〚第四十八話:黒炎の邪竜、あるいは孤独な咆哮〛
――遠い昔―― 一匹の幼き竜の記憶。
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我の名はロキ。
まだ翼の皮も薄く、喉の奥から煙を吐くのが精一杯だった頃の話だ。
あの日、我は群れの長が禁じた掟を破った。
「人の領域へは近づくな。あやつらは欲望のために魂を汚す」
耳にタコができるほど聞かされた言葉。だが、好奇心という毒は、幼い我を森の奥へと誘った。
木漏れ日が揺れる森は、あまりに美しかった。見たこともない彩りの花、跳ね回る小動物。そのすべてに目を奪われていた時――。
「!?」
足元の腐葉土が崩れた。蔦を編んで作られた狡猾な罠。
吊り上げられ、逆さまに宙を舞う。どれだけ牙を立てても、その蔦は魔力で補強されているのか、びくともしない。
やがて、松明の灯りが暗がりに浮かび上がった。
「見ろ! 幼竜がかかってやがるぞ!」
「運がいい。これで俺たちもドラゴンスレイヤーの仲間入りだ!」
下卑た笑い声。抜き放たれる剣の、冷たい金属音。
我は恐怖で凍りついた。ああ、ここで我が命は尽きるのか。
「……待ちなさいっ!」
不意に響いた、小さな、けれど凛とした声。
現れたのは、一人の少女だった。
「お、お前……神狼の娘か!? くるな、近づくな!」
畏怖に駆られた人間たちは、這々の体で逃げ去っていった。
少女は我を見上げ、その瞳を和らげた。
「大丈夫か? 怪我はないかや?」
彼女が指先で空をなぞると、あれほど強固だった蔦が、陽炎のように解けて消えた。
地面に落ちた我は、震える声で尋ねた。
「……なぜ、助ける? 我は竜だぞ」
「なぜって……ヌシが困っておったからじゃ」
まるで、当然のことのように。
「お前は……誰だ?」
「ワシか? ワシはフレイじゃ」
**フレイ——**
我の命の恩人の名。
* * *
それから、我はフレイを見つけた。
いつも一人で遊んでいる
誰も近づかない。みんな恐れている。
群れからは言われていた。
「人間に近づくな。それは禁忌だ」
だが——
(我は……あの子に恩を返したい)
そして……
意を決して、我はフレイのねぐらへ向かった。
「……お前は?」
どうやらフレイは我に気づいてないようだ
この子にとっては幼竜を助けるなど当たり前のこと―――
日が暮れるまで、毎日一緒に遊んだ。
「ロキ! 明日も来てくれるか?」
「ああ。お前は我の友だからな」
**友達——**
* * *
**——だが、やがて——**
**その友情は、悲劇へと変わっていく。**
人間たちは、我が眷属の幼い竜を次々と殺し始めた。
罠にかけて。
囲んで。
笑いながら。
あの時の我と、同じように。
憎しみが、心を焼いた。
「ロキよ……やめるのじゃ……」
フレイは止めようとした。
だが、我は止まれなかった。
恩人を裏切り続けた。
その罪悪感が、更に我を苦しめた。
**もう……疲れ果てた。**
**だから——**
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*** * ***
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「ハァ……ハァ……ハァ……」
ハンスが息を切らせている。
「た、タンマ……タンマよ」
ドラゴンブレスへと向かう途中で野宿に適した風穴があったので、そこで夜を過ごすことに決めたぼくたち一行。
食事の後、以前から行っていた、ぼくとイリスの剣の練習は日課となっていた。
そしてイリスがハンスさんと模擬刀を使って切り返しの練習をしていると、イリスの圧力にハンスさんが狼狽してたのだった。
「フレッド! フレッドったら。もうこのコあなたじゃないと太刀打ちできないわ」
「ハンスさん大丈夫ですか?」
イリスが心配そうに尋ねる。
「……こういうこと言いたくないんだけど……これが才能なのかしら」
ハンスは呆れたような表情を浮かべた。
「この短期間で……特に剣技における闘気を使いこなしてるわね……スフィンクス相手に勝てたという自信が更に爆発的に成長させているようね……」
彼女はもう「守られるだけのお姫様」ではない。
**「がああああ」**
遠くの方から泣き叫ぶような声が聞こえた。獣か?
