表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/10

スピンオフ第2話:『俺が巨大化した日。お嬢様、給湯室を聖域に変える』

 配属二日目。俺の胃壁は、早くも悲鳴を上げていた。


「おい、花菱。この会議資料を十部だ。……いいか、複合機の印刷枚数を十部に設定してコピーするんだ。分かったな?」


 俺は、花菱結はなびし ゆいに、まるで不発弾の処理方法を教える爆発物処理班のような緊張感でオフィス複合機の操作方法を教えていた。

 彼女は、最新鋭のデジタルオフィス複合機を、未知の文明が遺した「魔導具」か何かだと思っている節がある。


「承知いたしました、藤本さん。十部ですね……まんばりき(万馬力)です、私」


 彼女はそう言って、戦場に赴く騎士のような悲壮な決意を込めて、オフィス複合機に向かって行った。


 ......いつまで経っても戻ってこないので、複合機の方に目をやると、複合機の前で花菱が立ちすくんでいる。


「おい花菱、固まってないで早くしろ」


 ……そう言った直後


 ズアアアアアン!!


 オフィスに、およそ事務機器からは出ないはずの重低音が響き渡った。

 慌てて振り返ると、複合機がオーバーヒートしたサイボーグのように、猛烈な勢いで紙を吐き出していた。


「ひゃっ!?ぶ、分身が……分身が止まりませんわ!」


「落ち着け花菱! 何をどう押したらそうなるんだ!」


 俺が駆け寄ったとき、複合機のトレイからは、かつて見たこともないサイズの用紙が溢れ出していた。

 そこに印刷されていたのは――俺だった。


「……なんだこれ」


『拡大率400%』『濃度最大』『ポスターモード』


 俺の、昨日の社員証用の無愛想な顔写真が、畳一枚分ほどの巨大なサイズで、しかも一ミリの隙間もなく真っ黒に塗りつぶされたような高コントラストで印刷されている。

 それが、数十枚、数百枚とフロアに舞い散る。


「申し訳ございません! 画面に『ポニー』のような小さな私の写真が出ていたので、つい『駿馬に育てなくては』と拡大ボタンを連打してしまいましたの!」


「どんな理屈だよ! 俺を巨大化させてどうする、遺影か! もしくは指名手配犯か!」


 オフィス中が、巨大な「黒塗りの藤本」で埋め尽くされていく。

 だが、恐ろしいのはその後だ。


「……なんだ、この圧倒的なアートワークは」

「前衛的すぎる。今の帝都物産にはこれほどの狂気が必要なのか」


 通りかかった他部署の連中が、散乱する俺の巨大写真を見て、なぜか感銘を受け始めていた。


 彼女が放つ「ロイヤル覇気」のせいで、ただの操作ミスが「高貴な者の意図的な演出」に誤認されてしまう。

 俺は、自分の顔がプリントされた巨大な紙の束を抱えながら、遠い目をするしかなかった。



 昼休み。俺の精神は、限界まで摩耗していた。

 コーヒーでも飲もうと給湯室に向かった俺は、入り口で凍りついた。


「……ここは、どこだ」


 殺風景なステンレスのシンク。無機質な電気ポット。

 昨日までそうだった場所が、完全に「消失」していた。


 代わりにそこにあったのは、真紅の毛氈もうせんが敷き詰められた、静謐せいひつなる小宇宙。

 床には、どこから調達したのか、年季の入った茶釜が鎮座し、湯気がゆらゆらと立ち上っている。

 そしてその中心に、花菱結がいた。

 彼女は、会社の制服(といっても彼女が着るとオートクチュールに見える)のまま、完璧な正座で茶筅ちゃせんを振っていた。


「......花菱。お前、職場で何やってるんだ」


「あ、藤本さん。ちょうどよろしいところに。一服、いかがですか?」


 彼女の動きは、神速だった。

 茶筅を振るう音が、まるで心地よい音楽のように響く。異世界ものアニメでよく見る、聖女が最上位の回復魔法ヒールを詠唱しているかのような、圧倒的な「癒やし」のオーラ。


「……花菱。お前、これ……私物か?」


「はい。祖父から受け継いだ『日常用』の道具にございます。……さあ、どうぞ」


 差し出された茶碗は、素人の俺が見ても「家が一軒建つレベル」の代物だと分かった。

 恐る恐る口に含む。


 ――っ!?


 脳を直接洗浄されたような、衝撃的な清涼感。

 コピー機の騒動でささくれ立っていた俺の心が、一瞬で溶けていく。

 ただの粉末茶を点てただけのはずなのに、そこには「飲んだ者の精神状態を強制的に正常化させる」という、反則級のバフがかかっていた。


「……うまっ。……いや、重畳ちょうじょうだ」


 気づけば、彼女のお嬢様言葉が移っていた。


 その時、部内最恐の三谷部長が、「給湯室で何を遊んで--!」と怒鳴り込んできた。

 だが、結が「部長、お静かに。今、お点ていたしますわ」と微笑んだ瞬間、部長は魔法にかかったように大人しくなり、彼女の隣で正座を始めた。


 数分後。


 強面で知られる部長が、

「……重畳。このたい焼き、実に重畳ちょうじょうだ」と、涙を流しながら完食していた。



 俺は確信した。

 彼女は、ただ世間知らずなだけじゃない。

 自分の持つ「気品」と「技術」を無自覚に垂れ流し、周囲の常識を書き換えていく、歩くオーバーテクノロジーなのだ。


「藤本さん、午後は、あの『メール』という伝書鳩を使わない通信術に挑戦いたします! まんばりき(万馬力)ですわ!」


 俺は空になった茶碗を見つめながら、これから始まる「お嬢様との午後」に、恐怖と、ほんの少しの期待を抱き始めていた。


 ……まあ、胃薬だけは、常備しておこう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