第10話:『信頼は砂の城? お嬢様、雨の屋上で涙の決意!』
幸福の絶頂は、常に残酷なまでの速さで崩れ去る。
源蔵工房との独占契約を勝ち取り、一兆円プロジェクトが現実味を帯び始めたその夜。結と藤本は、結の父・龍一の懐刀である秘書、一条に呼び出された。
「……いい面構えだ、藤本拓海。復讐のために令嬢を懐柔し、内側から花菱を壊す。完璧な計画だったな」
一条が突きつけたのは、十数年前の雑誌の切り抜きだった。
――『藤本牧場、強引な買収により廃業。経営者、失意のうちに病没』。
そこには、藤本の父の葬儀で、幼い藤本が花菱のロゴが入った車を睨みつけている写真が載っていた。
「……黙れ。そんなことはもう……」
「――残念だったな、花菱結。お前の信じているその男は、花菱家を最も憎んでいる男だぞ」
プロジェクト完了間近のオフィスに、冷酷な声が響いた。
「藤本拓海の実家、藤本牧場。十数年前、そこを買収で廃業に追い込み、彼の父親を失意の底に突き落としたのは……他ならぬ君の父親、花菱龍一だ」
結の指先から、体温が引いていく。
「……そんな。拓海さんは、何も……」
「当たり前だ。復讐のために君に近づいたんだからな。花菱の令嬢を懐柔し、中から組織を壊す。それが彼の真の目的だとしたら、君の『まんばりき(万馬力)』とやらは、ただの滑稽なピエロだったというわけだ」
黙って話を聞いていた藤本が、重い足取りで歩み寄った。その瞳は、いつもの厳しさを失い、深い後悔の色に沈んでいた。
「……拓海さん。嘘……ですよね?」
「……すまない。全部本当だ。俺の家は、確かに花菱に壊された。……俺がお前の教育係になると知った時、お前を利用してやろうと思ったことも事実だ。でも......」
世界が、音を立てて崩れ落ちる。
結が信じてきた「繋ぎ」、藤本と積み上げてきた「縁」。そのすべてが、偽りの砂の上に築かれた城だったというのか。
「……そうですわね。……私、本当に……おめでたい新人でしたわ」
結は震える声でそう言い残すと、激しく降り始めた雨の中、屋上へと駆け出した。
屋上。叩きつけるような雨が、結のブラウスを容赦なく濡らす。
琥珀のチャームが、冷たい風に揺れてカチカチと悲鳴を上げていた。
(私は……ただの駒。拓海さんにとっても、お父様にとっても……)
孤独。
生まれてからずっと、彼女の隣にあったその影が、今また巨大な怪物となって襲いかかる。
だが、その時。重い扉が開き、びしょ濡れの藤本が姿を現した。
「来ないでっ! ……これ以上、私を略式な言葉で騙さないでくださいまし!」
「……騙してない! ……確かに最初はそうだった。でも、お前がコピー機を壊して、たい焼きに感動して、泥だらけになって馬を鎮めるのを見て……俺の方が、お前に救われてたんだ!」
藤本は雨を突き抜け、結の肩を掴んだ。
「お前が『まんばりき(万馬力)』って言うたびに、俺の中の憎しみが消えていった。……結。お前は俺にとって、もう復讐の道具なんかじゃない。……俺が、人生をかけて守りたいパートナーなんだ!」
「……嘘。嘘ですわ……。だって、私は花菱の……」
「花菱の令嬢じゃねえ! お前は、俺の隣で牛丼を食った『花菱結』だろ!」
藤本の叫びが、雨音を切り裂いた。
結の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。雨よりも熱い、魂の雫。
彼女は、藤本の胸に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。
「……ずるいですわ。……そんな風に言われたら、私……また、まんばりき(万馬力)……しなきゃいけないじゃないですか……!」
雨の中、二人は固く抱き合った。
過去の呪縛は消えない。だが、二人はそれを「共に背負う」ことを決めたのだ。
その光景を、モニター越しに見ていた父・龍一は、静かに通信を切った。
「……いいだろう。最後は数字で決着をつけよう。結」
最終決戦。
花菱家が仕掛ける、世界規模の「敵対的買収」。
結と藤本は、自分たちの絆を証明するため、商社の歴史を塗り替える奇跡に挑む。