「特に意識してるわけじゃないんですが……」
イリスが言葉を続ける。
「剣を振るっていると今まで見えなかったものが見えるようになったんです……相手の次の動きとか」
「そうなんだ……でも……ハンスさんが言う通り短期間でホントに凄いよ」
「魔法と剣……一見すると関連性は全くなさそうじゃが実は違う」
フレイが説明を始めた。
「両方とも相手の動きや行動を読み、次にどう来るだろうからこうする。ワシは以前に優秀な魔法使いというのは優秀な戦術家だと言ったじゃろ?覚えておるか?」
「うん」
「はい」
ぼくとイリスが頷く。
「それは剣士とて同じじゃ。相手の動きや行動を読み、時にはフェイクも駆使しながら敵を倒す」
フレイは続けた。
「それがロングレンジかショートレンジかの違いでしかないわけじゃ。イリスや。ヌシは今、戦いながら更に思ってたことがあるじゃろ? 言ってみい」
「はい。えっと……ハンスさんに突きを入れると左に避けるクセがあるんです」
イリスが真剣な表情で答える。
「そこで突きを入れる前にハンスさんの左側にファイヤーボール撃ってから突きを入れれば……とか」
「ふむ……魔法剣士として開花し、そこまで見えるようになったか。なかなかのものじゃ」
フレイが満足そうに頷く。
「これも前に言ったが、魔法剣士の最大の利点は剣で戦いながら立ち籠める闘気をつかって魔法を放てるところじゃ。これはとんでもないアドバンテージなのじゃ」
「確かに……」
**「ぎゃあああああ」**
その時。夜の静寂を切り裂き、遠くから獣とも人ともつかない、絶叫が響いた。
「ん?なんか助けを呼ぶように聞こえなかった?」
「うん。そう聞こえた」
イリスも不安そうに頷く。
「あっちだ。行ってみよう」
ウィルフレッドが立ち上がった。
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ぼくたちは声がした方向に向かって馬車を走らせた。
そして声は段々と大きくなってくる。
街道から外れた林の中。
松明の灯りに照らし出されていたのは、醜悪な光景だった。
蔦の罠に吊り上げられ、抵抗もできぬまま棒で殴られている、一匹の幼い竜。
その周りでは、数人の貧相な冒険者と、肥え太った商人が笑い声を上げていた
「おい! 何をしている!」
ウィルフレッドが叫ぶ。
「うん? なんだ? てめえらは?」
冒険者の一人が振り返った。
ウィルフレッドは冒険者たちの一人に詰め寄り襟首を掴むと、静かに……だが威圧的に言った。
「何をしている?と聞いているんだ。質問に答えろ」
格の違う力と威圧、覇気におののきながら冒険者は答える
「み、見てわからないのか! ドラゴンハントだ」
すると商人風の一人の男が前に出てきた。
「困りますね。なんですか。あなた達は?」
「あん?商人風情が何をしている?」
ウィルフレッドが睨みつける。
「ご覧のとおりドラゴンハントツアーです。ここにいる参加者の皆さんは栄えあるドラゴンスレイヤーとなるのです」
「ふざけるな! 罠にかかった……しかも幼い竜を倒してなにがドラゴンスレイヤーなんだよ!」
ぼくは怒りを抑えきれずに叫んだ。
「ドラゴンスレイヤーに決まりなどございません。幼竜だろうが倒せばドラゴンスレイヤーなのです」
商人は平然と答える。
「邪魔をする気ですか? 見たところ私どもでは勝ち目はないようですが、私もこのツアーを組んだり罠を仕掛けたりで出費があります。冒険者の皆様からもツアー代金をいただいております。費用を返してくださるならば、我々は引き下がりましょう」
そして商人はニヤリと笑った。
「それとも……正義感あふれる貴方がたに我々を……人が殺せますかな?」
「ぐっ……くそっ!」
ぼくは拳を握りしめる。
