第2話:『コピー機は魔法の箱? お嬢様、給湯室で茶を点てる』
「……嘘でしょう? これが、現代の魔導具」
配属初日。帝都物産・生活産業部。
花菱結は、青白く発光する巨大な機械の前で戦慄していた。
「おい花菱、固まってないで早くしろ。その会議資料、十部だぞ」
教育係の藤本拓海が、デスクから声を飛ばす。
結は震える指先で、ガラスの板の上に原稿を置いた。
彼女の家――花菱の本邸では、複写などという作業は、執事がどこからか「写し」を持ってくるものであった。自分の手で分身を作るなど、神の領域の仕業に思える。
「……まんばりき(万馬力)です、私」
覚悟を決め、適当なボタンを連打する。
その瞬間。
ズアアアアアン! という轟音と共に、複合機から猛烈な勢いで紙が吐き出された。
「ひゃっ!? ぶ、分身が……分身が止まりませんわ!」
「落ち着け花菱!何をどう押したらそうなるんだ!」
藤本が駆けつけた時には、既に時遅し。
設定ボタンを連打した結果、結は『拡大率400%』『濃度最大』『ポスターモード』で、一枚の資料を巨大なジグソーパズルのように分割出力していた。
排出されたのは、藤本の顔写真がドアップで印刷された、畳一枚分ほどもある巨大な紙の束だ。
「……なんだこれ。花菱、俺を巨大化させてどうする。これじゃ会議じゃなくて、俺の『推し活』会場だぞ」
「申し訳ございません! 画面に『ポニー』のような小さな写真が出ていたので、つい『駿馬に育てなくては』と拡大ボタンを連打してしまいましたの!」
顔を真っ赤にして謝罪する結。
「どんな理屈だよ!俺を巨大化させてどうする、遺影か!もしくは指名手配犯か!」
だが、その失敗さえも、彼女が放つ「圧倒的な気品」のせいで、周囲には『何か高度な意図がある儀式』のように見えてしまうのがタチが悪かった。
◇
昼時。精神的な疲労を癒やすため、結は給湯室へと向かった。
そこには、殺風景なステンレスのシンクと、無機質な電気ポット。
(……殺風景。これでは、心の「繋ぎ」がございませんわ)
数分後。藤本がコーヒーを淹れに給湯室を覗くと、そこは別世界に変貌していた。
「......ここは、どこだ?」
シンクの横には赤い毛氈が敷かれ、どこから持ってきたのか、本格的な茶釜と柄杓、そして名工の作と思われる茶碗が並んでいる。
結は、給湯室の床に完璧な正座で鎮座していた。
「……花菱。お前、職場で何やってるんだ」
「あ、藤本さん。ちょうどよろしいところに。一服いかがですか?」
「……っ」
藤本は思わず足を止めた。
ただの給湯室が、彼女の所作ひとつで、千利休も驚くような「絶対的な静寂の領域」に塗り替えられている。
「......花菱。お前、これ......私物か?」
「はい。祖父から受け継いだ『日常用』の道具にございます。......さあ、どうぞ」
結は流れるような所作で茶筅を振り始めた。
その動き、まさに神速。無駄が一切ない。
剣聖が剣を振るうが如き、究極の「静と動」。
差し出された茶を、藤本は断れずに口にした。
「……うまっ。......いや、重畳だ」
藤本は驚愕した。そして気づけば、彼女のお嬢様言葉が移っていた。
仕事のストレスでささくれ立っていた心が、一瞬で洗浄されていく。ただの粉末茶を点てただけのはずなのに、そこには「超一流の治癒魔法」がかかっているかのようだった。
「……どうぞ。お菓子は、駅前で並んで買いました『たい焼き』にございます。これが庶民の甘味……素晴らしい造形美ですね」
その時、給湯室に現れたのは、部内でも恐れられる強面の三谷部長だった。
「おい、給湯室で何を遊んで――」
「部長、お静かに。今、お点ていたしますわ」
結は部長の怒号を、柔らかな微笑みひとつで霧散させた。
数分後。部長は結の隣で正座し、「……重畳。このたい焼き、実に重畳だ」と、涙を流しながら茶を啜っていた。
「……花菱。お前、天然なのか天才なのかどっちだ」
藤本は額を押さえた。
初日の業務は、何一つ終わっていない。
だが、この部署の「士気」は、お嬢様の気まぐれによって最大値まで跳ね上がっていた。
「藤本さん。午後は、あの『メール』という伝書鳩を使わない通信術に挑戦いたします!まんばりき(万馬力)ですわ!」
花菱結の「普通」への挑戦は、まだ始まったばかりである。




