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王家200年の嘘を守ったつもりの愚かな人たちへ  作者: 月雅


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第9話「声を上げる人」

「フォーゲル紋章師。鑑定会議の準備はよろしいですか」


ダム主任鑑定官の声が、紋章院の廊下に響いた。格式ばった口調。いつもの穏やかさの奥に、張り詰めた芯があった。


「はい。図案は二枚とも持参しております」


外套の内側に手を当てた。封印前の復元図と、現行の王家紋章の模写。二枚の羊皮紙が肋骨の上で重なっている。硬い紙の感触が、指先を通して脈拍に伝わった。


紋章院の鑑定室ではなかった。侯の承認を受けた正式な鑑定会議は、紋章院の奥にある評議室で開かれる。石造りの壁に各家の紋章が掲げられた広い部屋。長机の向こうに、ダム主任鑑定官と侯国の文書官が並んで座っている。侯は出席していないが、文書官の存在が侯の認可を示していた。


傍聴席に、リーゼルの姿が見えた。製本担当として工房の記録係を兼ねるため、同席が許されている。小さく頷いてくれた。


そしてもう一人。


カスパルが、証言者の席に座っていた。革のエプロンは外している。見慣れない正装の上着。肩幅が広くて、袖口が少しだけ短い。久しぶりに着たのだとわかった。


目が合った。灰青の瞳が、一瞬だけ私を見て、それから正面に戻った。


「では、鑑定会議を開始します」


ダム主任鑑定官が眼鏡を正し、議事の開始を宣言した。声が評議室の石壁に反響する。


「フォーゲル紋章師。提出した二枚の紋章図案について、説明を」


立ち上がった。長机の上に、二枚の紋章を並べた。左が復元図。右が現行紋章の模写。


「左の図案は、紋章院所蔵の古い修復記録から発見された断片を基に、構造線と彩色を復元したものです。右は、現在ブレンハイム王国で使用されている王家紋章の模写です」


声が震えなかった。喉の奥に力が入っているのは感じた。けれど言葉は途切れなかった。


「二枚を比較すると、左翼の第三羽根の輪郭線に差異があります。現行の紋章には、元の図案にない一本の線が加えられています。この線は構造線の対称性を崩し、魔力の流路を阻害する方向に配置されています」


ダム主任鑑定官の目が、二枚の紋章の間を行き来した。眼鏡を外さなかった。レンズ越しに、紙の上の線を追っている。


「復元図には、この付加線が存在しません。元の図案の構造線は完全な対称性を保っており、魔力の流路に阻害がありません。つまり——現行の王家紋章には、後世に意図的な改変が加えられていると考えられます」


評議室が静まった。文書官のペンが紙の上で止まっている。


「復元の根拠となった修復記録の年代と、付加線の描画技術の分析から推定すると、この改変は少なくとも二百年以上前に行われたものです」


二百年。その言葉が石壁に吸い込まれた。


「次に、証言者カスパル・ヴァイスの証言を求めます」


ダム主任鑑定官の声に、カスパルが立ち上がった。椅子が石の床に小さく擦れる音を立てた。


「俺は——」


一度、言葉が止まった。唇が引き結ばれ、それから開いた。


「俺は五年前まで、ブレンハイム王国の宮廷画家だった」


評議室の空気が変わった。文書官が顔を上げた。リーゼルの息を呑む音が、傍聴席から微かに届いた。


「五年前、王家紋章の定期検査を行った際に、左翼第三羽根の輪郭線に付加線を確認した。本来の図案にない線だった。除去を進言したが、宰相から黙殺を命じられた。王家の安全保障に関わる事項だと。俺は拒否した。その結果、宮廷画家を解任され、国外に追放された」


