3、絵里→指輪
あの海の出来事から三日たった。
あの日以来、ケンから連絡はない。 大ちゃんからは毎日連絡が来るけど、返信したり電話に出る気力はなかった。
今日は茜の家に行くと約束した日・・・。 正直、朝から憂欝だった。 どんな顔をして茜に会えばいいのかわからない・・・。
『今日、やめとけば?
絵里は今、普通の状態じゃないし・・・』
結香は茜に会う事を反対している。
確かにこの三日間の絵里は普通じゃなかった。
食事もろくに取れず、寝ても二時間くらいで目が覚める。
毎日キレイに化粧していた顔は、くまがクッキリでて、泣き腫らした目蓋で二重が一重みたいになっていた。 ストレートにセットしていた髪も、ボサボサのまま適当にアップにしている。 コンタクト入れるのも面倒で、授業中だけ眼鏡をかけている。 そんな絵里の姿は、仲がいい結香でさえ初めて見た姿だった。
あと一時間で授業が終わり、茜の家に行く時間になる。 もう授業どころじゃなかった。
「ごめん、もう絵里帰る。」
『え?!ちょっと・・・。
結香も帰る!』
二人で最後の授業をサボり、学校の近くのマックに入った。
絵里は持ってきた化粧道具で三日振りに化粧を始める。
『行くって決めたんだね・・・。』
結香がポテトをつまみながら、絵里を見る。
「うん・・・。
逃げるわけにもいかないし、茜も心細いだろうしさ・・・。」
『茜ちゃんに会って、何かつらい事とかあったら電話してね。』
「うん・・・」
結香の優しさが胸に染み渡る。 自分のまいた種でこうなって、自業自得の絵里にも結香は優しく傍にいてくれる。 一緒に授業もサボって相談を聞いてくれる。
「ほんと、ありがと」
絵里は結香に心から言った。
それからあっとゆうまに時間がすぎ、茜の家に行く時間になった。
絵里は少し疲れた顔はしているが、ほとんどいつもの絵里になっている。
深呼吸をして茜の家のインターフォンをおす。
『・・・はい』と茜の母の声がした。
「咲坂です。おじゃまします。」
玄関を開け、リビングの茜の母に挨拶をして二階の茜の部屋に向かう。
茜の母は、少しやつれていた。
階段を一段登るごとに鼓動が高まる。
茜の部屋の前につくと、絵里があけるまえにドアが開いた。
目の前にいる女の子は、茜なんだけど、以前の明るくてキャピキャピしている茜ではなかった・・・。
痩せこけて、暗い影がある。
「あ・・・茜。
ひさびさ・・・。」
平然にしようとしたけど、声が震える。
『絵里、入って』
部屋が少し埃くさい。
茜が住んでいる気配はあまりしなかった。
絵里はベッドに腰掛けて、黙ってしまった。
『絵里、来てくれてありがと。
もう、立ち直ってきたから平気だよ。』
茜はそう言うと、タバコに火を付け、絵里の隣に座った。
何か違う・・・。
おかしい。
三日前の電話の雰囲気と、極端に違う声だった。
茜の携帯が鳴り、絵里にごめんと言いながら電話に出る。
『うん・・・うん・・・。
あ。欲しいかも。
いくら?
・・・わかった。
じゃあ、今夜行くね。』
茜が電話を切り、絵里に声をかける。
『絵里、今日クラブ行かない?』
「へっ?!
てゆーか、大丈夫なの?」
『うん。
クラブ楽しいよ。』
茜は元々クラブはあまり行かなかった。
「茜、いつからクラブ行くようになったの?」
『絵里と電話した日ね、コンビニで知り合いに会って行ったの。それから毎日行ってる。
まだ初心者だけどね!』
茜が笑った。 そして、バッグから小さな袋を出して絵里に見せた。
「何?それ。
パケじゃない?
まさか・・・」
『ん・・・。そう。
あぶんの。』
まさか・・・。
中身は覚醒剤?!
嫌な予感は的中した。
茜は粒の大きな塩みたいな物とかが入った小さな袋を開け、少しだけ粒をだして舐めた。
「ちょ・・・ちょっと?!茜?!
ストップ!!」
混乱する・・・。 絵里もクサ(マリファナ)をした事はある。 だけど、シャブはやばいでしょ?!
茜の手を掴み、茜の目を見る。
瞳孔が開いていて、焦点が定まってない。 さっき、何か変だと思った理由がわかった。
「こんな事しちゃダメ!」
『なんでぇ?だって、打ってないよ?
打たなきゃ平気だって聞いたよー。
あぶってると、嫌な事忘れるの。 眠れないのも苦痛じゃないし、何かと集中できて楽しいよ!
これのお陰でこの三、四日はあいつらの事、あいつらにされた事忘れてるの。
絵里もやらない?
クラブ行こうよ!!』
「しないし、行かない!てゆーか、打ってもあぶっても体に悪いって!!
茜、逃げちゃダメだよ!!
