られそうである。
ヴォルクが心配そうな顔で見ていたので、大丈夫だという意志を込めて視線を送っておいた。
なんなんだろうコイツは? 魔法使いって知的でクールなイメージだったんだけど、こんな野蛮な奴もいるんだな。しっかし、大した魔力も感じられないコイツの何処が本職なんだか……。俺のストレス解消の為、いや、コイツの将来の為にも、いっちょへこませてやるかね。感謝しろよ、これからの俺に。
「オラッ、さっさと本当のこと言えよ! 2流のエセ魔法使いさんよぉ!」
調子に乗った男は、掴んだ胸倉をぐわんぐわん揺らしてくる。いい大人が15歳を相手にこんな事をして、情けなくないのだろうか。
「はぁ…………プレス」
「ぐあっ! がっ、あ、あああ」
一つため息を吐くと、俺はこの野蛮な魔法使いの男に手を向けて魔法を放ち、地面に縫いつけ、軽めに押し込み続けた。
見えない何かに押しつぶされる様に、急に地面に這い蹲った男と、それを成したと思われる俺に、周囲は驚き戸惑っている。
「ぐあぁ……ああ……た、助けて……潰れ……る……」
「おい、ボウズ! その辺にしとけっ!」
倒れた男の苦しむ様を見かねたムースさんは、俺を止めようと肩をつかんできた。その静止の言葉に魔法を解除した俺は、地面に倒れた男にそっと手を差し伸べた。助かったと安堵した男は息を切らしながらも差し出された手を掴む。
俺はガッシリと掴んだ手を引っ張り上げ、伯爵もかくやという熱意を込めた眼差しで、男の怯えを含む茶色い目をにらみ据えて一言呟いた。
「杖を持たない奴が2流なんじゃない。杖を持ってる奴が2流なんだ」
……
……
「おおぉーー!!」
「イカスぜー!」
「よく言ったぁ!」
「よっ、社長!」
「抱いてぇー!」
「チャーンピオーン!」
かなり格好つけた言葉を発すると、少しの間をおいてドッと歓声が上がった。
あれ? そうきたか……。
てっきり、アイツは怒らせたら何をするか分からねぇイカれた野郎だ、ヒーイズクレイジーボーイ! みたいな扱いをされるかと思ってたんだが……。むしろ、そのほうが今後舐められずに済んだかもしれないのに。
こういう格好つけた言葉や、キザったらしい言葉が冒険者には好まれるのかな? 意外とノリもいいし。冒険者と絡んだ事ってあんま無いから、よく分からん。まあ、いいか。真面目な空気に疲れたし、ここは歓声に応えよう。
俺は足を大きく横に開くと、顔の前に両手を持ってきて、それぞれの手でキツネを形作る。そして手の形をそのままに、ゆっくりとおおきく腕を広げた。
「ウィィーーー!!」