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スピンオフ第1話:『絶滅危惧種(プリンセス)の降臨』

 2026年4月。

 帝都物産、生活産業部。俺、藤本拓海の平穏な社会人生活は、その日の朝、音を立てて崩壊した。


「――藤本。今日からお前の下につける新人だ。丁重に扱えよ。……いや、『丁重』なんてレベルじゃねえな。崇めろ」


 部長の三谷が、見たこともないほど引きつった笑顔でそう告げた時、俺は嫌な予感しかしていなかった。この会社で「丁重に」という言葉は、大抵の場合「厄介な人物の入社」を意味する。

 だが、現れたのは、俺の想像の範疇を遥かに超えた「何か」だった。


「初めまして。花菱結はなびし ゆいと申します。藤本様、本日から、まんばりき(万馬力)……いえ、ご指導のほど宜しくお願い申し上げます。精一杯務めさせていただきますわ」


 ……様?


 絶滅したはずの貴族がタイムスリップしてきたのかと思った。

 そこに立っていたのは、オフィスビルの蛍光灯の下だというのに、彼女の周囲だけ高原の朝霧が立ち込めているような、異常なまでに透き通った肌を持つ女だった。

 背筋は定規で測ったように垂直。一分の乱れもない夜会巻き。

 そして何より、その瞳だ。

 濁りきった俺の瞳とは対照的な、磨き上げられた黒真珠のような純粋さ。


「……あ、ああ。藤本だ。よろしく、花菱」


 俺が差し出した右手を、彼女はまるで「歴史的な講和条約」でも結ぶかのような厳かさで、両手で包み込んできた。

 温かい。そして、いい匂いがする。石鹸と、かすかな馬の……ひな菊のような香り。


 だが、事件はその直後の「新入社員研修・総評」で起きた。

 登壇したのは、業界でも有名なマナー講師の二階堂。

「ビジネスの基本は十五度の会釈だ!」と息巻く老害講師に対し、俺の前で花菱が、静かに、だが致命的な速度で挙手した。


「失礼いたします。先生、その角度では、相手の『魂』に届きませんわ」


 講堂が凍りついた。

 俺は心の中で絶叫した。


(よせ、花菱! その講師はプライドの塊だぞ!)


「何を言っているんだね、君は」


「真のお辞儀とは、呼吸の『繋ぎ』。馬が障害を越える直前、乗り手と心を通わせる瞬間のタメ……。それこそが、相手を尊ぶということですわ。それを欠いたお辞儀は、ただの屈伸運動でございます」


 彼女が演壇に歩み寄る。

 その歩法は、重力を感じさせないほど優雅だった。

 そして彼女が頭を下げた瞬間、講堂の空気が、物理的に「重く」なった。


 ――なんだ、これは。

 ただのお辞儀じゃない。

 指先から髪の毛一本に至るまで、全神経が「相手を敬う」という一点に収束している。


 俺はアニメで見た『威圧(覇気)』という言葉を思い出した。だが、これは攻撃ではない。圧倒的な「気品」による制圧だ。

 顔を上げた彼女の瞳は、一点の曇りもなかった。

 講師の二階堂は、あまりの格の違いに腰を抜かし、そのまま「……失礼する!」と叫んで逃走した。


「お前、とんでもないことをしてくれたな。マナー講師をマナーで完封してどうする」


 研修後、俺が頭を押さえながら言うと、彼女は心底不思議そうに小首を傾げた。

 その動作一つとっても、フランス映画のワンシーンのように美しいのが、また腹立たしい。


「えっ? ……私、何か失礼なことをいたしましたでしょうか。ただ、あまりに略式すぎたので、少しだけ『普通』の礼儀を……」


「それが普通なわけあるか、バカ。……いいか、明日から配属だ。お前のその『ズレた本気』、現場で暴走させるなよ。絶対だぞ」


「承知いたしました。私、精一杯まんばりき(万馬力)ですわ!」

 彼女はそう言って、拳を突き出す謎のポーズを決めた。


 完璧な美貌と、圧倒的な世間知らず。

 俺は確信した。


 明日から俺の仕事は「商売」ではなく、この「絶滅危惧種のプリンセス」を現代社会の荒波から守る(あるいは社会を彼女から守る)という、難易度SSSのクエストに変わるのだと。


「……ああ、ま.......まんばりき(万馬力)。……とりあえず、明日はコピー機の使い方からだ。頼むから爆発させるなよ」


 俺の、胃に穴が開くほどドラマチックな一年が、こうして幕を開けた。



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