絵里が一緒にいるから。
淋しくないように、一緒にいるから・・・」
茜は冷めた目をして絵里を見た。
『絵里はわかんないよね?
彼氏がいるし、幸せだもんね。』
「幸せじゃないよ」
『嘘だよ。
茜はケンに多分二度と会えない。 あきらめるしかない!
でも絵里は大ちゃんに愛されて大事にされて・・・
幸せじゃないなら、その指輪は何なの?!』
「これは・・・」
とっさに指輪を隠して外した。
『彼氏と幸せの証じゃん。
いいよ、茜に同情して無理しなくても。
わかってくれないなら、もういい。
ごめん、今日は帰ってくれる?』
茜は絵里に背を向けてタバコをくわえた。
絵里は茜にクスリしないでと最後に言い、茜の部屋を出た。
茜は変わってしまった・・・。
てゆうか、変えられてしまった。
元はといえば、あの日絵里が先に帰ってしまったせいなんだろう・・・。
絵里は外に出ると結香に電話をした。 今の出来事はさすがに話せなかった。 うまくいかなかったと話し、心配させてごめんねと謝った。
自宅の前には着いたけど、なんとなく家に帰る気にはなれず、絵里の足は自然と近所の公園に向かった。
もう夜になっていたので子供たちはいなかった。
薬指をさわり、指輪を外していた事を思い出す。
あの時、バレる訳はないとわかっていたけど、茜に対しての罪悪感で外してポケットに閉まった。
「あ・・あれ??
ない・・・」
ポケットの中に指輪はなかった。 バックの中身を全部出して見たけど、どこにもない・・・。 たぶん茜の家だ。
トゥルルルル
トゥルルルル・・・
茜は出なかった。
今歩いてきた道を引き返しながら指輪を探した。
「やっぱ、ない。」
あとは茜の家しかなかった。
気は重いけど、仕方ない。
明日電話しよう・・・
そう思い、自宅に引き返した。
それから、数日茜とはまた連絡が取れなくなった。
指輪、早く取りに行きたいのにな・・・。
茜は覚醒剤をして、おかしくなってしまったのかもしれない・・・。 心配になるけど、今の茜は何を言っても絵里の言うことを聞くように思えない。
最近、絵里は泣くことも少なくなった。 ケンのいない生活にも少し慣れ、ほぼ毎日結香が気を使って一緒にいてくれたからだと思う。
大ちゃんからの連絡も、少なくなっていた。
毎日なんとなく学校へ行き、少しずつ睡眠時間も増え、食事も取れてくる。 化粧もバッチリして、以前の絵里に戻ってきていた。
だけど、ふいに涙が出てしまう所は治らない。
そして、いつもどこかにケンの姿を探していた。
・・・そんな時、絵里が恐れていた事が起きた。
学校も終わり、結香とプラプラ駅前を歩いていた時だった。 絵里の携帯が鳴った。 発信先は大ちゃん。 いつものように無視をしたけど、今回はいつもと違う。 切れてもまたかかってくる。
『何かあったんじゃない?!
いい加減、出てあげたら??』
確かにもう十日近く連絡を取ってない。
迷ったあげく、絵里は携帯の通話ボタンを押した。
「・・・」
『絵里?』
懐かしい声がする。
『やっと連絡とれたぁ・・・』
「ごめんね。」
大ちゃんに対しては、申し訳ないという言葉しかなかった。 何も悪くないのに絵里に避けられて・・・。
『何があったんだよ。』
「・・・。
ごめんね・・・大ちゃん」
胸が痛む。
ケンと離れてから、余計に大ちゃんよりケンを考えている自分に気付いた。
絵里はもう、大ちゃんを愛していない事をわかっていた。 逃げないで、この機会に伝えなくちゃいけない。 自分の為にも、ケンの為にも、もちろん大ちゃんの為にも・・・。
「大ちゃん、話があるの・・・」
すると、大ちゃんは笑って言った。
『知ってるよ。
あんなの見せられたら誰でもわかるよ。』
・・・?
あんなの?
絵里の頭が《???》でいっぱいになっていく。
「どーゆう事??」
『え?・・・あぁ、聞いてないのか?指輪だよ。』
「指輪って・・・」
『茜の家に忘れただろ?
茜がうちの店に持ってきたんだよ。』
あぁ、そーゆう事で大ちゃんは知ってたんだ・・・。
『絵里、俺よりそいつを取るのか?』
「・・・。
ごめんね。
ほんと、ごめんね。」
少しの沈黙の後、ケンが明るく言った。
『じゃあ、わかった!
絵里とは付き合ってた時から友達っぽかったじゃん。 だから、お前の浮気知った時も、あんまりショック受けなかったんだよなぁ。 くやしいとかムカつくとかは正直あるし、そいつと別れろとか言いたいけど、絵里は言いだしたら聞かねぇもんなぁ・・・。
それに指輪のやつって、俺と付き合う時に話してた元彼だろ?
