〚第三十八話:不屈の騎士と、魂の口づけ〛
帝都ウルクス。
その巨大な城壁が視界を遮った瞬間から、ぼくは肌を刺すような異様な緊張感に圧倒されていた。
高く聳える石造りの防壁は、まるで外敵だけでなく、中に住む者たちの自由さえも閉じ込めているかのように見えた。
城門の前には、重装歩兵の列。通行人の一人一人を射抜くような鋭い視線が注がれている。 「待て! 通行証を提示しろ」 警備兵の槍がぼくたちの進路を阻む。
「オレたちはトレジャーハンターだ。怪しい者じゃねえ」
ロジャーが不機嫌そうに鼻を鳴らし、腰の剣に刻まれた王家の紋章を見せた。それを見た警備兵の顔色が、一瞬で変わる。
「失礼いたしました! 剣聖ウィルフレッドさまでしたか……。お通りください!」
槍が引かれる。ロジャーは煮え切らない警備兵の態度を不審に思い、低い声で尋ねた。
「物々しいな。何があった」
「……先日、皇帝陛下の御命を狙うテロが発生しました。犯人の正体は未だ不明。帝都全体が厳戒態勢にあるのです。……くれぐれも、目立つ真似はなさいませぬよう」
門を潜った先にある街並みは、要塞そのものだった。
行き交う人々は一様に俯き、足早に去っていく。重苦しい沈黙が、石畳の道を覆っていた。
「嫌な空気ね。……マリオ、いい?」
ハンスが耳元で、甘く、けれど警告を含んだ声で囁く。
「ここではセイドゥ=ムアンバを探すような真似は控えなさい。あらぬ疑いをかけられれば、この鉄の街は容赦なく牙を剥くわ」
「……わかった。慎重に行動するよ」
ぼくはネコの姿で静かにぼくの肩に乗っているフレイを見た。
「ニャー」と短く鳴く彼女の瞳は、今はただの動物を装っているが、その奥には状況を冷徹に見極める知性が宿っていた。
「とりあえず、体を休めるか。この街には天然の温泉が湧いている。そこへ行くぞ」
「オレたちは少しだけ用事を済ませてから向かう。先に行っとけ」
フレイは再び「ニャー」と鳴きながら今度はロジャーの肩に飛び乗った。みんな気を遣ってくれてるのだろう
「温泉か!いいね。疲れもたまってるし一度ゆっくりと入りたかったんだ」
ロジャーの提案で、ぼくたちは大浴場へと向かった。
イリスと二人、温泉を目指して人気のない裏道を歩いていた、その時だった。
「……ん? おい。あの時の女じゃねえか。……ははっ、相変わらずいい面してやがる。また金払ってやるから来いよ」
心臓が氷付くような声。
隣にいたイリスの身体が、ガタガタと目に見えて震え始めた。
声の主は、岩のように屈強な体躯を持つ冒険者風の男。ニヤけた下劣な笑みを浮かべ、土足で彼女の過去を踏み荒らそうとしていた。
マリオは確信した。こいつは、イリスが生きるためにすべてを殺して体を売らされていた頃の――「客」だった男だ。
「……触るな」
ぼくは、震えるイリスの前に立ちはだかった。自分でも驚くほど冷たく、鋭い声が出た。
「イリスは、ぼくの彼女だ。二度とその汚い口で彼女を呼ぶな」
「なんだ、てめぇは?」
身長190センチを越える偉丈夫が、見下ろすようにぼくを睨む。
勝負にならない。本能が「逃げろ」と叫んでいる。けれど、ぼくの脚は一歩も引かなかった。
「文句があるなら……ぼくが相手だ」
ゲボッ、と。
視界が火花を散らした。腹部にめり込んだ蹴りが、ぼくの身体を木の葉のように宙に浮かせた。
ドカッ、バキッ、グシャッ。
その光景を、25mほど離れた柱の陰から、ロジャーとハンスが見つめていた。
マリオが紙屑のように打ち据えられるのを見て、ハンスが血相を変えて一歩踏み出す。
「フレッド……いいの!? あのままじゃマリオが死んじゃうわ、助けに――」
「待て」