カスパルの声は低く、遅かった。一語ずつ、石を積むように話した。


「五年前に最初に発見したのは、俺だ」


沈黙が落ちた。ダム主任鑑定官が長い間、カスパルの顔を見つめていた。それから視線を二枚の紋章に戻し、ゆっくりと頷いた。


「カスパル。君の父の代から、私は君の仕事を見てきた」


声が柔らかくなった。旧知の間柄の、穏やかな平語。


「五年間、黙っていたことの重さは、君が一番知っているだろう。——証言を記録に残します」


カスパルが着席した。彼の手が膝の上で拳を作っているのが、私の位置から見えた。


ダム主任鑑定官が文書官に目配せし、文書官がペンを走らせた。記録が公文書として残る。五年前の発見と、今日の復元図。二つの証拠が、紙の上で接続された。


「本鑑定会議の結論として、ブレンハイム王家紋章に後世の意図的改変が認められることを認定します。この結果は、ランツベルク侯に報告し、外交上の対応を進言します」


ダム主任鑑定官がペンを取り、認定書に署名した。仮資格試験の日と同じ、紙の上をペン先が擦る音。けれど今回の署名が意味するものの重さは、あの日とは比べものにならなかった。


「なお——ブレンハイム王国からの引き渡し要請について。王家紋章の改変が公的に認定されたことにより、不敬罪の前提となる『王家紋章の正当性』自体が疑義の対象となります。引き渡し要請の政治的正当性は、事実上消失したと本院は判断します」


指の先が温かくなった。膝の上で握りしめていた手を、ゆっくり開いた。


鑑定会議が閉会した後、評議室の外の廊下で、リーゼルが駆け寄ってきた。


「フォーゲルさん——いえ、アネリーゼさん。すごかった。あたし、全部聞いてました。あの二枚を並べた時、文書官の顔、見ました? 目が丸くなってた」


リーゼルの手が私の腕を掴んでいる。力が強い。声が早口で、頬が紅潮していた。


「ありがとう、リーゼル」


名前を呼び捨てにしたのは、自然だった。リーゼルは一瞬だけ瞬きして、それから笑った。


廊下の奥から、ダム主任鑑定官が歩いてきた。手に一通の書簡を持っている。


「フォーゲル紋章師。鑑定会議の結果とは別に、一つお伝えすることがあります」


「はい」


「ブレンハイム王国から、商人ギルド経由で非公式の情報が届いています。フォーゲル伯爵——あなたの父君が、王都の社交の場で公にこう述べたそうです」


ダム主任鑑定官が書簡に目を落とした。


「『娘が正しかった』と」


足の裏が床から浮くような感覚があった。廊下の石壁がぼやけて、まばたきで戻した。


父が。宰相の監視下にある伯爵が、公の場でその言葉を口にした。それがどれほどの意味を持つか——書簡の紙が視界の中で揺れた。


「商人経由の情報ですので、正確な文脈は不明です。ですが、複数の商人が同じ内容を伝えています」


「ありがとうございます、ダム主任」


声が掠れた。頭を下げた。ダム主任鑑定官は小さく頷き、評議室に戻っていった。


紋章院の入口で、カスパルが待っていた。


正装の上着の襟元を、居心地悪そうに指で引っ張っている。冬の午後の光が、石造りの柱の影を斜めに落としていた。


私が近づくと、カスパルは柱から背を離した。


「フォーゲル」


いつもの呼び方。けれどその後に、言葉が続かなかった。唇が動きかけて止まる。視線が私の顔から外れ、足元に落ち、また戻った。


「五年前に俺が黙ったことの責任は——俺が取る。今日、取った」


声が低い。声量が落ちている。感情を言葉にしようとする時の、この人の癖。


「あの時黙ったことを、責めません」


私は言った。カスパルの目を見て。普段は相手の手元や作品を見る私が、この人の灰青の瞳を、正面から見た。


「今、声を上げてくれたから」


カスパルの手が伸びた。私の手を取った。証言者の席で拳を握っていた手。筆胼胝のある、硬い指。冷えた外気の中で、掌だけが温かかった。


「カスパル」


名前を呼んだ。初めて。「ヴァイスさん」でも「親方」でもなく。


カスパルの目が見開かれた。灰青の瞳の中に、紋章院の石柱と冬の空が映っていた。一拍の沈黙。それから、唇の端がわずかに動いた。


「——アネリーゼ」


声が小さかった。ほとんど吐息だった。けれど私の耳には、評議室の石壁に響いた証言よりも、はっきりと届いた。


手を握り返した。カスパルの指が、私の指の間に収まった。


正しいことを言った。今度は、罰されなかった。隣に、残ってくれた人がいた。


紋章院の入口から、冬の陽光が二人の影を石畳の上に伸ばしていた。

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