ずっと好きで、忘れたいって言ってたやつ・・・』
大ちゃんが無理をして明るく振る舞っているのがよくわかった・・・。
大ちゃんが明るくすればするほど胸が痛む。
絵里とケンの恋は、周りを傷つけてばかり・・・
「ごめんね。
元彼が好きなの。
・・・でも、大ちゃんも好きだった。今も嫌いになった訳じゃなくて・・・。」
『言い訳はいーよ!俺が情けねえし。
今、店いるから取りにこいよ。』
「うん・・・ありがと。」
『てゆーか、俺、優しすぎじゃねぇ?!
絵里、何か差し入れ持ってこいよ!!』
二人で笑った。
大ちゃんは、やっぱり素敵な人・・・。
ほんとに優しすぎるよ・・・。
・・・ばぁか。 絵里みたいな女に優しくしちゃうなんてバカだよ。
それから結香と大ちゃんの店に向かった。 駅前の日サロだから、すぐ着いた。
少し緊張しながら入り口を開ける・・・。
『いらっしゃいま・・・あ。絵里ちゃん?!久々だねー。』
店長の悠太さんが絵里たちの方へ来た。 そして、絵里の後ろにいた結香にも挨拶をした。
「あの・・・。彼氏・・・てゆーか、大ちゃんは?」
絵里がそう言うと、
『裏でタバコ吸ってるから、裏行ってきなよー』
悠太さんは店内の左の扉を指さした。 非常階段へ繋がる扉だ。 暇な時、いつも大ちゃんはここでタバコを吸っていた。
結香を残し、一人で扉を開ける。 強い風が吹き込んだ。
「大ちゃん・・・」
大ちゃんは扉に背を向け、階段に座り込んでタバコを吸っている。 大きかった背中が、今日は淋しそうに見えた。
『これだろ?』
大ちゃんは絵里に背を向けたまま、片手を後ろにのばした。 手のひらには、銀色に光る絵里の指輪が乗っていた。
絵里は階段を少し降り、手のひらの指輪をつまんだ。
「ありがと」
大ちゃんは振り返らないまま絵里に言う。
『もう連絡しないから。
絵里もするなよ。』
・・・淋しかった。
わかってるけど、
「うん」
とは言えない。 涙が次から次へと溢れる・・・。
『泣くなよ。
泣いたら別れられらんなくなるだろ?』
ケンが振り向いて絵里の頭をクシャクシャっとなでる。
『その指輪はめたら絵里は俺の事、忘れろよ。
ケンってやつだけ考えろよ。・・・なっ!泣くな!』
「なんで絵里みたいな最低な女に優しいのーっ・・・」
余計に涙が出る。
『だからさぁ・・・。
俺、絵里と別れたくないけど、がまんしてんのがわかんねぇの?!』
大ちゃんが絵里を抱き締めた。
大ちゃんの唇が、絵里の唇に触れた・・・。そして、
『・・・そんなに泣くなら、戻ってくる?』
耳元で囁く。
「・・・」
大ちゃんはタバコに火をつけて、一口吸い、ふぅーっと大きく息を吐いた。
少しの間の後、絵里は指輪をはめた。
「中途半端でごめんね。」
『ほーんと、中途半端!』
絵里は大ちゃんに背をむけて、階段をのぼる。 もう後戻りはできない。
扉を開けて店内に戻ろうとした時、ある事がふと気になった。
「そいえば、なんでケンってわかったの?」
大ちゃんは苦笑いをしながら
『指輪の内側!
よく見たら《Love.Ken》って内側に彫ってあるし。
茜と二人でテンパったよ。 マジで俺、立場ないし最悪!』
頭から血の気がサァーっと音を立てて引いた気がした・・・
『茜もそれ見て店から飛び出していくし。 絵里が浮気したのを俺にばらしてヤバいって思ったんじゃん?
あ、ちゃんと届けてくれた茜に礼言っとけよ!』
何も考えれなくなっていた。
大ちゃんが何か言っていたがそのまま扉を閉めた。
話し込んでいた結香の手を無理矢理引っ張り、店の外に飛び出す。
『ちょっと?!
何?!どうしたの?!』
結香が目を丸くして絵里に尋ねる。
どうしよう・・・。 鼓動が激しくなる・・・。
茜は指輪の内側に気付き、どう思ったのだろうか。
『どうしたの?』と何度も聞いてくる結香に、今の出来事を全て話した。
結香はいつかそうゆう日が来ると思ってたと言った。 そして、ケンに相談したらと言う。
少し悩んだが、久々に携帯でケンの名前を検索する。
バクバクと鳴り続ける鼓動を押さえ、震える指で通話ボタンを押した・・・。
一回コールしただけで、すぐケンの声が聞こえてきた。
『絵里、どうした?
ずっと連絡待ってた。』
ずっと聞きたかったケンの声・・・。
事情はどうあれ、嬉しかった。
胸の鼓動がどんどん静まっていく。
そして、絵里はケンに会いたいと伝えた。