〚第四十七話:因果の馬車と、邪竜の溜息〛
ユーリキーシク村――そこは、運命に見放された人々が神鳥の再生にのみ最後の望みを託す、灰色の静寂に包まれた場所だった。
ぼくたちは、その沈殿した空気から逃れるように、早朝の冷気の中を村の出口へと急いだ。
すると、霧の向こうから一台の馬車が現れ、やつれた顔の男がぼくたちを呼び止めた。
「あの……。失礼ですが、これからさらに北へと向かわれるのですか?」
男の名はロダン。かつてはウルクスで名を馳せた旅商人だったが、悪徳業者に嵌められてすべてを失い、この馬車一台で「絶望の村」へ流れ着いたという。
「……路銀が底を突きました。もう、この馬車を手放す以外に生きる道がありません。どうか買い取っていただけませんか? もう、今朝の食事代すら持っていないのです」
馬車は年季が入っているが、造りは堅牢で、繋がれた馬も誇り高く首を振っている。
「ハンスさん、ウィルフレッド。馬車の運転はできる?」
「ええ、ワタシもフレッドも得意よ」 ハンスの返事を聞き、ぼくはロダンに向き直った。
「ロダンさん。希望の売値はいくらですか?」
「……本来なら一万ファナンは下りません。ですが、この村の商人は足元を見て二千ファナンしか出さないと言う。人生の最期まで騙され、買い叩かれるのは、死ぬよりも屈辱です。……どうか、八千ファナンで」
ぼくはウィルフレッドと視線を交わす。彼が小さく頷くのを確認してから、ぼくはあえて厳しい顔を作った。
「……七千なら、手を打ちましょう」
「七千……っ。ううむ、なんとか、七千五百になりませんか?」
「では七千二百。それ以上は一ファナンも出せません。どうします?」
……数秒の沈黙の後、ロダンは諦めたように、しかしどこか晴れやかな顔で頷いた。
「わかりました。……七千二百で、お願いします」
宝石商で換金し、現金をロダンに手渡すと、ぼくは彼に一つのメモを添えた。
「ロダンさん、これでやり直してください。イラブラティスの大富豪アドナンさんを訪ねるんです。彼は武器コレクターですが、旅商人が持つ『各地の情報』にも飢えているはずです。ぼく……いや、ウィルフレッドの紹介だと言えば、門前払いはされないはずですから」
「……っ! 何から何まで、感謝いたします。……神のご加護を」
マリオは少し頷きながら返す「……神のご加護を」
去りゆくロダンの背中には、死を待つ者の影はもうなかった。
手に入れた馬車に揺られながら、街道を北へと進む。
「マリオ、さっきの交渉は見事だったわ。商売の経験があるのかしら?」
御者台からハンスが感心したように声をかけてくる。
「いや、前世の物語で見たんだ。古い車を安く買い取り、リペアして価値を高めて売る……そんな交渉術をね。売り手と買い手、お互いの妥協点を探る技術だよ」
ウィルフレッドが感心したように鼻を鳴らした。
「道理で、年季の入った商人かと思ったぜ。……で、リーダー。次の村がどこか分かってるか?」
「ドラゴンブレス……だったよね。また物騒な名前だ」
「……昔はの、そんな名前ではなかったんじゃ」
馬車の隅で、フレイが遠くを見つめるような目で語り始めた。
「かつては『マニンキウツィーピン』……小さな花という名の、穏やかな村だった。だが、近くで希少金属アダマンチウムの鉱山が見つかってから、すべてが変わった。アダマンチウムは鋼より硬く、羽のように軽い。ヌシらの持つ宝剣も、すべてその金属でできている」
フレイの声に、形容しがたい悲しみが混ざる。
「村は鍛冶の聖地となり、多くの腕利きが集まった。そして同時に、ドラゴンスレイヤーの称号を求める傲慢な冒険者たちも押し寄せたのじゃ。……彼らは名声のために、年端もいかぬベビードラゴンにまで手をかけた」
「……」
「その蛮行に怒り、黒い炎ですべてを焼き払ったのが、邪竜ロキじゃ。ロキは人の子も赤子も容赦なく焼き尽くした。……邪竜と人は呼ぶが、どちらが邪悪であったか、ヌシにはわかるじゃろう?」
「……因果応報、か」
ぼくは重く呟いた。
「守るために焼き払った側が邪悪とされる……。悲しい話だね」
「うむ。教訓としてその名を受け入れたのならまだ救いもあったが、今の村人たちは憎しみを込めてその名を呼び続けておる。……中立的に物事を見られる者は、もうほとんどおらぬのじゃよ」
馬車の車輪が、凍りついた土を噛む音が響く。
北の空は、厚い雲に覆われていた。その先に待つのは、フレイがかつて「友」と呼んだ存在の、深い憎しみの歴史。
ふと、フレイを見やるとイリスの膝の上で安らかな寝息を立てて眠っていた。
ぼくたちは、かつて「小さな花」と呼ばれた村へと、ゆっくりと近づいていった。