「ごめん……みんな……ぼくには見逃すことができないんだ。ぼくがこうして囲まれてイジメられてたから」
「かまわん。リーダーはお前だ。お前が決めろ」
ウィルフレッドが背中を押してくれる。
「で……いくらなんだよ?」
「冒険者の皆様から1人あたり1000ファナンで5人様いらっしゃるので5000ファナン。罠を作るのに3000ファナン」
「8000ファナンか……でもちょっと待って。冒険者にはあんたが返せばいいじゃん。罠代だけでいいだろ?」
「私は商人です。儲けにならないなら交渉は破談とさせていただきます。どうしてもと仰るなら8000ファナン」
商人は交渉慣れした口調で続ける。
「本当なら迷惑料込で1万ファナン請求したいところです。しかし……先程からそちらの剣士様から殺意を感じますのでねw 今回は実費だけで引き下がりましょう」
「……わかったよ。じゃあ宝石で払うよ」
ぼくは馬車を売ってもらった時に7200ファナン分の宝石の取引をしていたので、同じくらいの量を差し出した。
「これでいいだろ? 8000ファナンくらいにはなるはずだ」
「ほう……。一瞬でこの額を。……ええ、取引成立です。命拾いしましたな、トカゲの坊や」
商人と冒険者たちはゆっくりと歩いて去っていった。
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そして罠を見ると、無惨に殴られ切りつけられてる幼竜の姿があった。
「誰か回復魔法おねがい」
「ヒール」
フレイが回復魔法を唱えると、傷だらけの幼竜は元気になった。
「よかった。いま出してあげるから……」
罠から出してあげようとしたその時——
――空気が、凍りついた。
天空から、大気を切り裂くような凄まじい風圧が降り注ぐ。
見上げた夜空。月の光を遮るほどに巨大な、黒銀の翼が急降下してきた。
ドォォォォンッ!!
地響きと共に、ぼくたちの前に「それ」は降り立った。
漆黒の鱗、燃え盛るマグマのような両眼。そこに居るだけで魂を圧し潰されるような、圧倒的な「死」の気配。
邪竜、ロキ。
全身の毛が恐怖で逆立つ。一瞬でも動けば、塵にされる。……そう確信した時。
幼竜が邪竜に向けて、必死に鳴き声を上げた。
「……事情は聞いた。我が同胞を助けたのは、貴様らか」
地鳴りのような、人の言葉。
驚きで声を失うぼくたちの前に、肩に乗っていたフレイが、悠然と進み出た。
「久しぶりじゃな。ロキよ」
フレイが平然と話しかける。
「む? この匂い……フレイか?」
「すまんの。相変わらず人というものは、つまらない虚栄心のためにヌシの眷属の幼い命まで狙う」
フレイが説明する。
「え? フレイちゃん……知ってるの? それに……ロキ……さま?」
「うむ。母さまにたま~に会いに来ておったからの。神竜からの言伝にロキが」
「そう言えばドラゴンブレスの村の成り立ちとかロキ……さまの行動とか……知ってたもんね」
「我は人が許せない。だが……フレイの知り合いならば見逃そう」
「知り合いではない。ワシの友じゃ」
フレイは力強く言った。
「それに……許せないのはお互い様じゃ。旧知の仲じゃがロキよ……ヌシの行動も報復など褒められるものではない」
「フレイの友? ふふふw」
ロキが低く笑う。
「何がおかしい? やるのか?」
「ふふふw すまぬ。すまぬ。しかし……フレイに友ができるとは……」
ロキは興味深そうにぼくを見た。
「お前の名は?」
「マリオです」
「マリオ……。フレイが選んだ男か。その名、覚えておこう」
ロキは蔦の罠を鼻息一つで灰に帰すと、幼竜を伴い、再び黒い翼を広げた。
凄まじい上昇気流が、ぼくたちの髪をかき乱す。
見上げた夜空。去りゆく竜の背中に、フレイはどこか寂しげな、けれど懐かしむような視線を投げ続けていた。
……さあ、行こう。ドラゴンブレスの村は、もうすぐだ