ロジャーの鋼のような腕が、ハンスを制した。その目は冷徹ではなく、極めて真剣にマリオの背中を射抜いている。
「これは、マリオの男としての戦いだ。……女の名誉のために一歩も引かず、己の限界に挑んでいる。……今、俺たちが介入するのは、アイツの魂を汚すことだ。最後まで見届けろ」
ロジャーの言葉に、ハンスは唇を噛んで立ち止まった。肩に乗る猫は偉そうに頷いた
――無慈悲な打撃音が静かな廊下に響き渡る。
一方的に殴り飛ばされ、床に這いつくばるぼくの頭上から、男の罵声が降り注ぐ。
「弱いくせに、格好つけてんじゃねえよ雑魚が! そいつは売女だ。金で転ぶ安女だって言ってんだよ」
「ぼくの……ぼくの大切な彼女を……汚い言葉で、呼ぶなっ!」
失神しかけながらも、ぼくは男の足首に縋り付いた。
「うるせえよ! これで最後だ!」
振り下ろされた鉄拳。
そこでぼくの意識は、深い闇へと落ちていった。
マリオが完全に動かなくなったのを確認して、男は吐き捨てて立ち去った。
静寂が訪れる裏道で、ロジャーはゆっくりと歩み寄る。
失神したマリオの、ボロボロになりながらも離さなかった「握りこぶし」を見て、ロジャーの口元がわずかに、けれど愉快そうに吊り上がった。
「……ふっw。……大馬鹿野郎が」
それは、今日この瞬間、マリオが彼の中で「守られる子供」から「一人の男」へと昇格した証の笑みだった。
「……ん」
柔らかな温もりと、雨のような雫が頬に落ちて、ぼくは目を覚ました。
視界に映ったのは、泣き腫らした目でぼくを見つめるイリスの顔。
「……ごめん。また……守れなかった……」
ぼくの弱々しい呟きに、イリスは激しく首を振った。
「ううん。……また、守ってくれた。私の、世界で一番かっこいい騎士様」
「……姫様、お怪我は?」
「私は平気。……ありがとう、マリオ」
イリスは慈しむようにぼくの額へ優しく口づけをした。
彼女の涙が、ぼくの傷ついた心と体に、どんな回復魔法よりも深く染み渡っていく。
その後、ロジャーたちと合流し、湯船に浸かりながら現状を整理した。
ロジャーは湯船の縁に腕を預け、厳しい表情で天井を見上げている。
「テロ、か。このご時世、皇帝の命を奪ったところで何が変わるわけでもない。……目的の見えない愉快犯ほど、厄介なものはないな」
「ロジャーにも、目的はあるの?」
ぼくが尋ねると、彼は少しだけ目を輝かせた。
「……伝説の剣『アルフシャール』。かつての預言者ムトゥーが聖地マーヤーリーバナーに遺したとされる、岩をも断つ剣だ。その岩から剣を抜いた者が、正当な所有者となれる。……オレは、いつかその剣を手にしたい」
トレジャーハンターとしての、ロジャーの素顔。
「聖地マーヤーリーバナー……。ここからは遠いの?」
「ああ。歩いて行ける距離じゃねえ。一度街に戻り、機を待つのが賢明だ。テレポートも行ったことのない場所へは使えねえしな」
女湯から戻ってきたイリスが、湯冷めしたわけではないだろうが、不思議そうに自分の手を見つめていた。
「……マリオ。やっぱり、変なの」
「変?」
「ステッキを振る時、魔力が指先から『形』になって溢れ出そうとするの。……魔法とは、少し違う力が」
ぼくは神狼の言葉を思い出した。
イリスの中で、何かが確実に目覚めようとしている。それは、彼女が「負けっぱなしの魔法使い」から、全く別の「何か」へと進化する予兆のように思えた。
ぼくたちは帝都の不穏な空気を背に、再び王都エリドゥーシュへの帰路に就いた。
収穫はなかったかもしれない。けれど、ぼくは確信している。
仲間の夢。愛する人の変化。そして、フレイを救うという誓い。
たとえ今は「弱いくせに」と笑われても、ぼくの旅は、ここから加速していくんだ。




